映画監督の松山善三が鬼籍に入った。
享年91歳、
本人の監督作より夫人―故・高峰秀子―のほうが有名だったかもしれないが、『人間の証明』(77)の脚本を担当し、
『典子は、今』(81)を監督した、、、といえばピンとくるひとも多いだろう。
映画界で最も「名は体を表す」ひとだったといっていい、
なにしろ「善」が入っているのだからね、自分なんか名前負けしそうだが、松山善三はそうはならなかった。
映画小僧になりたてのころ、(旧)文部省が推奨する映画を毛嫌いしているところがあった。
そんな映画は偽善のように思えたし、そもそも国が映画を評価することに嫌悪感さえ抱いていた。
山田洋次がすんごいひとであることは間違いはないが、『学校』(93)は唾棄すべき作品であるとまで罵って、たいへん嫌ったりしていた。
※中江有里、裕木奈江も出てるけど!!
誤解を恐れずにいえば、松山善三はそういう世界で映画を撮り続けてきたひと。
そういう意味で自分にとって、松山善三ともうひとり、神山征二郎―『遠き落日』(92)、『ひめゆりの塔』(95)―は、鬼門のような存在だった。
けれども。
よーーく、思い返してみれば。
群馬の片田舎で少年期を過ごした自分にとって、映画は身近なものとはいえなかった。
場末の劇場『清流』で映画の魔力に取り憑かれる前に、学校の体育館で児童映画、同和映画、道徳の映画を観た記憶が「かすかに」残っている。
厳密にいえば、これが自分にとっての映画初体験だったのだ。
広島でピカドンに遭った転校生がいじめられる物語。
出身地だけで差別される中学生の物語。
障害を負いながらも懸命に生きる少年の物語。
はっきりいって、どれもピンとこなかった。
ガキならではの感覚を率直にいえば、「映画って、つまらんな…」とまで思っていたふしがある。
教育効果を狙った、これらの映画は、創り手と受け手のあいだに大きな温度差が生じる傾向にあるのだと思う。
そんなこと、松山善三だって分かっていたにちがいない。
それでもこの世界にこだわり続け、ものをつくり続けた。
代表作であり監督デビュー作でもある作品のタイトルは、『名もなく貧しく美しく』(61…トップ画像)という。
聴覚障害者の夫婦の物語である。
それだけで観るひとが限られそうだが、処女作には「その監督の、すべてが出る」という定説を地でいく創りに、むしろ強い興味を抱いたのが23歳のころだったと思う。
(そう、やっぱり観るには抵抗があったようで、もっと早くに触れる機会があったにも関わらず、多少の時間を必要とした映画小僧だったのだ!)
それから、触れることの出来る松山善三「関係」の作品を連続して鑑賞していった。
そうして、このひとが筋金入りの愚直であることを理解した。
そのヒトコトで済ませていいとは思わないが、これ以上に適切な形容は現時点では思いつかない。
住む世界は、近いようで、かなーーーーり遠いが、それでも学ぶべきところは沢山ある。
やっぱり観る必要のない映画なんて、映画小僧には「ないんだな」、そう気づかされた映画監督であった。
合掌。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『俳優別10傑 海外「ま行」篇(2)』
享年91歳、
本人の監督作より夫人―故・高峰秀子―のほうが有名だったかもしれないが、『人間の証明』(77)の脚本を担当し、
『典子は、今』(81)を監督した、、、といえばピンとくるひとも多いだろう。
映画界で最も「名は体を表す」ひとだったといっていい、
なにしろ「善」が入っているのだからね、自分なんか名前負けしそうだが、松山善三はそうはならなかった。
映画小僧になりたてのころ、(旧)文部省が推奨する映画を毛嫌いしているところがあった。
そんな映画は偽善のように思えたし、そもそも国が映画を評価することに嫌悪感さえ抱いていた。
山田洋次がすんごいひとであることは間違いはないが、『学校』(93)は唾棄すべき作品であるとまで罵って、たいへん嫌ったりしていた。
※中江有里、裕木奈江も出てるけど!!
誤解を恐れずにいえば、松山善三はそういう世界で映画を撮り続けてきたひと。
そういう意味で自分にとって、松山善三ともうひとり、神山征二郎―『遠き落日』(92)、『ひめゆりの塔』(95)―は、鬼門のような存在だった。
けれども。
よーーく、思い返してみれば。
群馬の片田舎で少年期を過ごした自分にとって、映画は身近なものとはいえなかった。
場末の劇場『清流』で映画の魔力に取り憑かれる前に、学校の体育館で児童映画、同和映画、道徳の映画を観た記憶が「かすかに」残っている。
厳密にいえば、これが自分にとっての映画初体験だったのだ。
広島でピカドンに遭った転校生がいじめられる物語。
出身地だけで差別される中学生の物語。
障害を負いながらも懸命に生きる少年の物語。
はっきりいって、どれもピンとこなかった。
ガキならではの感覚を率直にいえば、「映画って、つまらんな…」とまで思っていたふしがある。
教育効果を狙った、これらの映画は、創り手と受け手のあいだに大きな温度差が生じる傾向にあるのだと思う。
そんなこと、松山善三だって分かっていたにちがいない。
それでもこの世界にこだわり続け、ものをつくり続けた。
代表作であり監督デビュー作でもある作品のタイトルは、『名もなく貧しく美しく』(61…トップ画像)という。
聴覚障害者の夫婦の物語である。
それだけで観るひとが限られそうだが、処女作には「その監督の、すべてが出る」という定説を地でいく創りに、むしろ強い興味を抱いたのが23歳のころだったと思う。
(そう、やっぱり観るには抵抗があったようで、もっと早くに触れる機会があったにも関わらず、多少の時間を必要とした映画小僧だったのだ!)
それから、触れることの出来る松山善三「関係」の作品を連続して鑑賞していった。
そうして、このひとが筋金入りの愚直であることを理解した。
そのヒトコトで済ませていいとは思わないが、これ以上に適切な形容は現時点では思いつかない。
住む世界は、近いようで、かなーーーーり遠いが、それでも学ぶべきところは沢山ある。
やっぱり観る必要のない映画なんて、映画小僧には「ないんだな」、そう気づかされた映画監督であった。
合掌。
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明日のコラムは・・・
『俳優別10傑 海外「ま行」篇(2)』