ジャンル別映画10傑シリーズ、きょうは「ヒーロー映画」でいってみます。
勧善懲悪を体現する分かり易いヒーローも居れば、
ニューシネマの主人公たちのように屈折したヒーローも居る。
さらにいえば、アンチヒーローだって「ふつうではない」というだけで、ヒーローといえばヒーローで。
いやいや、ヒーローなんて全員が「ふつうではない」。
「ふつう」では「やっていられない」職業? なのだ。
だからであろう、
「なりたい」という気持ちを宿しているものは多いはずなのに、その先の一歩が踏み出せないのである。
男子であれば、そういう気持ちがあるほうが「ふつう」。
数年前、伊達直人を名乗る「誰か」が、子どもたちにランドセルを贈ったでしょう。
真似の出来ない行為だが、その気持ち、すげー分かる。
本人は否定するかもしれない、「私は子どもたちにランドセルを贈りたかっただけだ」と。
でも、それだけじゃないと思うんだな。
ヒーロー願望がなければ、伊達直人とは名乗らないはずだから。
ではまず、ヒーロー映画のワースト3を挙げてみようか。
(1)『ガッチャマン』(2013)
笑えることは、笑える。
ひとついえるのは、それは創り手の意図ではないということ。
(2)『バットマン フォーエヴァー』(95)
ティム・バートンが大事に大事に創り上げたであろう世界観を、冒頭5分で粉砕している。
かなーり罪深いことだと思うけれど。
(3)『最終兵器彼女』(2006)
前田亜季ちゃんが好きで、期待していたのだがな・・・。
ではいくぜ!!
※広義の意味におけるヒーローとした
(1)『用心棒』(61…トップ画像)
「斬られりゃ、痛ぇぞ」
「もうすぐ四十郎だがな」
「あばよ!!」
吐く台詞が、いちいち格好いい。
桑畑三十郎は、中学生のころから自分の「最高の」ヒーローでありつづけている。
(2)『ダークナイト』(2008)
キャラクター的にもジョーカーが、
俳優としてもジョーカーを演じたヒース・レジャーが「どうしたって」勝ってしまうのだが、
いやいや、クリスチャン・ベイルだって悪くない。
後ろ向きで、好かれることのないブルース・ウェイン(=バットマン)を自然体で演じたからこそ、ジョーカーとのコントラストが生まれたのだから。
(3)『キック・アス』(2010)
10代の少女、ヒットガールの活躍に胸躍らされるという「ちょっとした」倒錯性。
(4)『ダークマン』(90)
走って飛んで殴って蹴る―頑張るおじさん俳優リーアム・ニーソンだが、若いころからそうした可能性は宿していたんだっけ、、、と再認識することが出来る。
顔は、包帯に覆われていて分からんけど!!
(5)『座頭市物語』(62)
マイナスをプラスに変えることで、ヒーローとなる男。
自由に解釈した北野武版も悪くないが、市はやっぱり勝新ですよ。
(6)『太陽を盗んだ男』(79)
理科の先生がプルトニウム強奪して原爆を作る―どう弁護しても犯罪者だが、なぜだか憎めない。
それはディスクジョッキーの池上季実子がいうように、我々に夢を届けてくれたから、、、なのかもしれない。
(7)『スパイダーマン』(2002)
ふつうの・・・というか、「やや」オクテ・オタクのアンチャンの成長物語になっているところがいい。
それにしてもMJ役のキルスティン・ダンストは、角度によって美人になったり不細工になったり、落ち着きのない女優さんである。(でも好きよ)
(8)『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~)
いちばん好きなシーンは『最後の聖戦』(89)、少年時代のインディと現在のインディが「帽子で」オーバーラップしていくところ!!
しかしながら。
いちばん偉大なのはスピルバーグでもルーカスでもなく、彼らの映画に「完璧な」音楽をつけているジョン・ウィリアムズなのかもしれないなぁ~! と思うのである。
(9)『ロッキー』(76)
このシリーズがあるからこそ、シュワ氏ではなくスライ推しであるという男子は多い。
取り柄は筋肉だけ、、、というところがいい。
あぁ、あと我慢強さも。
(10)『ダーティハリー』(71)
被害者が泣き加害者が笑うような、解せない事件が起こる度にハリー・キャラハンを思う。
ヒーローが活躍する映画であっても、やはり現実社会から目を背けることは出来ないのである。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『年末年始企画(3)セクシー映画10傑』
勧善懲悪を体現する分かり易いヒーローも居れば、
ニューシネマの主人公たちのように屈折したヒーローも居る。
さらにいえば、アンチヒーローだって「ふつうではない」というだけで、ヒーローといえばヒーローで。
いやいや、ヒーローなんて全員が「ふつうではない」。
「ふつう」では「やっていられない」職業? なのだ。
だからであろう、
「なりたい」という気持ちを宿しているものは多いはずなのに、その先の一歩が踏み出せないのである。
男子であれば、そういう気持ちがあるほうが「ふつう」。
数年前、伊達直人を名乗る「誰か」が、子どもたちにランドセルを贈ったでしょう。
真似の出来ない行為だが、その気持ち、すげー分かる。
本人は否定するかもしれない、「私は子どもたちにランドセルを贈りたかっただけだ」と。
でも、それだけじゃないと思うんだな。
ヒーロー願望がなければ、伊達直人とは名乗らないはずだから。
ではまず、ヒーロー映画のワースト3を挙げてみようか。
(1)『ガッチャマン』(2013)
笑えることは、笑える。
ひとついえるのは、それは創り手の意図ではないということ。
(2)『バットマン フォーエヴァー』(95)
ティム・バートンが大事に大事に創り上げたであろう世界観を、冒頭5分で粉砕している。
かなーり罪深いことだと思うけれど。
(3)『最終兵器彼女』(2006)
前田亜季ちゃんが好きで、期待していたのだがな・・・。
ではいくぜ!!
※広義の意味におけるヒーローとした
(1)『用心棒』(61…トップ画像)
「斬られりゃ、痛ぇぞ」
「もうすぐ四十郎だがな」
「あばよ!!」
吐く台詞が、いちいち格好いい。
桑畑三十郎は、中学生のころから自分の「最高の」ヒーローでありつづけている。
(2)『ダークナイト』(2008)
キャラクター的にもジョーカーが、
俳優としてもジョーカーを演じたヒース・レジャーが「どうしたって」勝ってしまうのだが、
いやいや、クリスチャン・ベイルだって悪くない。
後ろ向きで、好かれることのないブルース・ウェイン(=バットマン)を自然体で演じたからこそ、ジョーカーとのコントラストが生まれたのだから。
(3)『キック・アス』(2010)
10代の少女、ヒットガールの活躍に胸躍らされるという「ちょっとした」倒錯性。
(4)『ダークマン』(90)
走って飛んで殴って蹴る―頑張るおじさん俳優リーアム・ニーソンだが、若いころからそうした可能性は宿していたんだっけ、、、と再認識することが出来る。
顔は、包帯に覆われていて分からんけど!!
(5)『座頭市物語』(62)
マイナスをプラスに変えることで、ヒーローとなる男。
自由に解釈した北野武版も悪くないが、市はやっぱり勝新ですよ。
(6)『太陽を盗んだ男』(79)
理科の先生がプルトニウム強奪して原爆を作る―どう弁護しても犯罪者だが、なぜだか憎めない。
それはディスクジョッキーの池上季実子がいうように、我々に夢を届けてくれたから、、、なのかもしれない。
(7)『スパイダーマン』(2002)
ふつうの・・・というか、「やや」オクテ・オタクのアンチャンの成長物語になっているところがいい。
それにしてもMJ役のキルスティン・ダンストは、角度によって美人になったり不細工になったり、落ち着きのない女優さんである。(でも好きよ)
(8)『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~)
いちばん好きなシーンは『最後の聖戦』(89)、少年時代のインディと現在のインディが「帽子で」オーバーラップしていくところ!!
しかしながら。
いちばん偉大なのはスピルバーグでもルーカスでもなく、彼らの映画に「完璧な」音楽をつけているジョン・ウィリアムズなのかもしれないなぁ~! と思うのである。
(9)『ロッキー』(76)
このシリーズがあるからこそ、シュワ氏ではなくスライ推しであるという男子は多い。
取り柄は筋肉だけ、、、というところがいい。
あぁ、あと我慢強さも。
(10)『ダーティハリー』(71)
被害者が泣き加害者が笑うような、解せない事件が起こる度にハリー・キャラハンを思う。
ヒーローが活躍する映画であっても、やはり現実社会から目を背けることは出来ないのである。
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明日のコラムは・・・
『年末年始企画(3)セクシー映画10傑』