MAMMA ちょっと 元気になれる かもしれない処

箱根西麓の山の上で 自然な生き方を模索する日々

道作り総括

2012-12-22 17:52:13 | komako
東の斜面の道作りが もう少しで完了します。
昔竹の子掘り用に買った 小型の鍬での道路工事?の時間は 今年の総括の時間です。
かなりもろくなってきた太い孟宗竹の切り株を取りながら いろいろ考えます。
 


竹やぶを伐った後 最初に作った広い道の上に 4段の道ができそうです。
草刈りの仕事用 且つ 散歩用なので 所々に花も植えようかと思います。

今年もいろいろありました。
特にここ数ヶ月は あれこれふらふらあちこち彷徨い 結果的に表面上は何も変わらず・・・ですが
考え方そのものは大きく変わったので 気持ちはすっきりしました。
つき合わせてしまった方々には 申し訳ないです。ごめんなさい。

失敗もしてしまいました。
昨日のニュースで調布市の小5の女の子が アナフィラキシーショックで亡くなったらしいと聞きました。
食物アレルギーがあるので 万全の体制をとっていたのに チーズ入りのチヂミを一口食べてしまったらしい。
ものすごく程度の差はあるけれど 自分の失敗と重なるような気がして 
こういう場合 「魔が差した」と言うのだろうかと思い 調べてみました。
辞書には「悪魔が心に入り込んだように 一瞬判断や行動を誤る」とありました。

ある真宗のお坊さんの話が ストンと心にはまりました。
「警官の飲酒運転や校長の万引きなど どうしてあんなバカなことをしたのかと思うけれど
 親鸞の教えでは 私たちが善人なのではなく たまたまそうせざるを得ない縁に出会わないでいるだけ
 人生は危ういもの 幸せと不幸の間を仕切る塀の上を ヨチヨチ歩きしているだけ
 『私だけは大丈夫』などと 根拠の無い自信と傲慢を戒めるべし
 私たちは正義漢ではなく たまたま魔が差さないでいるだけ 明日は我が身」

別のある人は こう言います。
私も以前は この考えに近かったと思います。 
「魔が差すのではなく本性が出る ふだん押さえていた欲求を 行動にうつしてしまう」

親鸞の宿業論というのを 知りたくなりました。
何事も明日は我が身 今回の失敗は肝に銘じます。


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