73年7月16日生まれ、41歳。
静岡出身。
公式プロフィール
同い年の袴田吉彦(はかまだ・よしひこ)くんには、デビュー直後に会って話したことがあります。
ですから個人的に思い入れの強い俳優さんなのですけれど、まぁ向こうは覚えていないでしょうね。
80年代の日本映画界は「からっぽ」と評されることが多いです。
原一男や相米慎二、森田芳光、そして宮崎駿などが踏ん張ってはいましたが、70年代や90年代に比べると「落ちた時代」であったことは「歴史的に」否めません。
その原因を「テレビ」に求めたひとは多いですが、それだけじゃなかったような気がしますね、いま思うと。
80年代後半―。
米国映画界に地殻変動が起こり、インディーズ(独立系)の映画作家が次々に誕生しました。
その筆頭がスパイク・リーであり、それに続いたのがQTタランティーノです。
突然変異というわけではなく、カセベテス→ジム・ジャームッシュの流れを汲んでいたわけですが、
これが90年代の日本映画界にも刺激を与え、新感覚の映画が誕生することになります。
最もよく知られているのが岩井俊二でしょうが、「寡作のひと」として知られる橋口亮輔もそのひとりで、
映画学校のコネのコネのコネを使った自分は、橋口組の制作現場を見学させてもらったのです。
そこで、袴田くんに会いました。
彼のデビュー作、『二十才の微熱』(93)です。
美少年、、、いや、美青年。
整った、、、いや、整い過ぎた顔だよなぁ! と。
ほんとうに同い年か!? と。
デビュー作ですから、ガッチガチに緊張していましたね。
お世辞にも上手とはいえなかった彼の演技は、正直いうと、10年経ったころの主演作でも同じように感じてしまいましたが、現在では立派な中堅俳優となりました。
継続。
やっぱり、継続ですよねぇ。
<経歴>
夫人は、グラビアで活躍していたアイドルの河中あい。
91年、『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』でグランプリを受賞し芸能界へ。
それでか、あの整い具合は!!
映画俳優デビュー作は、前述した『二十才の微熱』。
フレッシュな魅力が先に立つので、(しつこいですが)大根演技も気にはなりませんでした笑
このデビュー作のインパクトが強かったということでしょう、
『800 TWO LAP RUNNERS』(94)、『愛の新世界』(94)、再び橋口監督と組んだ『渚のシンドバッド』(95)という具合に、しばらくは「若者の性」を扱った小品に連続出演しました。
『君を忘れない』(95)、『大失恋。』(95)、『ときめきメモリアル』(97)、『お墓がない!』(98)。
このあたりからデビュー直後の中世的な雰囲気がなくなり、今度はなぜか「イケメンだけど、いろいろうまくいかない青年」役が多くなっていきます。
とくにテレビドラマがそうで、いつ観ても、モテるんだけどヒロインには愛されない準主役を演じていましたねぇ。
映画の世界では主にインディーズで活躍、
『ひまわり』(2000)や『Quartet カルテット』(2001)では堂々の主演ですし、
『HEAT 灼熱』(2003)や『ゼブラーマン』(2004)、『明日の記憶』(2006)などでは主要キャストのサポートをきっちりこなしています。
『蒼き狼 ~地果て海尽きるまで~』(2007)、『Life 天国で君に逢えたら』(2007)、『ミッドナイト・イーグル』(2007)、
『わたし出すわ』(2009)、『書道ガールズ 青い青い空』(2010)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011)、『Another』(2012)、
そして最新作が、『利休にたずねよ』(2013)。
未だ「寡作のひと」でありつづける橋口監督なら、現在の袴田くんにどんなキャラクターを用意するのでしょうか。
ちょっと興味がありますね。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(273)萩原健一』
静岡出身。
公式プロフィール
同い年の袴田吉彦(はかまだ・よしひこ)くんには、デビュー直後に会って話したことがあります。
ですから個人的に思い入れの強い俳優さんなのですけれど、まぁ向こうは覚えていないでしょうね。
80年代の日本映画界は「からっぽ」と評されることが多いです。
原一男や相米慎二、森田芳光、そして宮崎駿などが踏ん張ってはいましたが、70年代や90年代に比べると「落ちた時代」であったことは「歴史的に」否めません。
その原因を「テレビ」に求めたひとは多いですが、それだけじゃなかったような気がしますね、いま思うと。
80年代後半―。
米国映画界に地殻変動が起こり、インディーズ(独立系)の映画作家が次々に誕生しました。
その筆頭がスパイク・リーであり、それに続いたのがQTタランティーノです。
突然変異というわけではなく、カセベテス→ジム・ジャームッシュの流れを汲んでいたわけですが、
これが90年代の日本映画界にも刺激を与え、新感覚の映画が誕生することになります。
最もよく知られているのが岩井俊二でしょうが、「寡作のひと」として知られる橋口亮輔もそのひとりで、
映画学校のコネのコネのコネを使った自分は、橋口組の制作現場を見学させてもらったのです。
そこで、袴田くんに会いました。
彼のデビュー作、『二十才の微熱』(93)です。
美少年、、、いや、美青年。
整った、、、いや、整い過ぎた顔だよなぁ! と。
ほんとうに同い年か!? と。
デビュー作ですから、ガッチガチに緊張していましたね。
お世辞にも上手とはいえなかった彼の演技は、正直いうと、10年経ったころの主演作でも同じように感じてしまいましたが、現在では立派な中堅俳優となりました。
継続。
やっぱり、継続ですよねぇ。
<経歴>
夫人は、グラビアで活躍していたアイドルの河中あい。
91年、『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』でグランプリを受賞し芸能界へ。
それでか、あの整い具合は!!
映画俳優デビュー作は、前述した『二十才の微熱』。
フレッシュな魅力が先に立つので、(しつこいですが)大根演技も気にはなりませんでした笑
このデビュー作のインパクトが強かったということでしょう、
『800 TWO LAP RUNNERS』(94)、『愛の新世界』(94)、再び橋口監督と組んだ『渚のシンドバッド』(95)という具合に、しばらくは「若者の性」を扱った小品に連続出演しました。
『君を忘れない』(95)、『大失恋。』(95)、『ときめきメモリアル』(97)、『お墓がない!』(98)。
このあたりからデビュー直後の中世的な雰囲気がなくなり、今度はなぜか「イケメンだけど、いろいろうまくいかない青年」役が多くなっていきます。
とくにテレビドラマがそうで、いつ観ても、モテるんだけどヒロインには愛されない準主役を演じていましたねぇ。
映画の世界では主にインディーズで活躍、
『ひまわり』(2000)や『Quartet カルテット』(2001)では堂々の主演ですし、
『HEAT 灼熱』(2003)や『ゼブラーマン』(2004)、『明日の記憶』(2006)などでは主要キャストのサポートをきっちりこなしています。
『蒼き狼 ~地果て海尽きるまで~』(2007)、『Life 天国で君に逢えたら』(2007)、『ミッドナイト・イーグル』(2007)、
『わたし出すわ』(2009)、『書道ガールズ 青い青い空』(2010)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011)、『Another』(2012)、
そして最新作が、『利休にたずねよ』(2013)。
未だ「寡作のひと」でありつづける橋口監督なら、現在の袴田くんにどんなキャラクターを用意するのでしょうか。
ちょっと興味がありますね。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(273)萩原健一』