どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

トンネルの中で・・・・

2006-11-30 07:17:32 | なっとくる

長いトンネルの中にいたようだった。

あれを放り投げてこっちを取ろうか、こっちを見捨ててあっちを取るべきか、悩んだりした。できる感じがしなかった。どれもこれも。苦しかったかな。

でも、悩みながら居眠りをしていたから、睡眠は小刻みでも、十分に取れていた。

胃痛にも悩まされていたが、それでも、食に対する興味がうせることはなかったから、きちんと栄養も摂っていた。

だからかな。あれも、これも、十分にとはいかなかったが、ランクを下げて調節した感じで、すべてをこなした。した・・・・ではない、これからも続くから。小休止で、ちょっと振り返ってみることができるようになった。ブログも書こうという、余裕が出てきた。

それにしても、色いろなことが起こる。そして、勉強になった。人間学の分野で学位が取れそうだ。社会学より早そうだし、だいいちそっちの方に遣う時間の方がはるかに多いではないか。こんなことしてる場合ではない・・・・と、思いながら。

雨にも負けず。。。。のように、落ち込んでいる人があれば、すべてをキャンセルして駆けつけ、大丈夫だからと声をかけた。意見が合わないで居る人とは、無駄に言い合いはせず、笑って話し合った。分かり合えない事柄からは、身を引き、皆を応援する側に回ろうとした。思いは通じたり、通じなかったりした。

そして、疲れて帰った頭で、辞書を駆使し、本を読み、エッセイを仕上げた。学期の終わりまでに、エッセイをもう二つ書かなければならないし、プロジェクトもある。それでも、今日は幸せだ。

余談・・・・昨日、こちらのチャンネルで雨月物語を見た。なんとも妙な作品で、日本人の私にもなんのことやらさっぱりわからなかった。

 

 

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余白の美学 と わが子

2006-11-22 15:37:21 | なっとくる

複数で文章の推敲をしている。メールという便意ツールがあるからできること。

ところが、実はこれが大変な作業になっている。昨夜から、何時間をこの作業に費やしたかわからない。机の上においてある、授業のテキストを放り出して、日本語でメールを打っている。文章の推敲を、文章で書くという作業はかなり、大変だ。

高校生の論文を、赤字でコメントを入れたアルバイトを思い出した。

自分が作り出した、文章はまるで我が子のようだ。いとおしくて、愛情をもってしまう。それだから、お互いに推敲をしあうということ事態が無理な作業なのかもしれない。相手が気分を損ねないような表現であることが、まず一番大事だからね。

しかし、これから、企画する大事なイベントの案内状は、ちょっと妥協はしたくない。

最近私が勝手にはまり込んでいるのが、余白の美学。自分で勝手に考えて、勝手にはまり込んでいるのだから、自分以外の人がわかりようもないのだが・・・。

ビジネスレター、銀行の残高照会なら、きちんとしっかりと明記が原則だろうが。。。人と人とのかかわりの中で、きちんと白黒を言い当てなくても、お互いが感じる余白の部分で、ほんわかとそれぞれのとり方をしてはどうだろうか・・・という、曖昧なもの。ぼんやりイメージがわいてくるような、牧歌的なもの・・・曖昧なのだから、曖昧に感じるのも当然のことなのだが。。。。美学わかってくれない?と、言いたくなる。

踏みとどまって  あーあ  とため息が出る。

今日も、この作業に付き合いながら、読み進まないテキストを気にする何時間かが始まる。もう、夜中の一時半なのに・・・・。

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常識、標準、平常

2006-11-19 20:20:35 | 徒然に

常識、標準、平常と並べると、なんとなく真ん中くらいをイメージする。

物事の基準は、自分が基準となるから、自分は真ん中にいるように思っているのだが・・・・あなたは変人だと言われてしまった。個性的といわれたならまだ、そう?と穏やかにも聞けるのだが、変人とは何だろう。

そうでなくても、考えることが多いのに、加えて変人について考えるようになるとは・・・・。一昨日のデトロイト領事館へのドライブの帰りは、その緊張感からか、偏頭痛に苦しんだ。変人痛ではない、偏頭痛。

ドラえもんの道具にひらりマントがあったけど、これさえ羽織ればあなたも正しい常識人という、常識マントなんてあると、面白いと思う。正しい常識であるところが大事。この正しさの微妙なずれが、なんとも難しいのだと私には思えるから。

さて、そんなことよりも平常心を早く取り戻し、胃の痛みから解放されたい。

 

 

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冬の見通し

2006-11-15 22:28:08 | 徒然に

見通しといっても、先のことではない。

道路の見通しのこと。

昨日、本当に久しぶりに走った。自分の予定が自分で立てられない、優先順位では自分のやりたいことが一番最後になってしまう、今の私の状況から走れない日が続いた。治安を考えると走れる時間が限られているという、当地での状況も大きく影響してもいる。来年は、シカゴマラソン(最初から諦めていた夢) なんて、思って結構力が入っていたから、走りたい!とイライラもしていた。

久しぶりの私のランニングコース。なんと、様相は一変していた。大げさに聞こえるかもしれないが、とにかく大きな樹に囲まれているようなコースだから、葉が落ちてしまったことで、周りの景色が全く違ったものに見えてしまう。要は、非常に見通しがよくなって、今まで知らなかった、見えていなかったものが、出てきたということ。前からそこにあったのだろうが、見えなかったのだから、私にしてみれば、なにやら色々なものが、出てきたという表現がぴったりする。

景色って面白いなあと、またしても、きょろきょろ走った。

見通しといえば、先がなかなか見えてこない友人の様態に、ケアー側が抱える様々な問題点も出てきた。私もすべての用事をキャンセルしてケアーに当たってきたが、このまま長期化すればそうもしていられない。できること、できないことをはっきりさせる必要があるのかもしれない。

しかし、それをうまくコーディネイトできる人がいない。誰が、何をできる。誰が、何をして欲しい。そこがかみ合わないで、ただただ時間が過ぎていってしまう。

来週は、大きなテストのためにエッセイを書かなくてはならない。アメリカの犯罪についてか、アメリカの医療制度の問題点について・・・。そんな。どっちも書きたくない。それって、あまりにも大きすぎる問題だから。

できない壁を前に、かえるジャンプの日々。

 

 

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かたまった

2006-11-14 23:15:58 | かたまった

なんと表現すればいいのだろう・・・・と、思う。

転院後、緊急手術をした、友人の様態は、なんと4日経って驚くくらいよくなって来た。印象的だったのは、辛かったね?との、私の問いかけに、しんどかった と答えたこと。かった(過去形)なの?との問いに、今は楽になってきたと、答えてくれた。

正直、この間、彼女がきちんと回復するだろうとは、信じていたが、回復するような気はしなかった。

好転は、医者の力量に尽きると確信した。

しかし、彼女の夫からは意外な反応が返ってきた。前のお医者さんとっても、親切だったから、嫌いにはならないで・・・外国人の彼が使った日本語はやさしい。

私は、かたまった。隣近所の人なら、親切な人が一番いいのはわかる。でも、妻が生死の淵に立たされているときの、医師の良し悪しの判断は、治せるか否か、名医かヤブかじゃないの? そりゃ、私だって、人間的にその医者が悪いなんて言ってないよ。でも、今は、ヤブは困るのよ。

だいたい。10日も入院していて、その後、手に負えないから、転院させるような医者が、親切なの? 手遅れにならなかったからよかったの? あなたはその間の、世界に誇る並ぶもののない高い米国の医療費を払うことになるのよ! 

しかし、そんなこと言えない。でも、固まっているから、言葉も出なかった。

絶対大きい声では言えないけど、親切なヤブ医者は、判断を狂わせるから、困り者だと思う。

チャングムでもそんな場面があった。皇后様のせりふ。

誠実な技術のない医者、誠実ではないが、技術を持っている医者。結果はどちらも同じことになる。あなたはどっちかと。

誠実と親切ではちょっと違ってくるが・・・・・親切なヤブ医者、不親切な名医。 そりゃ、後者の方がいいと、私は思う。

 

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また、あらたな出会い

2006-11-12 22:54:15 | なっとくる

集中治療室で、日々変わる友人の様態に、すべてのスケジュールをキャンセルして対応する日々が続いていた。転院から、命にかかわる緊急手術と病院で聞いたときは、なぜ、どうして・・・と、心が騒いだが、彼女の生命力を信じていられた。手術は無事成功した。

彼女が命がけで生んだ男の子は、本当にすくすくと育っている。

しかしながら、生後まだ10日の新生児のお世話をするのが実は一番神経を遣う。ミルクを吐かれた時は、友人に電話をして、駆けつけてもらった。事なきを得たが、なんとも恐ろしい。

毎日、誰が世話をする?誰が病院に行く?という、打ち合わせが電話で行われる。集まった人たちは、実は今回のことを通じて初めてお会いするかたがたばかり。日本人の妻、外国人の夫、そんな構図でできあたっがネットワークの存在は知らなかったから。

期間が決まって赴任する駐在員家庭と違って、外国人の夫、外国人の子供をもつ日本人の女性たちは、一生この地で暮らしていく。頼るものは、家族と友人なのだろう。非常に強く精神的につながっていると、端にいて感じる。その中に、若い友人が入れてもらっていたことが私には嬉しかった。ちょっと派手に休みとなると、観光旅行に余念のない駐在員家庭とは違って、堅実にこの地で暮らして欲しいと願っていたから。

彼女を通じてであった人たちは力強く、たくましく、そしてやさしい。日ごろ何気に人見知りな私だが、今回の事に関しては、そんな場合ではない。初めて出会った人でも、何でも、とにかく助け合わなくてはならない。猫の手も借りたいくらいなのだから。

病床の友人から、私へのプレゼントかもしれないと思う。違った出会いは、私にまた多くのことを学ばせてくれるような気がする。

そして、今日は遅れに遅れている宿題を片付けて、月曜からのケアーに備えなくてはならない。ブログが・・・・・・ランニングが・・・・後回しになる日々。

 

 

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ご厚意

2006-11-09 01:17:21 | がっちんこん

書き直せといわれたエッセイ。でも、もうどうにも辛い。書けない。

だいたい、一度書いたのだし、頂いたその点数に文句はありません。それが私の等身大の実力です。 

そう開きなおって書かないことにした。それで、その日は、胃の痛みから解放されて、ぐっすり眠った。

翌日、授業後に、私はエッセイを書き直しません と、先生に言いに行った。表現力の問題というより、小心者の私は、書き直していません と言ってしまった。

出た!ご厚意。待ってあげるからだって。それが要らないのです。私には。期日が過ぎているのだから、冷たく締め切ってくれればいいのに・・・・。

また、今日からエッセイを書くために準備をしなくてはならない。

余談 胃の痛みが、食事後、さあ、エッセイと考えた瞬間から始まる。なので、家族は、私がいつも食べ過ぎて胃が痛むのだとおもっているらしい。それも、辛い。

 

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唖然とする

2006-11-07 23:43:38 | かたまった

朝、新聞を何気なく見ると、中学生が学校で拳銃を所持していて、警察に逮捕された記事が載っていた。銃弾は入っていなかったものの、友達に見せたところ、先生の知るところとなり、警察に通報され、逮捕された。中学校の名前を見て、驚いた。

日本人の男の子たちで、舞踏サークルのようなものを作っている。元気のいい方のソーラン節を踊るグループ。夏のフェスティバルで踊ったところ、ちょっといろいろなところから、踊ってくれと頼まれるようななった。

そのひとつが、その中学校だった。

私は母親たちと、指導をしてくれている方に、記事を送り、中学校に対して、イベントの内容の確認と、その事件に対しての説明、またその学校自体の環境等の確認をすべきだと話した。話し合いがもたれたはよかったが、実はその内容に唖然としてしまった。

ここだけの話だけど・・・・。

アメリカでは新聞社をお金で買収することは容易で、事件が新聞に載ったこと自体が、健全な学校であるという証拠になる。

なる?

踊りだけ踊って、あとはすぐに帰ってくる。

そこまでして、そこで踊る意味はなんだろう?子供たちが得るものはなんだろう?アメリカの子供たちは、どう思うだろう?

自己責任で参加しましょう。参加者は一人でも二人でもいいのだし・・・

判断材料がないのに、自己責任とするのは、親の考えであって、子供たちはどう感じるだろうか?

唖然とする内容もあったが、相手側に問い合わせてもらったところ、快く、むしろ大歓迎だから、内容を聞きに来てほしいとのことだった。その内容は後日・・・まだ、先のことなので・・・・

リアクションをとること、それが、大事なのだと私は思っている。聞きにいく。こちらのことも聞いてもらう。こどもたちは私たちの宝ものだからを大事にしてほしいと伝える。きっとあちらからも、われわれの学校にとっても子供たちは、宝ものだという話がでるはずだ。出なければいかなければいいしのだし。

事件が起こっても知らん振りするのだけはよくない。

 

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Shipshewana

2006-11-05 11:37:03 | 徒然に

Shipshewana という街がある。http://www.rvcamping.com/in/amish.html

今日は、片道1時間半の道のりを、そこまでドライブしてきた。目的はカレンダーを買うため。そこでしか買えない、カレンダーとそれとセットになった木枠がある。木枠だけを持ち帰った友人のために、来年分のカレンダーを買いにいってきたというわけ。この、余裕のない忙しさの中、でも約束したから仕方なかった。少々辛かったけど。

それでも、肩の荷は降りた。少しだけど。これで、胃の痛みが無くなれば良いのだが・・・。誰に頼まれたわけではなく。友のため買って出たこと。それに追い立てられるのだから、人間先は読めているようで、まったく読めていない。こんなことが、実は他にもたくさんあって、当分忙しい毎日が続きそうだ。自分でも、なんともいえない性格で情けなくなる。

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母の慟哭

2006-11-03 10:05:24 | 徒然に

私がマラソンを走った同じ日、若い友人が始めての赤ちゃんを産んだ。

アメリカ人のご主人と幸せに暮らしている、日本人の女性。赤ちゃんを産むに当たって、日本からご両親が来てくれると喜んでいた。ご両親がいらっしゃるまでは、私も色々と気にかけてきたが、いらした時点から、出過ぎないように連絡も取らなかった。

その友人が、赤ちゃんを無事に産んだものの、自分自身が集中治療室に入っていると聞いたのは、一昨日のことだった。何がなんだか訳がわからない。自宅を尋ねると、小柄なお母さんが、出ていらした。目に涙が浮かんでいる。

日本語で どうしたの と話しかけ、手を触れたとき、彼女は堰が切れたように、声を出して泣き始めた。自分を責める言葉、娘を思いやることば、誤る言葉・・・それらと一緒に、大きな声で、子供のように泣きじゃくる。

私は、お母さんに、必ず友人は帰ってくるから、きちんと守っていようと声をかけた。赤ちゃんは無事に生まれてもうすぐもどってくるはずだから。

そのあと、病院で無事に生まれた、新しい命を抱かせてもらった。小さいながらずっしりと重い男の子。友人が、母親となって守り抜いた命だと思うと、なんともいえない気持ちになる。そして、友人のお母さんもまた、その子を思い、守ろうと必死になっている。私は、立ちすくみながらも、必ず母親の祈りが通じるようにと、自分ができることをやるつもりでいる。ひとつひとつの命が、こうして強い愛情から生まれてくるのだと思うと・・・・命を大事にして欲しいと、心から思う。

 

 

 

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