どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

類が友を呼ぶと・・・

2009-09-30 08:51:45 | おっとこどっこい

昨日は新学期の打ち合わせ。

私も一年過ぎると少し慣れてきた。いえいえ、随分慣れてきた。

それでも、新米は新米。それに年齢的にもどちらかというと、少ないほうに位置する。それがいいのです、もちろん。居心地も。幼い頃から、妹として育ってきたので、位置的にいうと下の方が楽ではある。言いたいことを言っているようでも、基本的に親や兄に逆らうことなく生きてきた。つまり言いたいことは、それほど言っていない、と、主張したい。そうそう、言わないけど主張はしてきたのよね、きっと。????はは。・・・・・

さて、昨日はまあ、言われた言われた。お姉さま方は、正しい意見を繰り延べられていらっしゃるのだけど、長い、くどい。それに多様性を認めていらっしゃるようなスタンスだけど、実のところ多様性を認めていないご自分に気がつかれていらっしゃらない。○○というのはね・・・という、既成概念でしか物事を判断されていませんよ。なあんて言ったらどうなっていただろう・・・・。

どうも、私は人からああだこうだと言われやすい様だ。いいんだけどさ。ごもっともなお話もあるし、そうかな?と、思うところもあるし・・・です。

いつかは、忘れてしまうのだろうけれど、昨日も今日も何度も話の内容を反芻してしまう。結構デリケートなのよ、こっちはね。

と、思いながら、実はおもしろいことにも気付いていた。類が友を呼んできたような集団だったということ。案外、お姉さま方も、私と同じように考えているのかもしれない。

自分だけが言われっぱなしだったとか・・・・・デリケートなんだぞ・・・とかね。

 

 

 

 

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まるい声

2009-09-29 07:18:56 | おっとこどっこい

ブログも三年も書き続けていると、結構同じ題名のものもある。思考はけっこうその辺をうろうろしているということか・・。

丸い声については以前にも触れた覚えがある。きっとその時も同じようなことがあったのだろう。実は声について指摘されるのは、いつも兄からである。

昨日、兄は父の白内障の手術のために実家に行ってくれた。ビールを飲みながら、外にでて歌を歌っていたらしい。彼は実に歌がうまい。

いい気分になって妹に電話をしてみると、妹は丸い声ではなく、平べったいしゃがれた声を出していて、ちょっと心配になったのだろう。

確かに私には思い当たることがある。意識している訳ではないが、冷静で気持ちが安定しているときの私の声はハスキーではあるけれど、低くて落ち着いている。しかし、たとえば子供たちに怒鳴っているときなどは、平べったい声がびんびんと響いている。考えていない言葉が次々と口から出てくる・・・あの感じ。でも、口が勝手に動くわけではないから、メカニズムでいえば、脳が動いているんだろうけど・・・左脳と右脳の違いだろうか・・・。

自分でも後味も悪いから、人が聞いていても心地の悪い声なんだろうと思う。

いい加減、声のコントロールひとつやりきらないとなあ・何年生きているのだろうと、情けなくなる。

岸田今日子さんのような、ゆっくりとした話し方に憧れる。

兄の電話から、岡山の星を思い出していた。兄弟はつくづく似ていると思うのだが、私も実家に帰ると、外にでて思わず歌を口ずさむ。きまった歌を歌う。

昨日の夜は、星空ではなかったようだ。

http://www.youtube.com/watch?v=81R2XaWv3mY&feature=related

追記

あらためて、私はいつからブログを始めたのだろうと・・・調べてみた。2005年9月22日からだった。きっかけは、USから日本へ帰った友人にあてて、近況を報告するためだった。あれから4年が経過したのだと改めて驚いている。今読み返しても、昨日のことのように覚ええているから。

4年が経過して、5年目に入ったということになる。すごい!!

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ファーストネーム

2009-09-27 15:03:45 | シュワッチ

女性はたいての場合、結婚して姓が変わる。

韓国の場合は男女別姓。実際の話。私の近しい韓国人の知り合いが実は夫婦だったと知って非常に驚いたことがある。日本では夫婦が同姓だからという先入観から分からなかったのだけど、新鮮な驚きを感じた。

ファーストネームはラストネームを前提に考えられているから、後で変わった姓には馴染まない場合もある。私は、人からあなたに名前はあっているけど、姓があっていないねといわれたことがある。でしょう? と頷いた。

それだからという訳ではないだろうけど、アメリカではファーストネームで呼び合う。これがとても心地いい。私は自分の名前が大好きなので、ファーストネームで呼ばれるほうがスキだ。

私の名前は英語圏でも通用する名前であることもよかった。アメリカ人が発音できない名前もある。たとえば・・・いくよさんとか あいり さんとかはだめだったかな。あつこさんもだめだったかな。友達のあつこさんは 自分で発音し易く アンジェラ と名前を変えて楽しんでいた。

日本では多くの場合は、ラストネームで呼び合う。最近では○○ちゃんの、おかあさんとか、○○ちゃんのママと呼ばれる。

これはおもしろいもので、アメリカでも ○○ズマーム(Mom)と呼ばれることもある。

昨日はラグビー部母の懇親会だった。私はファーストネームの関係にしようと呼びかけるつもりで出かけた。いやあ、もりあがったね。はっきりいって。

もともと女性同士というのが大好きではあったのだけど、あんなに盛り上がった飲み会も久しぶりだったなあ。めちゃくちゃ楽しかった。

ともちゃん、かっちゃん、のんちゃん、みっちゃん、みわちゃん、まりちゃんのメンバー。苦手な顧問とは、仲良くしなくてはならないのよ! ハニーと呼びましょう ときまった。さて、最初にハニーって呼ぶのは誰かな?

そりゃあ・・・私でしょう。ははは・・・・・。

女性友達を歌うこの曲も大好き

http://www.youtube.com/watch?v=zyjD1OQIiw8

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あたらしいこと

2009-09-26 08:23:59 | おろおろおろろ

新しいことを前にすると、不安か期待か・・そりゃあ 不安だ というのが、私の本音。

わくわくします なあんて言ってみるのも、いやそれも否定しないが、どこか自分に言い聞かせている感じがするかな。

昨日は本国へ帰る生徒の送別会だった。聞かなきゃいいのに、つい先生に来学期私が担当するクラスについて聞いてしまった。

初めての担任であるから、補習をしたりかかわっている生徒もあるので、当然そのクラスだと思っていた。一学期すぎて人間関係ができてきたところだし、まあ最初の担任としてはそのへんのところを配慮してもらえると思っていた。

が、やはり現実はもっと厳しい。私はどうも、まったく知らない新しいクラスを担当するようだ。それはそれで・・・と 、思いながら今、かかわっている生徒たちと離れるのがちょっと辛いかな・・。

そこがきっとよくないのだろうな。プロとしては、家族じゃないんだから・・・かな。

わかりました。もっと白いベースを持たなくてはいけないな。きっとまた、新しい生徒たちのことが大好きになるに違いない。昨日はちょっと弱気になり、一部の方に弱音メールを送りましたが、どうぞご笑納ください。大丈夫です。

さて、新しいことがたくさん始まりそうだから、心は白く、知識は深くという準備が必要だな。

9月も最終の土曜日になってしまった。

 

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電話

2009-09-25 07:33:34 | かたまった

もはや、私たちは電話なしでは生活ができないのではないだろうか。

手軽で便利。でもその使い方に、使用方法一つで、とんでもないものになってもしまう、恐ろしさをも同時に孕んでいることを、自覚する必要があると思ってきた。

私は、電話でのセールスは一切聴かない。それが誰であるか、どんな商品であるかを問題にはしない。電話で・・・と、いうことを拒否する。

電話は相手の状況を考えず、突然に入り込む。私のように遠方に家族がいるものは、何かの知らせがあるかも・・・と、いつも思っているから、どんなことをしていても、中断してとり急いで電話にでる。

もう10年も前から電話でのセールスには横行していて、一番人が確実にいる時間帯、つまり夕飯を作っていたりする時間にかかってきた。

不特定多数の人間に、その人が忙しくしているだろう時間帯にかけてくる、それだけでもう、マナーも何もあったもんじゃない。だいたい、何で電話帳にも載せてない電話番号を私が全く知らない人が知っているのだろう と、いう懸念もあった。個人情報が安易に漏れているということも、非常に危険に感じていた。

お子さんの期末試験の点数をあげる方法をお教えしましょう と電話がかかってくる。????? 見ず知らずの人に 会ったことも無い人に 大事な息子の問題を相談すると思ってる? 息子が学校で何位かご存知ですか? 全く馬鹿にした話だ。

電話でするセールスなんてそんな類が多い。

電話をセールスというだけでなく、意見を言う道具として使う場合もあるらしい。それが、時の話題であるならば電話が集中する。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090924/plc0909242036016-n1.htm

全く無関心も感心したものではないが・・・それにしても、役場に電話をしてどうするつもりなのか・・。それで、前原大臣への応援のつもりだろうか。

名前を名乗らず、相手の都合を考えずに、言いたいことだけをいう。それはいくら正しい意見であっても、社会的に道義のある行動とは思えない。

文明は物事の二面性を作り上げていく。使いこなす人間の良識がいつも問われている。

 

 

 

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ネーミング

2009-09-24 07:35:30 | おっとこどっこい

この連休は、ずっとゆっくりしていた。試験勉強をするわけではないのに、でも試験があるのに遊び歩いていいはずがないという、妙な自分の内なる道徳心のようなものの、呪縛にあっていた。

気持ちを切り替えてすっきり遊んで、しっかり勉強をした方が、効率はいいに違いない。わかってはいるけど・・・・実行できないから、きっとわかってないんだ。

さて、この休みはシルバーウィークだったの? え?なんでシルバーなんだろう と思っていたが、ついさっき思い当たった。なあんだ、ゴールデンウィークとかけてるのかな?それとも、老人の日があるからかな?

日本人のマスコミのネーミングの妙というのがある。正直感心する。最近では小沢ガールズ。小泉チルドレンもおもしろかった。大笑いしないが、くすっとわらえる。そして、そこになんらかのチクリとしたエスプリを感じる。

でも、小鳩政権 には、ちょっと笑えない悲しさを感じた。

実は私は以前から、前原さんの大ファン。国会中継をよく聴いているが、前原さんは本当にかっこいい。ぶれないし、言葉遣いもいいし、迫力がある。

やじるしか能の無い品のない一部の議員とは大違いだ。ついでに言わせてもらうと、あのやじにはうんざりする。発言を聞こえなくするだけのものであって、何の意味があるのだろうと思う。日本の公共教育の場で、加えて家庭で、人の話はちゃんと最後まで聞きましょう、意見があれば手を挙げて許可をもらって話しましょうと、教えられなかったのだろうか。国会の公害だと私は断言したい。

楽しい話に戻って・・・

前原さんの他にファンなのは、大田元公明党代表。それと、自民党ではなんたって、谷垣さんのファン。主義主張を度外視しての、人物的評価によるもの。

彼らは一様に論客で、紳士で、さらりとしている。品のない野次など飛ばしたりせず、話し方は冷静で、怜悧な感じがするところが、なんとも素敵だと思う。

なんで最後がこうなるの?とは思いながら、がんばれ!!前原国土交通大臣。

 

 

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おとしどころ

2009-09-19 11:31:09 | シュワッチ

自分のおとしどころを、自分であらかじめ決めている

ちょっと、うなった。まさに、うなった。

そうだよ、そう。まさに、私の場合はこれだ。

この、おとしどころ という言葉を他の言葉に代えてみよう とすると、もっと明らかになる。私の生徒に説明するとしたら・・・

おとしどころ 

絶対に違うのが、限界 おとしどころは、限界ではない。

妥協点 と、いうこになるだろうか。一応やらなかった訳ではない。でも、ここまでしかできなかった という 体裁のいいできない理由がきちんと存在するところ・・。

福島正伸 著 [リーダーになる人の たった一つの習慣] を読んで考えた。

別に私は、リーダーになりたいわけではない。

甲子園の花巻東高校の野球部をみていて、このチームの監督さんは生徒たちに、メンタルトレーニングをやっているはず という 私の主張に  息子の友達の野球部キャプテンのお母さんが、この人よ と貸してくれた本。やはり、キャプテンの母はよくご存知だ。キャプテンズ ママがおっしゃるに、同校の監督さんが、福島氏の影響を受けている人?らしい。

昨日から、いろいろとあって・・・

昨日は修了式。次期の授業についての話も個別にはあって・・・。私は、生活のクオリティーを高く設定しなくてはならないようだ。優先順位をつけるだけでは時間はおいつかず、何をやめるかという選択をする必要もありあそうだ。

自分があれほど生徒たちに、信じている と説きながら、自分自身が他の先生たちから 信じていますよ と見られていることに、気がついていなかった。

おとしどころを決めて、行動していたとしかいいようがない。さて。さて。

yes、I can だよ。

 

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バースディカード

2009-09-17 09:19:58 | うるるん

はるばる海の彼方から私にバースディカードが届いた。

息子たちからではない。息子たちの幼馴染から。兄弟のように育った女の子。

まさに兄弟。近隣三軒が息があって、仲良しになった。子供たちもそうだが、親同士も仲良くなった。そりゃあいろいろあった。でも、色々素敵なこともいっぱいあって、相殺してもたくさんおつりが来るくらい、素敵な子育てができた。いっしょにいたからだと確信している。

男の子のなかに女の子たったひとり。歳は、我が家の次男と同じ。

お人形さんのようにかわいいんだけど、兄弟として育ったからなあ・・・。我が家がUSへ赴任したあと、小さい頃から英語を習っていた彼女はUSへ留学を果たした。ミシガン州まで会いに来てくれて、その成長ぶりに驚いた。スカートなんかはいて、まるで女の子のようになっていたから。

USの我が家で初めて、彼女とお酒を飲んだ。彼女はしみじみと、兄弟のように育ててくれてありがとう と私に言った。なんだか、走馬灯のように、彼女や我が息子たちを育てていたときのことが思いだされた。

家庭内暴力が社会問題となったころ、私は三家庭に、たとえ子供たちの誰かが家庭内暴力をふるうようになったとしても、お互いに隠さないようにしようと提案した。一人では抑えられなくても、ちからを合わせればなんとかなるだろう。三家庭 男の子5人 女の子1人 なんとかなる・・・と。結構マジでそんなことを思っていた。

三母集まって、ご飯をたべながら、お酒も飲んだ。私たちのすごいところは、子供たちから目を離さなかったこと。食事も子供たちの分も作り、パーティみたいだった。それぞれが、料理が得意でもあったからね。

女の子は色々なことを細かく覚えていて、ちょっと、さらっと青くもなったが、兄弟だった・楽しかった、育ててくれてありがとう、という彼女の言葉は、本当に嬉しかった。

今回のカードにも、誕生日のこと、感謝のことば、そして最後に留守宅の母をお願いしますと書いてある。娘ってこんな感じなんだなあと思いながら、カードにびっしり埋められた彼女の文字が、私を温かい気持ちにしてくれた。

彼女のカードを話の種に、彼女のお母さんとワインで飲もうかと思う。

 

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天気がいいに越したことはない

2009-09-16 09:22:55 | 舞いあがる

鳩山さんという人は、強運の人かもしれない。

新しいいことを始めるに、天気はいいに越したことはない。

雨や曇りで 新内閣やめ ということはあり得ないが、なんとなく 暗雲漂うではないか。せっかくの日は天気がいいに越したことはない。

私は、今日はうちにいる。天気のいい日に家にいるのが大好き。

窓を全部開けて、家じゅうに風を入れる。洗濯物もたくさんする。拭き掃除もする。(つまり、冬ではちょっと楽しめないということになるかも・・・・)

ゆったりとした気持ちで料理をつくる。今日は、冷蔵庫を掃除しながら、シチューを作ろうと決めた。ポップオーバーを焼いてみよう と、決めた。

これで、試験前一ヶ月でなかったら、どんなに楽しいだろう。

ランチに誘われている。渡米前に働いていた職場の女性たちと、本当に久しぶりにお会いする。母が亡くなっショックで辞めた職場だった。

あおーい空を見ていると、必ず思い出す詩がある。

Today is a very good day to die.
Every living thing is in harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.
My land is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter.
My children have come home.
Yes, today is a very good day die.

今日は死ぬのにとてもよい日だ。
あらゆる生あるものが私と共に仲良くしている。
あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている。
すべての美しいものがやってきて私の目の中で憩っている。
すべての悪い考えは私から出て行ってしまった。
今日は死ぬのにとてもよい日だ。
私の土地は平穏で私をとり巻いている。
私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた。
わが家は笑い声で満ちている。
子供たちが帰ってきた。
うん、今日は死ぬのにとてもよい日だ。

決して自殺を勧めている詩ではない。人生の終焉をこういう形で終えられたら・・という、インディアンの詩だと聞いたことがある。

宗教を持っている人たちにとって、死は 決してタブー視されることはないと聞く。

私も、今は亡きシャロンと死について話を聞いたことがある。彼女は、神様の傍に行かれるのだから、怖くないと言っていた。誰でも来るのよとも。

こんなことを考えている場合ではないとき、つまり試験を前にしているとき、結構あれこれと考えて、試験勉強から遠のいてしまう。

悪魔がささやくよ・・・・やめとけば。あきらめなさい。

ランチまで、ひとがんばりしよう。

 

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違いを認めること

2009-09-15 14:43:03 | 現実とは・・・理解できないこと

異文化理解とは違いを認め合うことが大前提である

そうなのよ。ただ、心が、気持ちが理解できなくて・・・・

昨日のこと。私は今期の授業を終えていた。でも、漢字の補習をするために学校に行くつもりで、準備を整えて、運転免許証の更新にでかけていた。二時間の講習をうけなくてはならないはめになり、会場にいたところ、生徒からキャンセルのメールが入る。

先生、ぼくは明日韓国へ帰ることになりました。漢字の補習は無理です。

なんで、今の時間にメールしてくる?と、あきれてひっくり返りそうになる。もちろん、生徒にとっては、先生は先生。だれが常勤講師なのか非常勤講師なのかはわからない。私が無給で交通費も自己負担で、漢字の補習をしていることは知らない。いつか、分かってくれるときがきて、それでいい思っているから。それに、漢字の補習は、私自身の漢字をどうやって非漢字圏の生徒に教えるかという貴重な経験であるから、誰に文句もない。でも、それにしても、なんでドタキャンなんだと腹もたってくる。

どうして前の日にいうとか、少なくとも朝一番で連絡するくらいの常識がないのだろうか・・・19歳にもなってと、思っていた。

もう一人の生徒のこともあるので、とりあえず免許更新を終えて、学校へ向かった。

そこに居合わせた先生に、いきさつを愚痴った。ところが、本当に思いがけない答えが返ってきた。

韓国の生徒の二歳上のお兄さんが、留学中の異国で交通事故にあい、事故死したと。両親が学校へ連絡し、彼は急遽帰国することになった。朝のことらしい。そして、彼はお兄さんがなくなったことは知らされていないという。ご両親の意向だという。

彼は、お兄さんがなくなったことを知らずに帰国し、帰ったら葬儀は終わっているという。

日本人には理解できない。私には理解できない。

私は、まだ学校に残っていた彼に会い、できれば休み中も韓国で勉強をするように、私の漢字のテキストを渡した。もう帰ってこないかもしれない・・・いいえ、帰ってくるのよ、この本を持って帰ってくるんだよ、という気持ちだった。

何も知らない彼は、先生僕は来学期は月曜と金曜の、先生の漢字の補習の後で、先生と英語の勉強をします。だって。おいおい。

英語の勉強なら、他の先生が教えてるから、それに出なさい・・・・。いいえ、僕は先生がいいです。 まったく、こういう会話に、私が弱いのを知ってるよなあ・・・生徒の方が・・・。いったい私は何時間、学校で無給で働くんだ と思いながら、複雑な気持ちでいる。

まったく手がかかる生徒で、成績も悪かったよ。でも、かわいいんだよなあ、こういう生徒。以前の生徒たちが卒業していった喪失感の中で、けっこう寂しい思いをしていたから、神様がこの子の面倒をみなさい と、私に宿題をだしたような、手のかかる生徒。

今頃、飛行機でソウルに向かっている。そして、そこで現実を知らされると思うと、心が重くなって、落ち着かない。

もし、私が母親なら、もう息子を手放したくはないだろう。つまり、彼はもう帰ってこないかもしれない。ひとりひとりの生徒に思いをかけてはいけないと思いながら、思いが多すぎて、どうしていいかわからないでいる。ソウル着16時半

 

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