今年の黄金週間を見据えた映画―について書いたので、
ついで、、、といってはなんだが、まぁそもそも黄金週間というのは映画業界によるネーミングだったわけで、
まだ自分が映画小僧と名乗る前の、「黄金週間と映画と、ボク」のエピソードを綴ってみたい。
自分のなかで、黄金週間と映画を「はじめて」結びつけたのは中学2年のころ。
この年の4月に公開された、オリバー・ストーンによる『プラトーン』(87…トップ画像。これは、生き残ったチャーリー・シーンに「生き残ったな、俺たち!」と喜ぶ仲間の兵士を捉えたショット。ラストシーン直前のはず)だった。
80年代の米映画といえば、スピルバーグと、スライ/シュワ産の肉体派映画。
自分は「ランボー的、なるもの」だと思って『プラトーン』を期待していた。
地元の清流劇場では上映しないので、父親にお願いして銀座まで連れていってもらう。
劇場は松竹セントラル、父と姉と自分の3人で観た、、、ひょっとしたら「最初の映画」だったのかもしれない。
そして自分にとって、生まれてはじめての「反戦」映画だった。
肉体派の戦争アクションを肯定しつつ、「でも、世界をきちんと捉えなければ」などと中学生なりに思うようになった―のだから、オリバー・ストーンって基本的にキラワレモノだし淀川センセーも認めていなかったが、自分にとっては大事な大事な監督なのだよね。
翌年の黄金週間は、トム・クルーズ祭。
『レインマン』(88)と『カクテル』(88)を、はしご鑑賞。
これまた、父と姉と3人で観にいく。
かーちゃんは基本が留守番だったので、そういえば家族全員で映画を観たという記憶がないのだった。
翌々年の、高校1年時―。
ジェラール・ドパルデューがシラノを演じる『シラノ・ド・ベルジュラック』(90)を、父とふたりで観にいく。
姉が居ないのは、米国はテキサス州に留学中だったから。
場所は、渋谷のル・シネマ。
自分にとっての、生まれてはじめてのミニシアターであった。
知的好奇心が高そうなお客さんばかりで、やっぱり東京はちがうぜ!! と思ったものだった。
92年、上京―。
東京へきて最初の年の黄金週間に観たのが、『JFK』(91)。
おっと。
またオリバー・ストーンである。
キラワレモノだけど親日家、奥さんのことを「内助の功」といいながら、来日時はソープへ行っちゃう笑 あのジジイが、自分にとっての「運命のひと」のような気がしてきたぜ!!
『シラノ』と『JFK』の中間あたり、、、そうだなぁ高校2年生のころに映画小僧を自称するようになる。
常に映画が寄り添っていたわけだが、それをサポートしてくれたのが黄金週間や父親やストーンだったというわけだ。
黄金週間が過ぎ、カンヌ映画祭が終われば、自分にとっての5月は終わる。
6月に入れば父親の73回目のバースデーがやってくる―スコセッシと同年!―のだが、自分も、アレヤコレヤに対する感謝を素直に口に出来るトシになったからね~、今年はなにを贈ろうかなといろいろ考えているところである。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『(帰省のため再録)映画10傑シリーズ(1)』
ついで、、、といってはなんだが、まぁそもそも黄金週間というのは映画業界によるネーミングだったわけで、
まだ自分が映画小僧と名乗る前の、「黄金週間と映画と、ボク」のエピソードを綴ってみたい。
自分のなかで、黄金週間と映画を「はじめて」結びつけたのは中学2年のころ。
この年の4月に公開された、オリバー・ストーンによる『プラトーン』(87…トップ画像。これは、生き残ったチャーリー・シーンに「生き残ったな、俺たち!」と喜ぶ仲間の兵士を捉えたショット。ラストシーン直前のはず)だった。
80年代の米映画といえば、スピルバーグと、スライ/シュワ産の肉体派映画。
自分は「ランボー的、なるもの」だと思って『プラトーン』を期待していた。
地元の清流劇場では上映しないので、父親にお願いして銀座まで連れていってもらう。
劇場は松竹セントラル、父と姉と自分の3人で観た、、、ひょっとしたら「最初の映画」だったのかもしれない。
そして自分にとって、生まれてはじめての「反戦」映画だった。
肉体派の戦争アクションを肯定しつつ、「でも、世界をきちんと捉えなければ」などと中学生なりに思うようになった―のだから、オリバー・ストーンって基本的にキラワレモノだし淀川センセーも認めていなかったが、自分にとっては大事な大事な監督なのだよね。
翌年の黄金週間は、トム・クルーズ祭。
『レインマン』(88)と『カクテル』(88)を、はしご鑑賞。
これまた、父と姉と3人で観にいく。
かーちゃんは基本が留守番だったので、そういえば家族全員で映画を観たという記憶がないのだった。
翌々年の、高校1年時―。
ジェラール・ドパルデューがシラノを演じる『シラノ・ド・ベルジュラック』(90)を、父とふたりで観にいく。
姉が居ないのは、米国はテキサス州に留学中だったから。
場所は、渋谷のル・シネマ。
自分にとっての、生まれてはじめてのミニシアターであった。
知的好奇心が高そうなお客さんばかりで、やっぱり東京はちがうぜ!! と思ったものだった。
92年、上京―。
東京へきて最初の年の黄金週間に観たのが、『JFK』(91)。
おっと。
またオリバー・ストーンである。
キラワレモノだけど親日家、奥さんのことを「内助の功」といいながら、来日時はソープへ行っちゃう笑 あのジジイが、自分にとっての「運命のひと」のような気がしてきたぜ!!
『シラノ』と『JFK』の中間あたり、、、そうだなぁ高校2年生のころに映画小僧を自称するようになる。
常に映画が寄り添っていたわけだが、それをサポートしてくれたのが黄金週間や父親やストーンだったというわけだ。
黄金週間が過ぎ、カンヌ映画祭が終われば、自分にとっての5月は終わる。
6月に入れば父親の73回目のバースデーがやってくる―スコセッシと同年!―のだが、自分も、アレヤコレヤに対する感謝を素直に口に出来るトシになったからね~、今年はなにを贈ろうかなといろいろ考えているところである。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『(帰省のため再録)映画10傑シリーズ(1)』