基本、方向音痴である。
40歳なのに?
歳は無関係だよ、バカ。
チャリダーなのに?
・・・それは、たしかにそうだ。
面目ない。
だから近道や抜け道を発見するのは苦手、大抵は大きな通りを走る。
ごく稀に魔が差して? 近道を探ろうとするが、結局は道に迷う。
焦る。
汗をかく。
わなわなしてくる。
挙動不審になる。
大通りに出て、ホッとする。
柄にもないことをするものではないなぁ、、、と自嘲する。
そんな繰り返しである。
いわゆる、地図の読めない男子でもある。
我ながら頼りない。
もうちょっと気楽な気分で街を歩きたい・走りたいのだが、死ぬまでこんな感じかもしれない。
生まれてからずっとこうなのである。
迷子になりがち。
…………………………………………
まいご【迷子】
「迷(まよ)い子」の転
(1)親にはぐれたり、道に迷ったりした子ども。
(2)連れからはぐれること。また、そのもの。
(大辞林より)
…………………………………………
迷子の子は(主に)子どもの子なのに、40歳のジジイが迷ってやんの。
だから自分に相応しい曲は、
♪ 迷子の迷子の子猫ちゃん ♪
ではなく、道路だけでなく人生にも迷っていそう、、、ってことで、これだ。
♪ ひとつ曲がり角、ひとつ間違えて、迷い道くねくね ♪
よい曲だねぇ。
映画のなかの、迷子の描写。
実際的な迷子といえば、最初に想起するのは『となりのトトロ』(88)である。
道に迷った「おかげ」で、トトロに出会えた。
ほかに、タイトルがそのものずばりの『迷子』(2006)、『迷子の警察音楽隊』(2007)などなど。
変化球でいうと、ダスティン・ホフマンの『わらの犬』(71…トップ画像)。
生き残った男がいう、「帰り道が分からない」。
すると主人公のホフマンは、「俺も、そうだ」と返す。
説明するまでもないが、昔の自分に戻れそうもない―という意味だ。
同じように「人生の迷子者」を描いたものでは、ほかにジュリア・ロバーツが主演した『愛に迷った時』(95)というのがある。
しかし。
ラッセ・ハルストレムという名匠が撮ったにも関わらずパッとせず、ある識者は「ハルストレムよ、己が道に迷ったか」と辛辣な批評を書いている。
うん、たしかに。
さらに変化球。
迷ったわけではないが、その場所から出られないという意味では迷子かもしれない『砂の女』(64)。
これは怖かった。
主人公は何度も何度も脱出を試みるが、自分は早々と自死を選択してしまう気がする。
安部公房の小説は、一読すると映像化に適していないように思うが、いやいや、意外と映画向きなのかもしれない。
難しいのは難しいだろうけれどね、ただこの映画で勅使河原宏が証明したように、描きようによっては雰囲気抜群の怪作が出来上がりそう。
デヴィッド・クローネンバーグや、塚本晋也が適任者じゃないかな。
ここまで書いておいてアレだが、映画そのものが「迷い」をテーマとした表現だ―と結ぶことだって出来る。
脚本を少しでも齧ったものであれば分かるだろう、起承転結の転とは葛藤を描写する項であり、「葛藤」と「迷い」って同義語のようなもの、、、なのだから。
というわけで。
今回の初体験テーマは、「初めての迷子」でいってみよう。
おそらく最初の迷子体験は、小さ過ぎて記憶には残っていないような気がする。
だから、自分のなかではっきりと覚えている「最初の迷子体験」を書いてみようと思う。
つづく。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(106)』
40歳なのに?
歳は無関係だよ、バカ。
チャリダーなのに?
・・・それは、たしかにそうだ。
面目ない。
だから近道や抜け道を発見するのは苦手、大抵は大きな通りを走る。
ごく稀に魔が差して? 近道を探ろうとするが、結局は道に迷う。
焦る。
汗をかく。
わなわなしてくる。
挙動不審になる。
大通りに出て、ホッとする。
柄にもないことをするものではないなぁ、、、と自嘲する。
そんな繰り返しである。
いわゆる、地図の読めない男子でもある。
我ながら頼りない。
もうちょっと気楽な気分で街を歩きたい・走りたいのだが、死ぬまでこんな感じかもしれない。
生まれてからずっとこうなのである。
迷子になりがち。
…………………………………………
まいご【迷子】
「迷(まよ)い子」の転
(1)親にはぐれたり、道に迷ったりした子ども。
(2)連れからはぐれること。また、そのもの。
(大辞林より)
…………………………………………
迷子の子は(主に)子どもの子なのに、40歳のジジイが迷ってやんの。
だから自分に相応しい曲は、
♪ 迷子の迷子の子猫ちゃん ♪
ではなく、道路だけでなく人生にも迷っていそう、、、ってことで、これだ。
♪ ひとつ曲がり角、ひとつ間違えて、迷い道くねくね ♪
よい曲だねぇ。
映画のなかの、迷子の描写。
実際的な迷子といえば、最初に想起するのは『となりのトトロ』(88)である。
道に迷った「おかげ」で、トトロに出会えた。
ほかに、タイトルがそのものずばりの『迷子』(2006)、『迷子の警察音楽隊』(2007)などなど。
変化球でいうと、ダスティン・ホフマンの『わらの犬』(71…トップ画像)。
生き残った男がいう、「帰り道が分からない」。
すると主人公のホフマンは、「俺も、そうだ」と返す。
説明するまでもないが、昔の自分に戻れそうもない―という意味だ。
同じように「人生の迷子者」を描いたものでは、ほかにジュリア・ロバーツが主演した『愛に迷った時』(95)というのがある。
しかし。
ラッセ・ハルストレムという名匠が撮ったにも関わらずパッとせず、ある識者は「ハルストレムよ、己が道に迷ったか」と辛辣な批評を書いている。
うん、たしかに。
さらに変化球。
迷ったわけではないが、その場所から出られないという意味では迷子かもしれない『砂の女』(64)。
これは怖かった。
主人公は何度も何度も脱出を試みるが、自分は早々と自死を選択してしまう気がする。
安部公房の小説は、一読すると映像化に適していないように思うが、いやいや、意外と映画向きなのかもしれない。
難しいのは難しいだろうけれどね、ただこの映画で勅使河原宏が証明したように、描きようによっては雰囲気抜群の怪作が出来上がりそう。
デヴィッド・クローネンバーグや、塚本晋也が適任者じゃないかな。
ここまで書いておいてアレだが、映画そのものが「迷い」をテーマとした表現だ―と結ぶことだって出来る。
脚本を少しでも齧ったものであれば分かるだろう、起承転結の転とは葛藤を描写する項であり、「葛藤」と「迷い」って同義語のようなもの、、、なのだから。
というわけで。
今回の初体験テーマは、「初めての迷子」でいってみよう。
おそらく最初の迷子体験は、小さ過ぎて記憶には残っていないような気がする。
だから、自分のなかではっきりと覚えている「最初の迷子体験」を書いてみようと思う。
つづく。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(106)』