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◎2007年6月17日(日)
さて本番はこれから。前夜のうちに4時半起床、5時出発の予定としてある。早々と木が起き出し、じっとしていないからこちらも目が覚める。少なくともオレはぐっすりと寝た。夜中に起きることもなかった。他のメンバーがどうだったかは知らない。Y美さんに隣から押され、端っこに寝ていたY田女史は窮屈だったようだ。その原因をつくったのはY美さんの隣に寝ていた木。敢えてどういう状態であったかを記す必要もないだろう。木は、隣のオレの寝相の悪さを原因にしているようだったが。熟睡していた以上、体勢を変えたりした覚えはない。
中嶋がトイレに向かう。つられて外に出る。また頭をぶつけた。外気は5度。今日も晴れている。歯を磨き、顔を洗う。水が冷たい。この水は手洗い用で、飲料不適と書いてある。腹に悪そうな水を無理して汲んで行くこともないだろう。ヒゲを剃っている傍らで、トイレから出てきた中嶋がゲロ出しをしている。「二日酔いか?」と聞いたら、そうでもないらしい。気圧の変化と疲れか。昨夜のことはまるきし覚えていないようだ。トイレが混みはじめたので、小屋の裏で小のみする。現時点で大はその気にならない。弁当をもらい、置いてあった湯を水筒にもらう。これは無料。
ガイド付きオバサン3人グループとほぼ前後して出発。5時10分。どちらが先だったかははっきり覚えていない。途中で追い抜いたような気もする。他のグループは朝食後の出発のようだ。最初のポイント、ジャンクションピークまでは標準タイムで1時間。小屋との標高差はほぼ300m。かなりの急登だろうなとは予測したが、確かに九十九折の急な道だった。ちなみに、昨日の標高差は、小屋が2,130mとしてほぼ600m。2時間で600mと1時間で300mでは同じようなアルバイトか。ピーク付近の傾斜が緩くなったあたりで雪が現れはじめた。昨日のガイド氏や小屋のオヤジ情報も全然当てにならない。1時間を切る時間でピークに着いた。ここまでは、皆んな今のところは元気。
ジャンクションピークで休憩。東南の展望が開けている。北岳の隣にかすかに富士山。八ツ岳と奥秩父。後で登ってきたオバサンご一行が「富士山が見える」と騒ぎ出し、変な方向を指差していたので、中嶋が「どこに見えるの?」と聞いたら、「あなた、飲みすぎじゃないの?あそこの富士山、見えないの?」と言われていた。オバサン方が指差す方向には蓼科山があった。富士は富士でも別名・諏訪富士。中嶋も気の毒。しかし、このオバサン3人組、ガイドを雇っての百名山かねぇ。言葉遣い、外観からして金持ち。批判できないのは、3人ともそろって健脚であること。少し休んだだけでそそくさと霞沢岳に向かって行った。かたや我々、ダラダラと休憩する。その間、オレとY美さんはスパッツを付ける。木のスパッツはチャックがこわれていて、その後何度も試みたものの、結局付けられなかった。中嶋が「ホウトウ喰いたい、ラーメン喰いたい」と言い出す。吐き気が収まり、精力が出てきたか。しかしこれは無い物ねだり。ところで中嶋、徳本峠をトクモト峠と言っていた。
ここから最低鞍部の小沼まで一気に160m以上下る。今までの貯金がムダになる形。雪が深くなったり消えたりの繰り返し。恐ろしいのは、帰り道でこれを登り返すこと。疲れた身体にはこたえるだろうな。そろそろ、腹も空いてきたが、下りきってからにしようと、先に進む。樹林帯を下ったところには、沼というか泥の水溜りがあった。溜りのヘリを、枝をつかみながら歩くので、かなり泥がついた。少し登ったところで食事。弁当の中身はおにぎりが2個と鳥のから揚げ、小魚の佃煮、漬物。オレは腹が空いていたから、すべて食べたが、皆さん、どうも食が細くなっている。木は半分でやめている。から揚げの評判がすこぶる悪い。オレのところに回ってきたが、それ以上は食べたくないので、せっかくだがお断わりした。さて食事の後は自然現象。キジ撃ちがしたくなる。周りと前後の環境は整っているのだが、やはり気が引ける。特に女性の前では。Y田女史には、適当な岩陰まで紹介してもらったのだが我慢した。女性の前であるということもさることながら、一番の凶器は木のビデオカメラ。何をされるかわからない。代りにだれかに依頼したいのだが、これだけは無理な相談。いつもなら、気化させているうちに沈静化する。気化作用のことを特に空キジとも言うらしい。時間をかければ解消するだろう。
ようやく霞沢岳方面の展望が開ける。林の切れたところでは風があたって気持ちが良い。御嶽、乗鞍が見える。乗鞍はまだ雪深い。次第に、皆さん疲れてきた。ここまで、ずっと女性がトップで歩いてきたが、木がトップに立つ。ヤツは元気なのか、どんどん離れて先を行く。雪斜面のトラバースが3か所ばかり。ズルっといったら、かなり下まで滑落しそう。先行のオバサンたちの賑やかな声が聞こえる。単独のオジサンに抜かれる。この方は小屋泊まりだった。マラソンをやっているらしく、軽快に飛ばす。体つきは山歩きには理想的な体型。ピッケルを出してトラバースして行く。我々は、だれもピッケルは持っていない。Y田女史と中嶋の杖。単独のオバサンが下りてくる。昨日のうちに入山してテントでも張っていたのだろうか。履物はスニーカー。「登山靴じゃないから、雪が滑ってねぇ」とか言っていた。ベテランだろうけど、スニーカーというのもなんですよ。
K1ピークが見えてくる。山頂から木が叫んでいる。ロープを伝いながら登る。足元が不安定ですこぶる歩きづらい。Y美さん、Y田女史、そして中嶋と、かなり参っている。K1到着9時5分。ジャンクションピークからの標準タイムは2時間半だから、この時点では、まだ食事込みで15分程のオーバーだった。先行の方々オバサングループはK1ピークに荷をデポして、空身で霞沢岳を往復している。まずは一休み。展望は良好。先日登った焼岳の雪は消えている。西穂に向かう稜線にも雪は無い。穂高連峰が眼前に聳える。そして笠ケ岳。あの山はきつかったなぁ。相変わらず孤高を保っている。見とれてしまう。残念なのは槍ケ岳が見えないこと。穂高がじゃまをする。では、休んだところで霞沢岳に行こうかと声をかけたら、返ってきたのは木の声だけ。3人は荷物番をしているそうだ。ここまで来て、いつかまた改めて登って来るつもりでいるのであろうか。Y田女史はK1から先のK2、霞沢岳に至る稜線がアップダウンがきつそうで、無理だと言う。ほんの片道30分だよ、実際に歩けば見た目程のきつさはないよと穏やかに言っても首を縦にふらない。3人とも最低鞍部からK1ピークに至る足場の悪いところでいかれてしまったようだ。ここまで水はほぼ飲みつくしていた。小屋でそそいだお湯もない。オレが持っていた少量の水を分け合っていたから、水不足の影響もあろう。
木と霞沢岳に向かう。持ち物はほんの少量の水入り水筒とカメラ。確かにつらい程のアップダウンは感じない。K2で、ガイド氏が引き連れたオバサン3人組とマラソン単独が戻ってきた。オバサンのうち2人は疲れている気配。霞沢岳周辺は雪。直下のトラバースは重い物が乗っかったら、下に崩れそうな雰囲気。霞沢岳到着は9時50分。K1から30分。狭い山頂。表示プレートは周りが朽ちて「霞沢」の2文字だけが残っている。確かに不遇な山。K1以上の展望に、木もオレも写真を撮る。この木の写真は全滅だったわけだが。証拠も、オレのカメラで撮らせたオレの分しか残っていない。
地形図を見ると、この霞沢岳には、西方面に尾根が張り出している。この尾根を行けるのではないかと山頂から観察したが、どうもよく判別できない。後でネットで調べたら、やはり歩いているのがいて、釜トンネルから上高地寄り砂防事務所あたりから入山するらしいが、ほとんどが積雪期のバリエーションルートの扱いになっている。無雪期のレポは無かった。
K1に戻る。途中、きれいな雪を水筒に詰め、水かさを増やして、3人への土産にする。下野弁のオジサン2人。K2付近で出会う。小屋に泊まった人たちだ。木が遅れがちになり、「シャリばてだ」と騒いでいる。オレだけさっさとK1に戻る。こしらえた水は3人にあっという間に飲まれてしまい、残ったのは溶けきらなかった雪の固まりだけ。中嶋は寝ていたようだ。木がシャリばてを補うべく残りの弁当を食べはじめたが、終わる頃合いに合わせて下山。10時半。ここから明神まで長~い下山が始まる。
やはり留守番3人組は相当に疲れているようだ。Y美さんは足にきている。千鳥足の下山。オレが先に回って待つ状態になってしまったが、待ち切れずについ先まで行ってしまう。随所で10分単位の待ち時間。ジャンクションピークへの登り返しがかなり不安になってくる。さて高いところから様子を見ていると、4人ではなく、3人の姿しか見えない。変だなと思いながらも待ち続ける。もう水はないから雪を口に含む。ようやくそろったと思ったら、木がいない。中嶋の話を聞いたら、ずっと後ろを振り返ってもいなかったと言う。気になって、大声で呼んだり、けたたましい痴漢よけブザーを鳴らしたりしたが返事はない。上高地の便利さで携帯に電話を入れたら、通じたり通じなかったり。相手は出ない。ようやくつながったら、かなり後ろを歩いている。一時は遭難、滑落を想定までしたが、薄情なもので、後続の下野弁の2人に任せればいいやとまで考えていた。今度は4人でしばらく木を待ったが、視界に入ってこない。この間、ヤツはキジ撃ちをしていたという。失礼な話。3人もますます遅くなっているので、ジャンクションピークで待つことにして、先に進む。オレと同様、皆んな雪を口に含む。
いよいよ登り返し。危険なところは無いので中嶋に任せてオレだけ先に行く。朝と違い日中の気温が高くなり、雪の層から水が流れ出している。水量が少ないところは、いろんな物が混じって汚いが、太い水になっている箇所では、意外に水はきれい。時間をかけて水筒に補給する。ジャンクションピークで待つこと30分、ようやく木も含めて到着。オレと木のすくったおいしい雪解け水をふるまった。最初はやはりためらうが、都合1.5リットルの水がすぐに無くなった。木の遭難騒ぎは、結局、K1からの下山時、食後のブドウ糖の補給・循環に20分かかってしまい、出発が遅れてしまったとか。わけの分からないことを言っている。いずれにせよ、全員集合は1時20分。K1から3時間くらいかかった。標準は2時間。しばらく休憩。Y美さんの足がダメになっている。足を上げて通過するところでは、つい転んでしまう。
小屋に向かう。この下りがいやらしい。えらく長く感じる。中嶋からショウジョウバカマを教わる。彼は詳しいのか、尾瀬派遣の際に山野草に精通したようだ。オレもタラの芽だけは分かった。小屋に向かう分岐でY田女史がトイレを使いたいと言う。木がエスコート。オレ達3人は先の合流で待つことにする。木が小屋番のオッサンから、今夜は単独の素泊まりから予約が入っているという話を聞きつけてきた。中嶋の杖をY美さんに持たせ、荷物の一部を木のザックに移す。幾分、Y美さんも楽だろうが、歩く格好は座頭市そのものだから、下りの危険な所では、オレが先回りした。すごく長く感じた。水場で栃木のオッサン組に抜かれる。あの方々も随分とゆっくり歩いたものだ。不思議なのは、あの2人組、5分くらいの間隔で別々に歩いて来た。本来、お互い単独だったのだろうか。今度は、Y田女史も橋では怖がらなかった。明神着は4時40分。無性にスイカと冷麺が喰いたい。
明神でラーメンを食べる。800円。正直のところまずい。さらにセルフサービス。中嶋とオレは中生ビールを飲んだ。これも上高地料金の800円。徳沢峠小屋のオッサンのジムニーが下って行く。素泊まりはキャンセルになったのか。女2人を先に行かせる。Y美さんも、平地になってから、何とか持ちこたえている。男3人、タバコを吸いながら休んでいたら、京都なまりの女親子にベンチに垂れる木を指差され「この桜は何というのですか?」と聞かれた。だれも知らない。中嶋は尾瀬の草花しか知らないようだ。そもそも、3人とも桜の一種であることが分からない。木がこれを機に、得意の話芸を展開する。「キツネとサルを見た」という話を聞き、またトラの話で答える。しばらく、上高地方面までいっしょだった。適当に木が相手をしていたが、相手先は母親の方で、娘の方からは無視されていた。
タクシーの運行時間が気になった。釜トンネルは7時に閉鎖するとのこと。6時過ぎにはタクシーも引き上げるだろう。急いだ。上高地着5時50分。もう大丈夫だろうと、最後の休憩。この時間の上高地は宿泊客だけだろう。がらんとしている。木の孫への土産は河童印のカスタネット。好々爺ぶりを発揮している。タクシーの運転手には岐阜のなまりがあった。繁忙期は沢渡と上高地を12往復するそうだ。しめて96,000円の売り上げ。タクシーとしてはいい方だろう。沢渡の駐車場に到着。長~い旅路だった。足の裏にマメが出きた。Y田女史の解説によれば、靴下が合わないからだろうとのこと。次回は、乗鞍あたりに物見遊山で行こうかということになった。前橋に着いたのは10時。翌日は月曜日、皆んな、仕事に響くだろうな。
さて本番はこれから。前夜のうちに4時半起床、5時出発の予定としてある。早々と木が起き出し、じっとしていないからこちらも目が覚める。少なくともオレはぐっすりと寝た。夜中に起きることもなかった。他のメンバーがどうだったかは知らない。Y美さんに隣から押され、端っこに寝ていたY田女史は窮屈だったようだ。その原因をつくったのはY美さんの隣に寝ていた木。敢えてどういう状態であったかを記す必要もないだろう。木は、隣のオレの寝相の悪さを原因にしているようだったが。熟睡していた以上、体勢を変えたりした覚えはない。
中嶋がトイレに向かう。つられて外に出る。また頭をぶつけた。外気は5度。今日も晴れている。歯を磨き、顔を洗う。水が冷たい。この水は手洗い用で、飲料不適と書いてある。腹に悪そうな水を無理して汲んで行くこともないだろう。ヒゲを剃っている傍らで、トイレから出てきた中嶋がゲロ出しをしている。「二日酔いか?」と聞いたら、そうでもないらしい。気圧の変化と疲れか。昨夜のことはまるきし覚えていないようだ。トイレが混みはじめたので、小屋の裏で小のみする。現時点で大はその気にならない。弁当をもらい、置いてあった湯を水筒にもらう。これは無料。
ガイド付きオバサン3人グループとほぼ前後して出発。5時10分。どちらが先だったかははっきり覚えていない。途中で追い抜いたような気もする。他のグループは朝食後の出発のようだ。最初のポイント、ジャンクションピークまでは標準タイムで1時間。小屋との標高差はほぼ300m。かなりの急登だろうなとは予測したが、確かに九十九折の急な道だった。ちなみに、昨日の標高差は、小屋が2,130mとしてほぼ600m。2時間で600mと1時間で300mでは同じようなアルバイトか。ピーク付近の傾斜が緩くなったあたりで雪が現れはじめた。昨日のガイド氏や小屋のオヤジ情報も全然当てにならない。1時間を切る時間でピークに着いた。ここまでは、皆んな今のところは元気。
ジャンクションピークで休憩。東南の展望が開けている。北岳の隣にかすかに富士山。八ツ岳と奥秩父。後で登ってきたオバサンご一行が「富士山が見える」と騒ぎ出し、変な方向を指差していたので、中嶋が「どこに見えるの?」と聞いたら、「あなた、飲みすぎじゃないの?あそこの富士山、見えないの?」と言われていた。オバサン方が指差す方向には蓼科山があった。富士は富士でも別名・諏訪富士。中嶋も気の毒。しかし、このオバサン3人組、ガイドを雇っての百名山かねぇ。言葉遣い、外観からして金持ち。批判できないのは、3人ともそろって健脚であること。少し休んだだけでそそくさと霞沢岳に向かって行った。かたや我々、ダラダラと休憩する。その間、オレとY美さんはスパッツを付ける。木のスパッツはチャックがこわれていて、その後何度も試みたものの、結局付けられなかった。中嶋が「ホウトウ喰いたい、ラーメン喰いたい」と言い出す。吐き気が収まり、精力が出てきたか。しかしこれは無い物ねだり。ところで中嶋、徳本峠をトクモト峠と言っていた。
ここから最低鞍部の小沼まで一気に160m以上下る。今までの貯金がムダになる形。雪が深くなったり消えたりの繰り返し。恐ろしいのは、帰り道でこれを登り返すこと。疲れた身体にはこたえるだろうな。そろそろ、腹も空いてきたが、下りきってからにしようと、先に進む。樹林帯を下ったところには、沼というか泥の水溜りがあった。溜りのヘリを、枝をつかみながら歩くので、かなり泥がついた。少し登ったところで食事。弁当の中身はおにぎりが2個と鳥のから揚げ、小魚の佃煮、漬物。オレは腹が空いていたから、すべて食べたが、皆さん、どうも食が細くなっている。木は半分でやめている。から揚げの評判がすこぶる悪い。オレのところに回ってきたが、それ以上は食べたくないので、せっかくだがお断わりした。さて食事の後は自然現象。キジ撃ちがしたくなる。周りと前後の環境は整っているのだが、やはり気が引ける。特に女性の前では。Y田女史には、適当な岩陰まで紹介してもらったのだが我慢した。女性の前であるということもさることながら、一番の凶器は木のビデオカメラ。何をされるかわからない。代りにだれかに依頼したいのだが、これだけは無理な相談。いつもなら、気化させているうちに沈静化する。気化作用のことを特に空キジとも言うらしい。時間をかければ解消するだろう。
ようやく霞沢岳方面の展望が開ける。林の切れたところでは風があたって気持ちが良い。御嶽、乗鞍が見える。乗鞍はまだ雪深い。次第に、皆さん疲れてきた。ここまで、ずっと女性がトップで歩いてきたが、木がトップに立つ。ヤツは元気なのか、どんどん離れて先を行く。雪斜面のトラバースが3か所ばかり。ズルっといったら、かなり下まで滑落しそう。先行のオバサンたちの賑やかな声が聞こえる。単独のオジサンに抜かれる。この方は小屋泊まりだった。マラソンをやっているらしく、軽快に飛ばす。体つきは山歩きには理想的な体型。ピッケルを出してトラバースして行く。我々は、だれもピッケルは持っていない。Y田女史と中嶋の杖。単独のオバサンが下りてくる。昨日のうちに入山してテントでも張っていたのだろうか。履物はスニーカー。「登山靴じゃないから、雪が滑ってねぇ」とか言っていた。ベテランだろうけど、スニーカーというのもなんですよ。
K1ピークが見えてくる。山頂から木が叫んでいる。ロープを伝いながら登る。足元が不安定ですこぶる歩きづらい。Y美さん、Y田女史、そして中嶋と、かなり参っている。K1到着9時5分。ジャンクションピークからの標準タイムは2時間半だから、この時点では、まだ食事込みで15分程のオーバーだった。先行の方々オバサングループはK1ピークに荷をデポして、空身で霞沢岳を往復している。まずは一休み。展望は良好。先日登った焼岳の雪は消えている。西穂に向かう稜線にも雪は無い。穂高連峰が眼前に聳える。そして笠ケ岳。あの山はきつかったなぁ。相変わらず孤高を保っている。見とれてしまう。残念なのは槍ケ岳が見えないこと。穂高がじゃまをする。では、休んだところで霞沢岳に行こうかと声をかけたら、返ってきたのは木の声だけ。3人は荷物番をしているそうだ。ここまで来て、いつかまた改めて登って来るつもりでいるのであろうか。Y田女史はK1から先のK2、霞沢岳に至る稜線がアップダウンがきつそうで、無理だと言う。ほんの片道30分だよ、実際に歩けば見た目程のきつさはないよと穏やかに言っても首を縦にふらない。3人とも最低鞍部からK1ピークに至る足場の悪いところでいかれてしまったようだ。ここまで水はほぼ飲みつくしていた。小屋でそそいだお湯もない。オレが持っていた少量の水を分け合っていたから、水不足の影響もあろう。
木と霞沢岳に向かう。持ち物はほんの少量の水入り水筒とカメラ。確かにつらい程のアップダウンは感じない。K2で、ガイド氏が引き連れたオバサン3人組とマラソン単独が戻ってきた。オバサンのうち2人は疲れている気配。霞沢岳周辺は雪。直下のトラバースは重い物が乗っかったら、下に崩れそうな雰囲気。霞沢岳到着は9時50分。K1から30分。狭い山頂。表示プレートは周りが朽ちて「霞沢」の2文字だけが残っている。確かに不遇な山。K1以上の展望に、木もオレも写真を撮る。この木の写真は全滅だったわけだが。証拠も、オレのカメラで撮らせたオレの分しか残っていない。
地形図を見ると、この霞沢岳には、西方面に尾根が張り出している。この尾根を行けるのではないかと山頂から観察したが、どうもよく判別できない。後でネットで調べたら、やはり歩いているのがいて、釜トンネルから上高地寄り砂防事務所あたりから入山するらしいが、ほとんどが積雪期のバリエーションルートの扱いになっている。無雪期のレポは無かった。
K1に戻る。途中、きれいな雪を水筒に詰め、水かさを増やして、3人への土産にする。下野弁のオジサン2人。K2付近で出会う。小屋に泊まった人たちだ。木が遅れがちになり、「シャリばてだ」と騒いでいる。オレだけさっさとK1に戻る。こしらえた水は3人にあっという間に飲まれてしまい、残ったのは溶けきらなかった雪の固まりだけ。中嶋は寝ていたようだ。木がシャリばてを補うべく残りの弁当を食べはじめたが、終わる頃合いに合わせて下山。10時半。ここから明神まで長~い下山が始まる。
やはり留守番3人組は相当に疲れているようだ。Y美さんは足にきている。千鳥足の下山。オレが先に回って待つ状態になってしまったが、待ち切れずについ先まで行ってしまう。随所で10分単位の待ち時間。ジャンクションピークへの登り返しがかなり不安になってくる。さて高いところから様子を見ていると、4人ではなく、3人の姿しか見えない。変だなと思いながらも待ち続ける。もう水はないから雪を口に含む。ようやくそろったと思ったら、木がいない。中嶋の話を聞いたら、ずっと後ろを振り返ってもいなかったと言う。気になって、大声で呼んだり、けたたましい痴漢よけブザーを鳴らしたりしたが返事はない。上高地の便利さで携帯に電話を入れたら、通じたり通じなかったり。相手は出ない。ようやくつながったら、かなり後ろを歩いている。一時は遭難、滑落を想定までしたが、薄情なもので、後続の下野弁の2人に任せればいいやとまで考えていた。今度は4人でしばらく木を待ったが、視界に入ってこない。この間、ヤツはキジ撃ちをしていたという。失礼な話。3人もますます遅くなっているので、ジャンクションピークで待つことにして、先に進む。オレと同様、皆んな雪を口に含む。
いよいよ登り返し。危険なところは無いので中嶋に任せてオレだけ先に行く。朝と違い日中の気温が高くなり、雪の層から水が流れ出している。水量が少ないところは、いろんな物が混じって汚いが、太い水になっている箇所では、意外に水はきれい。時間をかけて水筒に補給する。ジャンクションピークで待つこと30分、ようやく木も含めて到着。オレと木のすくったおいしい雪解け水をふるまった。最初はやはりためらうが、都合1.5リットルの水がすぐに無くなった。木の遭難騒ぎは、結局、K1からの下山時、食後のブドウ糖の補給・循環に20分かかってしまい、出発が遅れてしまったとか。わけの分からないことを言っている。いずれにせよ、全員集合は1時20分。K1から3時間くらいかかった。標準は2時間。しばらく休憩。Y美さんの足がダメになっている。足を上げて通過するところでは、つい転んでしまう。
小屋に向かう。この下りがいやらしい。えらく長く感じる。中嶋からショウジョウバカマを教わる。彼は詳しいのか、尾瀬派遣の際に山野草に精通したようだ。オレもタラの芽だけは分かった。小屋に向かう分岐でY田女史がトイレを使いたいと言う。木がエスコート。オレ達3人は先の合流で待つことにする。木が小屋番のオッサンから、今夜は単独の素泊まりから予約が入っているという話を聞きつけてきた。中嶋の杖をY美さんに持たせ、荷物の一部を木のザックに移す。幾分、Y美さんも楽だろうが、歩く格好は座頭市そのものだから、下りの危険な所では、オレが先回りした。すごく長く感じた。水場で栃木のオッサン組に抜かれる。あの方々も随分とゆっくり歩いたものだ。不思議なのは、あの2人組、5分くらいの間隔で別々に歩いて来た。本来、お互い単独だったのだろうか。今度は、Y田女史も橋では怖がらなかった。明神着は4時40分。無性にスイカと冷麺が喰いたい。
明神でラーメンを食べる。800円。正直のところまずい。さらにセルフサービス。中嶋とオレは中生ビールを飲んだ。これも上高地料金の800円。徳沢峠小屋のオッサンのジムニーが下って行く。素泊まりはキャンセルになったのか。女2人を先に行かせる。Y美さんも、平地になってから、何とか持ちこたえている。男3人、タバコを吸いながら休んでいたら、京都なまりの女親子にベンチに垂れる木を指差され「この桜は何というのですか?」と聞かれた。だれも知らない。中嶋は尾瀬の草花しか知らないようだ。そもそも、3人とも桜の一種であることが分からない。木がこれを機に、得意の話芸を展開する。「キツネとサルを見た」という話を聞き、またトラの話で答える。しばらく、上高地方面までいっしょだった。適当に木が相手をしていたが、相手先は母親の方で、娘の方からは無視されていた。
タクシーの運行時間が気になった。釜トンネルは7時に閉鎖するとのこと。6時過ぎにはタクシーも引き上げるだろう。急いだ。上高地着5時50分。もう大丈夫だろうと、最後の休憩。この時間の上高地は宿泊客だけだろう。がらんとしている。木の孫への土産は河童印のカスタネット。好々爺ぶりを発揮している。タクシーの運転手には岐阜のなまりがあった。繁忙期は沢渡と上高地を12往復するそうだ。しめて96,000円の売り上げ。タクシーとしてはいい方だろう。沢渡の駐車場に到着。長~い旅路だった。足の裏にマメが出きた。Y田女史の解説によれば、靴下が合わないからだろうとのこと。次回は、乗鞍あたりに物見遊山で行こうかということになった。前橋に着いたのは10時。翌日は月曜日、皆んな、仕事に響くだろうな。