どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

誰にでもわかる施策

2006-07-28 03:14:10 | がっちんこん

アメリカは戦費の支出の多さと、税収の減少で予算が足りないらしい。ミシガン州でも予算は減っているらしいらしい・・・と、いうのが私の英語力の貧しさに因るもので、きちんと文章を読んではいない。また聞きだから、怪しいかも・・・・。

予算が減ると、すぐに施策が変わる。無いのだから、払えないだから・・・・当然か。どこかの国のように、借金が雪だるまに式に増えていくよりもいいのかもしれない。

しかし、露骨な施策に、ちょっと呆然とはする。まず、教育関係予算も削られるから、学校の休みが多くなる。学校は開けていればそれだけ、費用がかかるから、閉めてしまうのだ。子供の休日が、がぜん多くなる。授業内容は詰め込みでひどいのではないか?と、日本人は想像するが、この国は、ゆとり教育に関する意識が徹底しているのか、できないことを無理してしようとはしない気がする。つまり、できないものはできないということになる。予算がなからね。仕方ない。

つまり予算が少なくなるということは、子供達の学習内容に異変が起きるということになる。これって、わかりやすいけど、オカシクナイカ?と、思うのは、私が日本人だからだろうか・・・。まあ、たぶんこれは、予算に関係する公立学校の話だけであって、お金持ちのご子弟が通う私立学校では、きっと寄付金が増えるだけで、学習内容の変更は無いのではないか。これも、予想の域をでないというか、まったく根拠の無い私のゆがんだ心から来る妄想ではあるが・・・・。

お金の使い方は非常に難しい。あるときの使い方より、無い時の使い方が特に難しい。

日本のように戸籍とか、住民票で、人の流れが管理されているわけではないから、子供達が平等に教育を受けられているかというと、まったく疑問ではある。中学校で子供を産んで、その後学校に行っていない子供達も、少なくない人数がいることは聞いている。高校でももちろんある。最初から平等ではない。

だけど、分りやすい施策に、釈然としないものを感じる。

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右往左往

2006-07-26 23:03:13 | しらんぷりしよう

アンティークを好きな友人が、今使っている食器も100年経ったら、アンティークになるのかなあ?とか話していたのを、思い出していた。

伝統も長く続くと、継承の意味合い、目的ももはっきりするのかもしれない。ちょっと続いてきた、行事など、続けるのか止めてしまうのか、判断が難しい。なんでかな?問題ばかりが起こる。問題も本筋なら、存続をかけての大論議になるのだろうが、枝葉のちょっとした方法であったり、ひどい場合は、人の言い方、話し方であったりすると、論議にならない。恥ずかしくて・・・・。怒られそうだけど・・・・・。

第三者として見ることはできない。第二者、いえいえ一者半くらいの立場にいるから。しかし、一日経って、問題を整理してみると、だいたい問題の問題点は見えてくる。

要は目的がどこにあるのか、見失っている。それ以前に、やるひつようを感じないで、やならなくてはならないところが問題なのかもしれない。最初から目的が無いのだから。

ただ、それでも、やり続けていくことで、伝統という付加価値がついていくのかも知れない。それにしても、これほど右往左往させられると、正直、うんざりする。

でもまあ。人間ウオッチングと思うといいのかも知れない。実は、自分もウオッチングされているのだろうけどね。

さて、うだうだ考えずに、走りにでも行って来よう。

 

 

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光陰に追いつけない!

2006-07-26 01:09:26 | おろおろおろろ

光陰矢のごとし・・・・と、感じるのは、ブログの更新日がずれにずれていくこと。

アレから、もう○○日も過ぎたんだと感じる毎日。毎日更新、毎日元気が目標だけど、どうにも、あれこれと雑用、野暮用に追われている。選択して日々を送っているというより、洗濯から始まって、一日中私の前に次々と、現れるあれやこれやを、どかしたりおいとたり、処理したり、切捨てたりする毎日。

大型四輪芝刈り機を友人の小型のものとトレード→オイル補充を怠り故障→修理を依頼する まずは友人→ 直らない → 電話帳で業者を探す → 運ぶ → 直らない →大家さんが芝生の点検に来る ついでに芝刈り機を修理してくれた → 嬉しさのあまり夕食に招待する → 夕食を作る 

てな、具合に波及して、雑用が増えていく。なんでなの? 私は結構これが多い。一時が万事、樹の枝のように増えていく雑用。まあね、そこで出会いがあるだの、人生経験が豊富になるだの、考えられる時もあるし、落ち込んで立ち上がりたくなくなる時も有る。

しかし、賢い、優しい生き方とは、私にとっては人を大事にすること。

雑用の山はきっと、私の前からは消えてくれることはないだろう。運命の雑用かもしれない。なので、そんなこと気にしないで、楽しく過ごしましょう。

以上、私の大事な友人へ

 

 

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伝言ゲーム

2006-07-19 20:42:30 | かたまった

海外で暮らす日本人達は、グループでまとまることがある。期間限定、企業の駐在員家庭などは、その暮らしの安全を保つために、日常生活の細部までもが、企業のお世話になることが多いからだ。例えば、病気になった時など、慣れないうちは通訳が必要だし、ニュースを聞いても理解できない間は、発砲事件がおきて、犯人が逃走中!という緊急性を持ったニュースは、電話網で連絡が廻ることになる。実際そういうこともあった。

他方、囲まれた生活の中で蔓延するのが、うわさ話。ありとあらゆる話が出回る。私のことを、アシアナ航空のスッチーだったと聞いたときには、空いた口がふさがらなかった。はああ!?????そりゃ、韓国ドラマは好きだし、それ以前から、2002年のワールドカップで通訳したいなどど、韓国語を習ったけど、喋れるわけでもないしねえ。これじゃあ、火の無いところからでもボヤがでるなあと思ったりもした。

ある友人が、噂話がいい加減に伝わることを体感しようと思って、伝言ゲームをやってみました。と、言っていた。その発想の面白さ。そして、それをやってしまうところに感心してしまった。案の定の結果だったらしい。

しかし、私は最近ちょっと見方が変わってきた。というのは、伝言という行為より以前に、物事に対する、感じ方、考え方が、ひとりひとり違うということ。同じ場に居合わせて、同じものを見ていたとしても、それをドウ捉えるかはまったく違っている。だから、それを他の人に話した場合、それぞれが違う伝え方をすることになってしまう。また、聞いたことを伝えるにしても、あらかじめインプットされている情報が違うと、その上にかぶさってくる新情報も、色が様々に混ざり合うように、違ったものになってしまうのではないか・・・・・と。

どうして、そんな風に伝わるのかしらね・・・・と言う前に、どう思った?と聞いてみる必要があるかなあ。でも、きっと風の流れは変わらない・・・・かも。

 

 

 

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家庭科教育

2006-07-17 20:27:35 | 発っする(ハッスル)

こんなことがあるとは夢にも思わなかったが、法被を縫った。必要に迫られた何人かが、見本を片手に、ああだこうだ!と談義しながらの作業だった。そして、見事に出来上がった。

こちらに来て、学校で少しの料理はやってみるみたいだが、家庭科教育がないことを知った。まあ、料理は、冷凍食品を電子レンジやオーブンで温めること、イコールというのが文化のアメリカだから当たり前といえば当たり前のことかもしれない。

日本では家庭科教育があった。今もあるのかな?私は家庭科のテストの点数はすこぶる悪かった。おすましの塩分の量は、だし汁の○○%ですか?の、問いには、まさか中学では書けなかったが、高校生のときは、迷わず、お好みで・・・・と書いて、誤答とされた。今でも誤答ではなく、私が正しいと信じているのだが・・・・。テストも男子生徒は技術でテストがなく、女子だけが課せられたことにも反発した。赤点、つまり落第点を取ったこともあった。まさか家庭科で・・・・とは思ったが、クラスの皆が、私が落第するのではないかと心配してくれたことを思い出す。あまりいい思いではない。

しかし、初めて洋裁に触れた時、平らな布が立体的になっていく過程に感動したことも覚えている。しかし、出来そのものは散々だった。

今回、私も含め皆が、縫い物をする知識をきちんと持っていることに驚いた。専門的に勉強したな、この人は・・・・という人も居たことも確かだけど。

遠い記憶が蘇ってくるように、そういえば・・・・と、知識が出てくる感じ。そんな時、同時に先生のことも思い出して・・・・感謝した。

家庭科教育は日本が誇れる教育システムのような気がしてきた。

 

 

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とことこどうしよう

2006-07-14 00:18:17 | なっとくる

とことこ走る。という、走る方があるらしい。ちょっと、とあるサイトを覗いていて発見。足のばねを使わないように、早歩きに限りなく近い走り方という。何がいいのかというと、ばねを使わないために、足にかかる負担が少なく、距離を稼ぐことが容易になる?。らしい。もちろんスピードもゆっくり。歩くより早く、走るより相当遅い感じかな。

しかし、距離を稼がなくてはレースにでれないしと思って、試してみた。自分がとことこ走りが出来ているかどうかの判断は自分でするしかない。飛び上がらないように、歩くように走る。初日、なんと、楽に走れたような感じがした。しかし、三日くらいそれで走ると、どっちが本来の私の走り方で、何がとことこやら訳がわからなくなってきた。

そんな時、またレースの情報をゲット。今度は9マイル。単位を換算すると15キロに足らないくらいかな。うーん。丁度いいタイミング。時期も9月2日土曜。あと、一ヶ月以上の練習期間は取れる。

でも、どうしよう。自信はない。でも、どうしよう、やってもみたい。

とことこと、どうしようと、考えている。

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イン・トラブル

2006-07-12 22:57:17 | しらんぷりしよう

標記、正しい英語かどうか不明。

世の中には目立つ人がいるらしい。例えば、4人居るとして、誰がいた? ○○さんと・・・みたいに、筆頭に名前が挙がる人。その程度と言えなくも無い。何も、ジダンのように世界的な、話題になるわけではないからね。

しかし、狭い世界の中にあっては、とにかく話の種にされやすいらしい。代表者、首謀者になるらしい。

首謀者のどこがいけないの? そっか、そんな風に考えられる人もいるんだね。でも、きっとそんな風に考えられる人は、気づかないうちに首謀者に祭り上げられたことがないし、きっとこれからも無い人かな。

自分の知らないところで、トラブルの中に居た!!!というのも、困るのです。

はああ~と、ため息が出で来る。めげないけどね。

 

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すっとぼけ

2006-07-08 00:49:34 | かたまった
感動の一冊、椿山課長の七日間 読んだ? と、仲の良い、でも日頃から、筆不精同士あまり連絡も取っていない友人にメールを送ってみた。
なんと、返事がすぐに返ってきた。へええ!!!返ってきた。それも、すぐに感動した・・・・が・・・・。
その本は、あなたが一時帰国しているときに私から贈った物ではない?

読みながら、実は、私は不思議でしょうがなかった。何かの書評でこの本のことは知っていた。読みたいと思った。でも、買った覚えがなかった。なんであるのだろう。カバーも見慣れない本屋のだし。と。

随分前に贈ったもものを今頃読んで、あなたも読んだ?と、聞かれた友人の事を考えると、なんとも申し訳ない。もう、あいつに本を贈るのはやめようと、思われるに違いない。困った。

私はすっとぼけだと、心から思う。心からごめんない。
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椿山課長の七日間

2006-07-07 10:05:13 | うるるん

浅田次郎氏著、椿山課長の七日間。

感動しました。オススメの一冊です。

NHKのプロジェクトX 富士山にレーダーを作って、台風から日本を守れ!というものがあった。最後に、トモロオさんの声で、若きリーダーは、後に作家になった。浅田次郎という。へえ~と、驚いたのを思い出した。

小説の中では、最後に天国の入り口で、それぞれの人に合わせてお迎えが待っていてくれる。先に逝った家族。なんだか、ほんとにそんな天国があればいいなあと思った。

そこに辿り着くまでが、想像力と、思いやりと、道徳心と、人情と、ユーモアと・・・・人間が本来持っていて欲しい感情に溢れている。泣けてくるし、笑いもした。

シャロンが逝って、悲しみが感じられないくらい、考えないようにしてる私。友人が、遣り残したことがある方が、あちらに行ってからもいいのじゃない?なんて、意味がわかるようで、わからないことを言ってくれた。遣り残したことは何もない、よりも、ああもしたかった、こうもしたかったと思ったほうが、あちらので話に花が咲くということか????

あちらに逝く前に、こちらでやるべきことをもうちょと考えてみようとも思った。

一読を強くオススメする。

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まさかの寝違え

2006-07-06 14:14:00 | かたまった

まさか寝違えでこんなに苦しむとは思わなかった。まる4日間、普通に動けなかった。日課になっていたランニングはもちろん、二日間は起き上がることもできなかった。下を向いて食事をすることも辛く、ポテチが主な食事という最悪の状態だった。

土曜の朝、ちょっと寝違えたかも?で、アウトレットに買い物に出かけてしまった。車の運転もした。帰宅してみると、吐き気に襲われ、肩に鉄板が入っていて、それを首で釣っている様な感じの痛みを覚えた。その後は、床に倒れこんでしまった。すると今度はその体勢からまったく動けなくなり、一晩はそのまま床に寝なくてはならなくなってしまった。えええ???と自分でも自分が信じられない感じだった。そして、このまま寝違えで一生動けなくなってしまうのではないかという、恐怖心が襲ってきた。まさか~だけど、まさかが笑えない現実だった。

三日目の朝に体が動いて起き上がれた時は本当に嬉しかった。やっとパソコンの前に座り、下を見ない、首を動かさないようにして、どうやったら寝違いを治せるかを、検索してみた。なあんと、安静が一番いいらしい。そして、冷やす、温めるを、交互に繰り返し、刺激を与えることもいいらしい。

この四日間は実は、米国独立記念日の為、ありがたい連休だった。小旅行の計画も無かったわけではなかった。・・・・・なので、四日目には、治りそうだと確信もしたので、首と肩に違和感、ちょっとしたタイミングのの激痛を耐えながら、今度は違うアウトレットでショッピングをしてきた。買ったのはもっとも首に悪そうな重い鍋。動けない間、テレビ漬け。ワールドカップのサッカー、テニスのウィンブルドンの試合以外は、クッキングチャンネルを見ていたので、どうしても欲しい鍋があって・・・・。

懲りない奴と自分でもあきれている。

五日目にして走ってきた。ちょっとおかしいかな?と感じるけど、なんとも幸せを感じた。

 

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