どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

自分にとって一番いい道

2012-02-16 03:57:15 | おっとこどっこい

いつごろからだろう・・・

色々なことを、「これが、自分にとって一番いい道」 と考えられるようになりました。

まったく、お気楽な考え方だとも思うのですが、それで色々なことが、とてもいい感じで受け止めらるようになりました。

加えて、「笑門来福」。にこにこと暮らしていれば、福はあちらから、こちらに寄ってきてくれる。

大学院の試験のことも、これが一番いい道 ととらえています。つまり、私が進むべき道ではなかったということです。もともと、自分がやりたかったことの節を曲げての、日本語教育学への受験でした。やりたいことがズレテいたので、研究計画書を書くことが大変な苦痛でした。また、それが抱えている矛盾も自分でわかっていました。面接試験では、そこを鋭くつかれて、シドロモドロ・・・・でした。

 そもそも何がしたかったのか・・・10年後の自分がどうありたいのか・・・と、考えて、また努力をするつもりです。

何もしなければ今と全く同じ。いえ・・・年を重ねる分、失うことの方が多いはずです。何かを加えること、つまりそれは、努力をすることだと考えます。

日本語教師の仕事を続けながら、またチャレンジをします。

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試験結果 不合格

2012-02-13 09:44:30 | なっとくる

大学院入試結果は不合格でした。

頑張ったのだから・・・慰めもありますが、正直情けない思いでいっぱいです。

合格したら・・・と、考えていたことはたくさんあったが、不合格を考えていなかったです。静かに今後を考えることにします。

分かっていることは、このまま挑戦をあきらめてしまえば、今のまま将来を迎えるということです。

日本語教師という職業は、多くを求められる割に、収入の少ない職業です。また、ほとんどが非常勤講師という雇用形態が取られていて、安定的な収入にはつながりません。その原因は、「日本語だから誰でも教えられる」という発想の下、多くがボランティアに頼られているからだと私は考えています。

そこで、私は、日本語教師の専門性が生かさせる仕事の枠を広げるべきだと思っています。若い人たちが、日本語教師をめざし、なれた暁に、食べていけないことを知り、就業をあきらめてしまう現実を見ていて、つくずく思うことです。

しかし、私が受験した大学院のメイン教授は「現在は、日本語は誰でも教えられる という、流れないなってきており、私自身もそういう考え方を持っています。また、日本語教師の仕事を起職するということは、日本語教育学 でしょうか?」とおしゃられ、私の考え方とは、はっきり違っているということが、面接でもわかっていました。

したがって、私は、地理的な意味で仕方なく、その大学院を目指したのであって、決して教授陣に魅力を感じていた訳ではありませんでした。

当初持っていた研究テーマを、「指導できる教師がいません」と言われ、仕方なく、その大学院へいくために、変更したということもありました。私自身が変節して、大学院を目指したということです。つまり、それで私自身の研究テーマはずれてしまい、ずれてしまったことで、どこからでも矛盾点を掘り起こされてしまう、研究計画書ができあがってしまいました。苦しい苦しい、計画書づくりでした。

どこかが、ずれてしまったことも同時に考えなくてはならないだろうと思っています。

5年先の自分に焦点を当てながら、考えを修正するつもりです。

 

 

コメント (2)
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