やっと電気がきました。夜が明けたようです。
金曜の午後に地震が来ました。
その日、私は午前の授業を終え、知人の講演会に参加する予定でした。ところが、こともあろうに往来で転んでしまいました。
両手に荷物を持っていたため、ほんの小さな段差に対応できませんでした。痛さと恥ずかしさ、そして、風体の悪さに講演会に参加することを見合わせました。これが、ひとつの運命でした。
帰宅後、着替えて家事をしていたところ。。。つまり台所にいました。(あのまま、講演を聞いていたなら、うちに帰ることはできなかったかもしれません)
ラジオから緊急シグナルが聞こえました。「地震が来ます」私は、慣れたいつもの調子で、食器棚を押さえました。
がたがたと揺れはじめてすぐに、その大きさに驚きました。皿が落ちて割れ初め、その音にも驚きました。長く大きな揺れです。一定方向に行ったり来たりという揺れでした。
普通ではないその大きさに、台所を離れ、廊下にいき、そこにいたるるを抱きしめました。
どのくらい揺れたのでしょう・・・・揺れがいったんおさまったとき、息子から携帯に連絡が入りました。「おれは無事」それだけで、携帯は切れてしまいました。ラジオも消えています。
私は、乾電池をとりに行き、ラジオに入れました。そうしていると、また新たな揺れが襲ってきました。
そのあとに、息子の友達が、「おばちゃん、ここにいては危ないから、外に出よう」と、私を迎えに来てくれました。男の子は頼りがいがあります。
るるを連れて、外に出ました。雪が降ってきました。近所の一人暮らしの(夫が単身赴任中)友達を訪ねると、がれきの下から友達が出てきました。
それから、息子の友達家族、一人暮らしの友達、そして同じく夫が単身赴任中の我が家と三家族で、比較的被害の小さかった我が家で、共同生活をしています。
食べ物は配給です。子供だろうが、老人だろうが、並んだ人だけがもらえます。一人暮らしのお年寄り、小さなお子さんを抱えたお母さん、並べない人たちはどうしているのだろう・・と、思います。
水も配給です。地震直後は出ていた水が、日曜からでなくなりました。お風呂にためていましたが、もうありません。ガソリンをたまたま、車に満タンにしていたので、水の出る仙台宮城野区の実家にもらいに行きました。
ガスは出ません。
実は、大阪に単身赴任中の夫が、土曜に出発して、日曜に来てくれました。すごい!!です。無くて困っていた、ドラム式の石油ストーブ、炭、水、食料を買って、レンタカーに積み込んできてくれました。
本当に、心強かったです。
実は、昨日電気が来たので、テレビをみることはありませんでした。昨日、初めて、津波で甚大な被害が出ていることを映像でみました。言葉がありませんでした。被災者は、自分がどんな状況に置かれているか、実はよくわからないのです。(ラジオは聞いています。でも、想像することはできませんでした。また、ラジオは単3電池4本で3日以上、方法を伝えてくれています。みなさんも、ラジオと乾電池を用意しておいてください)
電話も、公衆電話が使えます とラジオで聞いて行ってみても、どこの電話も使えませんでした。困っていることを伝えて下さい と言われても、手段がなかったです。
今は、これから何が、どうなるのか、予想ができません。ただ、元気でいますので、安心してください。そして、たくさん心配して頂いてありがとうございました。