5月10日―。
雨は人間の屑どもを舗道から洗い流してくれる。奴らを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだろう?
映画『タクシードライバー』(76)、トラビスの日記より
…………………………………………
「退屈だった」
「よく分からなかった」
「インパクトはあるけど、なんでまっき~がそこまで好きなのかが分からない」
「元気が出た」
「好き。繰り返し観たい」
これまでに、少なくとも出会ったひと50人には『タクシードライバー』を薦めてきた。
ウェブ上もあわせれば、100人を軽く超える。
うち5割が「よく分からん」、3割が「まあまあ」、そして2割が「好き!」といってくれている。
うん、いい感じだと思う。
確実に映画史に名を刻む作品だとは思うけれど、いわゆるスタンダードではないはずだから。
『タクシードライバー』が好きというひとより、『ゴッドファーザー』(72)や『七人の侍』(54)、『ショーシャンクの空に』(94)を好きというひとのほうが「はっきりと健全」なんだもの。
『タクシードライバー』は、開かれた映画ではない。
表現が適切かどうかは置いておいて、明らかに「内にこもった」映画。
「内にこもった」ひとに向けられた物語なんだ。
だから、薦めたひと全員が「好き!」といってしまうと、この世はどれだけ病んでいるんだよ!! っていう話になる。
この映画が全米公開された直後、スコセッシに直接会いにきたファンが居たという。
「どうしてボクのことが分かったんですか。これは、ボクの話だ」といわれて、スコセッシは困ったそうだ。
単に気が触れていただけかもしれないが、一部の男どもには「それくらい刺さる」映画だった。
そんなひとりが、自分だったというわけ。
理想は、自意識が過剰な10代のころ―この「青い季節」に『タクシードライバー』に触れることが、最高のタイミングだと思う。
そうすれば、途端に虜になるだろう。
自分以外は、ほとんどクズ・・・10代のクソガキであれば、こんな歪んだ意識を持っていたとしても不思議ではないでしょう。
この映画は、「ちがうよ、お前がクズなんだ」ではなく、「お前もクズなんだ」ということを教えてくれるのである。
少なくとも、自分はそう捉えた。
そうして、なんだか気持ちが楽になった。
「NO MUSIC、NO LIFE」だとか、「一冊の本、一本の映画で人生が変わる」だとか、そんなことあるか! というひとも多いけれど、自分は『タクシードライバー』で考えかたそのものが変わってしまった。
だから、そういうことだってあるんだ! と思う。
多くのひとにとって、『タクシードライバー』はネガティブな映画に映るだろう。
ひとりのキチガイによる暴走の物語であると。
それは間違っていないのだけれども、ごくわずかなひとにとっては、ほかのどんなポジティブな映画よりも元気が出るものであったりする。
これが不思議なのだが、なんだろう・・・トラビスの悟ったような開き直りに「よし、自分も!」などと思ったのかもしれない。
特筆すべきは、トラビスが死なないで幕を閉じること。
ピカレスクといったらいいのか、ふつうこういうキチガイじみたヒーローは、死ななければいけない。
アメリカン・ニューシネマのヒーローたちのように。
それが分かっていたから、トラビスは最後で銃口を自分に向ける。
しかし、弾が切れていた。
それでも死のうと思ったから、指先をこめかみに当てて「ぷしゅー」と呟く。
気狂いトラビス、生還。
メディアは彼をヒーローとして称えるけれど、彼は事故以前と同様にタクシーを運転するだけなのだ。
それでも、生きていく。
このエンディングを観て、あぁ自分も生きよう!! と思える―うん、こんな風に考えるヤツがいっぱい居てはいけない。
いっぱい居てはいけないといい切ってしまうところに、自分だけの宝物という思いがこめられているわけだが、この熱くてうざったい思い、スコセッシに届いているかなぁ、ウンザリするだろうなぁ・・・苦笑
※QTタランティーノが語る、トラビス愛
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明日のコラムは・・・
『得手不得手』
雨は人間の屑どもを舗道から洗い流してくれる。奴らを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだろう?
映画『タクシードライバー』(76)、トラビスの日記より
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「退屈だった」
「よく分からなかった」
「インパクトはあるけど、なんでまっき~がそこまで好きなのかが分からない」
「元気が出た」
「好き。繰り返し観たい」
これまでに、少なくとも出会ったひと50人には『タクシードライバー』を薦めてきた。
ウェブ上もあわせれば、100人を軽く超える。
うち5割が「よく分からん」、3割が「まあまあ」、そして2割が「好き!」といってくれている。
うん、いい感じだと思う。
確実に映画史に名を刻む作品だとは思うけれど、いわゆるスタンダードではないはずだから。
『タクシードライバー』が好きというひとより、『ゴッドファーザー』(72)や『七人の侍』(54)、『ショーシャンクの空に』(94)を好きというひとのほうが「はっきりと健全」なんだもの。
『タクシードライバー』は、開かれた映画ではない。
表現が適切かどうかは置いておいて、明らかに「内にこもった」映画。
「内にこもった」ひとに向けられた物語なんだ。
だから、薦めたひと全員が「好き!」といってしまうと、この世はどれだけ病んでいるんだよ!! っていう話になる。
この映画が全米公開された直後、スコセッシに直接会いにきたファンが居たという。
「どうしてボクのことが分かったんですか。これは、ボクの話だ」といわれて、スコセッシは困ったそうだ。
単に気が触れていただけかもしれないが、一部の男どもには「それくらい刺さる」映画だった。
そんなひとりが、自分だったというわけ。
理想は、自意識が過剰な10代のころ―この「青い季節」に『タクシードライバー』に触れることが、最高のタイミングだと思う。
そうすれば、途端に虜になるだろう。
自分以外は、ほとんどクズ・・・10代のクソガキであれば、こんな歪んだ意識を持っていたとしても不思議ではないでしょう。
この映画は、「ちがうよ、お前がクズなんだ」ではなく、「お前もクズなんだ」ということを教えてくれるのである。
少なくとも、自分はそう捉えた。
そうして、なんだか気持ちが楽になった。
「NO MUSIC、NO LIFE」だとか、「一冊の本、一本の映画で人生が変わる」だとか、そんなことあるか! というひとも多いけれど、自分は『タクシードライバー』で考えかたそのものが変わってしまった。
だから、そういうことだってあるんだ! と思う。
多くのひとにとって、『タクシードライバー』はネガティブな映画に映るだろう。
ひとりのキチガイによる暴走の物語であると。
それは間違っていないのだけれども、ごくわずかなひとにとっては、ほかのどんなポジティブな映画よりも元気が出るものであったりする。
これが不思議なのだが、なんだろう・・・トラビスの悟ったような開き直りに「よし、自分も!」などと思ったのかもしれない。
特筆すべきは、トラビスが死なないで幕を閉じること。
ピカレスクといったらいいのか、ふつうこういうキチガイじみたヒーローは、死ななければいけない。
アメリカン・ニューシネマのヒーローたちのように。
それが分かっていたから、トラビスは最後で銃口を自分に向ける。
しかし、弾が切れていた。
それでも死のうと思ったから、指先をこめかみに当てて「ぷしゅー」と呟く。
気狂いトラビス、生還。
メディアは彼をヒーローとして称えるけれど、彼は事故以前と同様にタクシーを運転するだけなのだ。
それでも、生きていく。
このエンディングを観て、あぁ自分も生きよう!! と思える―うん、こんな風に考えるヤツがいっぱい居てはいけない。
いっぱい居てはいけないといい切ってしまうところに、自分だけの宝物という思いがこめられているわけだが、この熱くてうざったい思い、スコセッシに届いているかなぁ、ウンザリするだろうなぁ・・・苦笑
※QTタランティーノが語る、トラビス愛
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明日のコラムは・・・
『得手不得手』