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◎2019年3月8日(金)
当日は10時までに来院して入院するようにとの指示があった。朝食抜きに気づいたのは当日の食べる直前だった。病院の「入院のごあんない」を念のために見てのこと。7時半に家を出る。車の流れの認識に甘さがあった。山に行くのと違って、時間的に遅い分、通勤の車が入り込み、県道太田大間々線を太田から抜け出すのに時間がかかり、一時的に大間々町内を通過する時にはスムーズだったのが、国道122号線に入ると、今度は大型に低速で引っ張られた。これでは10時までに病院に到着するのは厳しいと思ったが、大型は水沼の手前で沼田方面に逃げてくれた。これで安心とはならず、今度は低速の高齢者マークのプリウス。そのまま日光まで引きずられ、病院に到着したのは9時50分。考えてみれば、病院まで2時間半見込みはかかり過ぎで、むしろ中禅寺湖まで2時間半とみるべきだったが、これが幸いして間に合ったというところだ。
このままの状態で、明日、車に戻れるとは思えない。手術後のことだ。まっとうに歩けるわけがない。靴をぬいでサンダル履きにし、杖を一本持って病院に入る。
先ずは、入院の手続きをし、病室に連れて行かれ、手術衣に着替え。下着の着用は不可で紙オムツをあてがわられた。事前に下半身麻酔と医師から聞いていたので、まさかまた尿道カテーテルだろうかと心配していただけにほっとはした。半年前の手術の際には、立ち合いの看護師、手術衣で顔のすべては見えないが、少なくとも目の周囲からして三十代中半過ぎの二重瞼の美人さんだったが、この方にされるがままに尿道にカテーテルを入れられ、後になって何とも恥ずかしい思いにかられた。できれば、あの看護師さんにはもう会いたくないといった気分だった。
(スマホで撮った病室からの男体山)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/1e/afb752095c876290d96fa91b4899de6a.jpg)
手術は2時からとのことだったが、着替え後すぐに点滴が始まった。お茶か何か水分を摂りたいと言うとダメだと断られる。暖房にはなっているものの、着ているものが寒ければ、ドア開け放しの病室。薄い掛け布団だけでは鳥肌が立ってくる。窓からちらりと見える男体山は数日前の雨が山では雪だったのか、真っ白で、余計に寒くなる。
点滴の間、寝そべるだけでやることがない。持参したウォークマンは満タンに充電したつもりがかなり放電していて、これは痛くて寝られないかもしれない夜の部に使うことにする。ラジオを取り出すと、NHK第一ですら電波を拾わない。仕方なく読書となったが、持参した本は裏表紙のあらすじ書きほどにおもしろくもなく、結局は放り出す。千円カードを買ってまでテレビに執着はない。一泊だけだからまぁいいか。
1時半、帽子をかぶって手術室に移動。手術室には点滴台を持ったまま歩き、手術台には自力で寝そべった。もうこの先はまな板の鯉だ。スタッフは執刀医の院長先生以外に二人。その中に件の二重美人がいた。恥ずかしさのあまり赤面しているのがわかる。むろん自分のこと。
事前に抜釘手術の様子はネットで調べていて、それが頭にあった。麻酔が効かずに痛かった。ゴリゴリと音が聞こえた。ボルトが全摘されずに骨に残ってしまった。術後の吐き気がつらかった。出血がひどかった…。おぞましいシーンが多かった。我が身にも起こる可能性ありだろう。
全身に管を巻かれて背骨の付け根に麻酔を2本打たれる。痛かった。5分も経たずに下半身が熱くなってしびれ、感覚がなくなってきた。先生に「触っているのがわかります?」と聞かれ、「まったくわかりません」と答えて、「じゃ、始めましょう」となった。目の前は短いカーテンで仕切られ、手術の光景は見えない。見えていたらたまらないが、脇のステンレスの壁に鯉になった自分が映っている。どうしても見たくもないものが目に入る。そのうちに赤いものが流れているのも見えるだろう。どうにかして欲しいなと願っていたところに、先生に「250にして」と言われた二重美人が計器を運んできてステンレスをふさいでくれた。この計器、何なのかは知らないが、手術中、ずっと250前後の数値を示していた。今回、酸素吸入はない。
先ずは外側のプレート外し。何をやっているのかわからない。ゴリゴリ音はしないし、慌てふためいている様子もない。ただ静か。音楽が欲しいくらいだ。そういえば、直前に、先生に「眠りますか、起きていますか?」と聞かれ、「起きています」と答えたが、眠ると言ったら、睡眠剤でも打たれたのだろうか。
執刀されてから20分ほど経過。「外側、きれいに外れました。今度は内側のボルトを外します」。外側の傷口は8センチほどあるが、3センチの傷入れで外したらしい。ちなみに、内側のボルト2本は1センチほどの傷入れ(傷口は4センチほど)で済んだ。
術中に真横に二重美人が立った。やけに真っ白でモチモチの二の腕が気になり、ずっとそこにいて欲しいなと思ったが、すぐに移動して視界から消えた。
「終わりました」。「残置のボルトはありますか?」。「いや、全部、きれいに取れましたよ」。ついでに「出血はかなりあったでしょう」と聞くと、「10ccくらいのものですよ」。かなりの名医に思った。ネットのおぞましいシーンはなかった。吐き気もない。
手術室に入ってから出るまでの間はほぼ一時間ちょい。執刀時間は30~40分ほどのものだったろうか。ベッドに移動。身体の持ち上げに二重美人が苦労しているようなので、上半身だけは意のままだし、よいこらしょっと腹筋を使ってずれてやった。今度は掛け布団の下に電気毛布がはさんであった。温みに納まってほっとした。
(お土産のチタン類。上2本の長いネジは内側の踝に入っていた。長い方は全長2.5cm。タバコを吸わない方には比較のしようもないが、プレートの長さは11cm。何だそんなものか、オレの場合はもっと長かったと思われる方もいるでしょう。だから半年で抜釘できたのかもしれません。ちなみにチタンですから全体の重さは18g。しかし、気分的にはかなり重かった)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/61/330be75c2b366e94057ed707846c2c95.jpg)
先生からお土産を渡された。チタンのプレート1枚とネジ13本。半年間、自分の足首に入っていた異物だ。これもまたネットの掲載写真の定番で、自分もまたネタもないし出すことにしよう。最近、自分のとある記事に「そんなのオフレコでしょう」なんてコメントを入れられたことがあった。政治家、タレントでもあるまい。<off the record>は勝手気ままなブログには筋違いの概念だ。まして公序良俗に反したことは、やったとしても記してもいない。
手術室から出ると、院内看護師さんにベッドが渡り、そのまま病室に直行。先生に麻酔切れは4時間後と言われていたので、痛みの到来は7時頃からだろう。下半身はただ暖かいだけで感覚はない。しばらくはこの居心地の良さを楽しみたい。ノドが乾いた。水はダメとのことで、先生の助言で氷を一つだけ口に入れてもらった。唇を濡らすだけで十分だった。
何もせず、うつらうつらしていた。次第に足のしびれを感じてきた。右足を動かすと、指先を動かしているのがわかるようになった。そろそろ痛みが来るなと思ったら、やはり7時に痛み出した。
たいした痛みでもなかったが、断続的に訪れる。半年前の痛みには比べようもない軽いものだが、これで明日の退院というのは大丈夫なのだろうか気になる。一時間おきに血圧やら体温を測りに来る看護師さんに痛み止めを所望した。経験上、坐薬の効き目が良いのでそれにして欲しかったが、点滴が追加されただけだった。これを3回は入れたか。
8時を過ぎると当直の男性看護師さんになった。ウォークマンを聞きながら寝入っていると起こされる。電気を消しても、ドアは開けたままなので光が入り込んで寝られない。10時を過ぎると、もう看護師さんは様子見だけで起こされはしなかったが、気配で起きてしまう。まどろみの繰り返しで、気づいた時は朝の5時。もういいやと、カーテンを開け、電気をつけて放り出した読書を再開する。一泊二日とはいっても長い夜明けだ。痛みはそのまま。痛みで寝られなかったということではなく、ただの環境違い、自分の状況を考えれば、ぐっすり寝られるほどに図太くはない。
7時を過ぎると、また男性看護師さんが血圧を測りにやってきた。まだ夜勤は明けていないようだ。高血圧気味なので昨日からずっと気にしていたが、至って平常。昨日から何も食べていない。点滴のおかげで空腹感はないが、せめて水分が欲しい。
7時半に朝食が出た。貧粗とまでは言わないが、それに近い質素なものだ。ようやく水も飲めるようになってほっとしたが、点滴チューブのままでは食べた気がしない。オニイチャンに外してもらった。
さて、いただきますかと構えたら箸がない。そういえば、箸は持参だったな。手づかみで食べるわけにもいかず、苦肉の策で、歯ブラシの柄を箸代わりにした。棒で食べているのと同じで、茶碗にこびりついたラストの飯粒が拾えない。もったいないが仕方がない。
点滴を取ったので普段着に着替えてイスに座った。そういえば、昨日は紙オムツの付け方がわからず、マジックテープをどこにどう付ければいいのか試行錯誤して、結局、ネエチャン看護師に付けてもらった。この年になれば、尿道カテーテル以外の恥じらいはない。付けたフリをして人前で下に落ちて恥をかくよりはまだいい。
いつでも退院スタンバイ状態になっているところで、ネエチャン看護師さんに交代。そして8時半の外来診察開始前に先生が来て、ベッドに横になる。足に固定されていたギプスのようなものは取られ、両踝が絆創膏の状態になった。足首を動かせと言われて、足指を動かし、足平を前後左右、上下に動かした。もう大丈夫ですよと言われたが、坐薬の痛み止めだけはこの先のことを考えれば欲しい。先生にお願いし、退院の時に渡すと言われる。
気になることを先生に三つ聞く。「抜糸は前回のように地元の医院でやればいいんですか?」。「今回は抜糸は必要ないですよ。そのままでいいです」。「この絆創膏はいつまでですか?」。「一週間ほどそのままにしてください。風呂はシャワーだけだけど、お湯が少し絆創膏にかかっても気にしなくていいです」。「骨にボルト13個分の穴が開いていますけど…」。「一か月もすれば自然にふさがりますよ」。
まぁ先生の言うことだからと納得はしたが、今は杖をついて歩くしかない。これがまたしんどい。先生の立場からすれば、もう骨折患者ではないのだから、改めて診るべきものはないというところだろう。
しばらく、窓から男体山を眺めていた。気ままに読書をしてウォークマン。9時半過ぎに病院事務の女性がやって来て請求書を渡された。金額は傷害保険の診断書作成料込みで46,000円。オムツ代の請求はない。もちろん三割負担での金額。10万円もってきていたが半分余った。最初の手術の時は診断書込みで115,000円だった。これこそオフレコか(笑)。どうでもいいことだが、転院した先の地元の整形外科では、診断書代に7,000円もとられた。開業医はそんなものだろう。
これを先ずは受付に支払って、その証明を受けてからでないと痛み止めの坐薬はナースステーションからもらえない。三階と一階を往復した。これが杖付きでしんどい。受付に「お迎えは?」と問われ、苦笑いして自分一人ですよと答えると、怪訝な顔をされた。普通はそういうものだろう。うちはそうではない。半年前の時は妻が迎えに来てもくれたし、毎日、はるばる見舞いに来た。自業自得のことだし、自分から迎えには来なくていいと言い含めてある。なお、今回の入院に関わった障害保険の受取人は妻であって、こちらは微々たる金額しかもらえない。その妻だが、足首に金属が入っているうちに公的な証明書をもらっておくようにと言ったじゃないのと後でなじられた。障害者扱いではないが、飛行機に乗る際に証明書を示せば、同行のファミリーも何かと優遇されるらしい。そんな旅行ははなからあり得ないから、頭にも残っていなかった。次回はそうしますからということで納得していただいた。
車に戻って、サンルーフを開けて24時間ぶりの一服。頭と身体がクラクラッと気を失った感じになった。落ち着いてから帰路に就いたが、そろそろタバコもおさらばにした方がいいだろうか。
家に着いたのは1時前。早速、缶チューを痛み止めと称して飲んでしまった。1本で済むわけはない。坐薬を入れて昼寝をしたら、ぐっすり一時間半で目覚めてすっきり。犬の散歩に出かけたが、杖付きで、動き回る犬の散歩はさすがにつらい。まして犬のウンチも拾う。戻ったら、別の犬から散歩の催促があった。
風呂も一週間は左足を防水袋に入れてのシャワーになる。ネットの体験談には、感染症を恐れて温泉にも行かなかったというのがあったが、そこまで神経質になることはあるまい。傷口がふさがれば問題はないだろう。
手持ちの睡眠剤の効果もあってか、その日はぐっすりと眠り、いつものように犬の散歩。つまり今日のこと。歩き方はどうにもぎこちなくビコタンだが、杖に頼る度合いは減り、なくとも歩ける。午前中は天気もよいので自分の掃除洗濯、布団干しもしてベランダにモップもかけた。
明日は普通に出勤だが、事前に、抜釘手術でしばらくは杖突きだと伝えてあるから、人の目のあるところでは杖突きにしておこう。
骨折で紅葉と雪山はあきらめてはいたが、何とかツツジには間に合いそうでほっとしている。
P.S. 男体山ブログに、高木からのコメントで「ココヘリ」なるサービスを紹介された。具体的なサービス内容が自分の歩きにマッチしているかよくはわからないが、自分の入っている山岳保険経由だと入会金無料で、年会費は3,650円とのことで申し込んでみたら、こんなのが届いた。足尾の山奥で通じるかは試してみないとわからないが、レスキュー隊に救助された立場としては、一応の一年間の気休めだ。こんなのでヘリを呼ぶような不測の事態になってはたまらないし、「試してみないと」というのもまたおかしな話ではある。おそらくはGB連の山歩きを対象にした商売と思っている。詳しく知りたい方は「ココヘリ」で検索してくださいな。決してお薦めするわけではありません。
(ココヘリのパッケージ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/8b/1b8219d78fc916088553ef5db5ad44e8.jpg)
(ココヘリ本体)
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当日は10時までに来院して入院するようにとの指示があった。朝食抜きに気づいたのは当日の食べる直前だった。病院の「入院のごあんない」を念のために見てのこと。7時半に家を出る。車の流れの認識に甘さがあった。山に行くのと違って、時間的に遅い分、通勤の車が入り込み、県道太田大間々線を太田から抜け出すのに時間がかかり、一時的に大間々町内を通過する時にはスムーズだったのが、国道122号線に入ると、今度は大型に低速で引っ張られた。これでは10時までに病院に到着するのは厳しいと思ったが、大型は水沼の手前で沼田方面に逃げてくれた。これで安心とはならず、今度は低速の高齢者マークのプリウス。そのまま日光まで引きずられ、病院に到着したのは9時50分。考えてみれば、病院まで2時間半見込みはかかり過ぎで、むしろ中禅寺湖まで2時間半とみるべきだったが、これが幸いして間に合ったというところだ。
このままの状態で、明日、車に戻れるとは思えない。手術後のことだ。まっとうに歩けるわけがない。靴をぬいでサンダル履きにし、杖を一本持って病院に入る。
先ずは、入院の手続きをし、病室に連れて行かれ、手術衣に着替え。下着の着用は不可で紙オムツをあてがわられた。事前に下半身麻酔と医師から聞いていたので、まさかまた尿道カテーテルだろうかと心配していただけにほっとはした。半年前の手術の際には、立ち合いの看護師、手術衣で顔のすべては見えないが、少なくとも目の周囲からして三十代中半過ぎの二重瞼の美人さんだったが、この方にされるがままに尿道にカテーテルを入れられ、後になって何とも恥ずかしい思いにかられた。できれば、あの看護師さんにはもう会いたくないといった気分だった。
(スマホで撮った病室からの男体山)
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手術は2時からとのことだったが、着替え後すぐに点滴が始まった。お茶か何か水分を摂りたいと言うとダメだと断られる。暖房にはなっているものの、着ているものが寒ければ、ドア開け放しの病室。薄い掛け布団だけでは鳥肌が立ってくる。窓からちらりと見える男体山は数日前の雨が山では雪だったのか、真っ白で、余計に寒くなる。
点滴の間、寝そべるだけでやることがない。持参したウォークマンは満タンに充電したつもりがかなり放電していて、これは痛くて寝られないかもしれない夜の部に使うことにする。ラジオを取り出すと、NHK第一ですら電波を拾わない。仕方なく読書となったが、持参した本は裏表紙のあらすじ書きほどにおもしろくもなく、結局は放り出す。千円カードを買ってまでテレビに執着はない。一泊だけだからまぁいいか。
1時半、帽子をかぶって手術室に移動。手術室には点滴台を持ったまま歩き、手術台には自力で寝そべった。もうこの先はまな板の鯉だ。スタッフは執刀医の院長先生以外に二人。その中に件の二重美人がいた。恥ずかしさのあまり赤面しているのがわかる。むろん自分のこと。
事前に抜釘手術の様子はネットで調べていて、それが頭にあった。麻酔が効かずに痛かった。ゴリゴリと音が聞こえた。ボルトが全摘されずに骨に残ってしまった。術後の吐き気がつらかった。出血がひどかった…。おぞましいシーンが多かった。我が身にも起こる可能性ありだろう。
全身に管を巻かれて背骨の付け根に麻酔を2本打たれる。痛かった。5分も経たずに下半身が熱くなってしびれ、感覚がなくなってきた。先生に「触っているのがわかります?」と聞かれ、「まったくわかりません」と答えて、「じゃ、始めましょう」となった。目の前は短いカーテンで仕切られ、手術の光景は見えない。見えていたらたまらないが、脇のステンレスの壁に鯉になった自分が映っている。どうしても見たくもないものが目に入る。そのうちに赤いものが流れているのも見えるだろう。どうにかして欲しいなと願っていたところに、先生に「250にして」と言われた二重美人が計器を運んできてステンレスをふさいでくれた。この計器、何なのかは知らないが、手術中、ずっと250前後の数値を示していた。今回、酸素吸入はない。
先ずは外側のプレート外し。何をやっているのかわからない。ゴリゴリ音はしないし、慌てふためいている様子もない。ただ静か。音楽が欲しいくらいだ。そういえば、直前に、先生に「眠りますか、起きていますか?」と聞かれ、「起きています」と答えたが、眠ると言ったら、睡眠剤でも打たれたのだろうか。
執刀されてから20分ほど経過。「外側、きれいに外れました。今度は内側のボルトを外します」。外側の傷口は8センチほどあるが、3センチの傷入れで外したらしい。ちなみに、内側のボルト2本は1センチほどの傷入れ(傷口は4センチほど)で済んだ。
術中に真横に二重美人が立った。やけに真っ白でモチモチの二の腕が気になり、ずっとそこにいて欲しいなと思ったが、すぐに移動して視界から消えた。
「終わりました」。「残置のボルトはありますか?」。「いや、全部、きれいに取れましたよ」。ついでに「出血はかなりあったでしょう」と聞くと、「10ccくらいのものですよ」。かなりの名医に思った。ネットのおぞましいシーンはなかった。吐き気もない。
手術室に入ってから出るまでの間はほぼ一時間ちょい。執刀時間は30~40分ほどのものだったろうか。ベッドに移動。身体の持ち上げに二重美人が苦労しているようなので、上半身だけは意のままだし、よいこらしょっと腹筋を使ってずれてやった。今度は掛け布団の下に電気毛布がはさんであった。温みに納まってほっとした。
(お土産のチタン類。上2本の長いネジは内側の踝に入っていた。長い方は全長2.5cm。タバコを吸わない方には比較のしようもないが、プレートの長さは11cm。何だそんなものか、オレの場合はもっと長かったと思われる方もいるでしょう。だから半年で抜釘できたのかもしれません。ちなみにチタンですから全体の重さは18g。しかし、気分的にはかなり重かった)
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先生からお土産を渡された。チタンのプレート1枚とネジ13本。半年間、自分の足首に入っていた異物だ。これもまたネットの掲載写真の定番で、自分もまたネタもないし出すことにしよう。最近、自分のとある記事に「そんなのオフレコでしょう」なんてコメントを入れられたことがあった。政治家、タレントでもあるまい。<off the record>は勝手気ままなブログには筋違いの概念だ。まして公序良俗に反したことは、やったとしても記してもいない。
手術室から出ると、院内看護師さんにベッドが渡り、そのまま病室に直行。先生に麻酔切れは4時間後と言われていたので、痛みの到来は7時頃からだろう。下半身はただ暖かいだけで感覚はない。しばらくはこの居心地の良さを楽しみたい。ノドが乾いた。水はダメとのことで、先生の助言で氷を一つだけ口に入れてもらった。唇を濡らすだけで十分だった。
何もせず、うつらうつらしていた。次第に足のしびれを感じてきた。右足を動かすと、指先を動かしているのがわかるようになった。そろそろ痛みが来るなと思ったら、やはり7時に痛み出した。
たいした痛みでもなかったが、断続的に訪れる。半年前の痛みには比べようもない軽いものだが、これで明日の退院というのは大丈夫なのだろうか気になる。一時間おきに血圧やら体温を測りに来る看護師さんに痛み止めを所望した。経験上、坐薬の効き目が良いのでそれにして欲しかったが、点滴が追加されただけだった。これを3回は入れたか。
8時を過ぎると当直の男性看護師さんになった。ウォークマンを聞きながら寝入っていると起こされる。電気を消しても、ドアは開けたままなので光が入り込んで寝られない。10時を過ぎると、もう看護師さんは様子見だけで起こされはしなかったが、気配で起きてしまう。まどろみの繰り返しで、気づいた時は朝の5時。もういいやと、カーテンを開け、電気をつけて放り出した読書を再開する。一泊二日とはいっても長い夜明けだ。痛みはそのまま。痛みで寝られなかったということではなく、ただの環境違い、自分の状況を考えれば、ぐっすり寝られるほどに図太くはない。
7時を過ぎると、また男性看護師さんが血圧を測りにやってきた。まだ夜勤は明けていないようだ。高血圧気味なので昨日からずっと気にしていたが、至って平常。昨日から何も食べていない。点滴のおかげで空腹感はないが、せめて水分が欲しい。
7時半に朝食が出た。貧粗とまでは言わないが、それに近い質素なものだ。ようやく水も飲めるようになってほっとしたが、点滴チューブのままでは食べた気がしない。オニイチャンに外してもらった。
さて、いただきますかと構えたら箸がない。そういえば、箸は持参だったな。手づかみで食べるわけにもいかず、苦肉の策で、歯ブラシの柄を箸代わりにした。棒で食べているのと同じで、茶碗にこびりついたラストの飯粒が拾えない。もったいないが仕方がない。
点滴を取ったので普段着に着替えてイスに座った。そういえば、昨日は紙オムツの付け方がわからず、マジックテープをどこにどう付ければいいのか試行錯誤して、結局、ネエチャン看護師に付けてもらった。この年になれば、尿道カテーテル以外の恥じらいはない。付けたフリをして人前で下に落ちて恥をかくよりはまだいい。
いつでも退院スタンバイ状態になっているところで、ネエチャン看護師さんに交代。そして8時半の外来診察開始前に先生が来て、ベッドに横になる。足に固定されていたギプスのようなものは取られ、両踝が絆創膏の状態になった。足首を動かせと言われて、足指を動かし、足平を前後左右、上下に動かした。もう大丈夫ですよと言われたが、坐薬の痛み止めだけはこの先のことを考えれば欲しい。先生にお願いし、退院の時に渡すと言われる。
気になることを先生に三つ聞く。「抜糸は前回のように地元の医院でやればいいんですか?」。「今回は抜糸は必要ないですよ。そのままでいいです」。「この絆創膏はいつまでですか?」。「一週間ほどそのままにしてください。風呂はシャワーだけだけど、お湯が少し絆創膏にかかっても気にしなくていいです」。「骨にボルト13個分の穴が開いていますけど…」。「一か月もすれば自然にふさがりますよ」。
まぁ先生の言うことだからと納得はしたが、今は杖をついて歩くしかない。これがまたしんどい。先生の立場からすれば、もう骨折患者ではないのだから、改めて診るべきものはないというところだろう。
しばらく、窓から男体山を眺めていた。気ままに読書をしてウォークマン。9時半過ぎに病院事務の女性がやって来て請求書を渡された。金額は傷害保険の診断書作成料込みで46,000円。オムツ代の請求はない。もちろん三割負担での金額。10万円もってきていたが半分余った。最初の手術の時は診断書込みで115,000円だった。これこそオフレコか(笑)。どうでもいいことだが、転院した先の地元の整形外科では、診断書代に7,000円もとられた。開業医はそんなものだろう。
これを先ずは受付に支払って、その証明を受けてからでないと痛み止めの坐薬はナースステーションからもらえない。三階と一階を往復した。これが杖付きでしんどい。受付に「お迎えは?」と問われ、苦笑いして自分一人ですよと答えると、怪訝な顔をされた。普通はそういうものだろう。うちはそうではない。半年前の時は妻が迎えに来てもくれたし、毎日、はるばる見舞いに来た。自業自得のことだし、自分から迎えには来なくていいと言い含めてある。なお、今回の入院に関わった障害保険の受取人は妻であって、こちらは微々たる金額しかもらえない。その妻だが、足首に金属が入っているうちに公的な証明書をもらっておくようにと言ったじゃないのと後でなじられた。障害者扱いではないが、飛行機に乗る際に証明書を示せば、同行のファミリーも何かと優遇されるらしい。そんな旅行ははなからあり得ないから、頭にも残っていなかった。次回はそうしますからということで納得していただいた。
車に戻って、サンルーフを開けて24時間ぶりの一服。頭と身体がクラクラッと気を失った感じになった。落ち着いてから帰路に就いたが、そろそろタバコもおさらばにした方がいいだろうか。
家に着いたのは1時前。早速、缶チューを痛み止めと称して飲んでしまった。1本で済むわけはない。坐薬を入れて昼寝をしたら、ぐっすり一時間半で目覚めてすっきり。犬の散歩に出かけたが、杖付きで、動き回る犬の散歩はさすがにつらい。まして犬のウンチも拾う。戻ったら、別の犬から散歩の催促があった。
風呂も一週間は左足を防水袋に入れてのシャワーになる。ネットの体験談には、感染症を恐れて温泉にも行かなかったというのがあったが、そこまで神経質になることはあるまい。傷口がふさがれば問題はないだろう。
手持ちの睡眠剤の効果もあってか、その日はぐっすりと眠り、いつものように犬の散歩。つまり今日のこと。歩き方はどうにもぎこちなくビコタンだが、杖に頼る度合いは減り、なくとも歩ける。午前中は天気もよいので自分の掃除洗濯、布団干しもしてベランダにモップもかけた。
明日は普通に出勤だが、事前に、抜釘手術でしばらくは杖突きだと伝えてあるから、人の目のあるところでは杖突きにしておこう。
骨折で紅葉と雪山はあきらめてはいたが、何とかツツジには間に合いそうでほっとしている。
P.S. 男体山ブログに、高木からのコメントで「ココヘリ」なるサービスを紹介された。具体的なサービス内容が自分の歩きにマッチしているかよくはわからないが、自分の入っている山岳保険経由だと入会金無料で、年会費は3,650円とのことで申し込んでみたら、こんなのが届いた。足尾の山奥で通じるかは試してみないとわからないが、レスキュー隊に救助された立場としては、一応の一年間の気休めだ。こんなのでヘリを呼ぶような不測の事態になってはたまらないし、「試してみないと」というのもまたおかしな話ではある。おそらくはGB連の山歩きを対象にした商売と思っている。詳しく知りたい方は「ココヘリ」で検索してくださいな。決してお薦めするわけではありません。
(ココヘリのパッケージ)
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(ココヘリ本体)
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何か勘違いしてやしないか。ココヘリはともかく、チタンのプレートはもう外してないんだよ。後はココヘリだけが頼りだ。
せっかくの紹介だし、つい物欲で入会してしまったけど、このココヘリのやっかいにはなりたくないね。
とりあえず、手術終了お疲れ様でした。5月頃復帰できるようですね。ツツジには間に合う様で何よりです。
骨折王の自分は先週、中指を折りました。(泣)
ありがとうございます。そして、RRさんにはお見舞いを申し上げます(笑)。
今朝方まではまだ軽い痛みがあって、もどかしい歩きになっていましたが、仕事に熱を入れずにさぼって車の中で寝ていたりしたら、午後には足が軽くなって、痛みもなくなりました。早速、週末にはどこかにと思っておりますが、まずは軽い復帰運動でしょう。
しかし、足に金属が入っているかいないかでかなり気分が違うものですね。喉元過ぎれば何とやらにならないように常に注意をしておかないと。
骨折王のRRさんに比べたら、まだまだ修行が足りないレベルですが、さりとて王様を目指すつもりもありませんよ。
RRさん、中指とは手でしょうね。岩場つかみに力を入れられないじゃないですか。お大事になさってください。
これで、一応の区切りにはなりましたよ。足に異物をいれたままで回復を願ったところでたかが知れている。どうしても歩行に無理もでるし、特に下降やら下りはきつかった。医師から、「もう骨折じゃないんだから、治療するものはないよ」と言われてほっとしましたね。
後は、13個の穴ぼこが徐々にふさがるようにリハビリ歩きに励むだけですよ。
チタンプレートもあることだし、まぁ、お守り代わりといったところでしょう(笑)。
今回の雪山は雪が少なかったようですね。それはそれで良かったといった思いはありますが、ラッセルの一度や二度はしてみたかった。いまさら出かけても、もうズボズボの雪になっているでしょう。ある意味、呈の良い理由ができた感じです。
ツツジは昨年は当たり年のようで、今年はどうなんですかね。まぁ、探し求める歩きができるだけでもほっとはしています。
それはともかくとして、どうも仙人ヶ岳から見えるヒダヒダが気になっていましてね…。先ずはといったところなのですが、あれだけヒダもあれば、何回目かにツツジの時季にヒットできればと思っています。
これこそ、今の時点ではオフレコでその先は言わないようにしておきます。
なにはともわれ、御快癒おめでとうございます。
二重の美人さんとのお別れが、少々セツナクも感じられますが、致し方の無い事で。
取り敢えずはツツジに照準を合わされているようで、今後のご活躍を期待しております。
まぁ,多少のリハビリは必要でしょうが,此れでようやく,本来の軽快なお歩きに戻れるといったところでしょうか。
ココヘリも,一応は知っていましたが,実際に試してみないと救援されるか分からないし,かといって,ヘリを呼ぶような事態はゴメンだし,中々にジレンマですネ。
ところで,足尾のRRさん,中指の骨折とは。
クライミングで,一番酷使するのは中指だから,治るまで大変だと思いますヨ。
今後のご活躍と言われましてもねぇ。今まで通りの歩きで、さっぱり活躍なんてものではないでしょう。活躍とは短絡的に申せば、難所を格好よくスマートにといったところになるでしょうが、ほど遠いですね。元のようにドタバタ歩きに徹するといったところですよ。
ツツジに合わせてというか、間に合ってほっとはしておりますが、ツツジ見ながらの鼻息やらヨダレは毎年のことじゃないでしょう。去年良ければ今年はどんなのですかね。それが気になっています。
二重の美人看護師、間近にもち肌の二の腕を拝めただけでラッキーとも言えます。それ以上は望めませんよ。何せ、こちらは何とも見せたくもないものを見られている立場ですから。