花の詩山の詩

花の詩(うた)山の詩(うた)へようこそ
このブログは「花と山とを友として」の続編です

救出した写真を公開

2018年02月20日 22時53分09秒 | スポーツ・トレッキング
壊れたHDDから救出した写真を公開します。
今回だけ1024ピクセルの大きさにして掲載します


2015年8月12日、日光白根山 ロープウェイ山頂駅前のロックガーデンと白根山


2015年8月2日、茨城県の県北の湿原で撮影したサギソウ
タイトルは「群れ飛ぶサギソウ」なんちゃって(笑)


2011年7月10日 那須の沼ッ原湿原の日光キスゲ満開



2015年6月2日 麦畑と筑波山


筑波山麓の観察会は古道歩き

2018年02月20日 00時08分53秒 | スポーツ・トレッキング
昨日、筑波山ファンクラブの観察会に参加して、山麓に残されている古道を歩いて
面白い発見が有った
オリンピックを見ていて時間が無くなったので、本日は興味のある部分の写真のみ
掲載します


9時半に、ふれあいの里駐車場に集合して、ふれあいの里の「コナラの道」を歩き
林道白滝線を下って、白滝神社により神社下の橋を渡って「しらたき道」を登り
「かえる石」とか「トトロ石」とか呼ばれる石を眺めて、再び林道白滝線に抜けると
そこは、最も古いと言われる「府中街道」との合流場所で、左に入っていくと
東山に抜ける道である

ここでガイドをしていたNさんから面白い昔話を聞いた
昔、八郷に化け物のようなネズミがいる家があり、困り果てた家主が白滝神社あたりに
住んでいた坊さんに、ネズミを退治してくれるように頼んだら、坊さんが12匹の猫を
連れて、その家に行った。
その夜中にものすごい鳴き声と暴れまわる音がして、朝になって覗いてみると、1匹の
大ネズミと12匹のネコが血だらけで死んでいたという。
哀れに思った家主が坊さんとともにその猫とネズミの死骸の塚を作って葬ったという
その13の塚が有るので、十三塚と呼ばれるようになったのが八郷の十三塚だという


白滝神社の下の橋を渡って「しらたきみち」に入ると途中に「かえる石」とか
「トトロ石」とか呼ばれる面白い大石が有る
誰か丸い目玉まで書き入れてある
Nさんの説明によると、このしらたき道は、府中街道を歩いてきた人が、白滝神社に
お参りするために歩いた道だそうである。
(林道白滝線も無かった古い時代の話なので、現代人にはなかなかわからないかも)

林道白滝線から東山に向かって「府中街道」を歩くと、小さい橋を渡るとそこは
ガードレールのある県道42号線の車道に突き当たる
ガードレールの間から出て、車道をしばらく右に登っていくと、S字カーブのように
曲がった先の左側に、やはりガードレールの間から入る「府中街道」の入口がある
そこから右下に下っていく道は、藪漕ぎの道で猪の掘った穴や排水溝が有ったり
ぬかるみが有ったりするが、ふみ跡がついているのでわかると思う
地図には載っていないが、れっきとした県道なので茨城県と書かれた道標があり
電柱もたっている(但しどこにも府中街道の案内標柱は立っていないので注意)


砂防ダムの下に、近くの花街の身寄りのない女性たちが死んだとき、その供養を
したと思われる「流れ灌頂(かんじょう)跡地と思われる場所だとNさんが説明した場所
補足説明、流れ灌頂については、稲荷宮の次に出てくる「句碑」の説明板に「流れ官女」
と書かれていたが、ネットで調べても詳しい説明がなかったので、同様の意味を持つ
「流れ灌頂」を採用した。しかし、この地方では「流れ官女」と呼ばれていたかも
しれないので、その場合はお詫びいたします。

その先は道も広い林道状になり、作業車の回転場と思われる広場もあった


まるで京都の伏見稲荷のように、赤い鳥居が立ち並ぶ「稲荷宮」があった


赤い鳥居の列


苔むした一枚岩の上に建つ稲荷神社、見上げると正一位行人塚稲荷大明神の文字が見えた


稲荷宮から舗装路になり、すぐに立派な「句碑」が立っている場所につく
傍らに句碑建立の由来が建っていた


句碑建立の由来


建立の由来をトリミングで拡大した写真
ここに「流れ官女」と記載されていた


中略

筑波六井の「香の井」の直前に鉄の檻に入っている猪を見た

死んでいるのかと近くに行った人が、突然立ち上がった猪にびっくりして
逃げる一幕も有った


東山の町並みに現在建築中の茅葺(かやぶき)屋根の民家
所有者の了解を得ているということで、ここの裏で昼休みとなった
何しろ風が冷たくて寒いので、風の当たらない山側の土手で日を浴びながら
食事となった


筑波山神社の東側に、「白雲橋」が架かっている、白雲橋コースの起点だ
右の家は神社などへのお札を作っているという木工所


橋を渡った神社側に、土木学会が選奨遺産に選んだ石積砂防ダムの
案内板が立っている
この案内板の右下に、白雲橋の標柱が写っている
筑波山登山道の一つ「白雲橋コース」の名前の由来がここにあったとは
私も初めて気が付いたのだった。

少し写真と説明文を追加しました。

お終い







佐野市須花峠から名草山へ

2018年02月16日 15時55分48秒 | スポーツ・トレッキング
13日に載せた須花坂湿原の座禅草記事の続編です。

同じ日に栃木市観光協会のHPに「星野の節分草」が開花したとの情報が出てましたね
いよいよ春の妖精の開花が始まりましたが、佐野市の柿平は開花が遅れているようですし
秩父の小鹿野は残雪が凄くて、節分草の開花が3月になりそうとのことです
みなさんはどこに行かれますか、私は花友とどこに行くか相談中です。


須花坂湿原から須花トンネルの上の須花峠に向かう登り道は、落ち葉の吹き溜まりで
靴が埋まりそうなふかふか道を登ります


登りつめた峠には、須花峠の表示と佐野宗綱の戦死の地の標柱が立っていました

唐沢城に本拠を置いた佐野宗綱は、佐野氏16代の当主で、上杉謙信との戦にも耐え
部下に鉄砲を持たせるなどの先進性を持ち、北条氏との戦いでは常陸の佐竹氏と結び
たびたび出撃している。

天正13年1月1日(西暦1585年1月31日)、大晦日の軍議で家老たちに反対されたが、北条方の
長尾顕長と彦馬で戦うとき、今まで一度も負けたことが無いので過信したのか、宗綱自身が
単騎で突出してしまい、配下の到着をこの峠で待っていた時に、敵の鉄砲で撃たれたという

皮肉なことに、男子がいなかった佐野氏は、この後、北条氏から北条氏忠を養子として迎え入れ
佐野氏忠を名乗らせ、北条氏の傘下となり、豊臣氏の小田原征伐では、北条氏が没落すると
氏忠も運命を共にしたという。

ただ宗綱の戦死後、豊臣に仕えていた天徳寺氏(佐野房綱)が小田原征伐で戦功が有ったため
佐野氏が再興されたという。

そんな歴史を秘めた須花峠だが、今の時期は訪れる人もなく、肌寒い風が吹いていた


峠を越えて下ると、そこは須花トンネルの出口の上で、下には足利市の表示が立っていた


その場所から右に名草山の登山道があり、かなりの急登で鉄パイプの手すりとステップが
刻んである
手すりにつかまり、ステップを確かめながら一歩一歩登っていくと、尾根道になる直前に
ベンチがあり、その横に鎧地蔵尊の碑が立っていた

ベンチ


鎧地蔵尊の碑
(これについてはいわれを調べていない)


鎧地蔵尊の跡を超すと、しばし緩やかな尾根道となる。この尾根の右下が須花湿原で
樹林の間から少しだけ湿原が見えた


しかし、その先にも手すりとロープの張られた急登が待っていた。
こちらにはステップが無いので、うっかりすると滑りそうだった


その急登を登りきると、そこは名草山の山頂で山名プレートと三等三角点が有った
ただ周りは雑木林で見晴らしはあまりよくなかった


名草山の三等三角点


名草山の山名プレート、標高258.3mと書いてある


雑木林の山頂は、展望が望めない


反対側に緩やかな下りの尾根道が続いている。
彦馬浅間遊歩道案内図には、名草山を通って一周できる道が書いてあったが
それは体調の万全なときにしたい。


その尾根道に、小動物のフンと思われるものもあった


下山時に尾根道の左下を見ると、須花坂湿原の一部が木の間から見えた
それなので須花坂湿原は、名草山の中腹の沢にあると言ってもいいだろう
この尾根道には、無数のコウヤボウキの花柄が有った。


須花坂湿原に登る、腐った階段を上から見ると、こんな感じである

階段を下りて歩き出したら、二人連れの婦人に出会った。
そして私が明治トンネルに行く準備をしていたら、その二人が戻ってきた
座禅草を見ただけで戻ってきたのだろうか、地元ナンバーなので、様子を
見に来たのかも。


明治トンネルへの道、道標にはトンネルまで140mと表示されている


明治トンネルの様子


トンネルは立ち入り禁止になっている


トンネルの入り口付近の様子
転がっているのは、山の斜面から崩落した石、入口はゲンノウでタガネをたたいて
削った跡が残っている。


史跡須花トンネルの標柱が立っていた


傍らに「旧須花隧道」と書かれた碑が立っていた。
碑には次のように書かれていた
佐野市と足利市とを結ぶ須花坂には3本の隧道が並存しています
これらは、明治22年竣工の「素掘り」、大正6年の「煉瓦造」、昭和55年の
「RC造」と、建築時期によって構造の異なるものです。
「旧須花(すばな)隧道」とは、明治期と大正期の隧道です。
2つの隧道は現在使用されなくなりましたが、隧道構造仕様の流れを間近で
知ることができ、また、希少性に富んでいることなどから、平成21年11月
選奨土木遺産に認定されました。
特に、ここに面する明治期の初代隧道は工事着手から竣工まで8年の歳月を
要していますが、工事は人力だけで行われたものです。
現在通行も出来ませんが、内部には手堀り作業で刻み込まれた工具の痕跡が
残り、地域開発への先人の熱い思いが伝わってきます。
(土木学会選奨土木遺産とは)
土木遺産の顕彰をつうじて歴史的土木遺産の保存に資する事を目的とし、近代化
遺産(幕末~昭和20年代)のうち技術的・デザイン的に優れた土木構造物を
土木学会が認定しているものです。

(読みにくい部分が有ったので間違いがあるかもしれませんが悪しからず)
プレートに2009の文字が有ったので、2009年なのであろう


手堀りの須花トンネル一本 という説明板もたっている


トリミングで拡大した説明文


明治トンネル入り口前の車道横に建っている栃木県知事船田譲氏の温故知新の石碑
碑文は、手堀りトンネルを作った田島茂平氏を讃えたもので、その経緯とその後の
新しいトンネルを作った経緯を述べたものである。
それについては、時間のある時に全文を掲載したいと思います
オリンピックの放送を見るのに忙しくて(笑)ゴメン

もう一つ、先日、やっと見たい映画「星めぐりの町」を見てきましたよ。
3.11の津波映像を見ていたら涙があふれて正視できず。
映画のラストに宮沢賢治の雨にも負けずを言うシーンがあるけれど
津波のショックで会話できなくなった少年が突然言い出すのはちょっと
違和感が有ったけれど、あれは黒土監督のどうしても伝えたい言葉だったんだと
だんだん思えるようになってきた。
豆腐屋の親父役の小林さんが「辛くても生きて行くんだ」と少年を励ます
言葉とともに、それが映画の主題なのだろう
それにしても上映期間のおしまいに近かったために、上映している映画館が
守屋のイオンしかなく、はるばると守屋まで見に行った。

温故知新の碑文転載

この須花坂は昔から交通上の要地であった 遠い戦国時代にはこの地をめぐって
東西両支配者の争奪戦が繰り返された 江戸時代になると 足利方面との交流が
次第に増加し この坂は人馬で込み合うようになった さらに明治時代になると
荷馬車が普及したが この坂を越すことができず 人々はその不便さを痛感して
いた その頃上彦馬 下彦馬 閑馬三カ村の連合戸長を勤めていた上彦馬の田島
茂平氏は 村民の悩みを解決しようと 明治十三年この坂にトンネル建設を計画
し 有志の協力を求めた その結果上彦馬村五十三名 下彦馬村二十三名 閑馬
村一名 名草村七名 足利町五名の賛成者を得 六千円余の資金が集められた
 氏は自ら責任者となって 同十四年工事に着手した

しかしながら 当時の人力にのみ頼る幼稚な技術では 工事は容易にはかどらな
かった そのうえ種々の障害もあり 資金も不足をきたし再度ぼしゅうしても
応じる人もなく このままでは工事を放棄するよりほかはなかった
ここで氏は 地域将来の発展と住民の福祉を思い私財を投げ出して工事を続行させ
ついに同二十二年一月このトンネルを開通させたのである
このトンネルの便利さに目覚めた村民は 改めて氏を支援し 同二十五年トンネル
内の木わくや排水溝等の整備工事を完成させた これが新トンネルの南にある延長
一一七メートルの草に埋もれたトンネルである

 その後栃木県は この交通路の重要性を認め 大正六年延長八十三メートルの
近代的なトンネルを造った これが新トンネルの北にある歩行者自転車用のトン
ネルである
昭和四十年代となると 自動車が急速に普及するとともに大型化の時代を迎えた
そのため大正期の第二のトンネルも狭小となり交通に支障を来すようになってきた
この情勢に応じ 栃木県は昭和五十一年新たに工を起し 四年の歳月を経て
ここに延長一五七.五メートルの第三のトンネルが完成した これにより本地域と
足利方面との交通はますます増加し 大いに産業文化の交流に役立つことであろう
ここに昭和の新トンネルの開通に当り 先人の労苦に思いを致し その遺徳を
しのぶとともに この道を通る人々の安全を願う次第である

(碑文は、縦書きで長いので、筆者が勝手に改行や行間を開けました事お詫びします)


名草山と明治トンネルの位置
古いGPSなので軌跡が乱れてますが、山旅地図にも載っていない名草山の位置を
確認できたので、掲載します。標高258.3メートルで三等三角点がありました




筑波山梅林と風返峠からの夜景

2018年02月13日 21時33分07秒 | スポーツ・トレッキング
明日から梅まつりで、梅林には車で入りにくいので、夕焼けを撮りに夕方
5時過ぎに梅林の展望四阿に行った。
四阿の前の駐車場は、梅まつり期間は巡回バスの回転場になったらしく
締め切られて止められなかった。
50メートルほど奥の林道のスペースに止めて、四阿に行き、雲の中に
沈んだ太陽のきらめきを狙った。
(林道も梅まつり期間は車の通行止めになるので注意)


その時の富士山が落日に照らされてピンク色に染まって見えた・17時14分ごろ


雲の中に沈んでいった落日で、燃えている雲が素敵だ・17時16分

下界の灯りが灯りだしたので、もう少し高い位置から夜景を撮ろうと風返峠に
行った。


風返峠の少し上から撮影した夜景・17時57分


夕焼けの富士山と地上の星のような夜景が広がった・17時58分
夜景は手振れしないように2秒のタイマーで撮影した

今日は空気が澄んでいたので、夜景がきれいに見えた。
ナイト・クルージングで、ロープウェイで女体山に登ったなら、さぞかし
綺麗な夜景が見えたことであろう。





栃木県佐野市の須花坂湿原の座禅草

2018年02月13日 13時47分15秒 | スポーツ・トレッキング
そろそろ座禅草の季節なので、どこに行くか迷ったが、あまり知られていない場所に
行ってみようと、栃木県の佐野市観光協会のHPを見たら、須花坂湿原という場所に
座禅草が咲いているという。
カーナビに案内させる為に、住所を地図で調べると、佐野市下彦馬町である
県道208号線の須花トンネルに行けばいいので、仮目標として下彦馬1657番地を
カーナビに入れて出発した。
この番地はトンネルのかなり手前だが、一本道なのでそのまま道なりに行けば
須花トンネルに行きつく。
高速代をケチって下道を走り、66号線から208号線の仮目標に付近についたら
偶然にも近くに「彦馬浅間遊歩道案内」の大きい案内図が立てられていた。


彦馬浅間遊歩道案内図の写真、ただし方位は北が右なので注意


上の案内図の須花坂湿原付近をトリミングした写真
この案内図では、三つのトンネルが描かれているが、座禅草が有るのは「大正トンネル」
の右上である。
昭和トンネルと書いてあるのが「須花トンネル」のことで、現在使われているトンネルで
左の「明治トンネル」と右の「大正トンネル」は封鎖されて入れない。

11時過ぎ須花トンネルの前について、明治トンネルの林道入口の車止め前のスペースに
に駐車した。


須花トンネル


須花トンネル左手前にある、私が車を止めた明治トンネルへの入口、車止めかあり
車は入れない


付近に建っている案内板1


明治トンネルが手掘りで作られたの説明板


大正トンネルへの入口は、須花トンネル手前の右側にある


大正トンネルへの道も車止めがあり、車は入れない


道の入口に立つ座禅草群生地の表示板


大正トンネルへの道


大正トンネル、右の金網が倒れていた


大正トンネル手前の右に須花坂湿原に登る腐った階段、真ん中に穴の開いた
場所が有るので、山側の端を歩いた


階段を登り切ったところにある須花坂湿原、小さな湿原であった


最近は手入れもされていないのか、須花坂湿原の表示板も痛んでいた


表示板の近くに咲いていた座禅草






花は全部で8~9株ほどあったが、花の部分が見えるのは5株ほどであった
大雪の後にも拘わらず、雪がほとんどなく、ロープの貼ってある脇を上まで
登っていくと、倒木や落枝が散らかっていた。

この後、トンネルの上の峠まで登り、そこから名草山の頂上まで登ると
三等三角点が有った。
それはまた後日




沼田新田酒寄線のキヅタ

2018年02月10日 19時29分25秒 | スポーツ・トレッキング

沼田新田酒寄線の林道を走ると、ちょっと変わった実がなっている。
「キヅタ」と呼ばれるつる性の木の実なのだが、この実が熟すのは
5月ごろだという。
なので。これはまだ半熟なのだろう。
実の先端に、円形の花盤と柱頭が残っている典型的な実であるが
半熟なので、いろいろな形のものがある


大半は、こんな形の未熟者である。

花も変わっていて、10月ごろに咲く
昨年、たまたま裏筑波で花の写真を撮った


葉っぱに埋もれるようにして一つだけ咲いていた。(10月18日に撮影)


花の部分をトリミングで拡大すると、こんな花である
この花は雄性期で雄しべが5本が出ているのでわかる
雌性期になると、雄しべと花弁が落ちてしまうという。
いつかわ雌性期の花も撮影したいものである。

葉っぱも変わっていて、若い葉は3裂から5裂したりするが
実のなる頃には、丸みを帯びた葉に変わる。


3裂している若い葉


実のついている葉


こんな丸みを帯びた葉もある


樹皮は灰色だが、本年枝は緑色を帯びている

キヅタは、気根を出して岩や樹木を這い上るというので、気根の
写真にチャレンジしたが、岩についていたので、同系色で形が
はっきりせず、失敗した。ごめん



リハビリを兼ねて体力負荷テストで歩き回る

2018年02月08日 20時15分29秒 | スポーツ・トレッキング
ここ数日、薬の服用時間を変えることで、胸の発作も収まったので、身体に負荷をかけても
発作が起きないか、リハビリを兼ねて、石岡市八郷のフラワーパーク行き、ふれあいの森を
山頂まで往復してみた。
その時に撮影した写真を掲載する。

また、夜明け前の霞ケ浦に行き、極寒の湖岸で耐寒負荷も与えてみた。
しかしこれは少し無謀で、家内には怒られるし、散々だった。
霞ケ浦の寒さは、想像以上に寒く、カメラのシャッターが押せないぐらいだった。
手が凍傷になりそうな寒さに耐えきれず、30分ほどで撤退した。


フラワーパークの「ふれあいの森」の河津桜群生地から菜花と筑波山(女体山)


ふれあいの森の山頂広場の河津桜の咲き始めの1輪を入れて筑波山


マンサクの蕾と開き始めの1輪


赤みを帯びたマンサク


椿に来ていたメジロ、


ナンキンハゼの実が沢山ついていて、まるで花が咲いたよう


フラワーパークの福寿草園で撮影


早春の花なので、パラボラ型の花で反射光を中心に集め、温度を上げて
昆虫の動きを助けるという


福寿草園の遊歩道を道案内してくれた野鳥、オトボケのように見えるが
実は警戒している目が印象的だ


日の出前の霞ケ浦


極寒の湖を泳ぐ水鳥、





花之江の郷の節分草と薬王院のひな祭り

2018年02月04日 17時41分49秒 | スポーツ・トレッキング
昨日はつくし湖のスペースに車を止めて、薬王院に登って行ったら、生憎と
雛祭りの飾りつけがまだで、舟遊びしているお雛様を見る事が出来なかった
まあ天気も悪かったので仕方がない。

私が帰る頃に、授与所の窓の中に雛飾りを始めていたから、午後からは
見られたかもしれないが、何も慌てることはない。
天気の良い日に見に行けばよいのだ。

薬王院からの帰りに、上曽峠の野草の芽だしを確認しに行こうとしたら
上曽峠に行く真壁側の道が「凍結で全面通行止め」になっていた

仕方なしに、湯袋峠から風返し峠を越えてきたが、風返し峠までは雪かきした
残雪が、道の両側に大量にあって、溶けだして流れていた。
これでは朝晩は凍結してあぶないかもしれない。

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今日10時過ぎ、天気が良いので栃木県都賀町の花之江の郷へ「節分草とバイカオウレン」
の花を撮りに出かけた。
HPを見たら開花情報が出ていたので、早春の花を見たくなっていそいそと
出かけて行ったのだった。
日曜日なのに、開花している花が少ないので無料にしたのか、入園料は無料と
張り紙がしてあった。
花之江の郷は、植栽した野草の花を見せる野草園だが、自生のものより一足早く
花を見ることができるので、毎年のように出かけている。


バイカオウレンの花


バイカオウレンの群落


シベがむき出しのバイカオウレンが有った

(いずれも、離れて望遠側で撮影している)


節分草1


節分草2


上向きの節分草


福寿草も一杯咲いていたが、我が家でも咲いているので、今回は様子だけ


まさかと思ったのがアズマイチゲの花、あまりにも早すぎて、少しいじけ気味に咲いていた


葉っぱがいじけているが、おそらくアズマイチゲで間違いないと思う
3株から4株ほど咲いていた。
本日は、これだけを撮って、とんぼ返りで薬王院へ向かった。

昨日は歩いて登ったが、天気が良いので溶けているだろうと、車で薬王院に
登って行った。
皮肉なことに、ほとんどの曲がり角が日陰になって、雪が両側に残っていた
溶けてはいたが、曲がり角ではスリップしないように慎重に曲がった
たとえスダットレスでも、凍結は滑るからだ。
車で行くなら、10時過ぎから15時ぐらいまでの間が無難であろう

薬王院の第一駐車場に車を止めて、舟遊びのひな人形を撮りに行った
さすがに今日は、何人もの人が来て、弁天池のひな人形を見ていた


弁財天の祠が有る島には、緋毛氈を敷いた内裏雛が飾られ、池には
舟遊びする雛人形が浮いていた


今年は、水面(みなも)にも映り込んで、舟遊びのひな人形も楽しそうだ


池のふちに桃の花が飾られていた












左の石段を登ったお堂に飾られていた雛段
私は、一番下のくりくりした目の小坊主がかわいいので思わず撮った
制作者の名前が左下に表示されていたので、名のある作品なのであろう








明日からの真壁のひな祭りにちなんで

2018年02月02日 19時26分35秒 | スポーツ・トレッキング
明日から始まる桜川市真壁の雛祭りで、薬王院の「舟遊びする雛人形」を再び撮りに
行こうと思ったら、桜川市観光協会のHPに、薬王院に登る車道が凍結して通行できない
とのお知らせが出た。

薬王院のひな祭りの写真は、私も昨年のブログに掲載したので、もう一度行ってみようと
思ったいたので、もしも車で行けないなら、麓のつくし湖の駐車場に止めて、薬王院の
駐車場まで登る遊歩道を歩いて行こうと思う。
但し道は荒れているので、長靴が必須だし、滑るのでストックも必要だ。

昨年の2月28日に掲載した「薬王院に舟遊びの雛人形を見に行く」の写真から2枚ほど再掲載




本日午後の筑波山は、雪雲がかかっていた




男体山をアップで撮ると


桜川市真壁のひな祭りについては、桜川市観光協会の「真壁のひなまつり」のページを
ご覧ください
会場周辺は混雑するので、マイカーよりバスが便利です