日本人は、「おともだち」ということばが好きなような気がする。
ともだち何人できたかな? という歌のフレーズもある。もちろん、前提はたくさん居た方がいいということだ。
だけど、ともだちってなんだ? と突き詰めて、面白くまとめた本が面白かった。
オヤジ国憲法でいこう! しりあがり寿・祖父江慎著
小学校の先生は、クラスのおともだち といい、幼児向け番組では、 テレビの前のおともだち~と呼びかけている。ともだち って子供の場合、不特定多数の人を表現したことばなのではないのか。だから、おともだちなんていなくてもいいし、そんなものに、左右される人生はつまらないのだとでも、結論づけているような本だった。
そうだよね。そうだ。みんな、おともだちなんだよ。
私は、ふと考えてみた。大学時代に、寝食を共にしたような友人がいた。毎日の生活を共にしているのだから、いろんなことは、確かに分りあえていたし、いろんなものを分かち合いもした。だけど、その関係が今続いているわけではない。果たして、大学時代の友人は、いまもって、親友であると言えるのだろうか。
答えはわかっている。否。
だけど、親友がいないということが、とても寂しい人生を送っている人のように自分で思ってしまうから、「大学時代からの親友がいます」と、言っているだけなんだ。
「大学時代には、親友がいました。」ということなんだと思う。
人は世につれ、世は人につれ・・・・・友も世につれ・・と、いうことなんだと実感。
なんで、こんなこと思ったのかというと、ともだちだから分りあえるよね・・・では、なく、分りあえるから、ともだち なんだよ。
逆はとってもしんどいということ。だから、時節時節に、ともだちの棚卸も必要なのではないかと思っているのです。