たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

今度は唐沢山側から前回の続きをやったが、里山の暑さは相変わらずたまらなかった。真夏の時季ならどういうことになるのだろう。

2024年06月08日 | 近所の栃木県の山
◎2024年6月5日(水)

唐沢山ポケットパーク(9:16)……唐沢山神社(9:50)……高鳥屋(10:25)……大櫃鳥屋(10:48)……椿山(10:59)……柃山(11:08)……貝吹鳥屋(11:13)……唐沢山神社(12:05)……鏡岩ハイキングコース入口(12:10)……権現堂(12:29)……飯守山(12:36)……岡崎山(12:46)……ハイキングコース出口(12:59)……ポケットパーク(13:08)

 一週間前の前回は、大慈寺から諏訪岳を経て、唐沢山に向かいながらも貝吹鳥屋でUターンして村檜神社に下った。唐沢山まで行けずに根性なしと言われればそれまでだが、オレにとって暑さは天敵。風のない中、まして体力ガタ落ちでは上出来ともいえる。だが、気分的にこれで終わりというわけにはいかない。今日もまた暑くなるのは承知の上で、今度は反対側から唐沢山経由で貝吹鳥屋まで行ってみることにした。そうすれば、形の上では、唐沢山と諏訪岳間の小ピーク歩きはつながる。実は、17年前に、全部ではないが、小ピークをいくつか登りながら往復したとメモにあったが、記憶はまったくない。余談ながら「鳥屋」の付くピーク名が多いのは何なのだろう。狩り場だったということなのだろうか。
 問題は貝吹鳥屋からの帰りの復路をどう歩くかだ。地図を見て魅力を感じたのは椿山から南に下り、163.9m三角点を通る市境尾根だが、これでは駐車地に戻る車道歩きが長くなるようだし、手頃な逃げ場になりそうな尾根もなく、民家の見える土壇場で窮することになりそうだ。となれば、唐沢山から南西に下る尾根を使い、途中から適当に駐車地までということになろうか。その辺は気分次第だ。

(唐沢山ポケットパーク)


(あの案内図をしっかり見ていれば、下ったコースに入るまで、いろいろ思案することはなかった。普通のハイキングコースだった)


(露垂根神社)


 唐沢山ポケットパークにはすでに2台の車があり、1台は準備中。二人連れ。ダブルスタートになるのは嫌だなと、時間つぶしで、先日のこともあるからとトイレに入ったが、その気配はまったくなし。こういう時に限って、先で突然の訪れがあったりする。トイレを出ると、お二人がちょうど出発するところだったので、パーキングと隣り合わせの露垂根(つゆしね)神社でまた時間をつぶす。由来板を見る。こういうのはどこでも由緒あるように記されているものだ。藤原秀郷が唐沢山上に建て、その後に佐野氏が現在の地に移転。建屋を移動することはないだろう。あくまでも神坐を変えただけのことと思う。露垂根神社の名称は明治に入ってからの命名だそうな。読んでいるところで、二人の姿が見えなくなったので出発。追いつかないようにゆっくり。相手は年寄りだからと甘く見ていたが、とんでもない。この先で普通歩きに戻っても二人を見かけることはなかった。敢えて車道を歩かない限り、唐沢山神社までのコースは一本だ。ゆっくり歩いても、いつもなら視界に入るし、致し方なく追い越しもする。今回はそれがなかった。

(歩きやすかった)


(あちらを帰路で下ることになる)


(いろんなコース選択ができるようだ)


(「堀」というくらいだから、すでに唐沢山城の一角なのだろう)


(城址の石垣が現れる)


 歩きやすい道だ。傾斜もかなり緩い。階段もある。ベンチもある。展望はチラリだけ。尾根道分岐もあったが、初めての道だし、そのまま行った。それでも汗はかく。日陰の涼しげな雰囲気なのに風はない。何度か顔の汗を拭いた。そのうちに、石垣が見えてきた。神社というよりも城郭跡のようだ。城好きな方には嘲笑されるかもしれないが、知らぬ立場で敢えて記すが、元より山頂には唐沢山城があって、廃城跡に唐沢山神社が置かれたのは明治になってからとのこと。この点は、太田の新田神社と同じだ。祀られている神は、前者が藤原秀郷で、後者は新田義貞の違いだけだ。城主もまた、由良氏、佐野氏ともに、他の北関東の武将同様に、武田氏がちょっかいを出しながらも、後北条氏と謙信に翻弄され、付いたり離れたり、攻められたりしている。挙句の果ては家康に改易だ。これが史実でなかったとしたら、無知を恥じるしかない。

(唐沢山神社へ)


(アジサイとは酔狂な)


(本殿が見えてくる)


(唐沢山神社。この神社、奥行きがあった)


 平日ゆえだろう。神社境内で見かけた人は数人。上まで車で乗り付けて来た方たちだと思う。ハイカースタイルではない。ここで、唐沢山神社を見物しておきたいが、ここに来るまでの間に、帰路はここから南西に下る尾根と決めてしまったので、まずは目的の小ピークの踏破を済ませてから、どうせ神社に戻ることだし、見物はその時にゆっくりでいいだろうと、半ば素通りの形で北に向かう。

(神社の裏に出たかったが無理)


(ここが山頂ということだろう)


(一旦、神社から出て裏に回る)


(解説板を読んでもよくわからなかったが、長門丸と局曲輪を結ぶ虎口跡とか)


(これは堀跡でしょうと素人は思う。それ以上の知識はない)


(この先、どうやってふれあい道に出るのか。地図を見たとてわからない)


(ジイちゃんに教えてもらった。目を周囲に回すだけでよかったのだが)


 神社の裏手に回って行くと、神社というよりも城址としての雰囲気が濃くなる。何気なくこちらに来たが、とにかくふれあい道を探さないといけない。広場にはキャンプ場に向かう標識はある。そちらではないようだ。そこでジイちゃんが二人、雑談をしていた。散歩仲間だろうか。地図を見ていると、二人は別れ、一人のジイちゃんはキャンプ場の方に向かい、もう一人は神社に戻るところだった。そのジイちゃんに諏訪岳に向かう道はどこにあるのかと聞いた。指さす方向にはしっかりとふれあい道の標識があった。ここからジイちゃんとの話が長くなる。この辺に精通されているのだろう。最後は「どこから来たの?」と「クマを見た人がいるらしいから注意して」だった。

(ふれあい道。ここだけなぜか狭かった)


(「松風の道」とあるが、風通しは悪かった)


(宮標石)


(道も広くなった)


 ふれあい道を歩く。この辺は農工大の演習林らしく、いろんな道が合流したり離れたりするが、ふれあい道の標識だけはしっかりしている。別名「松風の道」の看板もあった。宮標石を見かける。

(高鳥屋の取り付き)


(結構、急だった)


(左を登るジイちゃん)


 15分ほど歩くと、290.4m三角点のある高鳥屋に続く尾根への取り付きに着いた。ふれあい道は我関せずの如くまっすぐに延びている。尾根への標識はない。見上げるとかなり急で長そうだ。後ろに人の気配を感じた。キャンプ場に向かった方のジイちゃんだった。まさか、こんなところは登るまいと思っていたが、そのまさかだった。それぞれにてんでに歩いたから、左右に分かれたが、合流地点で一緒になると会話も生まれる。地元の方で、週に二回は唐沢山あたりを散歩がてらに歩いているとのこと。歩き方からして普通のジイちゃんじゃないなと思ってはいた。彼は彼でオレが登っているのを見て、「好きな人もいるものだ」と思っていたそうだ。このジイちゃんにも「どこから来たの?」と聞かれた。この辺の年配者は郷土意識が強いようだ。

(高鳥屋到着)


(唯一の地理院三角点。二等。諏訪岳は四等だから、格はこちらが上か)


(山名板)


(山神様)


(西側だけは開けていた)


 ジイちゃんに数歩遅れて山頂に到着。ジイちゃんは荷物を置いて北の方に行って、ほどなく戻って来た。その時は小用だろうと思っていた。地理に詳しそうだったので、地図を出してこう歩くつもりだと言うと、歩き方を丁寧に説明してくれた。ここからてっきり、北側に下るものと思い込んでいたのは間違いで、北東の先に見える鉄塔のあるピークを指差し、あちらに向かわなければならないとのこと。このアドバイスがなかったら、前回2回やらかしたミスを繰り返すことになっていたに違いない。ジイちゃんはここで引き返すらしい。「この先に神社があるよ」とのことで、行ってみた。さっき、ジイちゃんが小用だと思った方には山神さんの石祠があった。ジイちゃんはお参りに来たようだ。山頂に戻ると、ジイちゃんはもう下っていたが、ふれあい道に出ると、オレが下って来るのを待っていた。

(ご親切にありがとうございました)


 ジイちゃんは、ご親切にも、地面にストック先で分岐する道の線を引きながら、ここはこっち、あっちに行くと戻ることになる等々の説明をしてくれたが、椿山からの市境尾根のことを聞くと、知ってはいるが、歩いたことはないとのこと。一連の歩き方説明をしてくれたことには感謝したが、心許ないハイカーに見られたのだろうか。それはしかりかもしれない。丁寧にお礼を言って別れた。

(休憩所に寄ってみるか)


(ベンチがあって)


(無線局の鉄塔)


(大櫃鳥屋だった)


 左手に「休憩所0.1km」の標識が見えたので行ってみる。階段を登ると唐沢山無線基地局の鉄塔があり、ベンチもあった。さっき見えた鉄塔よりも随分と近い感じがしたが、ここには山名板があり、大櫃鳥屋だった。展望が良いわけでもない。元より、小ピーク群歩きに、何かの期待を持って歩いたわけではないので、がっかりといった気持ちにはならない。
 下ってふれあい道。京路戸峠まで1.3kmの標識があった。それくらいなら行ってもいいかとチラリと思ったが、先日通ったばかりだし、まったく面白みのない峠だったので、わざわざ足を延ばすこともあるまい。貝吹鳥屋までで結構。

(気づかずに通り過ぎ、引き返してここから登る)


(ピーク)


(椿山だった)


(市境尾根。ということは、椿山までは佐野市で、この先は栃木市ということになる)


 そのままふれあい道を行くと、あれっ、右手が小高くなっている。ピークを外してしまったようだ。そういえば、ジイちゃんが気づかないで通り過ぎてしまいそうなところだと言っていたような気がする。戻ると、上に向かう踏み跡がある。登ると椿山だった。山名板だけの小高い丘のようなピーク。ここで忘れてはいない市境尾根の確認をする。南東側にちょっと行ってみた。先は予想つかないが、下山口から覗く限りはしっかりした踏み跡とテープが下っている。興味はあるが、おそらくは歩くことはないだろう。ただ、結果として、帰りによく探索しておくつもりでいた唐沢山城、神社がそうにはならなかったので、また来ることがあったら、その時は歩いてみるのもよいかもしれない。それも暑くない、大汗をかかない時季に。紅葉がきれいなところなら、その際にでも。

(次のピークに向けて下る)


(そして登る)


(柃山だった)


 次は柃山。椿山との区分けがつかないほどの風景の似たピーク。この「柃」の字が読めなかった。山名板にはカタカナで「ヒサカキ」と読めそうなルビがふってある。帰ってから調べると、「リョウ、レイ、ひさかき」とあった。「サカキ科の常緑低木」と記されてもピンとはこない。

(貝吹鳥屋へ)


(山頂)


(一週間前に見ているのに探し回った)


(ふれあい道に戻る)


 いよいよラスト。貝吹鳥屋。前回の反対側から登る形になるが、こちらの方が楽だった。今日の最後のピークとしてはあっけなく着いてしまった。むしろ、先日はたいして迷わずに見つけた山名板を探すのに今回は手間取った。写真を撮っただけで、何の感慨もなく反対側に下ってふれあい道。これで、つまらなさそうで些細な目的は達成だ。

(ひたすらふれあい道で戻る。別にオレはふれあい道に対して嫌悪感はないが、ここのふれあい道はあまり面白みがない)


(撮るものもなかった)


 前回と違って、少しは風があるものの、暑いことに変わりはなく、手拭い一本は汗しぼりで、予備の一本にすでに替えていた。身体もそろそろバテ気味で、ついでに諏訪岳にでも登ろうものなら、唐沢山に戻れるか怪しいところだ。
 脇目も振らずにふれあい道を唐沢山に戻る。起伏も少ない単調な歩きだからか、えらく長く感じる。ふれあいの道を歩いている限り、風はまったく通らない。

(ここから唐沢山神社へ)


(本来なら、これを見て神社見物をしたろうに、パノラマ台ハイキングコースなるのものが目に入ったばかりに、そちらに向かってしまった。今度来る時はこれを刷り出して探索してみよう。新田神社に比べてスポットがたくさんありそうだ。何しろ、関東一の山城と誉れが高い城だったらしいし)


(神橋)


(大炊の井。往時はこの水を飲料としたのだろうが…とても)


(途中まで登ってやめた)


 唐沢山に到着。ジイちゃんに、南西側の尾根を下るなら、神社に近づいたらこうしてああしての道を歩くようにとアドバイスをされていたが、それは神社をかすめるものだった。こちらは神社を探索するつもりでいるから、かすめ道の途中から神社に入り込もうとした。観光客も多くなっていた。大型バスが3台入っていたことは後で知った。それはともかく、そこで見かけたのが<唐沢山城跡案内図>の看板。じっと見ていると、左端に「パノラマ台ハイキングコース」というのがあった。もしかすると、これが下ろうとしている南西尾根のことだろうか。ただ、バリルートかと思っていたコースが、このハイキングコースと同じなのかはわからない。結局、神社で見たのは神橋、大炊の井、龍神宮、くい違い虎口だけだった。それも眺めた程度。天狗岩というのもあって、岩を前にして登りかけたが、さらに汗をかきそうなので、すぐに戻った。

(なぜか<鏡岩ハイキングコース>になっている)


(まずは足腰の神様へ)


(足尾山神社。ということは、ここは足尾山という山なのか)


(あんたも足腰が悪いの?)


(唯一見かけたアジサイ。日向のアジサイもいいが、オレには濡れそぼりの方が好みで、傘を差しながら眺め歩きたい)


(バリコースどころか周回コースだったんじゃないの)


 「鏡岩ハイキングコース」の標識があった。どうもこれが「パノラマ台ハイキングコース」とイコールらしい。標識に合わせて行くと、すぐに<足と腰の神様 足尾山神社>。ご挨拶だけはしておく。ここで寝そべったネコを見かける。唐沢山神社は猫神社とも言われているらしい。その先にあったのがハイキングコースのイラスト看板。なんだ、バリコースどころかやはりハイキングコースじゃないの。まぁ、ほっとはした。落胆はしなかった。以前ならがっかりしていた。

(鏡岩らしい。登っていないから断定はできない。その先に鏡岩があるのかも)


(ハイキングコースだけあって整備されている)


(大岩の展望地)


(岩船山と筑波山)


(こちらは三毳山。近くだったんだ)


(御料局三角点標石)


 鏡岩を通過。謙信撤退の口実になったこの岩も登ってみたい気にはならない。ほどなく、上に踏み跡が続く分岐を見て登ると、大岩のある展望地。筑波山と岩船山が見えた。ここは弱いながらも風があって心地は良い。ただ、風は生ぬるい。下る途中で御料局三角点を見かけた。

(こんな具合に、ピーク外れの歩きはなぜか<初心者コース>という名称になっている)


(権現堂の山名板。いきなり声をかけられたので動転し、ピーク写真はない)


(その代わりといってはなんだが、ここからの展望)


 この先、何度か初心者コースと山頂コースに分岐しては合流する。ずっと山頂コースを選んで下った。権現堂到着。右手から休んでいる単独氏に声をかけられた。びっくりした。「コンニチワ。アイテイマスヨ」と聞こえた。ベンチがあったから、そのベンチが空いているということなのか。よくわからない。そこがイラスト看板に記された「見晴小屋」だろうか。小屋どころか東屋らしいものはない。人がいるのではわざわざ覗きに行くのもためらわれる。振り向いて「こんにちは。ありがとうございます」と返事をしただけ。権現堂そのものも、台座らしきものが残っているだけで、意識のし過ぎだろうが、様子見されているようで何となく落ち着かず、写真も撮らずにそそくさと下った。だれもいなければ、もしくは大勢のハイカーでもいたら、うろついて、景色も楽しんだ。今回は、これが心残りだった。
 下ると、来た方向に向けて「見晴小屋」、左からは「初心者コース」の標識。やはり、権現堂には見晴小屋があったと思われる。

(また宮標石)


(御料局三角点標石も複数で見るのも珍しい)


(飯守山)


 宮標石をまた見た。このエリアは宮標石が多く、御料地三角点もあるから、戦前は皇室の御料林があったのだろう。唐沢山周辺に東京農工大の演習林があることを考えれば、確かにそうなのかもしれない。
 再び御料局三角点を見て飯守山。イラストマップでは「飯盛山」になっていた。「守」と「盛」では意味が全然違うと思うが。展望はなく通りすがりの小ピークだ。ここで後ろから声をかけられてまた驚いた。頑丈そうな女性だった。女性はスマホで写真だけ撮ってさっさと先に下って行った。

(ここは岡崎山らしい。これで今回のピークはラストになる)


 ここもふれあい道と同じで、山頂コースを歩くと、初心者コースにぶつかる。次の分岐を登るとまたもピーク。さっきの女性がいた。「何かありますか?」と聞くと、「何も」との返事。山頂を撮って、さっさと戻って行った。先に下るのではなく戻った。どういう歩き方をしているのだろう。他人様のことはどうでもいい。ここは「岡崎山」のようだ。狭い山頂をあちこち探したが、岡崎山の山名板は見つけられなかった。

(第2駐車場かと思う。奥が広くなっている)


(反対側に行く)


 そろそろフィニッシュに近づいている。下ると、初心者コースに合流し、ほどなく車道が見えた。車道に出ると、エンジンをかけたままの車が右手にあったから、そこが第2駐車場かと思われる、展望が良さげに見えたが、人の乗った車があるのではと、足を左手に向けた。左手も駐車場らしいが、この先、どう行けばいいのか。とりあえず広場に行くと、標識はないながらも、左の切れ目に下り道が続いていた。

(ここを下る。たいして歩きはしない)


(ほどなく終点に着いた)


(露垂根神社まで600m)


(ただの石かと思ったら庚申塔群だった)


(唐沢山と思ったが、そうじゃないのかも。もしくは飯守山かな)


(露垂根神社の鳥居を見て)


(帰着)


 木漏れ日の小径を下って行くと里の風景が現れた。さて、ここからどうやって戻るのだろう。迷うことはなかった。露垂根神社までの道標が案内してくれた。いくら里山歩きとはいえ、やはり、里の方が暑い。風はまったくない。起伏のない道を歩いて行くと、露垂根神社の鳥居が見えて駐車場に到着。自分と二人連れの車が残っていた。余計なことだが、今回は、気をもむ便意の訪れはなかった。去年、二回続きというのがあって気にはなったが、クセやら体質といったものではないようで、少しは安心した。一応、汗もかいたことだし、シャワートイレではなかったが、出口だけは拭って清めておいた。
 地元の方らしいオジさんがやって来て、これから上に行くのかと聞いてきた。いや、今戻って来たから、帰るところですと答えると、これからバスが唐沢山神社から下って来るので規制しているとのこと。神社に上がる道は細いのだろう。露垂根神社の日陰でおにぎりを食べていると、大型バスが3台下って行った。

(小野小町の墓)


(墓石。石仏の年代を見ると元禄とあった)


 せっかくここまで来たからと、先日、見損じていた小野小町の墓を見に行ってから帰路に就いた。気温はどんどん上がっている。車は軽だし、あまりエアコンは使いたくなかったが、さすがに我慢できずエアコンを入れた。

 車を運転しながら、次は里山ではない涼し気な山、つまりは標高の高い山にしようと思ったが、翌日になってから、これまでと違って、山に登る気力そのものが薄れつつあるのか、具体的にどこそこの山に行きたいとか思わなくなっていた。いつもなら涼を求めて歩く沢もしかり。これも暑さのせいなのか。山歩きにもそろそろ飽きてきたのか。まだまだ先の話だが、それでいて、今年の紅葉見物はどの山にしようかなどといろいろ調べたりしている。

(今回の歩き)

この地図は電子地形図25000(国土地理院)を加工して使用しています(令和元年手続改正により申請適用外)


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