たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

花巻の滝を三本─釜淵の滝、緒ヶ瀬の滝、薄衣の滝。

2024年10月16日 | 東北の山
◎2024年10月12日(土)

 孫の運動会を見終え、昼食もとらずに花巻に向かったが、花巻温泉郷に着いたのはもう15時30分になっていた。花巻温泉に宿をとっているわけでもなく、日没までの1時間半ほどでどれくらいはしごができるだろうか。できれば、予定の三滝は今日中に観ておきたい。見逃しを明朝に回せば、秋田に向かうのが慌しくなる。
 前日の白龍の滝と違って、観光滝巡りだし、特別なハプニングもなかったので、写真掲載と簡単なコメントだけにする。

【釜淵の滝】
(駐車地からは遊歩道が整備されている)


(時間もかからずに滝が見えてきた。変わった形の滝だ)


(窪みが特徴的)


(窪みをアップで)


(左のサラッとした流れ)


(横から)


(次は緒ヶ瀬の滝だが、道を知らずに温泉街に入ってしまった)


【緒ヶ瀬の滝】
 無駄にぐるりと回ってしまったが、緒ヶ瀬の滝は、駐車地のすぐ向かい側にあった。

(お堂と鳥居。鳥居の先は後で見に行こう)


(緒ヶ瀬の滝。きれいな滝だった)


(滝つぼ。浅い)


(下から落ち口を見る)


(別の角度から)


(鳥居の先には不動明王と観音様。後ろに緒ヶ瀬の滝)


【薄衣の滝】
 三滝目には何とか行けた。こちらは花巻温泉郷ではなく、花巻南温泉峡の方になる。結構距離があり、16時半を過ぎ、もう周辺は薄暗くなっている。撮れた写真はほとんどピンボケになっていた。

(前二つの滝と違って、ある程度は歩くし、道は悪い)


(左手に崩壊地)


(失礼。かなりのピンボケ。二段滝で、下が薄衣の滝で、上が天狗の滝になる)


(薄衣の滝)


(どうもあの枝が邪魔になる)


(かろうじて撮った天狗の滝。左に天狗様。薄暗い中で見る限りは、天狗の滝まではか細い踏み跡ながらも行けそうだった。転んで戻れなくなる心配もあったので、先には行かなかった)


(本日のラスト。ダメ押しで)


(駐車地に戻った。16時50分)


◎後日談……他人様には笑い話かも。
 翌日13日開催の同窓会は楽しかった。楽し過ぎて呑み過ぎた。5年前は台風と重なり、来られなかった連中が今回は来ていたということもある。
 酒は強い方ではない。好きではあるが、むしろ体質的には弱い。それなのに、焼酎をガブガブ呑んではあちこちに座を移しては話を楽しんだ。
 トイレに行く階段で何回か転んだ。メガネが曲がってしまい、外したことはかすかに覚えている。ふらつきながら、忠男と晃に宿まで送ってもらった。とんでもない醜態だった。
 翌朝は寒さとおしゃべりで目が覚めた。聞こえるおしゃべりは真紀子と智子だろう。不思議に二日酔いではなく、むしろ頭は熟睡ですっきりしていて、持参のパジャマ姿だったのにはアレっと思った。着替えもせずにそのまま布団にバタンキューとばかりに思っていた。
 メガネを探し出して驚いた。フレームがひん曲がっている。直そうとしても戻らない。それもそのはず。レンズとの堅い接合部分が曲がってずれていて、これでは専用工具がないと無理。メガネそのものが顔にかけられない。あきらめて、予備で持って歩く度付きサングラスにした。いったい、どんな転び方をしたのだろう。全身を見ると、左腕にうっ血があるだけで、このうっ血すら、白龍の滝の時のものかも知れず、念のために頭のあちこちにさわってみたがコブもなかった。
 まず最初にやったこと。今日の福島の宿泊先に電話して、キャンセルをした。いくらサングラスがあるとはいえ、これで山を歩くのは苦痛だ。ドタキャンだから、宿泊代100%の請求かと思ったが、キャンセル料は不要とのこと。そんなことがあるのかと、半ばほっとした。
 宿の主人に呼ばれて朝食に出向いた。真紀子、智子、真理子、節子がいた。他にはいない。女は魔物だ。昨日の同窓会で、現姓での名札を見ては「〇〇子?」と聞き、しばらくじっと顔を見ていても、思い出の顔とは直結しない。その点、男はわかりやすい。禿げ上がっても、面影だけは残って、印象は過去から今の顔に切り離されながらも、イメージとしての今昔両方の顔で残る。女達の今の顔は昔の彼女らからはほど遠い。今、会っても、昨日確認したはずなのにすでに脳裏にはない。だが、朝食の席にいた女性四人は例外で、すぐにわかった。スマートになっていた智子には面影はある。真理子だけは、だれだっけ? と思ったが、すぐに思い出した。彼女らに、大丈夫? と言われたような気がする。メガネのことは聞かれる前に言い訳がましく自分から言った。醜態はすでに知られているはずだ。
 しかし、サングラスながらも持って歩いていてよかった。なければ運転もできない。それでも、世の中が暗く見え、その日は一日苦痛だった。
 食後に外に出てタバコを吸っていたら、隣の宿から篤が出てきた。これから駅に行って、レンタサイクルを借りて、散歩するそうだ。彼は半世紀も故郷に来ていなかった。何もなく、昔は鉱山で栄えた町でしかない。それゆえに半世紀を経ても、街並みにほとんど変化はない。閉めた店はそのままに看板だけは出している。篤とは再会を約して別れた。この篤君はスポーツ万能、成績優秀だった。オール5だったろう。
 帰りの準備をしていると、忠男がオレの様子を見に来た。忠男に聞いた。「近くにメガネ屋はないか」と。「そんなどごはねえな。大館だべな」の一言。後で考えると、福島の宿はキャンセルせずとも、福島市内に入ってから、眼鏡市場にでも寄って修理を依頼すればよいだけのことで、翌日の吾妻連峰にも行くことができた。熟睡して頭もしっかりしていたつもりでも、そこまでは考えも及ばなかった。目先のことしか頭には浮かばなかった。
 長い帰路だった。素通りの福島までも長かったが、三連休の最後の日でもあり、時間的にも那須からは断続的に渋滞し、北関東道に入ってからようやく渋滞からは解放されたが、10時間ほどかかってしまった。まだ、そんな体力は残っていたんだなと、我ながら感心してしまったが、翌日は疲れで、頭もボーっとしていた。
 地元の眼鏡市場に行き、眼鏡の修理を頼んだ。15分ほどかかったが、しっかりと直った。修理代は無料だった。ただ、教訓だけは残ったが、いずれまた同じことを繰り返すような気がする。

コメント    この記事についてブログを書く
« やはり涼しかった奥日光。湯... | トップ | 残念ながら蔵王の紅葉は見送... »

コメントを投稿

東北の山」カテゴリの最新記事