たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

紅葉の浄土平を探索

2019年10月06日 | 東北の山
◎2019年9月28日(土)

浄土平(10時25分)……鎌沼(11時15分)……浄土平(12時30分)

 朝の6時に孫に起こされた。下の子はもう4時に騒ぎ出していて、こちらはうつらうつらしていた。足が痛かった。たかが4時間歩きでこの始末。ヤキが回ったものだ。着替えをして、ヒゲを剃り、顔を洗い、ベランダでタバコを吸ったらすぐに便意。トイレの後に孫を連れて散歩。公園に行き、コンビニで新聞を買った。ついでに孫にアイスを買ってやったのが失敗した。おかげで孫は朝ご飯を食べずに娘に怒られて泣き騒ぐ。悪いのはアイスを食べさせたオレだからと娘をたしなめる。
 今日は仙台空港にでも行って、飛行機を見に行こうと約束していたが、これもダンナが朝から出かけると聞いていたからのことで、当人は一向にのんびりしているので、遠回しに聞けば午後からの外出に変わったようだ。いづらくなった。長居は無用。先方にしてみれば義理の親は煙たい存在であることは自分の体験上わかっている。約束を反故にして嫌な気分になったが、今度来た時に行こうねと孫をなだめて、家を出た。別れ際、孫もバアさんなら大泣きするが、ジイさんにはけろりとしたもので、にこにこしながらのジイタンバイバイと見送られた。
 行くところは決まっていた。先日、NHKで浄土平の紅葉が始まったと放映していたし、昨夜もNHK仙台放送局でやっていた。群馬にいれば福島までわざわざ出向くことはない。帰り道で寄れるから行く。さりとて、この足の痛みでは吾妻連峰のどこかの山を登るのは無理というもの。紅葉の探索と写真撮りで十分だ。
 実は、正直のところ、孫とはいえ、遊びに連れて行くのは自分には立場上、致し方ないと思ったことで、まだまだ一人で遊びたいところなので、ほっとした気分もあった。妻への、老後は一緒にあちこちに出かけるなどといった気遣いはないに等しく、先方もあっさり受け入れることはないだろう。そこに新たな血筋のしがらみで孫が参入したのではかなわない。昔の、自分が孫であった頃の典型的なジイチャンとは今となっては少なくとも15歳くらいは感覚も違うと思っている。決して孫が可愛くないということではないが、その15年後には、このクソジジイ、早く死ねと言われながらも、せっせと小遣いを渡すことになるだろう。

 2時間ほどで浄土平に到着。ここの駐車場は有料で500円。まだ半分もうまっていない。テレビのニュースに出ながらも栗駒山とは大違い。天気はどんよりしている。やはり、昨日の栗駒山は正解だった。空身、スニーカーで吾妻小富士に向かう観光客が圧倒的のようだ。そちらに興味はない。草木はなく、紅葉期にわざわざ登る山でもなかろうに。あの山は眺める山だ。那須の茶臼岳に近い。茶臼の方がまだましか。途中で緑に出会えもする。

(とりあえず木道あるからここを歩くことにする)


(草紅葉)


 どこをどう歩くか、しっかりしたコースも考えずに浄土平にやって来た。浄土平そのものが紅葉真っただ中と思っていた。このままではどこに紅葉があるのかわからない。目の前に木道が続いている。これを歩いて奥に行くことにするか。テレビには木道が映っていた。
 看板地図を見ると、東北自然歩道線というハイキングコースで、鎌沼まで行って周回できるようになっている。これを歩くには2時間もあれば十分だろうが、さらに東吾妻山に向かえば少しは長くなる。東吾妻山は以前登ったこともあるので、足も痛いのにさらに汗をかきたくもなく木道を外れる歩きはやめておこう。紅葉に接するだけでいい。かなり消極的だが、これは栗駒山の紅葉を見た後だからのことで、今年は、紅葉に対しては限られた休日の日数ながらもガツガツするつもりでいる。さて、この案内看板だが、あちこちに火山性ガスによる立入禁止区域がいくつもあったが、自分の向かう方向にもそんなエリアがあることはまったく気づいていない。

(そしてススキ)


(一切経山?だったか)


(右にバリケード。帰路はここに出ることになる)


 ススキ野の中を歩いて行く。曇り空ゆえか晩秋の風景になっている。これではNHKの「見頃を迎えている」表現とは格段の差だ。これならどこにでも見られる風景だ。振り返ると吾妻小富士、そして左手前方には東吾妻山が見えている。東吾妻山の中腹はすこしばかり赤くなっている。いずれにせよ殺風景な景色だ。
 何だかなぁと思いながら歩いていると、次第に様相が変わってきた。正面の山、地図を見れば蓬莱山というピークらしい。ここがきれいな色づきになっている。こんなのがなければ来た甲斐もない。

(上りになった。想定していなかった)


(蓬莱山。ここで一気に紅葉づいた。ここが今日はきれいで、ちょっと変えた撮影で表紙写真にした)


 平坦な木道をずっと歩くのかと思っていたが、次第に上りになる。まさか蓬莱山を経由するわけでもないだろう。山と高原地図で確認してほっとした。たいしてきつくはないが、一気に汗が噴き出した。何せさわやかな風が流れていず、たまに硫黄の臭いが漂ってくるだけで蒸し暑い。

(振り返って吾妻山)


(アンテナだか反射板があるから高山でしょう)


(歩いている時は感じなかったが、後で写真を見ると、さも紅葉の中を歩いていたようだ。左は東吾妻山)


(そして進行左の東吾妻山の斜面)


(こんなところもあったが、さっきの写真と同じで肉眼ではさほどに感じていない)


 うって変わって、しばらくは淡い紅葉の中の歩き。さっきまで黒ずんでいた東吾妻山の山肌も近づくとまだらの紅葉の塊が見えているし、木道の先もまたオレンジと赤になっている。惜しむらくは晴れていたらかなりきれいだろうなと思うこと。近づけばきれいなことは確かだが。
 歩いているハイカーは意外と多い。大方が写真撮りが目的のようで、自分も含めて立ち止まっては歩くの繰り返しになり、同じ顔ぶれを追い越しては抜かれる。

(一時的に陽があたると、まさに見頃になる)


(しつこく東吾妻山の斜面だが、近づくにつれて紅葉のピークかなと思う。針葉樹の山のようで、ボンボンになっていないのが残念。ちなみに東吾妻山の標高は1975m)


(くどいか)


(鎌沼)


 木道の先に池が見えた。あれが鎌沼のようだ。水際では休んでいるハイカーの姿が15人ほど。姥ヶ原を通過。タバコを吸いたいので、大分先に行き、ヤブめいたところを越えて石に腰かけて休んだ。ここまで一時間も歩いていない。足の痛みは消えている。何だかあっ気ない。一切経山にでも登りたいが、そちらは立入禁止になっている。ここからなら一時間もかからないのにもったいない。
 鎌沼は大きな池だった。木道もまた周遊型になっている。不思議だなと思った。こちらは時計回りに周回するつもりで歩いているのに、半時計回りの方が多いこと。東吾妻山の分岐では、東吾妻山に向かう方もいるが、大方は自分がやって来た方向に半時計回りで歩いている。自分と同じ方向へのハイカーは多いなとは思ったが、ここでは反対側からのハイカーが目立って多い。

(鎌沼から)


(鎌沼から)


(鎌沼から)


(鎌沼で)


(釜沼。薄暗くなった。右から来て左手に向かっている)


(これでは、鎌沼を周回できそうに思ってしまう)


(改めて対岸から東吾妻山)


(斜面の紅葉。もう少し密なら好みだが)


(木道はまだ続いている)


 鎌沼の端まで行った。正面は前大巓でその右が一切経山か。山の斜面はまばらな紅葉できれいだが、もっと密だったらなぁと思う。だが、この手の紅葉もまた好みではある。
 ここに至っても相変わらず反対側から出会う方が多い。老夫婦が先で立ち止まっていた。近づくとバリケードがあった。看板を見ると、この先の左側に「大穴火口」というのがあり、そこからの火山ガスの危険があるので、この先の一切経山も浄土平方面もまた通行規制になっている。看板には「絶対に立ち入らないでください」となってはいるが、「通行禁止」ではなく「通行規制」だ。その違いはよくわからないが、それはさておき、ほとんどのハイカーがここでUターンということらしい。半時計回りのハイカーが多くなったのもうなずける。

(バリケード)


(草紅葉はこちらがきれいで、先までずっと続いている。そう思うのも、視界にハイカーの姿がないからかも)


(避難小屋。2棟もあるということは、利用ハイカーも多かったのだろう)


(正面のあの沼が気になった)


(通行規制とは思えない、廃れてもいない道が続く)


(昨日の栗駒山と同じにリンドウがあちこちに咲いていた)


 ここで、自分がどういう行動をとったか…。批判を浴びても仕方はない。老夫婦が立ち去って姿が見えなくなったのを確認してからバリケードを脇から抜け出た。やってはいけないし、浅間山の山頂に登りましたと公言しているのと同じこと。自己責任と言えばそれまでだが、足尾の山は庚申山と備前楯山のおとなしいコース以外はすべてが自己責任での歩きと思えば、感覚も鈍くなってしまう。決して肯定できる行動ではない。しらばっくれるのは嫌だから敢えて記す。しつこいが、あくまでもやってはいけないことだ。まさにオフレコだが、やってしまった以上は記す。
 木道は続いている。通行規制になってはいても、木道が廃れているところはない。荒れていないから、罪悪感も薄れてくる。
 左に山小屋が見える。見た目は新しい。2棟続き。標識には<避難小屋0.1km(至一切経山)>とある。すでにバリケードはない。さっきあったのだから、ここにもバリケードを設置したら矛盾したことになる。ちなみに、避難小屋の名称は酢ヶ平避難小屋であることを後で知る。

(やはり、吾妻小富士は眺める山だ)


(別のアングルから。火口を入れないと絵にならない)


(蓬莱山の斜面を反対側から)


(唯一、これが見えた噴煙だが、湯気なのかわからない。ガス臭はない)


 だれもいずに歩いていて気持ちが良い。正面に吾妻小富士がドーンと控え、その右手の高山らしきピークの左手に沼が見える。浄土平に戻ったらあの沼に行こうかと思ったが、すぐに視界から消えた。高い位置にある沼のようだ。左の一切経山の下で噴煙を上げているところがあるが、それは細く、煙か蒸気かわからない。ここまで硫黄の臭いは届かない。木道はいつの間にか消え、明瞭な道になった。

(そろそろ浄土平になる)


(ソーと抜けて何食わぬ顔になる)


 淡い紅葉の中を下っている。一週間後は曇天でも見頃になっているだろう。そのうちにまたバリケード。これは、来た時に見たバリケードだ。何も考えずに歩いていたからその存在を気づいてはいても意識はしていなかった。なるほど、ここに出るわけか。周囲にだれもいないのを確認して窮屈な脇からそーっと出た。ここまでやったら、罪悪感もなくなっている。顔の強張りはない。

(駐車場が見えてくる。ここからの吾妻小富士の姿は見映えがしない)


(アップで撮ると、空身の観光客が続いている)


 木道歩きに戻って浄土平の駐車場に向かう。そうそう、前方に見えた沼に行くんだった。地図を広げると桶沼という名前らしい。向かいかけると雨がポツリと落ちてきた。やめよう。見るに値する沼かもわからない。

(赤の区間を一部歩いてしまったが、率直な気持ちとしては、一切経山にもガスを吸い込んでクラクラしないで行けると思った。非難は甘んじて受ける)


 浄土平の案内看板を改めて見る。バリケードのあった辺りは酢ヶ平というようで、避難小屋分岐までは通行可能で、分岐から先は一切経山も浄土平方面も「×通行止」となっている。それでいて、「酢ヶ平から一切経山山頂への登山道。」というキャプション付きでハイカーが山頂に向かう写真が貼られている。看板を作り直せばいいのにと思うが。
 ビジターセンターで時間をつぶして帰路に就く。失礼ながら、ビジターセンターでは特に注目するものはなかった。何か食べたかったが、隣のレストハウスではレストランもやっていず、代わりに弁当を売っている。食欲はそそらなかったので、車に戻って持参の菓子パンを食べて茶で流し込む。

(一週間後だろう)


 帰路は反対側から岳温泉方面に下った。眺めの良いドライブコース。安達太良も磐梯山も見えた。車を停めて写真を撮りたかったが、撮影スポットの路肩はあっという間に過ぎてしまう。気づくのが遅すぎる。これが数回。別に赤くもない曇天の山の写真を撮ってもしょうがないかと言い訳をする。雨は依然としてポツリポツリと落ちている。

(参考)
10月1日付けの福島民報に出た記事は⇒こちらおそらく9月30日の画像だろう。自分はその2日前に行っている。

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