たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

シモフリ新道で一切経山へ。期待していたが、予報と違った悪天になり、せっかくの絶景は短時間見物で終わってしまった。

2024年10月25日 | 東北の山
◎2024年10月22日(火)

 13日の同窓会の帰りに立ち寄ろうとしていたのが、このシモフリ新道歩きだった。これはメガネの破損で頓挫した。改めて22日に日帰り山行としたが、事前に「てんきとくらす」で確認すれば、今週の晴れ日和は22日しかなく、「GPV気象予報」でも日中は穏やかな気配だった。当初の予定日から一週間経過しているため、紅葉は期待していない。時間的には、往復の車移動に7時間、山行に7時間10分を費やした。体調は風邪が長引き、良好ではなかった。まともな体調と天候なら6時間ほどの歩きで済んだかと思う。
 シモフリ新道を知ったのは最近のこと。元々、登山道だったらしいが、歩くハイカーは少なく、廃道になりかけたのを、噴火警戒のせいかは知らないが、地元の有志が復旧整備したらしい。楽に行ける浄土平から一切経山に登ったことは何度かあるが、シモフリ新道への入口となる不動沢橋からわざわざ歩いたことはなく、少なくとも、2015年版の『山と高原地図』には破線ですら記されていない。シモフリ新道そのものの名称は、磐梯吾妻スカイライン側に面したシモフリ山に由来するようだが、このシモフリ山はついでに立ち寄らない限り、コース上で通ることはない。新道からの眺望は浄土平からのコースに比べて絶景らしく、中には「日本の風景に思えない」と称賛しているネット記事まである。それを眺めたかった。

(つばくろ谷の紅葉。この時点でシモフリ新道の登山口がどこにあるのかわかっていなくて、うろつきついでだった)


(何ということはない。この大型Pのすぐ脇にあった。反対側を散歩していた)


 つばくろ谷駐車場に入れた。キャパは15台もないだろうが、2台分の空きスペースしか残っておらず、登山準備中が2名。多くは浄土平に行く前に不動沢橋からの紅葉見物といったところだろう。登山口は駐車場のすぐ隣にあったのだが、例の如くにそれに気づかず、さも、先ずは不動沢橋からの紅葉見物を楽しんでからといったスタイルをとったものの、登山口がある気配はない。さらに、奥のもう一つの小さめの駐車場に向かうも、その先は断崖で行き止まり。その間、車の中から、山歩きスタイルのオバちゃんに「ここから山に行けんの?」と聞かれ、「遠回りですけど一切経山には行けますよ。浄土平の方から登った方が無難じゃないですか」などと答えたりしている。内心、出だしから調子が狂ったなと思いながら駐車場に戻りかけると、すぐ脇に入口が見えた。準備中の二人の姿はすでにない。登山届を投函して出発。もう8時10分になってしまった。この先山頂まで後続者はだれもいなかったし、下って来る以外のハイカーを見ることはなかった。天気は晴れもせずに曇っている。いずれ予報通りにすっきり晴れてくれるだろう。この時点では、上に至っての強風とガスガスは想像もしていない。

(登山道の周りに見るほどの紅葉はない)


(これが歩きづらかった)


(かなり焼けている)


(これも近づかない方が無難だろう)


 どこにでもある登山道といった感じで、緩く延びている。粘土質でえぐられた(わざとそうしたのか)ような細いところもあって、これは滑って歩きづらい。この道は一切経山から高湯温泉を結ぶ登山道で、シモフリ新道の起点はこの先から分岐する道になる。帰路でもここを通過するが、距離も長いし、高湯温泉まで歩く人は果たしているのだろうかと疑問になる登山道だ。紅葉はすでに終わり、近づくと葉は大方が焼けて穴が開き、鮮やかな黄色や赤はまったくない。 ※後日調べると、環境省のHPに、高湯から一切経山に至る道は「修験者も通った歴史の道」とあり、高湯から4時間20分となっている。

(賽河原の標識。直進は一切経山への直行ルート。ここは左に迂回してシモフリ新道へ入る。後でこの写真を見直すと、標識は見えていないので、あまり意味もないとは思うが、帰路で示すことにする)


 シモフリ新道の起点分岐に到着。8時40分。新道はここから左に入る。直進方向すぐに古い<賽河原>の標識があったので行ってみたが、よく見かける賽の河原とは雰囲気がまったく違い、狭い空間にはそれらしき気配すらなく、その先だろうかと思いながら、帰路で確認することにする。自分には、いわゆる賽の河原の風景は好きで、そこに色の廃れたよだれ掛けをした錫杖持ちの地蔵さんでもさりげなく置かれていたら最高だ。

(まあまあかなぁ。こんなのを見ると、この辺の紅葉は遅速が混在しているようだ)


(緩く登っている)


(「本当の賽河原」に出た)


(北側の展望。蔵王方面かと思うが)


(あの頭は一切経山ではなかろうか)


 シモフリ新道に入る。紅葉はいくらか見栄えするものも出てきたが、依然として目を見張るものはない。粘土質の道はなくなり、歩きやすくなった。たまに泥濘がある程度。シラビソやハイマツもどき、ササが出てきたところで、ゴツゴツした石のある小広場に出た。他人様の山行記を読むと、ここが「本当の賽河原」と記しているものもある。少しばかり汗ばんできたので、ここでジャンパーを脱いでシャツだけになる。袈裟丸山の賽の河原や恐山を知っているだけに、賽河原とするには難がありそうだ。石積みは一つだけ。
 右手には谷越しに山が並んで見えている。おそらくは蔵王や月山も視界にあるのかも知れないが、自分にはどれが何山か、地図を広げてもわからない。間近の山の斜面は濃く色づいている。曇り空で残念だが、陽があたっていれば、まだ数日はきれいだろう。しばらく眺めていた。

(先ずは左のピークに向かうようだ)


 道は下りになり、樹間からピラミッド型をした山が正面に見えた。中天狗だろうか。だとすれば、あの山を通過することになる。ちょっとうんざりした。秋田から戻って数日後に風邪を引き、病院に行ったりしている。まだ治りきってはいず、ここまで、何ともないフリをしているが、傾斜は緩いにもかかわらず、息切れを繰り返し、立ち休みの頻度も多くなってきていた。喉に滞っている痰をしぼり出してすっきりしたいばかりに咳を無理にしても、さっぱり出てくれず、肋骨が痛くなるだけの状態になっている。これは余談だが、風邪やら喘息の咳込みで肋骨骨折に至る人もいるらしい。

(下って行く)


(あの三角形が中天狗かと思っていた。後で知った正解は駱駝山)


(沢を渉る。不動沢か? 五色沼があるからには、そこから流れているのかもしれないが、沢登りの対象になる沢なのだろうか)


(すぐ上に小滝)


 沢に向かって下っていた。途中で壁のようになっている山(1523m標高点ピーク)の稜線が見えているから、一旦、あれを乗り越えてから中天狗の方に向かうように思われる。沢そのものは小沢で、飛び石伝いに越えられるし、沢に下る備え付けのロープを使うほどでもない。上流の方に小滝が見えたので行ってみた。水流の周囲の岩場の様子からして、今日の水量は少ないようだ。

(いきなり急になった感じはしたが、長くはない)


(随所にテープあり)


(稜線に出た)


(ここから展望が広がる。二コブの駱駝山と一切経山。駱駝山の手前に小さく見える白い三角形ピークが白とんがり)


(ちょっとアップで)


(目の前が中天狗で、左に吾妻小富士)


(谷間の色づきはかなり濃かった)


(こちらの斜面も)


 沢を過ぎると、樹林帯の急斜面になった。急とはいっても、さほどのものではなく、ましてテープが導いてくれるし、気分的には急さを感じずに、とはいっても息切れが留まることはないのだが、緩くなった灌木の中を通ると、稜線に出たようで、白地の台地からは駱駝山、奥に一切経山が見えている。中天狗と思っていたのは駱駝山の一角だった。ここから見える谷間の紅葉がすごい。一週間前ならもっと派手で賑やかだったろう。つくづく、メガネトラブルは大失態だったと後悔してしまうが、己が酒飲みの性に因るものと思えば、自業自得、身から出た錆で済ますしかない。
 話は違うが、先ほどから、この先も、枯れた立木をいくつもの石で固定して突っ立っているのが目につく。これは、かつては標識でもあったのだろうか。山名標識板は、写真でよく掲載されているが、自分にはついぞ見かけることはなかった。できるだけピークハントを避けて歩いたからだろうか。
 視界の左に吾妻小富士が姿を出していた。お釜はまだ見えない。標高がもう少し上がれば、お釜が見えるようになるのが楽しみだ。視界の構図の中にあるピラミッド型の二山が駱駝山だとして、正面に鎮座しているのが中天狗。見えづらいが、中天狗と駱駝山の間にある白いちんまりした三角山が白とんがりのような気がする。ここから周囲の景色を眺めているだけでもかなり時間をつぶしてしまった。まだ全コースの1/4も歩いていない。先を急ごう。

(ゆっくりし過ぎた。中天狗へ)


(中天狗)


(あちらまで行ってみたいが、すんなり行けるものやら…)


(吾妻小富士)


 下って、また紅葉終わりの灌木の中を登って行くと、ちょっとしたピークに到着。ここが中天狗かと思われる。ここからの景観も捨てがたいが、吾妻小富士は近くはなったものの、まだお釜は見えず、お釜巡りコースだけがかろうじて見える。右手方向には1577m標高点ピークあたりと思しき景色が出てくるが、ここからすんなりと行けそうながらも、地図を見る限りは、崖マークだらけになっている。目の前はシラビソが生い茂り、様子がよくわからないのが残念だ。寄り道できるようなら行ってみたい気分になる。
 この辺から風が出てきたので、脱いでいたジャンパーを着込む。きたない話だが、鼻水も出てきた。最初のうちはティッシュでかんでいたが、そのうちに面倒になり、手鼻に切り替わる。手鼻は久しぶりだ。ここしばらく、寒い中での山歩きからも遠ざかっている。

(続いて白とんがりへ。あの目立たない白い山。一切経山方面にガスがかかってきたのが気になる)


(エスケープルートで使えそうだ)


(白とんがり真下で。ここから見ると、ただの台地状。上に向かう踏み跡はしっかりしているし、きつそうでもなかったが、雲行きで寄らずに左の踏み跡に入る)


(振り返って中天狗)


(吾妻小富士は火口を見ずに終わりそうだ)


 下って行くと、左に向けて「カモシカ沢へ」と記された標識を見かけた。地図を見ても、カモシカ沢の記載はない。この時は、スカイラインに下るエスケープルートとばかりに思っていた。後で調べると、確かにそんな意味合いもあるようだが、シモフリ山にはこの分岐を下れば行けるようだ。標識にはシモフリ山も何も記されていないし、カモシカ沢だけではこの山域に精通している人しかわかるまい。
 右上に岩混じりの砂礫のピークがあった。あれが白とんがりであることはわかりきっている。2分もあれば着くだろうが、敢えて登りはしなかった。というのも、中天狗からここに至る7、8分の間に風は強くなり、吾妻小富士の上に雲がかかりはじめ、見ているも間もなく上部が覆われてしまったからだ。これではさっさと一切経山に行かないと、目当ての魔女の瞳も拝めない。そんなことを思っても、雲行きはどうも怪しく、風はどんどん強くなる一方で、まして駱駝山もまだ越えていない。一切経山に辿り着けるかが問題だ。それに寒い。ここで帽子でも飛ばされたら、さらに寒さのレベルも上がる。帽子を深くかぶった。気はあせっても、風を正面から受け、ノロ足はさらに遅々としている。一瞬、頭をよぎった。魔女の瞳がダメなら、駱駝山で引き返すという手もあるか。その際は、さっきのスカイラインに下るらしいカモシカ沢エスケープルートを使うか。山道を下るよりも、スカイライン歩きで戻った方が安全で確実だろう。

(駱駝山。左が東で、右が西峰)


(吾妻小富士は消えかけている)


(駱駝山方面から見る白とんがりは鋭峰だ)


(東峰から下って来る人の姿が見えた)


(また振り返る。左から右の中天狗、そして中の白とんがり。左から迂回してここに着いている)


(自信はない。右寄り白いピークがシモフリ山かと思う。地図で確認すると、1561m標高点=シモフリ山ということになりそうだ)


 対向者に出会った。彼からの言葉は「風が強くて寒くなりましたね」だったが、おそらく帰途の方と、これから向かう者の立場は大違いだ。この言葉で、風が冷たく感じるようになった。
 駱駝山の真下に着いた。鞍部を通って一切経山に向かっている単独のハイカーの姿が見えた。この山の名はコブ状のピークが二つつながっているところからきたのだろうが、東峰よりも西峰の方が高い。それぞれに第一峰、第二峰と記している人もいる。ここでは東西とするが、東峰から単独氏が下りて来た。またしても「風が…」と話す。彼氏は急いで下って行った。

(東峰直下。ガスはかなり濃くなっている)


(東峰山頂。真下から見上げただけ。気が急いている)


(このままスカイラインに下って行けそうな気がする。まぁ無理でしょうが)


(西峰山頂から先を見る。知らずの間に西峰には着いていた)


(しつこいが、吾妻小富士はこれで終わり。残ったのは未練だけ。火口を見るのが楽しみだったし)


 がレ場を登って東峰到着。11時。真下にはスカイラインが走っていて、どこを下っても、注意しながら下れば、そのままスカイラインに出られそうな気がする。じっとしていると寒いだけで、すでに吾妻小富士はガスの中で、上部はシルエットさえ見えない。西峰到着は11時8分。この間にまた二人に出会ったが、これまで同様にみんな自分とは逆歩きだ。シモフリ新道周回の方ではないかもしれないが、周回だとすれば、大方が逆回りなのだろうか。後で時計回りで周回し終えると、むしろ反時計回りの方が楽かもしれないとは思ったが、その場合、下りの岩場周辺やザレたところは、悪天候時には要注意だろう。
 隠れたのは吾妻小富士だけではなかった。先を見ると、一切経山まで消えかかり、見えなくなるのも時間の問題のようだ。はっきり見えているのは真下のスカイラインを走る車の流れだけだった。

(瞬時の晴れ間に撮る。随分と凸凹したところを歩いて来たものだ。右下に見える白い山は1590mピークだろうか)


(山頂までもう少し。風除けの中を行く。緩い登りになっている)


(山頂は間もなく)


 それでも相変わらずに手鼻をかみながら何とか登っている。もう意地だ。ガスガスになっているのは明白。11時50分時点で、山頂(1949m)まではまだ150mの1795m地点。ただ、地形図の等高線を見てはほっとする。あと100m我慢すればなだらかになるはず。ただ、ここまでは特にきつく感じてはいなかったのが正直なところで、むしろ、風邪も居直ったのか、息切れは治まっているし、鼻水もごくたまにの状態になっている。ただ、強風だけはきつく、身体があおられこともあって、風加減を見ながら歩くから、どうしても遅くなる。風が一時的に緩くなったところで一時休憩。それでも、帽子は絶えず左右の手でツバを押さえている。ここまでの経路の景色を確認する。なぜかそれだけははっきり見えている。左から婉曲的に登って来た。右下、つまりはスカイラインに向けて下る稜線があるが、そのスカイラインの真上に聳える白い山がある。地図で見ると、どうも1590m標高点ピークらしい。

(人の姿が見えた)


(シモフリ新道出口。標識も何もない)


(山頂のケルンと)


(三角点標石だけで一切経山は終わり。はるばる群馬から来たにしてはあっけなかった)


 長かった。風除けにもなったシラビソの間を登って行くと、一時的にハイマツが目につき、そのハイマツもすぐに消えて小石だらけの平地になり、ガスの中、人の姿もぼんやりながらも見えるようになった。5、6人はいそうだ。顔は見えないし、男女の区別もつかない。そして、山頂のケルンが見えた。こちら側からの登山道にはロープが張られ、標識も何もないが、出入りのロープ部分だけは石で押さえられ、通行可能の状態になっている。山頂に到着したようだが、このガスガスの中では達成感も安堵感も何もない。薄ぼんやりの中を歩いて三角点を確認したのは12時30分。4時間20分もかかってしまった。その分、シモフリ新道を歩けたという満足感だけはあった。相変わらずに強風が流れている。

(わざわざ覗きに行くまでもなかった。魔女の瞳はどこへやら)


(北側に下る)


 これではと、山頂で休むつもりはなかったが、念のため、五色沼を覗きに行った。見えるわけはない。魔女の瞳は瞑るどころか、お顔も見えない。シモフリ新道でここまで来てしまった以上、戻ってエスケープルートを下るつもりはなかった。予定通りに反対側に下る。風はないと思いたい。経験から、南側はましだろう。ここから、とてつもなく長い下りが始まる。まさかそこまでとは想像もしていなかった。下り開始は12時40分。
 下りかけると、ほどなく、両足のくるぶしの上が痛くなってきた。ちょうど、登山靴のクッションがあたる部分で、それが巻かれているにも関わらず、簡単に痛くなってはいけない部位ではないのか。この登山靴、最近、ワークマンで税込み4500円で買ったもので、今日が試し履きだった。ワークマンのスニーカーの具合が良かったので、この登山靴も無条件に信用してしまったが、この痛みは最後まで続き、さらに、ソールの弾力性は自分には弱く、外部も、防水にこだわっているわりには、泥濘を一歩歩いただけで水が滲みこんだ。あまりお薦めできる商品ではありませんよとまでは言わない。自分の足には合わなかったようなだけのこと。おそらく、4500円を落としてしまった形で、二回目履きが果たしてあるのだろうかはわからない。せめて、もう一度くらいは履いてみないと、安上がりではあっても、思い込みで買ってしまった自分の行動の納得には至らないし、二回目にして優れもの感ということもあり得る。

(なんだ、こちらからは五色沼が見えるじゃないの)


(ほんの短区間の木道)


(下りきったところ。あの程度の登りならまだいいか)


(改めての五色沼)


(一切経山は隠れている)


(何と書かれているのか読めず)


(上の文字を読もうとしている間に、五色沼は消えた。まさか「輪廻転生」とでも記されていたのだろうか。だとすればお笑いだが)


 曲がりくねった滑る道やら木道を下っていくと、右手にぼんやりと五色沼の輪郭が見え、下りきると、はっきりと五色沼が顔を出した。北側では雲も上がる気配にありそうだが、山頂があれでは、おそらく南側はあのままのガス停滞だろう。いずれにしても、こちらに下って正解だったし、五色沼が見えたのはラッキーでもある。と思ったのも束の間のことで、ガスが下りてきて、五色沼は隠れたり、現れたりする。残念なことに、魔女の瞳は一切経山から眺めるからこそのものなのだろう。ただの火口湖でしかない。

(こちらには行かない)


(だまされた…とも言えない。勝手な想像だった。くたびれた足にはきつそうな登りになっている。と思ったが、左から巻くようになっていた。ほっとした)


(おっ、魔女の瞳っぽくなっている。やはり、今日の歩きは輪廻…かなぁ)


 予定では、家形山に寄るつもりでいたが、標識の上を見ると、10m先はガスの中。やめた。いや、山頂がすぐのところに見えたとしても立ち寄りはしなかったかもしれない。今13時17分。ようやくコースの後半部に入ったのに、足は相当にくたびれ、腿にも攣りが出てきていた。短時間だろうが、家形山は無理とし、芍薬甘草湯に頼って素通り。
 なだらかな下り道が続くと思っていたのは勝手な想像だったが、緩い砂礫を登る。ここで女性二人の外人ハイカーが反対側からやって来た。コンニチワと答えてくれたが、寸前まで聞こえた会話はロシア語だった。

(この雰囲気でずっと下れればよいなぁと思っていた)


(だがここまで)


(本日、最後の展望)


(あとはずっと同じ風景の中をひたすらに歩く)


 <大根森>とある標識の小ピークを過ぎると平坦な道になった。こちら側から見える左手・北側の景色はいまいちだが、やがて左右木立の間の道をひたすらに歩くことになり、展望は消えた。

(硯石)


(看板どおり。ここはそちらには行かず、左をそのまま突っ切る)


(こんなパイプの階段が一か所)


(湯の平。標識だけ撮っても意味ないが、地名に見合ったものがないのでは仕方がない。標識からは、つい、湯気の出ている池や沢でもと期待してしまう。この標識は新しい。前後して、新旧の標識が同居しているところもある。以前は、見合った景観があったのかもしれない。勝手な想像だ)


(さすがに、風景はそのままに、標識見物だけでは飽きてもくる)


(はて? と思ったが、色落ちのニッポンビールだった。8年前の山行記事の写真では、色も文字も明瞭だった。おそらく、あちこちに設置されていたのだろう)


 <硯石>通過。13時54分。それらしき石も岩もないが、避難小屋分岐になっている。そちらへ向けた踏み跡はかなり薄い。そして<慶應吾妻山荘入口>。14時。本日はclosedとなっている。openだったとしても立ち寄るつもりはない。遠くの景色も見えず、目先の紅葉を楽しめるものもなく、歩くのが退屈で飽きてきた。<湯の平>14時30分。大根森、硯石、湯の平と地名の標識は続くが、その名称に見合ったものは何も感じない。
 ブリキ製らしい面白い標識を見かけた。ペンキの色が落ちて、元の文字は目を近づけてかろうじて読み取れそうだが、それでも左を向けた文字は見えず(「家形ヒュッテ」か?)、右に向けて「高湯」とある。興味を引いたのは、その下の横文字「ニッポンビール」。そんなビール会社があったかと、帰宅してから調べると、サッポロビールの前身で、昭和39年まで、この社名で運営していたらしい。少なくとも60年、あるいは70年以上前の標識だろう。

(これは山なのか。ピーク状にはなっていなかった)


(これもかつての標識なのだろうが、ニッポンビールの8年前記事に記載はない)


(スキー場に向けた標識はこれだけ。この先、ゲレンデのような平地は見あたらなかった)


(きれいに見えた。どんより空だから?)


(これも)


(ようやく賽河原に到着)


(ここで、改めて賽河原の標識)


 同じ風景の中に、<山鳥山>、<スキー場跡地>の標識が続き、ポツポツと色づきの良いのを見て、ようやく分岐点の<賽河原>に到着した。14時50分。やはりここの手前に賽の河原の風景はなかった。ここまで、一切経山から2時間20分かかった。駐車場まではまだ30分歩く。展望の広がった林道歩きの方がましのような気がする。

(往路では気づかなかった。これが100枚置かれていたのか)


(ようやく終点ぽくなって)


(登山口に戻った)


(まさに、ご苦労さまでしたとしか言いようがなかった)


 15時23分、駐車場に帰還。賽河原からは惰性で歩いていた。とにかくタバコを吸いたかった。車から取り出し、縁石に腰かけて一服。むせた。そして、咳き込んだ。咳は止まらない。タバコは消した。山行の印象はまったく出てこない。きつかった、それだけ。とにかく、早く家に帰りたい。今日は来る途中、車の中で菓子を2個食べたきりだったが、食欲はまったくなく、途中でラーメン屋に寄るとか、風呂に入るという発想すら浮かばない。
 帰路は長かった。平日ゆえ、渋滞はなくスムーズな流れではあったが、那須から宇都宮にかけては一時的に強い雨にあたった。

 この日の夜のことだ。眠くてどうしようもないのに、足首の痛みが下肢全体に広がり、その都度にロキソニンを塗ったり、カロナールを服用したりしたが、一時的に痛みが消えても、すぐに戻って来る。ほとんど寝られずのままに朝を迎えた。こんなのは初めての体験だ。そして二日間、階段歩きは手すりに頼らざるを得なかった。ほとんど山歩きもせず、いきなりこんなところを歩いたものだから、身体もついてこられなかったのだろう。どうやら、風邪も悪化したようだ。

(今回の歩き)

(この地図は電子地形図25000(国土地理院)を加工して使用しています(令和元年手続改正により申請適用外

コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 残念ながら蔵王の紅葉は見送... | トップ | 西沢渓谷で滝とモミジの競演... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
シモフリ新道 (みー猫)
2024-10-27 18:25:31
こんばんは。昨年ここ下りで通過しましたが、同じくガスで見るもの見れずでした。日帰りでの方達もいらっしゃいましたが、登りはキツイと言われていたので、後日までの苦行も妥当なのかも知れないと思いました(汗)紅葉は綺麗なのが、たそがれさんの記事で良く理解できましたので、また行く機会がありましたら、良いタイミングで是非登りで行きたいと思います(でも日帰りは勘弁で 笑)
返信する
みー猫さん (たそがれオヤジ)
2024-10-27 22:10:20
みー猫さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
日帰りですか…。東大巓の先まで行かれて、日帰りは、いくら何でもきついと思いますよ。どう考えても、今回の私の歩きの2.5倍の距離になるでしょうし、むしろ、それを日帰りでやったら、化け物のような気がします。
こんなことを言っては何ですが、シモフリ新道の登りは、さほどにきつくはありません。確かに急斜面箇所はありますが、不動沢から稜線への登り返しだけで、時間的にも15分あるかどうかといったところでした。その先もきついところはありません。
しかしながら、みー猫さんの時もガスガスだったらしく、絶景を見られなかったのはがっかりです。今度行くとしたら、下りで使った道は使わず、スカイライン側からシモフリ新道に上がってのミニ周回にしたいところです。
返信する

コメントを投稿

東北の山」カテゴリの最新記事