たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

残念ながら、森吉山の残雪は黄砂で薄汚れていた。

2011年05月07日 | 東北の山
◎2011年5月4日(水)

 故郷の山・森吉山を久しぶりに歩いた。20年ぶり以上だろうか。この連休、秋田に行くついでがあった。身内2人の病気見舞いだ。といっても、主体は連れて行った自分の親であり、こちらは半分が遊び気分。時間を見つけて、残雪期の森吉山と、時間があれば太平山を歩いてみたかった。断続的な渋滞にあい、通常8時間が12時間もかかった。到着時間も遅くなり、取りあえず、その日は一方だけの見舞いをする。病室には又従兄弟のJuneがいた。入院しているのはJuneのオヤジさんだ。Juneといっても40代半ば過ぎのうらびれオヤジだ。「明日、森吉に行きたいんだけど、まさか、一緒に行けないよな?」と、一応は声をかけた。そしたら行ってもいいと言う。じゃ、ということになった。実のところ、まさか、そうなる展開とは思っていなかったばかりに、当初はスキー歩きをするつもりで来ていた。この瞬間、スキーは無意味なものになってしまった。

 森吉山は何回か歩いたことはあったが、いずれも、地元の阿仁コースや中村コースで、それも、雪のない時期だ。旧隣町の前田の方から入ったことはない。たまたま、前日の5月3日に山開きがあり、そのコースが前田から入る様田コース(こめつがコース)であることをネットで事前に知っていた。ということは、旧スキー場への車道も開通し、歩いたとしても、ある程度は踏み固められているだろうとの目算もある。

 Juneは鋲付きゴム長でやって来た。地元の方の山歩きは、ゴム長が多いのは確か。こちらも、ゴム長は車の中に入れてはいたが、用心で登山靴、スパッツとし、背中にワカンといった出で立ち。聞けば、彼氏、無雪期の森吉山はベテランのようだ。昨年も5回ほど、集中的に花を求めてさまよったらしい。かつては賑わったかもしれない森吉スキー場跡地の駐車場に車を置く。広い駐車場には車が5台。隣の車は春日部ナンバーの軽ワゴン。男女の2人組がスノーシューを付けて、早速出かけた。この時期のスノーシューか、ちょっと考えものだったが、見上げれば雪もかなり深く、ワカンよりも機能的かもしれない。

(遅ればせながら春の息吹)

(ゲレンデ跡の登り)

(一ノ腰の先に森吉山)


 コース取りはJuneに任せた。こめつが山荘を経由するよりもゲレンデ跡を登って行った方が歩きやすいと言うので従う。6時35分出発。この旧森吉スキー場は西武だか国土計画の手の入ったスキー場だった。今やリフトの鉄塔も撤去し、ブナ林を派手に伐採して造成したゲレンデ跡だけが残る。酔狂なスキー客向けか、もしくは歩くのが嫌なハイカー向けか、スノーモビルが2台、駐車場に置かれていたが、今のところ足跡はなく、このスノーモビルの通った跡とスキーシュプールを散見する。雪はゲレンデ跡ゆえか締まっていて、確かに歩きやすい。雪は1m前後の残雪といったところか。前方に、最初のピーク・一ノ腰が見えている。そこまでは昭文社版コースタイムでは1時間40分になっている。地肌の見えるところにはフキノトウ。子供の頃、バッケと呼んでいた。摘んで食用になることすら知らなかった。雪景色の中、どこからかウグイスの鳴き声が聞こえて来る。いいねぇ。

(スノーシューに抜かれる)

(遅れがちになる)

(一ノ腰山頂と森吉山)


 一ノ腰がどんどん近づき、振り返ると、北西の山々の展望が広がる。まさか白神山地ではあるまい。あれほど近いとは思えない。駐車場も遠くなった。やがて、左から本来のこめつがコースと合わせ、踏み跡が多くなる。昨日の山開きの参加者のものだろう。地元の新聞記事によると、150人もの参加があったそうだ(ちなみに、記事のタイトルは「霧氷の美しさに感動」となっていた。アオモリトドマツの葉についた霧氷を見ることは失念してしまっていた。残念)。さきほどのスノーシュー2人組に、あっという間に追い抜かれてしまった。そう、Juneを待っている時間が次第に長くなってきたわけだ。彼は手ぶらで来ていたので、オレのスキー用の杖を貸してやったが、その具合が悪く、今度は、ザックに括りつけた方の杖に換えてやった。これで安心かと思ったがそうでもないらしい。雪国で生活しながら、雪の山歩きはやはり不慣れか。身内の気軽さか、どんどん先に行ってしまったのが、彼には負担がかかったようだ。速度を落として歩くことにする。しかし、すぐに、いつもの一人歩きのペースになってしまう。分厚い雪庇が現れ、一ノ腰に8時16分到着。ほぼ、コースタイムといったところだ。

(一旦下って振り返る。彼は点になっていた)


 正面に森吉山が見える。真冬はモンスターと呼ばれる樹氷を作るアオモリトドマツの原生林を眺めているだけでも気が和む。いつか機会があれば、阿仁スキー場から、スキーで山頂を経由し、一ノ腰まで足を運んでみたい。どんなモンスターに出会えるだろうか。雲は多くなったが、ここまでは気持ちの良い歩きだった。汗もかかなかった。ただ、残念なことがある。雪が細かい砂で覆われ、全体が黒ずみ、薄汚れている。大方、黄砂が飛んできたのだろう。一面だ。これには興ざめした。10分待って、ようやくJuneが上がって来た。彼はもう無理だろう。足も痛いようだ。山頂までの間に避難小屋が2軒ある。いずれかで待っていてもらうことにする。その方が彼にとってもいいだろう。8時30分、一ノ腰出発。ここから一旦下る。オッサンが登って来た。ゴム長。山頂は雪がなく、風が強いとのことだった。

(森吉避難小屋と森吉神社)

(森吉山が近づく)

(こうやって振り返ると、意外に距離感がある)


 ここからは一人歩きとなった。スノーシューの2人は遙か先、点になって歩いているのが見える。400mは離れているだろう。森吉神社と森吉避難小屋。立派な避難小屋だ。昨日はここで山開きの神事が行われたのだろう。この辺で阿仁コースと合流するようだが、そちらの方面に踏み跡は確認できない。6月に阿仁スキー場側のゴンドラの運転が再開されれば、ここも花の百名山とのこと、さぞ賑わうことだろう。まして、東北道の無料化といった話も出ている。コースは、尾根に沿って、半周回する形になっている。ところどころにポールとロープが張られている。何の目印なのか分からない。スキー用なのか、それとも植生保護なのだろうか。

(アオモリトドマツ・シラビソの間を行く)

(山頂)

(首欠け地蔵があった)

(北西方面の山々)

(反対側からピークを望む)

(ヒバクラ岳?)


 2つ目の小屋は阿仁避難小屋。ここから、直下の取り付きになる。小屋の周囲は雪が深く、雪面からの顔出しは2階部だ。下の入口の回りは雪がグルリと掘られている。ようやく先行の2人をとらえる。男性の方がバテ気味で、女性はさっさと山頂を目指しているといった構図。ここから一ノ腰方面に、岩木山を確認できるはずだが、この雲行きでは、一ノ腰が随分と遠くに見えるだけだ。一気に雪が少なくなり、地肌が見え、確かに風も強くなった。女性の方も抜いた。山頂着9時23分。いい眺め。といっても、想像しているだけ。鳥海山も日本海も見えるはずなんだけどなぁ。雲が暗く立ちこめている。2人連れの写真を撮ってやった。一眼レフの高そうなカメラだった。山頂をグルグル回った。中村コースにもヒバクラコースにも踏み跡はない。Juneを待たせては失礼と、山頂には10分ほどいてさっさと下山。

(阿仁避難小屋と一ノ腰。小屋の露出部は2階)

(冠岩)


 阿仁避難小屋の手前で、登って来る単独に会う。やはりゴム長。地元の方だろう。Juneのもそうだったが、自分の地元のホームセンターで売っているような、アウトドア用のゴム長とはちょっと違うようだ。あれ欲しいなぁ。見るからに蒸れにくく、保温性も高いようだ。さて、Juneは森吉避難小屋で待機していた。寒かったとこぼしていた。小屋は随分と賑やかになっていて、彼が得た情報によると、角館高校の山岳部がOBと共に来ていたそうだ。10人くらいだろうか。現役生は外で突っ立っていた。せっかく、神社の写真を撮りたかったが、社殿の前に2人たむろしていて、撮れなかった。神社の裏手に岩に岩を乗せたような冠岩。雨がぱらついて来た。あの高校生達はこれから登るのだろう。小屋を10時に出発。

(ゲレンデ跡がずっと続いている。これが消えることは最早ないだろう)

(こめつが山荘)

(広大な駐車場。賑わったこともあったのだろうが)


 一ノ腰の左側に迂回ルートの踏み跡があった。トラバース気味に行く。やがて、ゲレンデのコース跡に合流。Juneは下りゆえか、今度は故障もなく、こめつが山荘を経由して、駐車場に着いた。11時8分。このこめつが山荘、何だかよく分からない。玄関は閉ざしている。以前は山小屋としても使われたらしい。開くことがあるのだろうか。駐車地の隣には地元ナンバーのベンツが止まっていた。傍らで、スノーボードをやって下りて来たばかりの青年が片付けをしていた。

 帰りは森吉山荘に行き、風呂に入る。温泉に入りたかったが、地震のためか、温泉が出なくなったらしい。ただの風呂となってしまった。今回の故郷帰りの山行、次は秋田市と上小阿仁村との境にある太平山に行きたかったが、残念ながら時間がとれなかった。次回は、この山に森吉山麓の滝巡りを追加しよう。

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4 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2011-05-08 19:51:52
今晩は。
阿仁の御出身ですか!!
大昔、そちら方面に出かけたことがあります。下の方の小屋で、地元の方に御馳走を頂きました。地元の方はスノーモービル。こちらはスキーでした。
今年は残雪が多いと思っていたのですが、当時と比べると、はるかに雪が少ないように見えます。
阿仁の家は、どこも、玄関先に張り出しのような透明空間が設置されていたのを思い出しました。雪国なんだなぁと思いました。
そして、「秋田内陸縦貫鉄道」という、無骨な名前にえらく惹かれてしまいました。
なんだか、訳の判らない書き込みになってしまい、申しわけありません。
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ぶなじろさん (たそがれオヤジ)
2011-05-08 22:34:06
ぶなじろうさんが阿仁に行かれたことがあるのに驚いております。全国の山を歩かれているのには改めて感心いたしました。

確かに私は阿仁の出身です。中学までおりました。父親が鉱山で勤めておりましたため、その関係です。その後、同じ古河の足尾に転勤となりました。ただ、ぶなじろうさんが行かれたのは比立内の奥ではないでしょうか。私は阿仁合の方でしたが。

当時、内陸縦貫鉄道は「阿仁合線」と言って、国鉄でした。第3セクターになって角館までつながった次第です。

余計な話で、プロフィールの一部をついばらしてしまいましたね。

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森吉山 (ハイトス)
2011-05-08 23:54:29
こんばんは。
森吉山、なかなか良さそうな山ですね。
立派な避難小屋もあるし。
標高がもう少し高ければ深田百名山となっていたかもしれないらしいですね。

しかし黄砂は春霞と相まってこの時期の眺望の楽しみをうばっておりますね。
加えて綺麗な残雪の景色も汚しているとは。
風物詩として諦めるしかないのですが。
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ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2011-05-09 05:42:37
おはようございます。久方ぶりでいつもの早朝起きの生活が始まりました。

さて森吉山ですが、お薦めです。かなりの遠方になりますが、花の時期、いかがですか?麓には、地震の影響を受けていない温泉宿もかなりありますし。

黄砂で黒くなりながらも、所々に、真っ白な空間があるのですねぇ。あれは不思議でした。
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