ぐるー「ぷ」→「ぷ」ろぐらむ
昔から映画ファンをやっているひとにとっては、プログラム。
90年代くらいから映画ファンを始めたひとにとっては、パンフレット。
しかし現在では元のとおり、プログラムというようになった。
簡単にいえば「質のいい紙で」作られた冊子。
キャスト・スタッフ紹介、プロダクションノート、批評などの文章と、名場面を大きく載せた写真で構成されている。
80年代までは400円、高くても500円だったものが、現在では700~800円が「ふつう」になった。
基本、買いますよ。
思い出とかではなく、データ収集のため。
ただ、メジャーな作品ほど「知っていることしか載ってない」ケースが多く、買ってガッカリしてしまう。
個性的なのは(衰退の傾向にある)ミニシアター産のもの。
以下は、自分の気に入りプログラム。
『ロリータ』(97)、『17歳のカルテ』(99)の、モノスゴ小さいプログラム
『クレイドル・ウィル・ロック』(99)、新聞紙風
『パンチドランク・ラブ』(2002)、まるでホットケーキ・ミックス
あれま!
すべて、「前」恵比寿ガーデンシネマで上映されたものだった!!
ということは、ガーデンシネマがそれだけプログラムに力を注いでいたということなのでしょう。
気に入りと記したけれど、困るのは規格「外」ということ。
これらをキレイに並べたい「願望」のある自分は、とっても困っちゃう。
棚に整列させられないのだもの!!
プログラムが展開されるというのは、日本独自の文化らしい。
映画大国の米国では「チラシ1枚」がふつうであり、「いちいちそんなもの、創っていられない」ということだろうか。
販売促進が過熱したディズニー産の『フォースの覚醒』でさえ、プログラムはなし。
商売的にいうと、「いま始めても」うまみがない、、、のかもしれない。
日本の場合は、歴史があるから。
もっといえば、「だから」やめられない。
プログラムを発行する金さえない・・・はずのインディーズ作品だって、「ほとんど意地で」プログラムを創ってみせる。
結果、赤字になってもね。
映画小僧からしてみると、たとえB級映画でもプログラムピクチャーでもレイトショー限定公開でも、プログラムを創ってみようとする日本のほうが「愛があって好き」なのだが、
たいした内容のものが構成出来ないのであれば、それはムダガミになってしまう。
映画としてはクソがつくほどつまらなかった、仏産の『ドーベルマン』(97)。
この映画に、野グソの処理として権威的雑誌を紙にする痛快なシーンが出てきた。
尻を拭くに相応しい? くだらんプログラムも多いから、どの国がいいか悪いかというのは、なかなかに判断しづらいというのが本音なのである。
※『17歳のカルテ』で、いちばん好きなシーン。
ノニーとアンジーが、『ダウンタウン』を歌う。
次回のしりとりは・・・
ぷろぐら「む」→「む」かしばなし。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『どこでだって、スイカは割れる』
昔から映画ファンをやっているひとにとっては、プログラム。
90年代くらいから映画ファンを始めたひとにとっては、パンフレット。
しかし現在では元のとおり、プログラムというようになった。
簡単にいえば「質のいい紙で」作られた冊子。
キャスト・スタッフ紹介、プロダクションノート、批評などの文章と、名場面を大きく載せた写真で構成されている。
80年代までは400円、高くても500円だったものが、現在では700~800円が「ふつう」になった。
基本、買いますよ。
思い出とかではなく、データ収集のため。
ただ、メジャーな作品ほど「知っていることしか載ってない」ケースが多く、買ってガッカリしてしまう。
個性的なのは(衰退の傾向にある)ミニシアター産のもの。
以下は、自分の気に入りプログラム。
『ロリータ』(97)、『17歳のカルテ』(99)の、モノスゴ小さいプログラム
『クレイドル・ウィル・ロック』(99)、新聞紙風
『パンチドランク・ラブ』(2002)、まるでホットケーキ・ミックス
あれま!
すべて、「前」恵比寿ガーデンシネマで上映されたものだった!!
ということは、ガーデンシネマがそれだけプログラムに力を注いでいたということなのでしょう。
気に入りと記したけれど、困るのは規格「外」ということ。
これらをキレイに並べたい「願望」のある自分は、とっても困っちゃう。
棚に整列させられないのだもの!!
プログラムが展開されるというのは、日本独自の文化らしい。
映画大国の米国では「チラシ1枚」がふつうであり、「いちいちそんなもの、創っていられない」ということだろうか。
販売促進が過熱したディズニー産の『フォースの覚醒』でさえ、プログラムはなし。
商売的にいうと、「いま始めても」うまみがない、、、のかもしれない。
日本の場合は、歴史があるから。
もっといえば、「だから」やめられない。
プログラムを発行する金さえない・・・はずのインディーズ作品だって、「ほとんど意地で」プログラムを創ってみせる。
結果、赤字になってもね。
映画小僧からしてみると、たとえB級映画でもプログラムピクチャーでもレイトショー限定公開でも、プログラムを創ってみようとする日本のほうが「愛があって好き」なのだが、
たいした内容のものが構成出来ないのであれば、それはムダガミになってしまう。
映画としてはクソがつくほどつまらなかった、仏産の『ドーベルマン』(97)。
この映画に、野グソの処理として権威的雑誌を紙にする痛快なシーンが出てきた。
尻を拭くに相応しい? くだらんプログラムも多いから、どの国がいいか悪いかというのは、なかなかに判断しづらいというのが本音なのである。
※『17歳のカルテ』で、いちばん好きなシーン。
ノニーとアンジーが、『ダウンタウン』を歌う。
次回のしりとりは・・・
ぷろぐら「む」→「む」かしばなし。
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明日のコラムは・・・
『どこでだって、スイカは割れる』