ずっとすきだっ「た」→「た」いたにっく(タイタニック)
映画小僧、映画狂、映画マニア―自称しているならなんでもいいが、自分を含めたこの人種の悪しきところは、特大ヒットを記録するようなビッグバジェットの映画を「素直に、好き。」といえないところ。
アナ雪?
ふん! みたいな。
ハリポタ?
ふん、ふん!! みたいな。
『タイタニック』もその例に漏れない。
しかし『スターウォーズ』シリーズ(77~)と宮崎爺の映画だけはベツモノとしてワクワクしてしまえるのだから、都合がいいというか、いやいや、それだけルーカスと爺がすごいってことなのだろう。
97年、東京国際映画祭―。
日本びいきとしても知られるジェームズ・キャメロンの新作、『タイタニック』が世界初披露された。
自分のように「キャメロンの新作として」会場に向う映画小僧、映画狂、映画マニアが・・・えっ、こんなに多いの?
キャメロンって、(当時)こんなにメジャー級のひとだった?
否。
人気の絶頂期にあったレオくんこと、レオナルド・ディカプリオも来日しているからこその長蛇の列なのだろう。
だって会場を囲むひとびとは、映画小僧、映画狂、映画マニアが放つ独特なニオイがしない。
かといって無臭でもない。
よい香りなんだ。
・・・って、そういうニオイのことではなく。
つまり、若い女子でいっぱい。
レオくん人気を実感した日であった。
1912年に起きたタイタニック沈没事故を、ラブストーリーにからめて描く大作。
実際に起こった事故については他所のサイトを参照すればいいし、
この映画がどれだけヒットし、主題歌も売れ、パロディが生まれたかについて・・・は、自分が解説するまでもないでしょう、だから本稿はタイトルとは矛盾するが薀蓄は語らない。
この映画のアレヤコレヤについて、映画小僧が思っていたことを軽く綴ることにする。
ほぼ原寸大のタイタニックを創っただけでなく、画面に登場しない調度品の数々まで用意して撮影に臨んだ194分の大作は、ふつうに面白かった。
こりゃ敵わんな。
小津は『風と共に去りぬ』(39)を観て「こんな映画を創る国と戦っているのか」と慄いたというが、その感覚にちかいかもしれない。
やってられねぇ。
とも思ったが、当のレオくんは「安っぽい台詞を吐くのが苦痛だった」と回想している。
そうでしょう、そうでしょう。
レオくんは少年のころから作家性の強い監督と組むことが多かった。
女子とイチャイチャしながら「ほら、飛んでいるみたいだろう」なんてことばを放つ映画に出演したことがなかったのだもの。
「俺は世界の王様だ!」は、とくにイヤだったようで、レオくんに最終編集権があればカットされていたかもしれない。
本作がオスカーに輝いた夜、キャメロンは壇上で同じ台詞を叫んだわけだが、あれはさすがにきつかった笑
第一、貧乏画家と令嬢の身分を越えた愛・・・なんてベタ過ぎやしないか?
って、いまでも思うが、じゃあどうすればよいのかと問われた場合、ナイスアイデアは浮かばない。
いや、もっと凝ったキャラクターにすることは出来るよ。
その逆に、リアリティを重視する方向だって可能。
でもそれが万人のこころをつかむのか―というと、ちょっと自信ない。
いろいろ考えた結果、キャメロン版が「たぶん、すべてにおいて」正しかったんだと思う。
さらにいえば、当時抱いていたはずの気恥ずかしさも、いまは「ほとんど」なくなってしまった。
「生きろ。」といって海に沈んでいったジャックに応えるため、笛を鳴らすローズの物語。
劇場では「すすり泣き」が聞こえ、そういえば自分だって泣いていたじゃん!!
当時は「あれは、もらい泣き」と弁明? していたが、いや、そうじゃなかった気がする―と素直にいえるようになるまでに、10年以上を要してしまったよ苦笑
あすのしりとりは・・・
たいたにっ「く」→「く」りやまちあき。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(118)』
映画小僧、映画狂、映画マニア―自称しているならなんでもいいが、自分を含めたこの人種の悪しきところは、特大ヒットを記録するようなビッグバジェットの映画を「素直に、好き。」といえないところ。
アナ雪?
ふん! みたいな。
ハリポタ?
ふん、ふん!! みたいな。
『タイタニック』もその例に漏れない。
しかし『スターウォーズ』シリーズ(77~)と宮崎爺の映画だけはベツモノとしてワクワクしてしまえるのだから、都合がいいというか、いやいや、それだけルーカスと爺がすごいってことなのだろう。
97年、東京国際映画祭―。
日本びいきとしても知られるジェームズ・キャメロンの新作、『タイタニック』が世界初披露された。
自分のように「キャメロンの新作として」会場に向う映画小僧、映画狂、映画マニアが・・・えっ、こんなに多いの?
キャメロンって、(当時)こんなにメジャー級のひとだった?
否。
人気の絶頂期にあったレオくんこと、レオナルド・ディカプリオも来日しているからこその長蛇の列なのだろう。
だって会場を囲むひとびとは、映画小僧、映画狂、映画マニアが放つ独特なニオイがしない。
かといって無臭でもない。
よい香りなんだ。
・・・って、そういうニオイのことではなく。
つまり、若い女子でいっぱい。
レオくん人気を実感した日であった。
1912年に起きたタイタニック沈没事故を、ラブストーリーにからめて描く大作。
実際に起こった事故については他所のサイトを参照すればいいし、
この映画がどれだけヒットし、主題歌も売れ、パロディが生まれたかについて・・・は、自分が解説するまでもないでしょう、だから本稿はタイトルとは矛盾するが薀蓄は語らない。
この映画のアレヤコレヤについて、映画小僧が思っていたことを軽く綴ることにする。
ほぼ原寸大のタイタニックを創っただけでなく、画面に登場しない調度品の数々まで用意して撮影に臨んだ194分の大作は、ふつうに面白かった。
こりゃ敵わんな。
小津は『風と共に去りぬ』(39)を観て「こんな映画を創る国と戦っているのか」と慄いたというが、その感覚にちかいかもしれない。
やってられねぇ。
とも思ったが、当のレオくんは「安っぽい台詞を吐くのが苦痛だった」と回想している。
そうでしょう、そうでしょう。
レオくんは少年のころから作家性の強い監督と組むことが多かった。
女子とイチャイチャしながら「ほら、飛んでいるみたいだろう」なんてことばを放つ映画に出演したことがなかったのだもの。
「俺は世界の王様だ!」は、とくにイヤだったようで、レオくんに最終編集権があればカットされていたかもしれない。
本作がオスカーに輝いた夜、キャメロンは壇上で同じ台詞を叫んだわけだが、あれはさすがにきつかった笑
第一、貧乏画家と令嬢の身分を越えた愛・・・なんてベタ過ぎやしないか?
って、いまでも思うが、じゃあどうすればよいのかと問われた場合、ナイスアイデアは浮かばない。
いや、もっと凝ったキャラクターにすることは出来るよ。
その逆に、リアリティを重視する方向だって可能。
でもそれが万人のこころをつかむのか―というと、ちょっと自信ない。
いろいろ考えた結果、キャメロン版が「たぶん、すべてにおいて」正しかったんだと思う。
さらにいえば、当時抱いていたはずの気恥ずかしさも、いまは「ほとんど」なくなってしまった。
「生きろ。」といって海に沈んでいったジャックに応えるため、笛を鳴らすローズの物語。
劇場では「すすり泣き」が聞こえ、そういえば自分だって泣いていたじゃん!!
当時は「あれは、もらい泣き」と弁明? していたが、いや、そうじゃなかった気がする―と素直にいえるようになるまでに、10年以上を要してしまったよ苦笑
あすのしりとりは・・・
たいたにっ「く」→「く」りやまちあき。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(118)』