~追悼、ミロシュ・フォアマン~
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サリエリ「―教会で、父親が商売繁盛を懸命に祈っている傍らで私は、音楽であなたを称えたい、だから音楽への道を歩ませてくださいと祈った。すると、なにが起きたと思う? 奇跡だよ」
父親、急死する―。
サリエリ「数年後、私はウィーンに居た。音楽の都、ウィーン!!」
司祭「…」
サリエリ「これはあきらかに、神の思し召しだよ。田舎の少年が、やがて宮廷作曲家になったんだから!」
司祭「…」
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「音楽家になりたい」という熱い思いを理解しようともしない父親が急死すれば、「神のおかげ」。
自分にとって都合のよいことが起こったときはもちろん、悪いことが起こったときも「神がそうしている」と信じるアントニオ・サリエリは、
生涯の童貞を誓い、毎日「あなたのために音楽を作っている」のに、なぜモーツァルトのような下品で高慢な男に才能を与えたのかと神を恨む。
サリエリと神はやがて近親憎悪のような様相を呈し、神が作ったと信じて疑わぬモーツァルトを破滅させようとする。
サリエリの、この歪んだ精神。
しかし映画『アマデウス』(84)の肝はここで、学問・スポーツ・芸術の分野で挫折を経験したひとのほとんどが、サリエリに共感・同情したのではないか。
もちろん、自分もそうだ。
ただ『アマデウス』はそれ以上に、まず映画として娯楽としてたいへん優れていたものだから、サリエリの暗い情熱に感情移入しつつ、何度も何度も「楽しく」鑑賞することが出来た。
そして5度目の鑑賞を終えたあたりから、この映画に対する印象に若干の変化が生じた。
サリエリ視点でばかり物語を捉えていた―それは当然のこと、なぜならサリエリが司祭に語りかけるという構成なので―が、モーツァルトの悲哀も相当なものだな、、、と考えるようになった。
たとえば、実父と嫁が喧嘩をするシークエンス。
モーツァルトがビリヤード台で作曲していると・・・
謎の人物に雇われたという家政婦がやってくる。
父「家政婦なんか頼んで。自分で家事をしないのか」
嫁「そうやって嫁いびりをするのね」
モーツァルトは毎日繰り返される(であろう)口喧嘩に嫌気が差し、ドアを閉め、再び作曲を始める・・・。
天才の孤独が胸に迫り、サリエリだけなくモーツァルトにも感情移入するのだった。
…………………………………………
『アマデウス』を手がけた映画監督、ミロシュ・フォアマンが永眠した。

「プラハの春」に絶望し故郷チェコから亡命、米国籍を取って映画を撮りつづけた反骨のひと。
であるからして、世界を社会を見つめる視線はひたすら厳しいが、娯楽性に富んだ映画を創る才能に秀でていたことから、70~80年代にかけて、批評・興行の両面で結果を残した。
75年、『カッコーの巣の上で』でオスカー作品賞・監督賞を受賞。
「刑務所の強制労働がイヤ」という怠けた理由から精神異常を装ったマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)が、実際に植物人間に「させられる」過程を描いた衝撃作だった。

79年、反戦ミュージカル『ヘアー』を発表。
そして84年、モーツァルト毒殺説から材を得た劇曲を映画化した『アマデウス』で再びオスカーに輝く。
日本における『アマデウス』人気は米国以上とされており、2002年のディレクターズ・カット版上映も好評、自分は5回ほど観にいったが「5回とも」高島屋タイムズスクエアの映画館は満員御礼だった。
その人気を裏づける事象がもうひとつ。
フォアマン訃報のYahoo記事に、映画小僧が想像する以上のコメントが寄せられていたのだ。
それを時間の許すかぎり目を通してみたが、はっきりいってフォアマンへの言及は2~3割程度。
残りのすべてが、『アマデウス』に対する感想や賛辞だったのだ。
そうか、これほどまでに愛された映画だったのか。
ただ、この映画が様々な意味で「大き過ぎた」のは事実、なぜならそれ以降のフォアマン作品まで観たという『アマデウス』好きは、とても少なかったのだから。
96年、ポルノ雑誌『HUSTLER』創刊者の強烈な半生を描いた『ラリー・フリント』(トップ画像)を発表。
制作にオリバー・ストーンも絡んでいたからか、フォアマンのキャリアのなかでは最も政治的社会的に尖った作品となっている。
それが、
「戦争とポルノ、真にワイセツなのはどっちだ」
ということばだろう。
面白いのは、フォアマン自身はポルノを唾棄すべき表現と捉えていたこと。
フォアマンだけでなく、ラリー(ウディ・ハレルソンが熱演)を支える妻をチャーミングに演じたコートニー・ラヴもまた、扇情的に過ぎるポルノを嫌っていた。
ポルノ嫌いがふたりも参加して、ポルノ雑誌創刊者を描く。
そこで思い出すのは、「なぜ殴り合っているのか」と理解に苦しむボクシングの世界を「敢えて」描いたスコセッシのこと。
そういえば原一男も「最後まで理解出来ないひとだった」と奥崎謙三を評した。
深い理解があってそれを題材にする場合と、理解出来ないからこそ対象に迫ってみようという場合―映画監督の創作意欲は、大きく分けてふたつあるということなのだろうか。
尤も『ラリー・フリント』の狙いはもう少しシンプルなものだ、
ラリーの生きざまには共感出来ないが、戦争が認められてポルノが認められない世界はまちがっている、
ラリーには戦う権利がある、だから実際に戦ったんだ、、、と彼の勇気を称える映画なのだから。
99年、過激に過ぎて理解され難かったコメディアン、アンディ・カウフマンを描いた『マン・オン・ザ・ムーン』を発表。
2006年、歴史劇『宮廷画家ゴヤは見た』を発表、これが遺作となった。
そうか10年以上、新作がなかったのかと気づく。
必ずしも全作品に共通したことではないが、「極端な方向に走る」キャラクターを描くのが得意なのだろう。
主人公が社会と分かり合えたりすることは、ない。
ただ真の理解者が、ひとりだけ存在する。
マクマーフィーには、チーフが。
ラリーには、アルシアが。
アンディには、リンが。
そして皮肉なことだが・・・
モーツァルトの真の理解者は、サリエリだったのである。
ミロシュ・フォアマン、死去。
享年86歳、合掌。
※『カッコーの巣の上で』より、ロボトミー手術のシーン
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明日のコラムは・・・
『すっかり現代人じゃ』
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サリエリ「―教会で、父親が商売繁盛を懸命に祈っている傍らで私は、音楽であなたを称えたい、だから音楽への道を歩ませてくださいと祈った。すると、なにが起きたと思う? 奇跡だよ」
父親、急死する―。
サリエリ「数年後、私はウィーンに居た。音楽の都、ウィーン!!」
司祭「…」
サリエリ「これはあきらかに、神の思し召しだよ。田舎の少年が、やがて宮廷作曲家になったんだから!」
司祭「…」
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「音楽家になりたい」という熱い思いを理解しようともしない父親が急死すれば、「神のおかげ」。
自分にとって都合のよいことが起こったときはもちろん、悪いことが起こったときも「神がそうしている」と信じるアントニオ・サリエリは、
生涯の童貞を誓い、毎日「あなたのために音楽を作っている」のに、なぜモーツァルトのような下品で高慢な男に才能を与えたのかと神を恨む。
サリエリと神はやがて近親憎悪のような様相を呈し、神が作ったと信じて疑わぬモーツァルトを破滅させようとする。
サリエリの、この歪んだ精神。
しかし映画『アマデウス』(84)の肝はここで、学問・スポーツ・芸術の分野で挫折を経験したひとのほとんどが、サリエリに共感・同情したのではないか。
もちろん、自分もそうだ。
ただ『アマデウス』はそれ以上に、まず映画として娯楽としてたいへん優れていたものだから、サリエリの暗い情熱に感情移入しつつ、何度も何度も「楽しく」鑑賞することが出来た。
そして5度目の鑑賞を終えたあたりから、この映画に対する印象に若干の変化が生じた。
サリエリ視点でばかり物語を捉えていた―それは当然のこと、なぜならサリエリが司祭に語りかけるという構成なので―が、モーツァルトの悲哀も相当なものだな、、、と考えるようになった。
たとえば、実父と嫁が喧嘩をするシークエンス。
モーツァルトがビリヤード台で作曲していると・・・
謎の人物に雇われたという家政婦がやってくる。
父「家政婦なんか頼んで。自分で家事をしないのか」
嫁「そうやって嫁いびりをするのね」
モーツァルトは毎日繰り返される(であろう)口喧嘩に嫌気が差し、ドアを閉め、再び作曲を始める・・・。
天才の孤独が胸に迫り、サリエリだけなくモーツァルトにも感情移入するのだった。
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『アマデウス』を手がけた映画監督、ミロシュ・フォアマンが永眠した。

「プラハの春」に絶望し故郷チェコから亡命、米国籍を取って映画を撮りつづけた反骨のひと。
であるからして、世界を社会を見つめる視線はひたすら厳しいが、娯楽性に富んだ映画を創る才能に秀でていたことから、70~80年代にかけて、批評・興行の両面で結果を残した。
75年、『カッコーの巣の上で』でオスカー作品賞・監督賞を受賞。
「刑務所の強制労働がイヤ」という怠けた理由から精神異常を装ったマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)が、実際に植物人間に「させられる」過程を描いた衝撃作だった。

79年、反戦ミュージカル『ヘアー』を発表。
そして84年、モーツァルト毒殺説から材を得た劇曲を映画化した『アマデウス』で再びオスカーに輝く。
日本における『アマデウス』人気は米国以上とされており、2002年のディレクターズ・カット版上映も好評、自分は5回ほど観にいったが「5回とも」高島屋タイムズスクエアの映画館は満員御礼だった。
その人気を裏づける事象がもうひとつ。
フォアマン訃報のYahoo記事に、映画小僧が想像する以上のコメントが寄せられていたのだ。
それを時間の許すかぎり目を通してみたが、はっきりいってフォアマンへの言及は2~3割程度。
残りのすべてが、『アマデウス』に対する感想や賛辞だったのだ。
そうか、これほどまでに愛された映画だったのか。
ただ、この映画が様々な意味で「大き過ぎた」のは事実、なぜならそれ以降のフォアマン作品まで観たという『アマデウス』好きは、とても少なかったのだから。
96年、ポルノ雑誌『HUSTLER』創刊者の強烈な半生を描いた『ラリー・フリント』(トップ画像)を発表。
制作にオリバー・ストーンも絡んでいたからか、フォアマンのキャリアのなかでは最も政治的社会的に尖った作品となっている。
それが、
「戦争とポルノ、真にワイセツなのはどっちだ」
ということばだろう。
面白いのは、フォアマン自身はポルノを唾棄すべき表現と捉えていたこと。
フォアマンだけでなく、ラリー(ウディ・ハレルソンが熱演)を支える妻をチャーミングに演じたコートニー・ラヴもまた、扇情的に過ぎるポルノを嫌っていた。
ポルノ嫌いがふたりも参加して、ポルノ雑誌創刊者を描く。
そこで思い出すのは、「なぜ殴り合っているのか」と理解に苦しむボクシングの世界を「敢えて」描いたスコセッシのこと。
そういえば原一男も「最後まで理解出来ないひとだった」と奥崎謙三を評した。
深い理解があってそれを題材にする場合と、理解出来ないからこそ対象に迫ってみようという場合―映画監督の創作意欲は、大きく分けてふたつあるということなのだろうか。
尤も『ラリー・フリント』の狙いはもう少しシンプルなものだ、
ラリーの生きざまには共感出来ないが、戦争が認められてポルノが認められない世界はまちがっている、
ラリーには戦う権利がある、だから実際に戦ったんだ、、、と彼の勇気を称える映画なのだから。
99年、過激に過ぎて理解され難かったコメディアン、アンディ・カウフマンを描いた『マン・オン・ザ・ムーン』を発表。
2006年、歴史劇『宮廷画家ゴヤは見た』を発表、これが遺作となった。
そうか10年以上、新作がなかったのかと気づく。
必ずしも全作品に共通したことではないが、「極端な方向に走る」キャラクターを描くのが得意なのだろう。
主人公が社会と分かり合えたりすることは、ない。
ただ真の理解者が、ひとりだけ存在する。
マクマーフィーには、チーフが。
ラリーには、アルシアが。
アンディには、リンが。
そして皮肉なことだが・・・
モーツァルトの真の理解者は、サリエリだったのである。
ミロシュ・フォアマン、死去。
享年86歳、合掌。
※『カッコーの巣の上で』より、ロボトミー手術のシーン
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明日のコラムは・・・
『すっかり現代人じゃ』