38年4月23日生まれ・現在76歳。
東京出身。
自分がにっかつの学生だったころ、スタジオの休憩室で中村嘉葎雄(なかむら・かつお)さんとお話ししたことがあります。
クラスメイトも沢山居たのに、なぜだか無反応。
「ミーハーみたいに声かけちゃ、まずいのかな」
「え? あのおっさん、有名なひとなの?」
「・・・」
そうか、そもそも嘉葎雄さんを知らなかったのか。
まだ、甥の中村獅童(二代目)もスクリーンデビューを果たしていないころの話です。
無理もない・・・って、いやいや、ふつうに映画やテレビに触れていたら、なんとなくでも顔くらい分かるでしょうよと。
おそるおそる声をかけると、こっちが恐縮するほどに優しく丁寧に接してくれました。
「漱石の『それから』が愛読書なんです。映画版、どの俳優さんも素晴らしかったですけど、代助の兄を演じた中村さんが、最も原作のイメージに近かったと思います」
そう伝えました。
嘘偽りない感想とはいえ、大俳優にエラソーな意見を・・・と「いまとなっては」反省していますが、当時は若かったもので汗
嘉葎雄さん、すごく喜んでくれました。
そうかそうか、君みたいな若い映画好きにも、あの作品を気に入ってもらえるのかって。
そんな思い出があるものですから、きのうの「あに・おとうと、どっちが好きか」のつづきでいうと、兄の萬屋錦之介より、自分は嘉葎雄さんが好きです。
※主役を喰い過ぎず、それでいて、インパクトを残す。さすが。
<経歴>
歌舞伎役者・三代目中村時蔵を父に持つ芸能一家。
(米国文化で育ったせいか、正直いいますと、この二代目三代目のシステム? って、ややこしくて混乱します)
きのうの長門裕之と同様、家柄が家柄ですから、デビューは異様に早いです。
5歳のころに初舞台を踏み、高校在学中に映画の世界へ。
このエスカレーター式を羨むひとも居ますが、いやぁ、相当なプレッシャーがあると思います。
実際、スター性が充分にあった兄・錦之助に比べると地味な印象は否めません。
にっかつのスタジオに座っていたのが錦之助のほうだったとしたら、さすがにクラスメイトも「お!」となるでしょうし。
けれども派手さはない代わりに芸の幅は広く、硬派軟派どちらも演じられるという強みを備えていました。
映画俳優デビュー作は、55年の『振袖剣法』。
『元禄美少年録』(55)、『太陽とバラ』(56)、『喜びも悲しみも幾歳月』(57)、
『殿さま弥次喜多』3部作(58~60)、
『忠臣蔵』の『桜花の巻』『菊花の巻』(59)、
『風雲児 織田信長』(59)、『大いなる驀進』(60)、
『次郎長社長と石松社員』2部作(61~63)などなど、順調にキャリアを築いていきますが、自分が「いい俳優さんだなぁ!」と好きになるのは、もっとおじさんになってからですね~。
小林正樹の傑作『怪談』(65)、オオシマの怪作『悦楽』(65)、
『風林火山』(69)、『幕末』(70)、『修羅』(71)、『日蓮』(79)、
鈴木清順の美学が冴える『陽炎座』(81)、『ブリキの勲章』(81)、『空海』(84)。
85年、『それから』で主人公・代助(松田優作)の兄・長井誠吾を好演する。
しつこいですが、このあたりから嘉葎雄さんを贔屓俳優のひとりとしました。
『傷だらけの勲章』(86)、『竹取物語』(87)、
現代の技術で撮ったら傑作になったかもしれない『帝都物語』(88)、『橋のない川』(92)。
『それから』の次に挙げたい映画は、98年の『絆』。
役所広司の側近を演じ、こんなひとがそばに居てくれたらな・・・と思わせるほどに頼りがいがあるキャラクターでした。
つまらな過ぎてアクビ連発だった『ホワイトアウト』(2000)、
『赤い橋の下のぬるい水』(2001)、『ゴジラ×メカゴジラ』(2002)、『白い船』(2002)、
『魔界転生』(2003)、『花よりもなほ』(2003)。
2004年、『いま、会いにゆきます』で甥と共演を果たす。
『どろろ』(2007)、『サッド ヴァケイション』(2007)
『20世紀少年』の3部作(2008)、『渾身 KON-SHIN』(2013)、『二流小説家 シリアリスト』(2013)、
そして最新作は、『利休にたずねよ』(2013)。
超一流の、いぶし銀俳優ですよね。
もっともっと活躍をつづけてください。
次回のにっぽん男優列伝は、中村獅童さんから。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『I’m chicken』
東京出身。
自分がにっかつの学生だったころ、スタジオの休憩室で中村嘉葎雄(なかむら・かつお)さんとお話ししたことがあります。
クラスメイトも沢山居たのに、なぜだか無反応。
「ミーハーみたいに声かけちゃ、まずいのかな」
「え? あのおっさん、有名なひとなの?」
「・・・」
そうか、そもそも嘉葎雄さんを知らなかったのか。
まだ、甥の中村獅童(二代目)もスクリーンデビューを果たしていないころの話です。
無理もない・・・って、いやいや、ふつうに映画やテレビに触れていたら、なんとなくでも顔くらい分かるでしょうよと。
おそるおそる声をかけると、こっちが恐縮するほどに優しく丁寧に接してくれました。
「漱石の『それから』が愛読書なんです。映画版、どの俳優さんも素晴らしかったですけど、代助の兄を演じた中村さんが、最も原作のイメージに近かったと思います」
そう伝えました。
嘘偽りない感想とはいえ、大俳優にエラソーな意見を・・・と「いまとなっては」反省していますが、当時は若かったもので汗
嘉葎雄さん、すごく喜んでくれました。
そうかそうか、君みたいな若い映画好きにも、あの作品を気に入ってもらえるのかって。
そんな思い出があるものですから、きのうの「あに・おとうと、どっちが好きか」のつづきでいうと、兄の萬屋錦之介より、自分は嘉葎雄さんが好きです。
※主役を喰い過ぎず、それでいて、インパクトを残す。さすが。
<経歴>
歌舞伎役者・三代目中村時蔵を父に持つ芸能一家。
(米国文化で育ったせいか、正直いいますと、この二代目三代目のシステム? って、ややこしくて混乱します)
きのうの長門裕之と同様、家柄が家柄ですから、デビューは異様に早いです。
5歳のころに初舞台を踏み、高校在学中に映画の世界へ。
このエスカレーター式を羨むひとも居ますが、いやぁ、相当なプレッシャーがあると思います。
実際、スター性が充分にあった兄・錦之助に比べると地味な印象は否めません。
にっかつのスタジオに座っていたのが錦之助のほうだったとしたら、さすがにクラスメイトも「お!」となるでしょうし。
けれども派手さはない代わりに芸の幅は広く、硬派軟派どちらも演じられるという強みを備えていました。
映画俳優デビュー作は、55年の『振袖剣法』。
『元禄美少年録』(55)、『太陽とバラ』(56)、『喜びも悲しみも幾歳月』(57)、
『殿さま弥次喜多』3部作(58~60)、
『忠臣蔵』の『桜花の巻』『菊花の巻』(59)、
『風雲児 織田信長』(59)、『大いなる驀進』(60)、
『次郎長社長と石松社員』2部作(61~63)などなど、順調にキャリアを築いていきますが、自分が「いい俳優さんだなぁ!」と好きになるのは、もっとおじさんになってからですね~。
小林正樹の傑作『怪談』(65)、オオシマの怪作『悦楽』(65)、
『風林火山』(69)、『幕末』(70)、『修羅』(71)、『日蓮』(79)、
鈴木清順の美学が冴える『陽炎座』(81)、『ブリキの勲章』(81)、『空海』(84)。
85年、『それから』で主人公・代助(松田優作)の兄・長井誠吾を好演する。
しつこいですが、このあたりから嘉葎雄さんを贔屓俳優のひとりとしました。
『傷だらけの勲章』(86)、『竹取物語』(87)、
現代の技術で撮ったら傑作になったかもしれない『帝都物語』(88)、『橋のない川』(92)。
『それから』の次に挙げたい映画は、98年の『絆』。
役所広司の側近を演じ、こんなひとがそばに居てくれたらな・・・と思わせるほどに頼りがいがあるキャラクターでした。
つまらな過ぎてアクビ連発だった『ホワイトアウト』(2000)、
『赤い橋の下のぬるい水』(2001)、『ゴジラ×メカゴジラ』(2002)、『白い船』(2002)、
『魔界転生』(2003)、『花よりもなほ』(2003)。
2004年、『いま、会いにゆきます』で甥と共演を果たす。
『どろろ』(2007)、『サッド ヴァケイション』(2007)
『20世紀少年』の3部作(2008)、『渾身 KON-SHIN』(2013)、『二流小説家 シリアリスト』(2013)、
そして最新作は、『利休にたずねよ』(2013)。
超一流の、いぶし銀俳優ですよね。
もっともっと活躍をつづけてください。
次回のにっぽん男優列伝は、中村獅童さんから。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『I’m chicken』