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◎2006年9月2日(土)―1人
飯豊山日帰りをやってみた。結果は、敢行は出来たものの、足の痛みをかかえての往復だった。12時間半というかなりの時間がかかってしまい、御沢のキャンプ場に帰り着いた時には、再起不能といったテイタラクだった。
金曜日の夜6時に自宅を出、御沢キャンプ場に着いたのは11時30分。このキャンプ場がどこにあるのかよく分からない。林道は工事中。川入の集落に入っても、民家の間の曲がりくねった細い道を入って行くと、川沿いの車1台が通れる砂利道に出る。夜のためか、途中、キャンプ場の表示も見つけられなかった。間違ったのかと思い、Uターンしてまた県道(喜多方市道?)に戻り、グルグルと方向違いの道に入る。予定を変更して小白布沢沿いの林道に入ってみようとしても、入り口が分からない。結局、最初に目指した林道先の砂利道をさらに進んでみて、ようやくキャンプ場の駐車場に着いた。ムダにした時間はほぼ1時間。
飯豊は初めての山だが、ネットで見ると、日帰りも可能なようだ。御沢キャンプ場から7時間半で往復したような鉄人もいる。昭文社マップでの標準タイムは計17時間40分。いくら何でもこんなにはかからないだろうと試してみた。自炊道具と水、寝具持参の避難小屋泊まりでは荷物が多すぎる。まして、1人歩きにとって、グループの多い避難小屋はどうもうっとうしいし、逆にオタクっぽく見られがち。だったら日帰りしか選択の余地は無い。連れがいたら、迷わずに小屋泊まりだろう。
キャンプ場を5時10分に出発。まだ薄暗いが、10分も歩いたら明るくなってきた。下十五里、中十五里、上十五里、笹平、横峰小屋跡、剣ケ峰、三国小屋と、ここまでは順調。かなりの上りが続いたが3時間もかからなかった。汗も相当かいたが、水は飲まなかった。途中、一人歩きのオバサンを追い越し際に立ち話をした。本山小屋に泊まると言う。やけに軽装だから変だなと思っていたら、小屋に寝具とコンロを置いてあるとのこと。旦那としょっちゅう登っているようで、常連は用具類をキープ出来るのかいな、と感心した。駐車場の管理人に「本山ぐらいは日帰りコースだよ」とからかわれたそうだが、地元の方にとってみればそうだろう。北ア・薬師岳を日帰りした時も、自分では快挙と思いながら、何ということもない、地元の人には日帰りが普通だ。峰秀水の水場でちょっと休みたかったが、6人グループが騒がしく休んでいたので、やり過ごした。この時、休んで水でも補給していたら、足の痛みも無かったかもしれない。剣ケ峰は7時半を過ぎていたが、下山者3人と行き会った。どこかの小屋に泊まったのだろう。
三国小屋には作業服を来た工事関係者が数人いた。何の工事だか知らないが、小屋の裏にはユンボが置いてあった。午後にヘリが迎えに来るとか言っていた。この小屋のトイレも、先の切合小屋、本山小屋も水洗だそうだ。中を覗いたわけではないが、外観はきれいで、本山小屋には料金箱が備えつけられていた。100円の使用料。トイレの先にはタンクが埋められていて、さらにその先には、バルブ付きの排水パイプが露出していた。大方、これで外に出すのであろう。
さて、三国小屋からの急降下と上り。ここで足がおかしくなった。最初は右足の大腿部から始まり、左足大腿部、右のふくらはぎ、左のふくらはぎ、と痛みが走った。我慢が出来ない。まるで、熱い痛みの固まりを4か所に持ってしまった状態というか。足を伸ばしていると、足が折れてしまうのではないかというような痛みである。そのうち痙攣がはじまり、思わず、地べたに座りこんでしまった。まさに七転八倒。もう、だめだ。歩けない。座った状態でいても痛みはひかず、うつぶせになって少しは楽になった。しかし、立ち直って歩くと、また激痛。しばらく揉んで痛みをやわらげ、歩き出したが、痛みは抜けない。牛歩になってしまった。戻ることを考えたが、再挑戦をして、ここまでのきつい上りを再体験する気はない。とりあえず切合小屋までは行こうと決めた。そこで足の痛みがまだあったら、戻ろう。山仲間の木らには、飯豊山日帰りを敢行したことにしておこう。証拠を見せろと言われたら、カメラを忘れたとでも言っておけばいいや。情報はネットで氾濫しているし、我田引水してもだれも文句は言わないだろう。不思議にだれとも会わなかった。こんな格好を見られていたら恥だ。
このルートのきびしいところは、巻き道が無いこと。必ず、一旦、ピークに上り、下降する。この繰り返し。帰り途、疲れた感じのオヤジさんに「切合小屋まで、後いくつ山を越えるんだい?」と聞かれ、「もう2つですよ」と答えたら、ゲンナリしていた。三国小屋から御秘所までは、この上り下りの連続だ。
足の痛みを引きずってようやく切合小屋。三国小屋から1時間40分もかかってしまった。コースタイムが1時間50分だから、キャンプ場から三国小屋まで3時間以上短縮したのに比べたら、かなりのオーバータイム。相当に千鳥足だったわけだ。
切合小屋でしばらく休んだ。小屋脇の水をたっぷり飲み、パンと羊羹を食べる。ようやく痛みも薄らいできた。後で知ったのだが、体内の水分が汗で出てしまうと、体液の濃度が上昇し、細胞間のエネルギー補給作用が鈍ってしまい、痙攣や筋肉痛が発生しやすくなるのだそうだ。今回の足の痛みもこれがわざわいいしたのだろうか。まっ、ここまで来たのだから、もう山頂まで行ってしまおうと判断。ただ、痛みはそのまま温存だから、無理な足運びはもう出来ない。
草履塚の標識にはサンダルが紐で結わえてあった。草履とサンダルは違う物だと思うのだが。わざわざふもとから運んだものではなく、だれか小屋から持ってきたサンダルをここに置いていったのではなかろうか。残雪が結構、そこらじゅうにある。飯豊本山も見えたり、消えたり。ガスが巻いているようだ。草履塚からの下りが応える。帰りにはこれを登るのかと思うだけで足が痛くなる。下りの途中から、鞍部で赤いものが見えたので、だれかが休んでいるのかと思ったら、これが姥地蔵がまとったビニールだった。
御秘所とは何やらいやらしい気配が漂う名称だが、ただの岩場。いわれはあるのだろうが。ここから最後の急登ということになるのだろうが、さっきから、ずっと後ろから来る単独がいる。うっとうしいので、先に行ってもらった。「本山小屋ってどこらにあるのですかね」と問われたが、こちらとて未知。答えようがない。かなりの健脚のようだ。すぐに姿が見えなくなってしまった。一ノ王子までの上りはかなり足に応えた。痛みのぶり返し。何度も立ち止まっては足をだました。本山小屋に着いたのは11時40分。
切合小屋で水をガブガブ飲んだせいか、トイレに行きたかったが、100円ボックスがあったので我慢した。無料であったとしても、山小屋のトイレはどうも落ち着かない。山頂を目指すが、またガスで見え隠れしている。小屋周辺はカンカン照りでこんなに暑いのに。
山頂からファミリーが下りてきた。すれ違いざまに「今、山頂にいるご夫婦、この飯豊で100名山達成だそうですよ」。こういう話題にはあまり興味が無い。山頂には、この夫婦と、さっき追い越して行った単独がいた。単独は帰るところ。やはり日帰りだそうだ。3人になってしまった。話ぶりからして夫婦は関西人のようだ。まだ、100名山を目標にするような老齢には見えなかった。食事の支度をしている。夫婦でこうやって全国を回っているのだから、金も時間もたっぷりとあるのだろうな。うらやましい限り。取りあえずの目標の後は、岩崎百名山にでもするのか、二百名山にでもするのか、聞いてみたい衝動にかられたが、関西弁で延々と話が続くといやになるので、挨拶以外に自分から話しかけるのはやめといた。北面はガスで何も見えないが、南はある程度展望が広がる。また、パンと羊羹を食べて、足を揉んだ。
飯豊下山は12時10分。上りに6時間40分費やしたから、下りは5時間とみて、キャンプ場は17時過ぎか。一応の目安にする。
草履塚13時15分、切合小屋13時45分。一ノ王子の下りで例の本山小屋キープのオバサン、水場にいた6人組と出会った。皆さん、お疲れのご様子。6人組に交じった紅一点のネエサンに「日帰りだったんですか?」と言われたが、内実、足の痛みで途中、どこかの小屋に泊まることになるのではなかろうかといった心配も出はじめていた。今日の本山小屋宿泊は20人くらいだろうか。切合小屋は10人、三国小屋は5人か。時間帯によって、団子状態で登ってくるから、だいたいは想像できる。
下りは本当に延々と続いた。3時過ぎの日照りはつらい。クビの後ろが日焼けで痛くなる。切合小屋の水はぬるかった。これは沢からの汲み上げる距離があるからだろうか。それに比べて峰秀水は直接だから、冷たい。おいしかった。何杯も飲んだ。上りの際には気づかなかったが、登山道の状態は良いとはいえない。両手で踏ん張って降りるところが随分とある。また、粘土質の細い回廊のような道。雨の日なんか、水もここを流れ、滑って、ドロンコになるだろう。
切合小屋では頻繁にヘリが往復して、工事用の資材を積んでいた。三国小屋に着いた時も、朝見かけた工事用の残材やらユンボまで無くなっていた。今季の整備は終了ということか。
まだか、まだかと思うほど続く。ちょっとした上りになるとウンザリする。足も痛みだす。万歩計を持参したが、山頂までは22,500歩だったから、45,000歩表示でキャンプ場だろう。頻繁に見ながら歩いた。
キャンプ場着17時45分。12時間35分もかかってしまった。あたりは薄暗くなりかけている。出発、到着ともに登山口付近の写真は暗い。キャンプ場ではジイサン仲間が七輪で魚を焼いていた。イワナかヤマメかいな。いい臭いがした。ヘトヘトになっても、嗅覚と食欲だけは健在なんだな。車まで足を引きずって行った。途中、飯豊の湯に行きたかったが、そんなことをやっていたら、かなり遅い時間の帰宅になる。帰宅が遅くなれば、睡眠時間は不規則になる。月曜日は一日ドック。着替えだけして我慢した。顔をキャンプ場の炊事場で洗い、歯を磨いただけ。磐梯山サービスエリアで給油し、喜多方ラーメンを買って帰った。
飯豊山日帰りをやってみた。結果は、敢行は出来たものの、足の痛みをかかえての往復だった。12時間半というかなりの時間がかかってしまい、御沢のキャンプ場に帰り着いた時には、再起不能といったテイタラクだった。
金曜日の夜6時に自宅を出、御沢キャンプ場に着いたのは11時30分。このキャンプ場がどこにあるのかよく分からない。林道は工事中。川入の集落に入っても、民家の間の曲がりくねった細い道を入って行くと、川沿いの車1台が通れる砂利道に出る。夜のためか、途中、キャンプ場の表示も見つけられなかった。間違ったのかと思い、Uターンしてまた県道(喜多方市道?)に戻り、グルグルと方向違いの道に入る。予定を変更して小白布沢沿いの林道に入ってみようとしても、入り口が分からない。結局、最初に目指した林道先の砂利道をさらに進んでみて、ようやくキャンプ場の駐車場に着いた。ムダにした時間はほぼ1時間。
飯豊は初めての山だが、ネットで見ると、日帰りも可能なようだ。御沢キャンプ場から7時間半で往復したような鉄人もいる。昭文社マップでの標準タイムは計17時間40分。いくら何でもこんなにはかからないだろうと試してみた。自炊道具と水、寝具持参の避難小屋泊まりでは荷物が多すぎる。まして、1人歩きにとって、グループの多い避難小屋はどうもうっとうしいし、逆にオタクっぽく見られがち。だったら日帰りしか選択の余地は無い。連れがいたら、迷わずに小屋泊まりだろう。
キャンプ場を5時10分に出発。まだ薄暗いが、10分も歩いたら明るくなってきた。下十五里、中十五里、上十五里、笹平、横峰小屋跡、剣ケ峰、三国小屋と、ここまでは順調。かなりの上りが続いたが3時間もかからなかった。汗も相当かいたが、水は飲まなかった。途中、一人歩きのオバサンを追い越し際に立ち話をした。本山小屋に泊まると言う。やけに軽装だから変だなと思っていたら、小屋に寝具とコンロを置いてあるとのこと。旦那としょっちゅう登っているようで、常連は用具類をキープ出来るのかいな、と感心した。駐車場の管理人に「本山ぐらいは日帰りコースだよ」とからかわれたそうだが、地元の方にとってみればそうだろう。北ア・薬師岳を日帰りした時も、自分では快挙と思いながら、何ということもない、地元の人には日帰りが普通だ。峰秀水の水場でちょっと休みたかったが、6人グループが騒がしく休んでいたので、やり過ごした。この時、休んで水でも補給していたら、足の痛みも無かったかもしれない。剣ケ峰は7時半を過ぎていたが、下山者3人と行き会った。どこかの小屋に泊まったのだろう。
三国小屋には作業服を来た工事関係者が数人いた。何の工事だか知らないが、小屋の裏にはユンボが置いてあった。午後にヘリが迎えに来るとか言っていた。この小屋のトイレも、先の切合小屋、本山小屋も水洗だそうだ。中を覗いたわけではないが、外観はきれいで、本山小屋には料金箱が備えつけられていた。100円の使用料。トイレの先にはタンクが埋められていて、さらにその先には、バルブ付きの排水パイプが露出していた。大方、これで外に出すのであろう。
さて、三国小屋からの急降下と上り。ここで足がおかしくなった。最初は右足の大腿部から始まり、左足大腿部、右のふくらはぎ、左のふくらはぎ、と痛みが走った。我慢が出来ない。まるで、熱い痛みの固まりを4か所に持ってしまった状態というか。足を伸ばしていると、足が折れてしまうのではないかというような痛みである。そのうち痙攣がはじまり、思わず、地べたに座りこんでしまった。まさに七転八倒。もう、だめだ。歩けない。座った状態でいても痛みはひかず、うつぶせになって少しは楽になった。しかし、立ち直って歩くと、また激痛。しばらく揉んで痛みをやわらげ、歩き出したが、痛みは抜けない。牛歩になってしまった。戻ることを考えたが、再挑戦をして、ここまでのきつい上りを再体験する気はない。とりあえず切合小屋までは行こうと決めた。そこで足の痛みがまだあったら、戻ろう。山仲間の木らには、飯豊山日帰りを敢行したことにしておこう。証拠を見せろと言われたら、カメラを忘れたとでも言っておけばいいや。情報はネットで氾濫しているし、我田引水してもだれも文句は言わないだろう。不思議にだれとも会わなかった。こんな格好を見られていたら恥だ。
このルートのきびしいところは、巻き道が無いこと。必ず、一旦、ピークに上り、下降する。この繰り返し。帰り途、疲れた感じのオヤジさんに「切合小屋まで、後いくつ山を越えるんだい?」と聞かれ、「もう2つですよ」と答えたら、ゲンナリしていた。三国小屋から御秘所までは、この上り下りの連続だ。
足の痛みを引きずってようやく切合小屋。三国小屋から1時間40分もかかってしまった。コースタイムが1時間50分だから、キャンプ場から三国小屋まで3時間以上短縮したのに比べたら、かなりのオーバータイム。相当に千鳥足だったわけだ。
切合小屋でしばらく休んだ。小屋脇の水をたっぷり飲み、パンと羊羹を食べる。ようやく痛みも薄らいできた。後で知ったのだが、体内の水分が汗で出てしまうと、体液の濃度が上昇し、細胞間のエネルギー補給作用が鈍ってしまい、痙攣や筋肉痛が発生しやすくなるのだそうだ。今回の足の痛みもこれがわざわいいしたのだろうか。まっ、ここまで来たのだから、もう山頂まで行ってしまおうと判断。ただ、痛みはそのまま温存だから、無理な足運びはもう出来ない。
草履塚の標識にはサンダルが紐で結わえてあった。草履とサンダルは違う物だと思うのだが。わざわざふもとから運んだものではなく、だれか小屋から持ってきたサンダルをここに置いていったのではなかろうか。残雪が結構、そこらじゅうにある。飯豊本山も見えたり、消えたり。ガスが巻いているようだ。草履塚からの下りが応える。帰りにはこれを登るのかと思うだけで足が痛くなる。下りの途中から、鞍部で赤いものが見えたので、だれかが休んでいるのかと思ったら、これが姥地蔵がまとったビニールだった。
御秘所とは何やらいやらしい気配が漂う名称だが、ただの岩場。いわれはあるのだろうが。ここから最後の急登ということになるのだろうが、さっきから、ずっと後ろから来る単独がいる。うっとうしいので、先に行ってもらった。「本山小屋ってどこらにあるのですかね」と問われたが、こちらとて未知。答えようがない。かなりの健脚のようだ。すぐに姿が見えなくなってしまった。一ノ王子までの上りはかなり足に応えた。痛みのぶり返し。何度も立ち止まっては足をだました。本山小屋に着いたのは11時40分。
切合小屋で水をガブガブ飲んだせいか、トイレに行きたかったが、100円ボックスがあったので我慢した。無料であったとしても、山小屋のトイレはどうも落ち着かない。山頂を目指すが、またガスで見え隠れしている。小屋周辺はカンカン照りでこんなに暑いのに。
山頂からファミリーが下りてきた。すれ違いざまに「今、山頂にいるご夫婦、この飯豊で100名山達成だそうですよ」。こういう話題にはあまり興味が無い。山頂には、この夫婦と、さっき追い越して行った単独がいた。単独は帰るところ。やはり日帰りだそうだ。3人になってしまった。話ぶりからして夫婦は関西人のようだ。まだ、100名山を目標にするような老齢には見えなかった。食事の支度をしている。夫婦でこうやって全国を回っているのだから、金も時間もたっぷりとあるのだろうな。うらやましい限り。取りあえずの目標の後は、岩崎百名山にでもするのか、二百名山にでもするのか、聞いてみたい衝動にかられたが、関西弁で延々と話が続くといやになるので、挨拶以外に自分から話しかけるのはやめといた。北面はガスで何も見えないが、南はある程度展望が広がる。また、パンと羊羹を食べて、足を揉んだ。
飯豊下山は12時10分。上りに6時間40分費やしたから、下りは5時間とみて、キャンプ場は17時過ぎか。一応の目安にする。
草履塚13時15分、切合小屋13時45分。一ノ王子の下りで例の本山小屋キープのオバサン、水場にいた6人組と出会った。皆さん、お疲れのご様子。6人組に交じった紅一点のネエサンに「日帰りだったんですか?」と言われたが、内実、足の痛みで途中、どこかの小屋に泊まることになるのではなかろうかといった心配も出はじめていた。今日の本山小屋宿泊は20人くらいだろうか。切合小屋は10人、三国小屋は5人か。時間帯によって、団子状態で登ってくるから、だいたいは想像できる。
下りは本当に延々と続いた。3時過ぎの日照りはつらい。クビの後ろが日焼けで痛くなる。切合小屋の水はぬるかった。これは沢からの汲み上げる距離があるからだろうか。それに比べて峰秀水は直接だから、冷たい。おいしかった。何杯も飲んだ。上りの際には気づかなかったが、登山道の状態は良いとはいえない。両手で踏ん張って降りるところが随分とある。また、粘土質の細い回廊のような道。雨の日なんか、水もここを流れ、滑って、ドロンコになるだろう。
切合小屋では頻繁にヘリが往復して、工事用の資材を積んでいた。三国小屋に着いた時も、朝見かけた工事用の残材やらユンボまで無くなっていた。今季の整備は終了ということか。
まだか、まだかと思うほど続く。ちょっとした上りになるとウンザリする。足も痛みだす。万歩計を持参したが、山頂までは22,500歩だったから、45,000歩表示でキャンプ場だろう。頻繁に見ながら歩いた。
キャンプ場着17時45分。12時間35分もかかってしまった。あたりは薄暗くなりかけている。出発、到着ともに登山口付近の写真は暗い。キャンプ場ではジイサン仲間が七輪で魚を焼いていた。イワナかヤマメかいな。いい臭いがした。ヘトヘトになっても、嗅覚と食欲だけは健在なんだな。車まで足を引きずって行った。途中、飯豊の湯に行きたかったが、そんなことをやっていたら、かなり遅い時間の帰宅になる。帰宅が遅くなれば、睡眠時間は不規則になる。月曜日は一日ドック。着替えだけして我慢した。顔をキャンプ場の炊事場で洗い、歯を磨いただけ。磐梯山サービスエリアで給油し、喜多方ラーメンを買って帰った。
地元の人は日帰りは普通だが、安全を考えると1泊必要。
無理をしてへりなどの世話にならないこと。
こんな行動は一歩間違えれば、地元には大迷惑、して欲しくありません。
yamaさんは地元の方でしょうか。参考になります。
それにしても管理人さんは飯豊を日帰りするなんてスゴイですね。
その体力が羨ましいです。
山キチも日帰りでした。
8回のうち一度は大日岳まで。流石に疲れました。
6回は本山まで、一度は地蔵山まで(72歳の時)
もう無理ですね!
こんな古い記事にまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
私の場合、飯豊山は一般コースでのこれ一回きりですよ。
10年前のこと、今思うと、当時から、足に障害を抱えていたんですね(他人事になってしまいますが)。おそらくは日帰り断行の気負いなのでしょうか。
いまだにこれが頻発するということは、いい歳になっても、相変わらず自分のペースがわかってないといったところでしょうか。
それにしても、飯豊山も8回ですか。山キチさんのお歳になっても、それは無理でしょうね。