今回歩いた古徳城跡の散策コースのGPSの軌跡図を載せますが、古徳沼の北側にある
小さな山「勢揃山」と呼ばれるところにあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/c4/78c1c79dfaec10e6cb8ccda979aceb77.jpg)
この地図は1万2千分の1を二倍に拡大して表示しています。
標高70メートルの等高線が沼のすぐ上にあり、その上の80メートルの等高線の中に
古徳城跡がありますから、標高としては、それほど高くありません。
本来は、古徳沼の前から階段を登って歩くのでしょうが、今回は水鳥の撮影で奥に行き
そのまま西奥の入口から登って、古徳沼前に降りるコースを歩きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/fc/e16336ab91e7fc039b1f6ce301644d00.jpg)
周辺の様子がわかるように、20万分の1の地図も掲載します。
薄くてわかりにくいのですが、右側に縦に走っているのが、国道118号線です。
地図の上方に静神社があり、そこから古徳沼の駐車場にくることができます。
ミコアイサを探して中里の溜池にも行きましたので、溜池と帰路に走った
平野台団地の中も描かれています。平野台は戸建ての巨大な団地です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/eb/cd2d70b2fe24e4e05cc105f804b8bee0.jpg)
古徳沼の西奥に立っている「静古徳古道を廻る散策路案内図」
この案内図の右の古徳沼周辺だけを歩いたので、歩いた時間は
17~18分でしょうか。散歩程度で歩けます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/85/1f4dd095ab3fcd184555922583784357.jpg)
西側の入口に立つ案内板、古徳城跡まで0.1キロの表示がある
静古徳古道は1.1キロと出ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/c9/1cd997e7c89eafad3effab4db0edcc31.jpg)
落ち葉の散り敷く山道を穏やかに登っていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b4/26d2d022522c57c0553b2df3cd2ba4a3.jpg)
すぐに尾根上の丁字路に突き当たり、左は静神社1.3キロ、右は
古徳城跡0.1キロの表示がある。あれ入口にも0.1キロと出ていたなー
などと思いながらも、ここは右の古徳城跡へいくのですが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/2f/b8ab69b6803e004bad57c93e3eb60308.jpg)
丁字路から見る静神社方面の様子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/d2/dc7678b550c47eeb3a03b5c8022fbdf3.jpg)
こちらは丁字路から見る古徳城跡方面の様子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/04/c1f3e57efea470803be0435aadcc5a46.jpg)
丁字路から右に10数メートルほどの位置にあった古徳城跡の標柱
案内が無ければ、ここが城跡とは誰も気が付かないであろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f0/9e7fbad1399b72f5b832b7fe6c943d92.jpg)
そこから古徳沼方面に向かう道の様子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/34/05468ffb4419f2e70bfcdce2a0877467.jpg)
すると空堀ふうの浅い窪地があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/46/8a9337aa382818f55832e523809937d4.jpg)
空堀の先は、やや広い平坦地でなぜかベンチもおかれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/dd/b762643f9f4063465b6f5b2f7e92df3b.jpg)
その先の道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a2/02bb4361220238c9fd126f74f34db622.jpg)
そして再び空堀があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/46/037f819ce24aff30846aaa00d8ef5e32.jpg)
古徳沼への階段の降り口のそばにもベンチがあった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/68/9b5120ef79cc4dda9805ecc3fba3b098.jpg)
ベンチの奥に倒れた祠のようなものがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a5/8a122b7c10dfc6558c67092dafef31ca.jpg)
古徳沼前の入口の階段から降りた。
この古徳城跡の説明などの表示は見当たらなかったので、自宅に帰ってから
「図説 茨城の城郭」という手持ちの本で調べてみた。
それによるとね古徳城を築いたのは、大掾義幹の次男 民部大輔義純であったと
記されている。永和元年・(1375年)の事というからおよそ640年ほど
前のことである。
城を築いたあと義純は古徳氏を名乗り、城主としてこの地を支配したという。
しかし、大掾氏が江戸氏に攻撃されて衰退すると、古徳氏は江戸氏の勢力圏に
入り、のちに江戸氏の家臣となる。
だが永正11年(1514年)江戸氏の内乱に巻き込まれて、古徳氏は、江戸氏の
大軍に攻め込まれ、城は炎上、古徳氏一族は50数名の家臣とともに討ち死にし
古徳氏一族は滅びた。
以上は、「図説 茨城の城郭」から引用した概略を加筆したものである。
城の縄張りの図も出ているが、著作物なので無断で掲載できないので作者たちの
ホームページを紹介します。
(この本は、8名の共同執筆で平成18年に出版されたものです。)
最新の情報もホームページで確認できます。
北緯36度付近の中世の城郭
余湖くんのお城のページ
この方が古徳城の事を書いている。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a9/2c9034eb876437718d3f5504fb96141e.jpg)
今年も残すところ数時間となりました
来るべき年が、希望の光が差す年でありますように祈りたいものりです。
皆様も健やかな新年を迎えてくださいね
どこかのお山でお会いしましょう。 mino
小さな山「勢揃山」と呼ばれるところにあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/c4/78c1c79dfaec10e6cb8ccda979aceb77.jpg)
この地図は1万2千分の1を二倍に拡大して表示しています。
標高70メートルの等高線が沼のすぐ上にあり、その上の80メートルの等高線の中に
古徳城跡がありますから、標高としては、それほど高くありません。
本来は、古徳沼の前から階段を登って歩くのでしょうが、今回は水鳥の撮影で奥に行き
そのまま西奥の入口から登って、古徳沼前に降りるコースを歩きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/fc/e16336ab91e7fc039b1f6ce301644d00.jpg)
周辺の様子がわかるように、20万分の1の地図も掲載します。
薄くてわかりにくいのですが、右側に縦に走っているのが、国道118号線です。
地図の上方に静神社があり、そこから古徳沼の駐車場にくることができます。
ミコアイサを探して中里の溜池にも行きましたので、溜池と帰路に走った
平野台団地の中も描かれています。平野台は戸建ての巨大な団地です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/eb/cd2d70b2fe24e4e05cc105f804b8bee0.jpg)
古徳沼の西奥に立っている「静古徳古道を廻る散策路案内図」
この案内図の右の古徳沼周辺だけを歩いたので、歩いた時間は
17~18分でしょうか。散歩程度で歩けます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/85/1f4dd095ab3fcd184555922583784357.jpg)
西側の入口に立つ案内板、古徳城跡まで0.1キロの表示がある
静古徳古道は1.1キロと出ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/c9/1cd997e7c89eafad3effab4db0edcc31.jpg)
落ち葉の散り敷く山道を穏やかに登っていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b4/26d2d022522c57c0553b2df3cd2ba4a3.jpg)
すぐに尾根上の丁字路に突き当たり、左は静神社1.3キロ、右は
古徳城跡0.1キロの表示がある。あれ入口にも0.1キロと出ていたなー
などと思いながらも、ここは右の古徳城跡へいくのですが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/2f/b8ab69b6803e004bad57c93e3eb60308.jpg)
丁字路から見る静神社方面の様子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/d2/dc7678b550c47eeb3a03b5c8022fbdf3.jpg)
こちらは丁字路から見る古徳城跡方面の様子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/04/c1f3e57efea470803be0435aadcc5a46.jpg)
丁字路から右に10数メートルほどの位置にあった古徳城跡の標柱
案内が無ければ、ここが城跡とは誰も気が付かないであろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f0/9e7fbad1399b72f5b832b7fe6c943d92.jpg)
そこから古徳沼方面に向かう道の様子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/34/05468ffb4419f2e70bfcdce2a0877467.jpg)
すると空堀ふうの浅い窪地があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/46/8a9337aa382818f55832e523809937d4.jpg)
空堀の先は、やや広い平坦地でなぜかベンチもおかれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/dd/b762643f9f4063465b6f5b2f7e92df3b.jpg)
その先の道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a2/02bb4361220238c9fd126f74f34db622.jpg)
そして再び空堀があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/46/037f819ce24aff30846aaa00d8ef5e32.jpg)
古徳沼への階段の降り口のそばにもベンチがあった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/68/9b5120ef79cc4dda9805ecc3fba3b098.jpg)
ベンチの奥に倒れた祠のようなものがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a5/8a122b7c10dfc6558c67092dafef31ca.jpg)
古徳沼前の入口の階段から降りた。
この古徳城跡の説明などの表示は見当たらなかったので、自宅に帰ってから
「図説 茨城の城郭」という手持ちの本で調べてみた。
それによるとね古徳城を築いたのは、大掾義幹の次男 民部大輔義純であったと
記されている。永和元年・(1375年)の事というからおよそ640年ほど
前のことである。
城を築いたあと義純は古徳氏を名乗り、城主としてこの地を支配したという。
しかし、大掾氏が江戸氏に攻撃されて衰退すると、古徳氏は江戸氏の勢力圏に
入り、のちに江戸氏の家臣となる。
だが永正11年(1514年)江戸氏の内乱に巻き込まれて、古徳氏は、江戸氏の
大軍に攻め込まれ、城は炎上、古徳氏一族は50数名の家臣とともに討ち死にし
古徳氏一族は滅びた。
以上は、「図説 茨城の城郭」から引用した概略を加筆したものである。
城の縄張りの図も出ているが、著作物なので無断で掲載できないので作者たちの
ホームページを紹介します。
(この本は、8名の共同執筆で平成18年に出版されたものです。)
最新の情報もホームページで確認できます。
北緯36度付近の中世の城郭
余湖くんのお城のページ
この方が古徳城の事を書いている。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a9/2c9034eb876437718d3f5504fb96141e.jpg)
今年も残すところ数時間となりました
来るべき年が、希望の光が差す年でありますように祈りたいものりです。
皆様も健やかな新年を迎えてくださいね
どこかのお山でお会いしましょう。 mino