Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

セクシャルバイオレットNO.1

2016-02-29 00:10:00 | コラム
「おんな」と「おんな」の恋愛を深いところまで描いた『キャロル』を観て、
21世紀の映画小僧として「あたりまえ」のようにこの物語に触れてはいるけれど、こうした世界観が認められるようになったのは、それほど前の話ではなかったのだよなぁ、、、と思った。

映画は華やかであるいっぽうで、マイノリティを掬うのに適した表現でもあって。

トラビスにしたってそうじゃないか。
あんなヤツがあちこちに存在している世の中はどうかしている、
だから名作ではあるけれども、観たもの全員のこころを捉えることはない、
ないが、100人のうち3人くらいのこころを鷲掴みにするわけですよ、
そのひとりが、自分みたいなザーメンクソヤロウであったと。

LGBTということばの浸透も、ここ最近のことである。
(簡単にいえば、性的少数者の総称)


映画は120歳くらいだが、モノクロームの時代にゲイのキャラクターが登場しなかったわけではない。
ただ、登場はしてきてもコメディリリーフのような役割を担わされているのが常で、ひとりの人格として描かれることはなかった。

それを「はっきりと」変えたのはビスコンティだった、と個人的には思う。


以下は、LGBTを主題にした映画の10傑である。

これらの映画が格闘したうえに『キャロル』の誕生がある―ということを、忘れないでおこう!


(1)『クライング・ゲーム』(92)



「―それがお前の、性なんだ」

この台詞に尽きるだろう。

(2)『ボーイズ・ドント・クライ』(90)

胸をさらしで巻いて、腕立て伏せに励み「男」になろうと努めた「おんなのこ」の物語。

(3)『ブエノスアイレス』(97)

途中から、男であるとか、女であるとか、どうでもよくなってしまった。

(4)『マルホランド・ドライブ』(2001)



とはいえ。
キッタネー男として思うのは、男と男の愛より、女と女の愛のほうが「絵としては」美しいなと。

(5)『モンスター』(2003)

先天性と後天性。
この主人公の場合は、おそらく後天性だと思われる。

(6)『ベニスに死す』(71)

圧倒的な「ゲーージツ!!」感で、四の五のいわせない迫力がある。




(7)『プリシラ』(94)

一見すると陽気なコメディ、だがその陽気さは「そうでなければ、やっていられない」切実さの裏返しなのだ。

(8)『ユージュアル・サスペクツ』(95)

明確にゲイとして描かれているわけではないが、雰囲気は濃厚。

・・・と思っていたら、監督はのちにゲイであることをカミングアウトした。

(9)『真夜中のパーティ』(70)

学生時代、講師に薦められて鑑賞。

講師いわく「フリードキンほど、真剣にゲイを描いた映画監督は居ない」。

なんとなく、分かる気がする。

(10)『御法度』(99)

雰囲気だけで見せる内容には、やや不満があったが・・・。

オオシマが若いころに撮っていたとしたら、もっと直截的に描いたかもしれない。





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明日のコラムは・・・

『オスカー短評 + 2月コラムの目次』
コメント (2)
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