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◎2016年1月3日(日)
小川町総合運動場(7:41)……四津山……永昌寺……旧鎌倉街道跡……運動場駐車場(9:44)
今年も他人様のマネ歩きで始まる。ここのところ自分に定着している歩きスタイルだ。まったく気にもならない。
HIDEJIさんとぶなじろうさんが、暮れに埼玉・小川町にある「四津山」なる山を歩かれていた。記事を拝見すると、この時期にぴったりの、のどかでいい雰囲気の中のお歩きだった。大半は車道歩きのようだが、典型的な里山である以上、これは致し方ない。ただ、お二方の場合は城址めぐりの一環のお歩きであって、こちらはハイキングメインだ。
年明け早々に歩くつもりでいたが、考えてみれば、山頂に神社もあるようだし、地元の初詣の方々で混んではいまいかと、一旦はほとぼりがさめてから行くことにしたのだが、結果的に、今朝起きたら、気も変わり、さっさと行ってみることにした次第。正月休みも今日までだ。
ちなみに、山頂の四津山神社だが、初詣に押しかけるような神社ではなく、正月というのに人気もなくひっそりした神社であった。余計な危惧をしていたものだ。
ところで、今回のコース、小川町役場で発行した<健康長寿ウォーキングマップ>の「(14)四津山神社・四ツ山城跡コース」としておさめられている。歩く立場からしてみれば、「健康長寿」を外していただきたいところだが、傍から見れば、決して違和感もなく、その雰囲気にすっかり溶け込んだウォーカーに映るだろうから、気恥ずかしく思えるのは、ただの意識過剰なだけのことだろう。
(運動場から四津山。左。山頂に長い棒のようなものが見える。気になった)
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(傍らの石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7d/b28bc037fb40c290052eed1ecfe573d8.jpg)
自宅から小川町の総合運動場までは40分もかからなかった。駐車場を探すのに往生したが、駐車場にとめている車は一台もなかった。運動場から正面に四津山がすでに見えている。
車も走っていない車道をしばらく歩く。道端には御嶽大神だの御嶽山三十三夜と記された石碑が2基ほどある。四津山神社を示す道標を見て車道から離れる。舗装道は続いている。後ろから早足の散歩の方が近づいてくる。これは抜かれるなと思っていると、近所の方なのだろうか、ぶらぶらしていたオジサンにつかまって、散歩は中断となってしまったようだ。風もなく日向に出ると暖かい。つい、正月の雰囲気といった感じになってしまう。
(<健康長寿ウォーキングマップ>には「桜並木」とあった)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/af/1572dcbd78b74a6b73d5492ac0d6425c.jpg)
(近づく)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d0/e15f75a5e343c33c5f89eb747091158a.jpg)
道はカーブし、神社の境内に入った。そろそろお出ましかと期待した。期待したのはイヌ。来ない、吠えない、姿がない、まだかよ…。結局、おイヌ様を見ずに鳥居前に出てしまった。何だ、今日の楽しみが一つなくなったじゃないか。朝の8時前後ではまだ日向ぼっこの時間ではないのか。手なずけようと思っていただけにがっかりした。
(入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e8/4e8723918635ece2df8a1e9992a17ae6.jpg)
(鳥居)
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(中腹の広場。「四津山公園」とあった)
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(不動明王像)
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鳥居から先を見上げると、ご年配の方がゆっくりと歩いている。このままでは追い越しそうだ。無理して、左に見えたトイレに入って時間つぶしをする。
左手に「犬走り跡」という道標があり、先に踏み跡が続いていた。何も知らないから、帰路はそちらから下って来ればいいのだろうと思った。むしろ、そちらから登れば、ジイ様を追い越すこともないのではと思ったが、やはり、往路は正面からが正当だろう。
結局、ジイ様に山の中腹で追いついた。不動明王の石像が祀られ、大黒天の石碑があった。「若いのは早いねぇ」と言われた。「もう息が上がっていますよ」と返したが、やはり、ここは健康長寿コースかもなと思ってしまった。
(ちょっとばかりきついが短い)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/76/15da1bb8c13a653c3f473990d0ab1132.jpg)
(山頂に到着)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e4/c3001d7137f65bb22fc92ddceb4d0bd3.jpg)
(下から棒に見えていたのはこの樹だった)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/52/f1b0af14350869ced2175cc567f6780f.jpg)
(四津山神社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b4/d94763b18199136361cb25bae1964091.jpg)
(笠山、堂平山が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/56/53e6c80e87a8d1ca10cf45caa38a1450.jpg)
さらに続いた階段を登って、山頂の神社にあっさりと着いた。四津山登山はあっけなかった。しかし、鼻歌まじりの楽勝はここまでだった。
だれもいない山頂でしばらくうろついた。神社にお参りもしたし、比企丘陵の山も眺めた。ジイ様はなかなか上がってこない。あのジイ様の講釈を聞いてもいいかなと思っていた。どう見ても地元の方だ。
(城址めぐり)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/cb/146c48e85087dbfe88cdb4482fb6e072.jpg)
ジイ様が来ないのでは仕方ない。せっかくだから城跡見物に切りかえる。城址にそれほどの趣味と知識があるわけではないが、標識や解説板を見れば、城址の構造は別にして、だれが築城し、その後だれが入城し、いつ退城したのかと記された史実はなるほどとうなずける程度の歴史認識はある。ただ、そうすんなりと理解できているわけではなく、足利と上杉の対立、上杉の内紛、後北条の台頭、上杉の関東からの敗退、武田のちょっかい、そして、最後は秀吉による支配といった一連の勢力図の変遷の中で、地元の有力な武士団や地侍、守護やら守護代があっちについたりこっちについたりと翻弄されるといった、自分が単純につくり出した構図の世界で納得しているだけのことであって、それ以上のものは何もない(荒っぽい私見なら失礼)。
ここの高見城址、自分が比較する城址といったら太田の金山城か勢多東の五覧田城でしかないが、それに比べると規模の小さな山城のようだ。往時の砦風の城といったらこんなものだろう。順路に合わせて堀切跡、本廓跡、二の廓跡、三の廓跡と見る。いずれ、さっき見かけた「犬走り跡」が出てくると思っていた。
(まずは下ってみた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/d3/e08ca45668c1e8fe114190510e8b3cee.jpg)
(踏み跡は次第に消え、ヤブめいてくる)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/53/1a2de07d76f9b5322c30c31be890d8d5.jpg)
(とうとうヤブに突入となった)
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この四津山だが、さらに北西に尾根が続いていて、その先、どういうことになっているのか気になってもいた。破線路もある。犬走り跡の標識は出てこないが、そのまま尾根伝いに下ってみることにする。
かろうじて踏み跡はあったが、急斜面で落葉がやたらと滑る。今日はズック靴を履いているのでなおさらだ。樹にしがみついて薄くなった踏み跡を追った。やがて尾根筋が右手上に見え、尾根から離れてしまったことを知る。とうとう、踏み跡は消えた。
傾斜が緩くなった。踏み跡らしいものがまた出てくる。この時点でも、やがては犬走り跡に通じるだろうと思っている。踏み跡はすぐに消え、猛烈なヤブになった。主体はスズタケ。ここのスズタケは枯れることもなく現役だ。山の斜面をトラバース気味に下っている。ヤブへの抵抗で、もう犬走り跡は頭から飛んでいる。
(これで逃げられたと思ったが、真下にはジャンプも危うい溝に水が流れていた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/e2/58724fc2546c5240db58f1d1c1002266.jpg)
人家の屋根が見えた。ようやく抜け出せると思いながらも、このまま庭先に出てしまうのもまずいだろうと、ちょっと先に行って田畑に出ようとしたら、幅1m程の堰が真下を横切っていた。これは無理。飛び越せない。助走をつけようにも、ヤブの斜面からではどうにもならない。まして急いている時は確実に失敗する。
(落ち着いたところでタヌキが逃げて行った)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/73/70537ac973697c2c6b0ef1add6834fc6.jpg)
(ようやく抜け出すことができた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/cf/e4a1f4cc89db41557c766e76bb50dc95.jpg)
また、ヤブに戻った。ヤブはさらにきつくなった。やたらと顔に跳ね返り、メガネまで持って行かれた。メガネ探しに手間取る。ようやく、ヤブの少ない平らなところに出た。タヌキが驚いて駆け上がって行った。HIDEJIさんの見たのんびりタヌキとは違うようだ。
踏み跡をまた見つけた。またダマされようか。従う。崩壊したところを越えると、ため池の渕に出た。堰はここで終わっていた。堰を回って、歩道に下った。
あ~ぁ、しんどかった。全身、ササ葉のクズだらけになっていた。頭を叩くとやたらと葉っぱの粉が落ち、ズックの中は土だらけ。靴下は茶色になっている。里山恐るべしとはこのことか。周囲の田んぼや畑が下に見えていたので、さすがに悲壮感はなかったが、考えてみれば、今回に限らず、余計なことをやって余計な思いをするなんてのは自分の十八番かも知れない。今年も続きそうだ。
後でGPS軌跡を確認すると、何ということもない歩きだった。尾根に戻って北西にちょっと行くか、戻らずに先に行って着地すればよかっただけのこと。
手ごろな石に腰かけてタバコを一本吹かす。前をランニングの青年がかけて行った。
(再び舗装道歩き)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/77/1f640a0f6db4a59b7182e59afd164546.jpg)
(永昌寺が近づくと、石仏と石碑が置かれていた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/93/79542eb245e1d586da6601892068815b.jpg)
(永昌寺の大松碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/8f/70b56ee5b8c017f2725f52f6a4182e99.jpg)
気を取り直して歩き出す。ボーっとして歩いていたため、神社入口をそのまま通過してしまった。予定では、引き続き永昌寺の大松を見に行くつもりで、入口から反対側に抜けるはずだったが、地図を見る限りはこのままでも行けそうだ。
田園風景の中の歩きとはいっても、道路の左右には人家が続き、外に出てキャッチボールをしたり、洗濯物を干している方、犬の散歩をする方もあちこちにいる。正直のところ、この雰囲気は歩きづらい。
永昌寺が見えてきた。その手前に古木があった。名物の大松だろうかと思ったが、どうみても桜だ。寺の前まで行った。それらしき樹もなければ、案内板もない。だまされたような感じで戻ると、道標があった。「永昌寺大松跡」とある。それに従うと、ちょっとした空地に石碑と石仏があるだけだった。どうやら大松そのものはすでにないということのようだ。がっかりだ。HIDEJIさんの記事をよく読んでおけばよかった。イヌとタヌキだけを気にしていた。
このまま運動場に戻ろうと思ったが、「旧鎌倉街道跡」の道標があったので、そちらに行ってみた。鎌倉街道に至っては、城址並みに知識もないが、「旧」が付くのと付かないのとではどこが違うのだろう。ニュアンスとして、今はない鎌倉街道以前にあった旧鎌倉街道といった感じだが。
(旧鎌倉街道跡入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/2d/f1bcfd6f965110041249b9fba388ea46.jpg)
(旧鎌倉街道跡。ここは「上道ルート」だそうだが、自分に知識はない)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/3c/c34ef96cfb96254720db57476c6ed317.jpg)
入口にはマツダの青いポーターが打ち捨てられていた。一時期この車に乗っていた。解説板を後で読むと、ここの試掘調査は昭和57年と記されていたので、おそらく、それ以前からの存在だろう。
街道跡は、林の中の作業道のようなものだった。区間は短い。ここがそうだと言われなければ気づきもしないだろう。少なくとも、歴史に触れたといった感じはどうも薄い。
HIDEJIさんではないが、ここを歩いていて、脇のヤブから確かにガサゴソと音がした。タヌキのような気もするし、キジかもしれない。以前、同じ体験をした時はキジが慌てて逃げて行った。ここに何かが棲みついているのは確かだろう。
林を抜けると解説板があった。街道跡を見つけた方もえらいと思うが、細かいことで恐縮だが、「旧」の疑問はどうも解決しそうにない。
※この件、さほど深く考えるほどのことでもないようだ。通称「鎌倉街道」と呼ばれる道が現在でもあり、それと区分けするために「旧鎌倉街道」としただけの話のようだ。
(畦道を通って運動場に戻る)
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そのまま車道歩きで運動場に向かった。今日は風もなく暖かい。この風景では凧揚げもありかなと思ったが、何もない正月の風景だ。田んぼのあぜ道を通って、運動場に上がる。
さて、まだ2時間歩きだ。予定では、ここからそのまま歩けそうな、例の<健康長寿ウォーキングマップ>の「(15)八和田神社コース」か、場所を移して「(9)慈眼寺コース」でも歩き、少々ジジむさいが、パトリア小川で風呂に入るのも手かなと思っていた。
まずは、お腹も空いたことだし、コンビニで買ってきたタヌキそばにポットの湯を注いで食べる。あまりおいしくない。無理矢理に押し込んだ。そのうちに、この先はもういいやという気分になってしまった。2コースともに、そんなに積極的に歩きたいわけでもなかった。年明け早々だ。このままちょい歩きの済ませでいいだろう。
(本日の軌跡)
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
小川町総合運動場(7:41)……四津山……永昌寺……旧鎌倉街道跡……運動場駐車場(9:44)
今年も他人様のマネ歩きで始まる。ここのところ自分に定着している歩きスタイルだ。まったく気にもならない。
HIDEJIさんとぶなじろうさんが、暮れに埼玉・小川町にある「四津山」なる山を歩かれていた。記事を拝見すると、この時期にぴったりの、のどかでいい雰囲気の中のお歩きだった。大半は車道歩きのようだが、典型的な里山である以上、これは致し方ない。ただ、お二方の場合は城址めぐりの一環のお歩きであって、こちらはハイキングメインだ。
年明け早々に歩くつもりでいたが、考えてみれば、山頂に神社もあるようだし、地元の初詣の方々で混んではいまいかと、一旦はほとぼりがさめてから行くことにしたのだが、結果的に、今朝起きたら、気も変わり、さっさと行ってみることにした次第。正月休みも今日までだ。
ちなみに、山頂の四津山神社だが、初詣に押しかけるような神社ではなく、正月というのに人気もなくひっそりした神社であった。余計な危惧をしていたものだ。
ところで、今回のコース、小川町役場で発行した<健康長寿ウォーキングマップ>の「(14)四津山神社・四ツ山城跡コース」としておさめられている。歩く立場からしてみれば、「健康長寿」を外していただきたいところだが、傍から見れば、決して違和感もなく、その雰囲気にすっかり溶け込んだウォーカーに映るだろうから、気恥ずかしく思えるのは、ただの意識過剰なだけのことだろう。
(運動場から四津山。左。山頂に長い棒のようなものが見える。気になった)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/6b/9daf863cbf9b92f0596cd17018546568.jpg)
(傍らの石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7d/b28bc037fb40c290052eed1ecfe573d8.jpg)
自宅から小川町の総合運動場までは40分もかからなかった。駐車場を探すのに往生したが、駐車場にとめている車は一台もなかった。運動場から正面に四津山がすでに見えている。
車も走っていない車道をしばらく歩く。道端には御嶽大神だの御嶽山三十三夜と記された石碑が2基ほどある。四津山神社を示す道標を見て車道から離れる。舗装道は続いている。後ろから早足の散歩の方が近づいてくる。これは抜かれるなと思っていると、近所の方なのだろうか、ぶらぶらしていたオジサンにつかまって、散歩は中断となってしまったようだ。風もなく日向に出ると暖かい。つい、正月の雰囲気といった感じになってしまう。
(<健康長寿ウォーキングマップ>には「桜並木」とあった)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/af/1572dcbd78b74a6b73d5492ac0d6425c.jpg)
(近づく)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d0/e15f75a5e343c33c5f89eb747091158a.jpg)
道はカーブし、神社の境内に入った。そろそろお出ましかと期待した。期待したのはイヌ。来ない、吠えない、姿がない、まだかよ…。結局、おイヌ様を見ずに鳥居前に出てしまった。何だ、今日の楽しみが一つなくなったじゃないか。朝の8時前後ではまだ日向ぼっこの時間ではないのか。手なずけようと思っていただけにがっかりした。
(入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e8/4e8723918635ece2df8a1e9992a17ae6.jpg)
(鳥居)
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(中腹の広場。「四津山公園」とあった)
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(不動明王像)
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鳥居から先を見上げると、ご年配の方がゆっくりと歩いている。このままでは追い越しそうだ。無理して、左に見えたトイレに入って時間つぶしをする。
左手に「犬走り跡」という道標があり、先に踏み跡が続いていた。何も知らないから、帰路はそちらから下って来ればいいのだろうと思った。むしろ、そちらから登れば、ジイ様を追い越すこともないのではと思ったが、やはり、往路は正面からが正当だろう。
結局、ジイ様に山の中腹で追いついた。不動明王の石像が祀られ、大黒天の石碑があった。「若いのは早いねぇ」と言われた。「もう息が上がっていますよ」と返したが、やはり、ここは健康長寿コースかもなと思ってしまった。
(ちょっとばかりきついが短い)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/76/15da1bb8c13a653c3f473990d0ab1132.jpg)
(山頂に到着)
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(下から棒に見えていたのはこの樹だった)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/52/f1b0af14350869ced2175cc567f6780f.jpg)
(四津山神社)
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(笠山、堂平山が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/56/53e6c80e87a8d1ca10cf45caa38a1450.jpg)
さらに続いた階段を登って、山頂の神社にあっさりと着いた。四津山登山はあっけなかった。しかし、鼻歌まじりの楽勝はここまでだった。
だれもいない山頂でしばらくうろついた。神社にお参りもしたし、比企丘陵の山も眺めた。ジイ様はなかなか上がってこない。あのジイ様の講釈を聞いてもいいかなと思っていた。どう見ても地元の方だ。
(城址めぐり)
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ジイ様が来ないのでは仕方ない。せっかくだから城跡見物に切りかえる。城址にそれほどの趣味と知識があるわけではないが、標識や解説板を見れば、城址の構造は別にして、だれが築城し、その後だれが入城し、いつ退城したのかと記された史実はなるほどとうなずける程度の歴史認識はある。ただ、そうすんなりと理解できているわけではなく、足利と上杉の対立、上杉の内紛、後北条の台頭、上杉の関東からの敗退、武田のちょっかい、そして、最後は秀吉による支配といった一連の勢力図の変遷の中で、地元の有力な武士団や地侍、守護やら守護代があっちについたりこっちについたりと翻弄されるといった、自分が単純につくり出した構図の世界で納得しているだけのことであって、それ以上のものは何もない(荒っぽい私見なら失礼)。
ここの高見城址、自分が比較する城址といったら太田の金山城か勢多東の五覧田城でしかないが、それに比べると規模の小さな山城のようだ。往時の砦風の城といったらこんなものだろう。順路に合わせて堀切跡、本廓跡、二の廓跡、三の廓跡と見る。いずれ、さっき見かけた「犬走り跡」が出てくると思っていた。
(まずは下ってみた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/d3/e08ca45668c1e8fe114190510e8b3cee.jpg)
(踏み跡は次第に消え、ヤブめいてくる)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/53/1a2de07d76f9b5322c30c31be890d8d5.jpg)
(とうとうヤブに突入となった)
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この四津山だが、さらに北西に尾根が続いていて、その先、どういうことになっているのか気になってもいた。破線路もある。犬走り跡の標識は出てこないが、そのまま尾根伝いに下ってみることにする。
かろうじて踏み跡はあったが、急斜面で落葉がやたらと滑る。今日はズック靴を履いているのでなおさらだ。樹にしがみついて薄くなった踏み跡を追った。やがて尾根筋が右手上に見え、尾根から離れてしまったことを知る。とうとう、踏み跡は消えた。
傾斜が緩くなった。踏み跡らしいものがまた出てくる。この時点でも、やがては犬走り跡に通じるだろうと思っている。踏み跡はすぐに消え、猛烈なヤブになった。主体はスズタケ。ここのスズタケは枯れることもなく現役だ。山の斜面をトラバース気味に下っている。ヤブへの抵抗で、もう犬走り跡は頭から飛んでいる。
(これで逃げられたと思ったが、真下にはジャンプも危うい溝に水が流れていた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/e2/58724fc2546c5240db58f1d1c1002266.jpg)
人家の屋根が見えた。ようやく抜け出せると思いながらも、このまま庭先に出てしまうのもまずいだろうと、ちょっと先に行って田畑に出ようとしたら、幅1m程の堰が真下を横切っていた。これは無理。飛び越せない。助走をつけようにも、ヤブの斜面からではどうにもならない。まして急いている時は確実に失敗する。
(落ち着いたところでタヌキが逃げて行った)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/73/70537ac973697c2c6b0ef1add6834fc6.jpg)
(ようやく抜け出すことができた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/cf/e4a1f4cc89db41557c766e76bb50dc95.jpg)
また、ヤブに戻った。ヤブはさらにきつくなった。やたらと顔に跳ね返り、メガネまで持って行かれた。メガネ探しに手間取る。ようやく、ヤブの少ない平らなところに出た。タヌキが驚いて駆け上がって行った。HIDEJIさんの見たのんびりタヌキとは違うようだ。
踏み跡をまた見つけた。またダマされようか。従う。崩壊したところを越えると、ため池の渕に出た。堰はここで終わっていた。堰を回って、歩道に下った。
あ~ぁ、しんどかった。全身、ササ葉のクズだらけになっていた。頭を叩くとやたらと葉っぱの粉が落ち、ズックの中は土だらけ。靴下は茶色になっている。里山恐るべしとはこのことか。周囲の田んぼや畑が下に見えていたので、さすがに悲壮感はなかったが、考えてみれば、今回に限らず、余計なことをやって余計な思いをするなんてのは自分の十八番かも知れない。今年も続きそうだ。
後でGPS軌跡を確認すると、何ということもない歩きだった。尾根に戻って北西にちょっと行くか、戻らずに先に行って着地すればよかっただけのこと。
手ごろな石に腰かけてタバコを一本吹かす。前をランニングの青年がかけて行った。
(再び舗装道歩き)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/77/1f640a0f6db4a59b7182e59afd164546.jpg)
(永昌寺が近づくと、石仏と石碑が置かれていた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/93/79542eb245e1d586da6601892068815b.jpg)
(永昌寺の大松碑)
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気を取り直して歩き出す。ボーっとして歩いていたため、神社入口をそのまま通過してしまった。予定では、引き続き永昌寺の大松を見に行くつもりで、入口から反対側に抜けるはずだったが、地図を見る限りはこのままでも行けそうだ。
田園風景の中の歩きとはいっても、道路の左右には人家が続き、外に出てキャッチボールをしたり、洗濯物を干している方、犬の散歩をする方もあちこちにいる。正直のところ、この雰囲気は歩きづらい。
永昌寺が見えてきた。その手前に古木があった。名物の大松だろうかと思ったが、どうみても桜だ。寺の前まで行った。それらしき樹もなければ、案内板もない。だまされたような感じで戻ると、道標があった。「永昌寺大松跡」とある。それに従うと、ちょっとした空地に石碑と石仏があるだけだった。どうやら大松そのものはすでにないということのようだ。がっかりだ。HIDEJIさんの記事をよく読んでおけばよかった。イヌとタヌキだけを気にしていた。
このまま運動場に戻ろうと思ったが、「旧鎌倉街道跡」の道標があったので、そちらに行ってみた。鎌倉街道に至っては、城址並みに知識もないが、「旧」が付くのと付かないのとではどこが違うのだろう。ニュアンスとして、今はない鎌倉街道以前にあった旧鎌倉街道といった感じだが。
(旧鎌倉街道跡入口)
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(旧鎌倉街道跡。ここは「上道ルート」だそうだが、自分に知識はない)
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入口にはマツダの青いポーターが打ち捨てられていた。一時期この車に乗っていた。解説板を後で読むと、ここの試掘調査は昭和57年と記されていたので、おそらく、それ以前からの存在だろう。
街道跡は、林の中の作業道のようなものだった。区間は短い。ここがそうだと言われなければ気づきもしないだろう。少なくとも、歴史に触れたといった感じはどうも薄い。
HIDEJIさんではないが、ここを歩いていて、脇のヤブから確かにガサゴソと音がした。タヌキのような気もするし、キジかもしれない。以前、同じ体験をした時はキジが慌てて逃げて行った。ここに何かが棲みついているのは確かだろう。
林を抜けると解説板があった。街道跡を見つけた方もえらいと思うが、細かいことで恐縮だが、「旧」の疑問はどうも解決しそうにない。
※この件、さほど深く考えるほどのことでもないようだ。通称「鎌倉街道」と呼ばれる道が現在でもあり、それと区分けするために「旧鎌倉街道」としただけの話のようだ。
(畦道を通って運動場に戻る)
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そのまま車道歩きで運動場に向かった。今日は風もなく暖かい。この風景では凧揚げもありかなと思ったが、何もない正月の風景だ。田んぼのあぜ道を通って、運動場に上がる。
さて、まだ2時間歩きだ。予定では、ここからそのまま歩けそうな、例の<健康長寿ウォーキングマップ>の「(15)八和田神社コース」か、場所を移して「(9)慈眼寺コース」でも歩き、少々ジジむさいが、パトリア小川で風呂に入るのも手かなと思っていた。
まずは、お腹も空いたことだし、コンビニで買ってきたタヌキそばにポットの湯を注いで食べる。あまりおいしくない。無理矢理に押し込んだ。そのうちに、この先はもういいやという気分になってしまった。2コースともに、そんなに積極的に歩きたいわけでもなかった。年明け早々だ。このままちょい歩きの済ませでいいだろう。
(本日の軌跡)
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
それにしても、いきなり、たそがれさんが四津山に行かれるとは思ってもいませんでした。それでも多少なりとも、たそがれさんらしい、歩きになっているは、さすがだなぁと思いました。犬の件は残念です。手なずけるすべがあるのならば、手ほどきを賜りたいものです。
次回、この辺りを徘徊する折があれば、是非嵐山町杉山の杉山城を訪れてみてやってくだい。四津山から3km程度です。金山ほどではありませんが、小振りながら中々のものです。
今年もよろしくお願い致します。
あのマイナーなハイキングコース、早速、歩かれたのですね。興味深く拝見いたしました。
あのワンコ、意外と愛嬌はあったと記憶しておりますが、居なかったのは残念です。それと四津山のタヌキと、旧鎌倉街道入口の藪の主、遭遇されたのですね(^_^;)
藪の主、大型生物とみてましたが、なるほどキジは考えられますね。
それと四津山の北西にのびる尾根は、顕著な踏み跡が続くものと思いきや。。。
私も危うく突入しているところでした。
現役のスズタケですか。里山は侮れないようですが、踏み込んでもみたいです(^_^;)
それと山頂にたどり着かないジイ様、石段を諦めたのか、犬走りに向かわれたのか、気になります(笑)
今年もあの近辺の里山歩きや、奥武蔵の開拓をテーマにと、課題ばかりが増えそうです。
正月の間は遠出するのも億劫で、手ごろな小川町まで行って、さっさと済ませてきたといったところです。
私らしい歩きとはいえ、小さな山ですから、深みにはまることもなく、たかだか15分から20分ほどの物語で終わってしまいました。この程度がちょうどいいですね。
ワンコを手なずけるとはいいましても、これは言葉のあやといったようなもので、大方、目を合わせないようしてそそくさと立ち退くのがおちでしょう。いつもそうですから。
嵐山の杉山城ですか。知っていれば、そのまま行けましたね。無理に健康長寿コースにこだわる必要もありませんでした。調べてみますよ。
本年もHIDEJIさんの記事を楽しみにしております。
四津山は、HIDEJIさんの記事を拝見した際に、おもしろそうだなと思いはしましたが、その後、ぶなじろうさんが歩かれたものですから、そんなに魅力あるところなのかと、行ってみた次第です。そのため、何度も、読み返しさせていただきました。
ワンコは愛嬌ありましたか。なおさら残念ですよ。ですが、また改めて行くのも何だしねぇ。
今年は奥武蔵の開拓がテーマですか。おそらく、いくつか後追いさせていただくことになるでしょう。期待しております。
奥武蔵は、つい、ハイカーの姿が多いので遠慮しているものがありますけど、HIDEJIさんのお歩きなら、それほどのところでもないでしょうから安心です。
今年の先ずはの歩きは大塚山と雄山を末端からと目論んでおります。その先は、その経過次第でしょうね。ウワゴウ道もそのままになっていますし。