どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

水がでました

2011-03-30 10:13:49 | シュワッチ

やっと水が出るようになりました。

真っ先にやったのは・トイレの掃除でした。 

そして、漬物樽を洗いました。

今回の震災、直後の食卓は大変でした。私は、アメリカで買ったダッチオーブン (鉄なべ)を使い、七輪で火を熾してご飯を炊きました。

そして、自家製の沢庵、解凍していた鶏肉でソテーを作りました。我が家に避難してきていた子供たちにも、大好評でした。

春の気配を感じるようになってもたくさん残っていた沢庵には、ちょっと頭を抱えていました。ところが、震災で食材がおもうように手に入らないと、沢庵がとてもありがたく感じました。分量をきちんと量って作った沢庵はとてもおいしくて、大好評。近所や姉のところにもおすそ分けしました。

そして、完売。漬物樽を洗って、今シーズンの漬物の時期が終了しました。

保存食はとても威力を発揮します。

これからも、レパートリィを広げて、保存食を作ろうと思っています。

 

 

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県外からの支援

2011-03-27 18:59:40 | 舞いあがる

震災後半月が経とうとしている。

色々ご心配いただいてありがとうございます。

私らしくないかもしれない・・・何にも発信したくないようになっています。なんでだろう・・。

まだ水の配給にならび、自宅のお風呂は使えない。もっとひどいところがあるんだから・・・・。

今日、義姉のところにお風呂をもらいに行っているとき、出雲ナンバーの給水車に遭遇。なんだか、手を合わせたい気持ちになる。

震災の翌々日、交通手段が機能していないなか、実家の様子を見に息子と自転車で実家に向かった。そのとき、東京消防庁の一団と遭遇、その時も泣きたくなるほど感動した。

他県ナンバーの車をみると、本当にありがたくて・・・・熱い思いがあふれてくる。

頂いたメールの全部にも、熱い気持ちがあることも・・お伝えしたい。ありがとうございます。

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避難

2011-03-18 23:07:57 | なっとくる

息子たちは、大阪に向け避難しました。

家族を守りたいという夫の決断でした。私は、ここに残っています。理由は・・るる子です。るるを置いては行かれないと思ったからです。

海外では、原発の状況はとても深刻に報道されています。USにいる次男は、お母さんも一緒に逃げて欲しいと涙を浮かべていました。

私は、それでもここに残りました。

水道の復旧もあと二週間はかかるそうです。ガソリンもありません。

でも、父から買ってもらった電動自転車があります。

今はちょっと、料理を作る元気もありません。料理って家族のために作っていたんだと、改めて思います。そしたら・・・・・近くの友達が、ビールとおかず、ご飯を運んできてくれました。

仙台で、今ビールが飲める人なんて。。。いないかもしれない・・・。

4人で楽しく、おいしい夕食でした。

明日は・・・義姉のうちに、お風呂をもらいに行きます。洗濯もさせてもらってきます。

 

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足元が崩れていくようです。

2011-03-16 10:40:56 | Weblog

金曜の被災から、6日目を迎えています。

今朝も、6時過ぎから、配給に並んできました。お風呂も被災の日から入っていません。

でも、家もあり、寝るところもあり・・・文句を言ったら罰があたりそうです。

私の職場では、留学生たちが帰国をはじめています。

卒業式もなしになってしまいました。生徒たちとのお別れは無しになりました。

地震より、原発の事故の方が、海外では深刻に扱われているそうです。本国から、帰国するようにという、指示もあったようです。

一瞬違和感がありました。が・・・この地に生活の根を下ろしている訳ではない、留学生たちにとっては、それが賢明な選択であろうと思います。

頭でわかっていても、足もとが崩れていくような寂しさがあります。2日前、「先生・・どうしたらいいかわからない」というメールが来て、会いに行き、抱きしめた生徒が、もういないのかと思うと、残念でなりません。

「明日があると思ってはいけない」と、つくずくと思っています。今学期、毎回行った漢字の復習テスト。すばらしい平均点を残した、ベトナムの生徒に、プレゼントをあげて、努力をたたえるつもりでした。月曜に・・・と思ったのに、次もあるからと先延ばしにした結果、ついにそれをしてあげることは不可能になってしまいました。

明日があると思わずに、今日を生きること、わかっているつもりで、わかっていないことばかりに気づかされています。

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ご心配をおかけしています。

2011-03-15 05:18:02 | Weblog

やっと電気がきました。夜が明けたようです。

金曜の午後に地震が来ました。

その日、私は午前の授業を終え、知人の講演会に参加する予定でした。ところが、こともあろうに往来で転んでしまいました。

両手に荷物を持っていたため、ほんの小さな段差に対応できませんでした。痛さと恥ずかしさ、そして、風体の悪さに講演会に参加することを見合わせました。これが、ひとつの運命でした。

帰宅後、着替えて家事をしていたところ。。。つまり台所にいました。(あのまま、講演を聞いていたなら、うちに帰ることはできなかったかもしれません)

ラジオから緊急シグナルが聞こえました。「地震が来ます」私は、慣れたいつもの調子で、食器棚を押さえました。

がたがたと揺れはじめてすぐに、その大きさに驚きました。皿が落ちて割れ初め、その音にも驚きました。長く大きな揺れです。一定方向に行ったり来たりという揺れでした。

普通ではないその大きさに、台所を離れ、廊下にいき、そこにいたるるを抱きしめました。

どのくらい揺れたのでしょう・・・・揺れがいったんおさまったとき、息子から携帯に連絡が入りました。「おれは無事」それだけで、携帯は切れてしまいました。ラジオも消えています。

私は、乾電池をとりに行き、ラジオに入れました。そうしていると、また新たな揺れが襲ってきました。

そのあとに、息子の友達が、「おばちゃん、ここにいては危ないから、外に出よう」と、私を迎えに来てくれました。男の子は頼りがいがあります。

るるを連れて、外に出ました。雪が降ってきました。近所の一人暮らしの(夫が単身赴任中)友達を訪ねると、がれきの下から友達が出てきました。

それから、息子の友達家族、一人暮らしの友達、そして同じく夫が単身赴任中の我が家と三家族で、比較的被害の小さかった我が家で、共同生活をしています。

食べ物は配給です。子供だろうが、老人だろうが、並んだ人だけがもらえます。一人暮らしのお年寄り、小さなお子さんを抱えたお母さん、並べない人たちはどうしているのだろう・・と、思います。

水も配給です。地震直後は出ていた水が、日曜からでなくなりました。お風呂にためていましたが、もうありません。ガソリンをたまたま、車に満タンにしていたので、水の出る仙台宮城野区の実家にもらいに行きました。

ガスは出ません。

実は、大阪に単身赴任中の夫が、土曜に出発して、日曜に来てくれました。すごい!!です。無くて困っていた、ドラム式の石油ストーブ、炭、水、食料を買って、レンタカーに積み込んできてくれました。

本当に、心強かったです。

実は、昨日電気が来たので、テレビをみることはありませんでした。昨日、初めて、津波で甚大な被害が出ていることを映像でみました。言葉がありませんでした。被災者は、自分がどんな状況に置かれているか、実はよくわからないのです。(ラジオは聞いています。でも、想像することはできませんでした。また、ラジオは単3電池4本で3日以上、方法を伝えてくれています。みなさんも、ラジオと乾電池を用意しておいてください)

電話も、公衆電話が使えます とラジオで聞いて行ってみても、どこの電話も使えませんでした。困っていることを伝えて下さい と言われても、手段がなかったです。

今は、これから何が、どうなるのか、予想ができません。ただ、元気でいますので、安心してください。そして、たくさん心配して頂いてありがとうございました。

 

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卒業式を経て・・・

2011-03-03 04:39:13 | シュワッチ

1日に卒業式があった。日本での式は久しぶりで、新鮮な感じがした。息子はおにいさんたち二人が着た、そして息子がそこを卒業したかったという、アメリカのハイスクールのコスチュームを着た。伝統の角帽とマント。

伝統のある、セコンドの卒業式は、私が経験した関西の卒業式とは違い、バンカラで自由で、そして、凛としていた。生徒たちは、それぞれが自己主張を式の中でしてみせる。

式の中で、生徒たちはクラス毎でのパフォーマンスをしてみせた。息子のクラスは、なんども先生の名前を連呼した。それはすべて感謝の言葉だった。同じ立場の私は、先生の教師冥利につきる喜びを感じた。

クラスに戻ってから、ひとりひとりに卒業証書が渡された。一言コメントもクラスが楽しかったとのコメントが多かった。

先生から4つのお願いが出されていた。印象に残った言葉は「親から離れなさい。親は子供から離れられない。だから、君たちから離れていくべきだ」かな。

夜の学校主催の祝う会にも出席して、先生たちにお礼を言った。本当に息子がお世話になりました。と、心から思ったから。帰国子女で、波にのまれて沈没するのかもしれない・・と心配したが、息子はみんなと一緒に頑張ることができた。お笑いをやったり、ボランティアをやったり、とにかく何事かをいつも一生懸命にやる子ではあった。

ところで、ヤフー知恵袋・・・・私は当初から仙台の受験生ではないかと思っていた。「仙台市内でいい心療内科しりませんか?」と、投稿されていたと記事でみたから。というより、第一報を聞いたとき・・驚いた。まさか・・・うちの息子ではないだろうか・・・いやいや。そこまで、頭がまわらないだろう。彼は今頃必死になっているはずだ・・。

昨日は、息子の幼馴染兄弟と夕食を一緒に食べた。そこでもその話題・・・。警察がひとりひとり兄弟受験生・・おっと失礼・・京大受験生を調べるかもしれないね。そっか、いつ来るんだろう・・。合格発表前に来てほしいね・・・、みんなで笑った。

合格発表前、そこぬけに明るい親子だなあ・・と自分でも思った。

 

 

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