Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(154)

2015-12-12 05:11:04 | コラム
今年最後の初体験シリーズは、特別篇ってことで。
もう何度か書いていることだけれども、初期のブログは消滅してしまったし、最近読者になってくださったひとも居るので、あらためて「映画小僧が出来るまで」の話を。

映画に夢中になり始めた小学5~6年の自分は、
『キン肉マン』と『機動戦士ガンダム』、『スケバン刑事』、プロレス、ガンプラ、切手、中森明菜、斉藤由貴、少し背伸びをして、杉山清貴&オメガトライブが好きな、ふつうのガキ? だった。

「からっぽ」と評されることの多い80年代に青春を過ごし、テレビで起きていることが真実であると信じ込み、スピルバーグ・ブランドの映画に目を輝かせていたと。

3つ上の姉が成龍ことジャッキー・チェンのファンで、当時の成龍は絶頂期にあり、年に2度も主演映画が公開されるという「寅さん状態」にあった。
「子守り」のつもりで自分を劇場に連れて行く姉・・・しかし自分のほうが成龍映画に夢中となり、いつしかひとりで劇場に通うようになっていく。

生まれ故郷は、群馬県は館林。
市内にはふたつの劇場―館林クラブ、清流―があって、前者はピンク映画とアニメーションを上映する「ごった煮」映画館だった。
自分が、、、というか同級生のほとんどが通っていたのは、後者のほう。

場末の劇場らしくニオイはサイアクだったが、スクリーンは大きかったし、座席も300を超えていた。
ここで「生まれて初めてのアルバイト」をするのだが、それはまたべつの話。

ある日曜日―。
テレビ朝日の日曜洋画劇場で、成龍の『プロジェクトA』(83)が放送された。

そのときの解説で淀川先生が、「成龍の動きは、サイレント時代のチャップリンとそっくり。彼は、きちんと昔の映画を参考にしている」と指摘した。

社会科の教科書でチャップリンの存在は知っていたが、映画は観たことがなかった。
その翌週、NHK教育で『街の灯』(31)が放送されていて、これが初めてのチャップリン体験となった。

よく「なんでそんなに映画が好きなの」と問われるが、それはもう、このようにタイミングがよかった、、、としか返しようがないわけで。

ちょうどこのころ、我が家にビデオデッキが導入? された。
市内にレンタルビデオ店もオープンした。
お小遣いも、少しだけ上がった。
『ロードショー』と『キネマ旬報』の購入を始めた。
だから自分の金はすべて、映画にまつわることで消えた。

熱心に集めていた切手を売り払い、「キン肉マン消しゴム」は下級生に譲り、ガンプラは組み立てることさえやめ、
斉藤由貴と明菜と、それから「おニャン子」だけは「ズリネタ」として好きであり続けたが、
クラスメイトたちがゲームにはまり『ドラゴンボール』に夢中になっていたころ、自分は映画にしか興味を抱けなくなっていった。

こうして、映画好きから映画ファンへとレベルアップを果たした・・・が、まだ映画小僧を自称するまでのレベルには達していない、と自覚していたわけ。

なにかが足りなかった。
清流でかかる映画はすべて観ていたが、知らないことが多過ぎる。
もっと過去を学ばなくてはいけない―よく分からないが、なんとなく焦っていた。

中学2年の5月―。
7日間で、自分の嗜好・思考・志向を決定づける映画3本と出会った。

それが、
チャップリンの『独裁者』(40)、
オリバー・ストーンの『プラトーン』(86)、
そして、スコセッシの『タクシードライバー』(76)だったのである。

大袈裟にいえば、映画小僧「誕生前夜」の出来事だった―。


つづく。


※なんてワクワクする予告編だろうか!!




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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(155)』
コメント (1)
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