【沈黙の映画】
・・・とはいっても、スティーブン“ごんぶと”セガールの「沈黙」シリーズのことではない。
もちろんレクター博士のことでも、
サイレント映画のことでも、
もっといえば、やっとこさ制作が動き出したスコセッシ念願の企画、遠藤周作『沈黙』のことでもない。
きのうのテーマが「絶叫」だからといって、逆にヒトコトも発しないキャラクターを選出する・・・っていうわけでもない。
じゃあ、なにさ?
ここでいう沈黙とは、映画監督の演出術を指す。
キャラがなにかを発していてもいい、ただそのシーンが「なんとなく無音」に感じられる「不思議な」あるいは「技あり」な映画を選出してみよう。
(1)『俺たちに明日はない』(67)
ボニーとクライドが87発の銃弾を喰らう「直前」のカット割り。
「殺られる!」ことが分かったのだろう、互いを見るふたりの表情は、最初は驚き、そうして、最後は「あきらめ」なのだ。
さらに銃撃のあとにも、沈黙・・・というか静寂が待っている。
(2)『2001年宇宙の旅』(68)
HALによって飛ばされ? なすすべもなく「宇宙を漂うだけ」の乗員。
これは、恐怖だ。
(3)『ピアノ・レッスン』(93)
エイダが聾唖だから・・・というのではなく、彼女が海に放られるクライマックスのシーン。
海の深い深いところに「沈黙」が存在し、ピアノの墓石がある―というエイダの心象風景が秀逸だった。
(4)『機動戦士ガンダム』(81)
二夜連続でランクイン。
ごめ・・・って、謝ることもないが、最近「またまた」観返したので、いま個人的に再びガンダム熱MAXなのである。
シャアの策略によって、ガルマ・ザビが散る。
彼の乗るガウがホワイトベースに「特攻」を仕掛ける際、恋人イセリナのショットが「一瞬だけ」「無音で」挿入される。
これがほんとうに、抜群の効果を生んでいる。
残されたイセリナは、連邦軍に復讐しようとする。
トップ画像は、そのエピソードからのショット。
(5)『椿三十郎』(62)
三船VS仲代、その間合い。
直後の、血しぶき。
なにもかも、完璧。
(6)『ウォーリー WALL・E』(2008)
地球に残された掃除ロボットが、ひたすら掃除を繰り返す日常を描いた前半部分。
CGアニメーションゆえ効果音などは凝っているが、孤独な感じがよく出ている。
(7)『砂の器』(74)
遍路シーン。
主題となる『宿命』のテーマ曲は流れ続けているが、このあいだ、台詞はほとんどない。
(8)『HANA-BI』(98)
テーマ曲が止み、無音に―。
そうして、ふたつの銃声。波の音。
「決まった!」感があるが、じつは映画史的には、教科書のようなつくり。
それが、かえってよかった。
(9)『愛、アムール』(2012)
ヨーロッパ圏の映画では「しばしば」見受けられる、無音状態のエンド・クレジット。
作品内容によっては、そのクレジットが「そっけない」と感じられることもあるが、その逆もあるわけで。
この映画は、そんな後者の好例。
じつに、味わい深いのだ。
(10)『BECK』(2010)
これは賛否―どちらかというと、、、というより、圧倒的に「否」が大きかった沈黙の手法。
歌声を「無音」で表現するというのは、ある意味では挑戦で、ある意味では逃げ・・・この映画に関しては、それが後者と捉えられたのだった。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『Don’t Look Back In Anger』
・・・とはいっても、スティーブン“ごんぶと”セガールの「沈黙」シリーズのことではない。
もちろんレクター博士のことでも、
サイレント映画のことでも、
もっといえば、やっとこさ制作が動き出したスコセッシ念願の企画、遠藤周作『沈黙』のことでもない。
きのうのテーマが「絶叫」だからといって、逆にヒトコトも発しないキャラクターを選出する・・・っていうわけでもない。
じゃあ、なにさ?
ここでいう沈黙とは、映画監督の演出術を指す。
キャラがなにかを発していてもいい、ただそのシーンが「なんとなく無音」に感じられる「不思議な」あるいは「技あり」な映画を選出してみよう。
(1)『俺たちに明日はない』(67)
ボニーとクライドが87発の銃弾を喰らう「直前」のカット割り。
「殺られる!」ことが分かったのだろう、互いを見るふたりの表情は、最初は驚き、そうして、最後は「あきらめ」なのだ。
さらに銃撃のあとにも、沈黙・・・というか静寂が待っている。
(2)『2001年宇宙の旅』(68)
HALによって飛ばされ? なすすべもなく「宇宙を漂うだけ」の乗員。
これは、恐怖だ。
(3)『ピアノ・レッスン』(93)
エイダが聾唖だから・・・というのではなく、彼女が海に放られるクライマックスのシーン。
海の深い深いところに「沈黙」が存在し、ピアノの墓石がある―というエイダの心象風景が秀逸だった。
(4)『機動戦士ガンダム』(81)
二夜連続でランクイン。
ごめ・・・って、謝ることもないが、最近「またまた」観返したので、いま個人的に再びガンダム熱MAXなのである。
シャアの策略によって、ガルマ・ザビが散る。
彼の乗るガウがホワイトベースに「特攻」を仕掛ける際、恋人イセリナのショットが「一瞬だけ」「無音で」挿入される。
これがほんとうに、抜群の効果を生んでいる。
残されたイセリナは、連邦軍に復讐しようとする。
トップ画像は、そのエピソードからのショット。
(5)『椿三十郎』(62)
三船VS仲代、その間合い。
直後の、血しぶき。
なにもかも、完璧。
(6)『ウォーリー WALL・E』(2008)
地球に残された掃除ロボットが、ひたすら掃除を繰り返す日常を描いた前半部分。
CGアニメーションゆえ効果音などは凝っているが、孤独な感じがよく出ている。
(7)『砂の器』(74)
遍路シーン。
主題となる『宿命』のテーマ曲は流れ続けているが、このあいだ、台詞はほとんどない。
(8)『HANA-BI』(98)
テーマ曲が止み、無音に―。
そうして、ふたつの銃声。波の音。
「決まった!」感があるが、じつは映画史的には、教科書のようなつくり。
それが、かえってよかった。
(9)『愛、アムール』(2012)
ヨーロッパ圏の映画では「しばしば」見受けられる、無音状態のエンド・クレジット。
作品内容によっては、そのクレジットが「そっけない」と感じられることもあるが、その逆もあるわけで。
この映画は、そんな後者の好例。
じつに、味わい深いのだ。
(10)『BECK』(2010)
これは賛否―どちらかというと、、、というより、圧倒的に「否」が大きかった沈黙の手法。
歌声を「無音」で表現するというのは、ある意味では挑戦で、ある意味では逃げ・・・この映画に関しては、それが後者と捉えられたのだった。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『Don’t Look Back In Anger』