我が家の猫らは、
すっかり通常モードだ。
おはようございます。
あやは朝から騒がしいし、おたまは寝てばっかりだし、
のん太は、いつもより甘えん坊になっている。
保護猫がいた時は、その時限定で、
あやは脅かさないように静かだし、おたまは子猫のために立ち上がり、
のん太は、甘えん坊を封印して、まるで母のように世話をする。
それが旅立った瞬間、通常モードに戻るのだから、
猫は凄いもんだ。
そんな様子を見ると、
「さて、私ももう一丁、やらんとかんな」と思うわけで。
ヨシヤスな!
私の父だ。
去年末から、一気に衰えた様子のヨシヤス、
愚痴と文句は衰えるどころか、愚痴と文句のスペックが上がっている。
とりあえず、総合病院で体のあちこちを調べても、異常無し。
病気も見つからないし、なんと、認知症もないという。
「あのボケはなんなのだ?」
さては・・・
ヨシヤスは昔から、手段を選ばない。
自分の欲求のために、
脅してみる。ごねてみる。下手に出てみる。暴れてみる。嘘を付いてみる。
などなど、人の迷惑顧みずだった。
それでも叶わないと、
「家族もろとも、不幸にしてやる!」と言って、
さらに、自分を拗らせるのだ。
いわゆる、メンヘラDV男だ。
さては、
わざとボケたりして、私を困らせて、思い通りに行かない己を慰めているのじゃないか?
こんな歳になっても、それでもその手段を使っているのかと思うと、
殺意が湧く。
いや、湧いていた。
「なぁんだ。父さんは弱い人間なんだ。」
俺ほど辛抱強くて、俺ほど強くて、俺ほど働き者はおらん。
昔から、魂に刻まれるほど、そう言い聞かされてきたが、
冷静に記憶をたどってみれば、
「こいつ、全然、たいしたこと、してねぇ!」
ということに気付いた。
たしかに、辛抱強いし、厳ついし、働き者だったが、
その裏で、
私と姉は辛抱し、暴力と戦い、
親を頼らず幼い頃から何でも自分でやってきた。
それは、伊達じゃない。
「私も、辛抱して耐えて、こんな親の元で育った強さがあるからさぁ。
父さん、やるならやりな。
子供だましの手段なんてね、小手先で潰してやるよ。あーっはっはっはーーー」
私は父の前で、そう言って、高らかに笑って見せた。
ヨシヤスの文句、全て奪います。
文句のもの字が出たら、その文句の矛先を改善する。
何不自由なく暮らせるよう、先手先手を打ちまくってきた。
するとヨシヤスは、頑張って文句を探し始める。
それはもう、ただの因縁だ。
そこまでするとなると、もはや哀れで笑えて来る。
「父さん、頑張って文句探しとるねぇ。見つかった?
文句、見つかったんか?脳トレになるぞ~。頑張れ!」
ところが、
当のヨシヤスは、すっかり生気を無くして、もう寝てばっかりになった。
「足が弱って来て、うまいこと歩けん」
やべっ!
やり過ぎたーーーー!!
そうなると、さすがに反省だ。
文句を奪ってやると息巻いていたが、私はやり過ぎた。
人ってのは、何でもやってもらうと、それはそれでストレスになる。
なんでもやらなきゃいけないのも、ストレスだ。
文句言うのもストレスなくせに、
文句が言えない生活は、生気を奪う。
ややこしい生き物だ。
どっちにしても、ストレスになるんだなっということを目の当たりして、
反省以上に、勉強になった。
ヨシヤスの機能を考慮して、やれることはやってもらおう。
愚痴や文句は、スルーしよう。
ヨシヤスを弱らせたことへの反省は・・・もう済んだ。
お互い様だから。
私も苦しんだし、ヨシヤスも苦しんだ。
苦しんだ先に、今があるんだから、それでいいじゃんっと思えている。
ということで、今後の目標は、
ヨシヤス、デイサービスへ行けーい!だ。
リハビリに特化したセンターで、ガツガツ足腰を鍛えてもらおうと思います。
おい、おたま!
お前は最近、立ったとこ、あまり見ないけど、
それでいいのか?
おたま「猫は、それでいいだ。」
だね。