Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(5)

2012-06-25 00:15:00 | コラム
がーるずむー「びー」→「ひー」ろーえいが(ヒーロー映画)

ヒーロー(英雄)より、アンチヒーローを好むという自分の嗜好・体質は、性格が曲がり? 始めた中学生のころに出来上がったか。
それまでは、ほかの少年少女と同じく、完全無欠のスーパーヒーローが好きだったのだと思う。
とはいっても、最も好きな仮面ライダーは「ストロンガー」なのだけれども。

ひとついえるのは、『タクシードライバー』(76)や『キャリー』(76)が好きという「70年代症候群」のひとは、大抵がアンチヒーローを好む傾向にあるということ。


ヒーロー映画の歴史については、イマサラ自分が説明するまでもないのではないかと。
ただ近年の特徴は、「完全無欠」ではなく「闇」や「穴」のあるキャラクターこそ支持される―というもので、だからこそ今夏上陸の『ダークナイト ライジング』(=トップ画像。ただこのシリーズの一大特徴として、悪役こそ注目されるというのがある)の期待値が高いのだろう。

最初から強いのは確かに格好いいのかもしれないけれど、感情移入はし難い。
強いが孤独なバットマンや、恋がうまくいかないスパイダーマン、『キック・アス』(2010)や『ゼブラーマン』(2003)も変種で、これを現代社会の反映と結ぶことも出来そうだが、そんなエラソーな視点で論じるのは柄ではないか。

そんなわけだから。
ここでは、ちょっとふつうではないヒーロー映画をいくつか挙げてみたい。

たとえば世紀の愚作と評される『カブキマン』(90)は、どうか。
B・C級映画を量産していたトロマ社がギャガやナムコの協力を得て制作された日米合作映画だが、とにかくキャラクター造形がひどい・・・と思ったら、
このデザインを創造したのは、批評家の江戸木純だった。

下手な日本語で「カブキマン、参上~!」というこのキャラクターの武器は、割り箸や下駄。
国辱モノという批判もあったが、このユルさは90年代の風潮に合っていた、、、のかもしれない。

スーパーマンの「いとこ」という設定で「なんとなく」制作してしまった珍品が、『スーパーガール』(84)。
きのうのコラムではないが・・・
ミニスカートというコスチュームだったことから「パンチラ」を期待したものだが、うまいこと? 見えなかった。

そんなつもりはなかったのに変身させられた、してしまった―という意味での王様は『ロボコップ』(87)だろうが、
事故により誕生した『ダークマン』(90)も忘れてはいけない。

80年代ホラー映画の裏テーマのひとつが「人種差別」だったというのは有名な話だが、
ミュータント(突然変異体)がヒーローになる最近の映画も、そんな背景があるのかもしれない。彼ら彼女らは、大抵が差別されているし。
差別されず陽気に戦っていた亀さんたち(=いまとなっては、なぜヒットしたのか分からない『ミュータント・タートルズ』(90)のこと)が、懐かしい。

時代で論じるなど柄ではない―といったものの、上に挙げた作品たちは80~90年制作のものばかりで、これは自分がその時代のことをよく知っている、、、というだけでは説明がつかないかもしれない。

ユルくて陽気なヒーローの時代は終わり、ヒーローさえ傷ついている深刻な空気が漂う―それが現代ということか。


いずれにせよ「設定」と「キャラクター」、それと「デザイン」が重要で、
自分もヒーローを創作してみたいという気持ちはあるが、なかなか思いつかない。

ただアンチヒーローを愛すると公言しておいて、いま夢中になっているのは陽気な週末ヒロインたち(=ももクロね)なわけで、この一貫性のなさに我ながら呆れているのであった。






あすのしりとりは、
ひーろーえい「が」→「か」にばりずむ(カニバリズム)。

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punch、、、ららら~♪

2012-06-24 01:00:00 | コラム
30~31歳のころ、私服保安員(万引きGメン)をやっていたことは何度も記している。

忙しい店長の代わりに「保安」を任されているわけで、事案は窃盗だけとは限らない。
たとえば品物を壊したりするデストロイヤー系? の犯行を確認することもするし、
近年とくに多いのは、盗撮の取り締まりである。

淫靡さはなく、むしろ健康的なイメージを抱く「パンチラ」だが、それを「こっそり」「なんとなく」見るのは「ぎりぎりセーフ」かもしれない、しかし撮ってしまうのは弁解のしようがない犯罪だろう。

盗撮が特殊なものではなく一般的な犯罪として拡大したのはもちろん、携帯電話/デジカメの普及による。

テクニシャンであればメール打つ振りをして撮影することも可能で、彼ら(100%「男のみ」と断定しても問題なかろう)を現行犯逮捕するのは、なかなかに難儀である。
窃盗よりも恥ずかしい行為であることは確かで、素直に捕まってくれるヤツは居ないし。
つまり「それなりの抵抗」を覚悟して声をかけなければならず、第一声と見た目により「オメーより強いんだ、正しいんだ」ということを印象づける必要がある、ゆえに自分は帽子を目深に被って「ヘラヘラした目」を隠し、無精髭を生やしていたのだった。(辞めるまでに7人の盗撮犯を捕まえたが、なぜか? 辞めてからも5人ほど捕まえちゃっている。イケメンくんも居て、「なんで? 不自由しないでしょ?」などと思ったものだった)


そういえば盗聴の映画は山ほど(=コッポラの『カンバセーション』(73)、『トリコロール/赤の愛』(94)、傑作『善き人のためのソナタ』(2006))あるが、盗撮の映画は少ない。

映画小僧が真っ先に挙げるのは、怪作『愛のむきだし』(2009=トップ画像)だろう。

ネクラといえる性犯罪を素材に、純愛を描く―たいしたもんです、園監督は。


パンチラは好きだ。
大好き、といっていい。

もちろん撮ることはしないし、「どこかにパンチラはないですか~?」みたいな怪しい動きを見せることもしない。
しないが、チャンスとあれば「ごく自然に、見えちゃった」というミエミエな演技で視線を動かすことは多い。
見えたら得した気分になり、1日をハッピーに過ごせる。
見えなかったら欲求だけが残り、
帰宅後にAVを観るか、
ハニーは文句をいわないひとなので、台所に侵入? し、寝転んでパンチラを思う存分眺めたりする。

まぁ、社会的に許される範囲内のヘンタイということなんだろう。


そういえば先日の『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)で、
『ミニスカートの幾何学による、階段においてギリギリ安全なスカート丈の証明』
という阿呆な企画を、えらく真面目に取り上げていた。

科学者を自称するひとが、数式を用いて「この階段では、このくらいの長さであればパンチラは発生しない」ということを証明していくのである。

面白かった。

見えそうで見えない―そこにこそロマンがあると、科学者はいう。

確かにそうで、小林よしりんもかつて「そこに文化が介在しないと、男は不能になる」と名言を放っていた。

まもなく梅雨があけて、本格的な夏が始まる。

パンチラには男と女の攻防があるはずで、
女子が積極的になる世の中は歓迎だが、パンチラだけは「見ていいよ」ではなく「見ちゃダメ」という態度を取ってほしい、そうでなければ得した気分にもなり難い・・・と思うのだが、どのくらいの男子がこの意見に賛成してくれるのだろうか。





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初体験 リッジモント・ハイ(9)

2012-06-23 11:11:20 | コラム
映画史上で最高の恋文といえば、やはり『ピアノ・レッスン』(93)の「鍵盤に刻まれた愛のことば」だろう。

声を捨てた(=彼女は、聾唖とは自覚していない)エイダというキャラクターだからこそ突き刺さる、
「わたしのこころはあなたのもの」ということば、
これもらって振る男は、ろくなもんじゃないね。

まぁでも、それを見てしまった旦那の絶望と嫉妬といったらないけれど。
だからこそ、ピアノを弾くために必要な、ことばを記すために必要な「指」を「処刑」したわけで。

それにしても。
サム・ニールという俳優、どうしてこうも「不憫な夫役」が似合うのか。

それにしても。
ハーベイ・カイテルという俳優、どうしてこうも「上半身裸」が似合うのか。

それは関係ないか。

長文派の自分は、エイダのような、短いけれど決定的なことばは記さない。
本コラムのように、あーだこーだと脱線を繰り返すのが常だが、基本的には、斉藤和義っぽく? 「君を笑わせたい」とか、「君の姿を確認しただけで元気が出る」とか、もらってうれしいと思えるような恋文になるよう心がけている。

インパクトはないけれど、ちょっとチャーミング、、、みたいな。

これは恋文ではないが、『それから』の代助のように、
「僕の人生には、どうしてもあなたが必要だ」
なんてことばも、ほんとうは加えてみたいのだけれども。

小学生のころに好きになった石川陽子ちゃんには、3度ほど告白している。
1度目は確か小学校2年時、2度目は小学校4年時、そして3度目は高校1年時。

いずれも「ごめんなさい」だったのは哀しいが、優しい陽子ちゃんは「興味ない」とか「好きなひとが居る」とはいわなかった。
優等生らしく「勉強をいちばんに考えたいから」と、答えたのである。

3度目は、母校である第七小学校の校庭に呼び出して告白。
1度目はなんと、カセットテープに想いを録音しての告白。

2度目の告白が、恋文だった。

なんと書いたのかは、はっきりとは覚えていない。
ただ「いちど振られているけれど、やっぱり好きだ」みたいな内容だったことは、なんとなく覚えている。

便箋にして、3枚。
その便箋が「うちのタマ、知りませんか」
だったことが(懐かし過ぎて)泣かせるが、何度も何度も新聞チラシの裏に下書きをしたものだった。

いまでもそうだが・・・
完成した恋文を読み返し、よし! いける! と、根拠のまったくない自信を抱いていた。
「ダメモト」ではなく、なんとなくうまくいくと思っていたんだよね。とんだバカヤロウだ。

そういう意味では、文章を書くのが得意と自覚していなかったものの、
無意識的には自分の文章は巧いと思っていたわけだ。


そういえば。
何度も書いて何度も渡した恋文というものを、自分はもらったことがない。

断ってしまったけれど、そのひとに対して嫌悪は抱いていないとして・・・
そういう恋文って、どうしているのだろうか。

断ると同時に捨てるのか、
ある一定期間? だけは取っておくのか、
それとも、ずっと取っておくのだろうか。

いっぱいもらったことがあるという、モテモテのあなた・・・そこんとこ、ちょっと教えてちょうだいよ。





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初体験 リッジモント・ハイ(8)

2012-06-22 00:15:00 | コラム
久し振りの初体験シリーズは、自分らしく? 恋の話でいってみよう。
テーマは、初めての告白。

10年くらい前に付き合ったハニーに、
「モノカキなんでしょ? もっと歯の浮くことばをいってちょうだい」
と、ダメ出しを喰らったことがある。

メールや手紙のやりとりでは胸をキュンキュンさせてくれたのに、実際に会って話してみると、そういうことばのマジック? みたいなものを一切いわないから不満、、というのである。

いやいや、だからモノ「カキ」なわけで、気分はシラノだ、
文面では独創的な口説き文句を吐けたとしても、実際に会うと「君とやりたい」「エッチしないと死んでしまう」とか、ストレートな表現しか出来なくなってしまうのだった。

そんなわけで自分、会って直接・・・というケースもいくつかあるけれど、
手紙にして想いを伝える―つまり、恋文を渡すという告白スタイルを多用することのほうが多い。

勝率?

大体、5割くらい。
たぶん18人に告白した―と記憶するが、そのうち10人に恋文を出し、4人からOKをもらった、、、って、それじゃあ4割じゃん!

勝率はともかく、告白人数が多過ぎじゃね? と突っ込まれることもあるが、付き合った人数ならともかく、単に好いた人数だからね、べつに自慢にもならんし。
(ところで何股もしていることをウリにしている遠野なぎこという女優が居て、この子の話、面白くもなんともないんだが、どうにかならんのだろうか。笑いに転化出来ればいいのだが、そうでもないし、結局、本業でパッとしないからこの路線に・・・という戦略が見えてしまって、なんか痛々しいんですけれど)

ともかく。
この程度の勝率じゃ自分の文章が武器になっているかどうかも微妙ではあるが、もらってうれしい手紙を書くことが出来るという「根拠のない」自信だけはあったりする。

小説や映画のような創作であれば、自慰行為だとしても「ぎりぎりセーフ」だと思う。
しかし1対1の戦いにおいて、自分だけが気持ちよくなるセンズリではいけない。

その昔、バイト先の仲間Мくんが書いたという恋文を添削?? したことがあったのだが、
それはそれは、気色の悪いものだった。
赤ペン先生のように校正していったら便箋が真っ赤になり、ほとんど自分作の恋文になってしまった。
だから「君の場合は、直接いったほうがいいかも」と、恋の達人でもないクセして、エラソーにアドバイスをした・・・
のだが、Мくん、その校正版―つまり自分作―の恋文で告白、きっちり彼女をゲットしてやんの。


トップ画像は、80年代を代表する青春映画『恋しくて』(87)。
この映画で恋文は登場しないが、メアリー・スチュアート・マスターソンの片思いっぷりにやられてしまう隠れた名作なのである。
10~20代前半の自分は、この映画のメアリーのように、派手さも強引さも性的な自信もなく、持っているものといえば「文章力」だけだと思っていたのだが・・・

恋文による告白スタイルが好き―というのは、文章を書くのが得意であると自覚する「遥か以前」からのもので、初めての告白は小学校2年のころだったのだが、そのときも恋文だったのである。

相手は、もう旧姓だろうから石川陽子ちゃんと本名を記しておく。
女子版デキスギくんというか、モノスゴ頭のいい子で読書家だった。

つづく。


※この時代、青春映画といえばジョン・ヒューズ印だった




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さぁみんなで、舌を出して

2012-06-21 00:30:00 | コラム
基本的に消費主義の申し子? なので、金持ちというわけでもないのに純正ビールなんぞを呑んでいる。

昔は褒美として呑んでいたエビスを常飲するようになったし、
「切れ目なく」頒布会に申し込み、海外ビールまで味わう日々。
(現在は、『ベルギー/オランダ トラピスト・ビール味わい紀行6ヵ月』

懲りているから借金しないだけマシだろうが、少しは貯金しないと、、、と思いつつ、未だ出来ないでいる。
そのへんの自分の弱さを消費主義だとか「それが性」だとか、しまいには「経済回さないと、日本はダメになる」などといって、うまいこと? 自己正当化しているわけだが、
とくに後者、日本の経済云々をいう前に、自分をどうにかしろって話で。

それでも昨晩は、ベルギーのビールをちびちびやりながらボクシングのタイトルマッチを観戦していた。
テーブルの上には、採点表。
そう、飲酒しながらではあるが、自分、格闘技をテレビ観戦する際は、きまってラウンド毎の採点をするのである。
(それにしても・・・きのうのゲスト、辰吉の酩酊っぽい言動は「彼らしい」といえばそうかもしれないけれど、なにを聞かれても「分からん」では、不快になるひとも多かったんじゃないか。最後のほうなんか、実況も薬師寺にばかり話を振って、辰吉は無視していたものね)


さて。
自分の採点基準は公式ルールと同じで、打撃の的確さや防御の技術、それから積極性。
試合終了後に実際のジャッジとの差異を確認し、自分の見かたがプロのそれと比べてどうなのかを知る―そういうことを、10年くらいやっている。

10年もやっていればジャッジの目が育ってくるのではないか・・・そう思うかもしれないが、
ぴたりと当てる場合もあれば、まったく逆の結果になることも。
そのくらい、採点って難しい。

きのうの試合、予想していたものとまるで違った結果になった。
エリートの井岡と、雑草の八重樫―早いラウンドで、井岡がKOすると予想していた、、、のだが、八重樫が頑張る頑張る、
技巧的には井岡が数倍も上であることは誰の目にも明らかであったし、八重樫の顔の裂傷も酷い。
だが倒れない、その気迫に井岡がのまれることはなかったが、それでも結果的には敗北した八重樫のほうが印象に残る試合、、、だったかもしれない。

驚いたのは、ジャッジがいずれも僅差であったこと。
ここまで気迫やアグレッシブさがジャッジに反映された試合も、珍しいのではないか。

自分の採点では、7ポイント差で井岡の勝利。
しかしどのジャッジも、7ポイントまでの差をつけていなかった。

うーむ、これではプロにはなれないなと、なる気もないのに少し落ち込む。

自分を励ます? というイイワケを用意して開けたのは、発売されたばかりのストーンズ印の酒。

味そのものに新味はないが、形から入ったっていいじゃない、
還暦過ぎた永遠の不良たちの「かっけー」音楽を聴きながら酒を呑むと、自分の「ずれた」経済感覚も、ジャッジとしての能力の低さも、優しく許してあげたくなる。

いまごろ、井岡も八重樫も久し振りの酒を味わっているのだろうか。

いや、八重樫は病院直行かな。

だから八重樫のためにも、自分は気持ちよく酔わなければいけない。

なんだそりゃ。

つまりはあれだ、リングに上がれぬ自分にとって、リングに上がっているというだけで、ファイターたちは雲の上の存在なのだよ。





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