史料で探る茨城の歴史、(山川出版社) 2007年3月30日第一版第2印
この本は、茨城の高校生の歴史教材として出版されたものだが、茨城の歴史の
入門書として、一般の方にもおすすめしたい。
その中に「36風船爆弾」という項目がある。
風船爆弾とは、昭和19年10月25日に発せられた大本営命令によって
陸軍が開発した気球で、良質の和紙をコンニャク糊で3~4枚貼り合わせた
原紙に、強化処理を施したもので、当時手に入る材料の中で一番すぐれて
いたという。
この中に水素ガス詰めて、バラストで重さを調節し、偏西風に乗せてとばし
アメリカ大陸に到着したら、爆弾を投下する仕組みであったという。
この風船爆弾の大本営直属部隊が、今の北茨城市大津町に有ったので
茨城の歴史と関わりがある。
ちなみに1994年11月から翌年の3月までに9300個の風船爆弾が
放流され、うち約360個が北米大陸に到着したといわれている。
これは戦局を左右するような事は無かったが、オレゴン州では不発弾が
爆発して6人が死亡したといわれている。
故に、オレゴン州の公園には、第二次大戦中にアメリカ大陸で敵の攻撃の
ために死者を生じた唯一の場所であるという記念碑が建っているという。
ところで、この項目の中に、史話という囲み記事があり、その中に原爆投下の
訓練用に米軍が作った「摸擬原爆」が1945年7月26日、B29から
日立製作所山手工場の近く投下されて爆発し、200メートル先の寺の
本堂の屋根瓦を吹き飛ばすようすさまじい爆風で、1名が死亡10名近くが
負傷したという。
当時は空襲や艦砲射撃が激しかったので、この爆弾の爆発は注目され
なかったが、平成2年に原爆と訓練用の模擬原爆の投下地点をまとめた
米軍の地図が発見されて、日立に落とされた爆弾が模擬原爆で有ることが
明らかになったという。
米軍の計画では、広島、新潟など原爆投下候補地周辺に計49発の模擬原爆
を投下した
そのうち第一目標の新潟県長岡市に投下する予定だった機が、長岡が雲による
視界不良で投下出来ず、戻る途中で日立製作所をねらって投下したと考えられ
ている。
それから二週間後、全く同じ形の、本物の原爆が長崎に投下されて、一瞬にして
長崎は廃墟となった。
以上、茨城の歴史から一部引用加筆しているので、興味のある方は
「史料で探る茨城の歴史」をご覧ください。
山川出版のホームページ
ここの一般書の中には、なかなか興味深いタイトルの本が有りますよ。
追記
この山川出版の「一般書」の中から茨城の歴史を探すには、一番上にある
検索欄に「茨城県の歴史」と入力して検索すると、茨城県の歴史に関する
本が現在3冊表示されます。
一般書のページ
ここのフリーワード検索に「
茨城県の歴史」と入力して検索します。