介護
何時の間にか、介護ブログになってきた。
本業の日本語教師の仕事は只今休業状態。
原発事故以来、東北にやってくる外国人は激減している。
日本語のクラスは減少せざるを得ない。じゃあ誰が自宅待機になるのか‥見事に私に白羽の矢が刺さった感じ。望んでは、いないので、刺さったという感が否めない。
でも、「これが私にとってイチバンいい結論」と受けとめると、違った風景が見えてきた。
父の介護に来られるのも、それをいい結論と位置付けてのことだった。
また、大学院の諮問試験で、日本語教育学の教授は「日本語は専門家ではなくても、誰でも教えられるというのが、時代のながれでもある」と、専門家としての意識を持つ私とは、真逆の理論を展開されていた。じゃあ、あなたが研究している、日本語の教授法は何のための理論なのですか?と聞いてみるべきだった。
専門家を育成する必要がないなら、それに伴う教授法なんて要らないだろう。
日本語教師が、雇用が安定しないヤクザな仕事だということは良く分かった。
大学に単身で出掛けてからずっと、近くの友達を頼りに生活してきた。
親戚とは自然に距離を置いてきた。新しい家族は東北を中心にしていたし…。
父の看病で実家に帰ると、思いがけず親戚の付き合いが復活した。付き添いを代わってくれたオジ。手作りのお弁当を届けてくれた、おばに従兄。父を囲んで、おじやおばが昔話を始めた。聞き役に回る、私と従兄。
不思議なものです、血縁の関係はスンナリと元のサヤに戻って落ち着く。
父に付き添って、違う風景が見えてきたような気がしている。
川辺の桜がもうすぐ咲きそうだ。久しぶりに津山の桜が見たい
息子から聞いた妙な若者言葉。
「過疎る」
イオンが撤退すると町は過疎になる。それを過疎るというのだそうだ。(~_~;)
若者たちは次々に新しい言葉を生み出していく。それがまんざら、世の中を見ていないわけでは無いとも思う。この町には、イオンがドデーンとある。すると、過疎ってはいないことになる。
昔、町のハズレにあったイオンが町のハズレではなくなり、町の中心が大きくイオンに引っ張られた感じがする。
人の流れが変わり、町が変わった。
ダウンタウンには人気がなく、イオンの建物の中が、昔のアーケード街のように賑わっている。
仙台のイオンの中とほぼ同じような店が並ぶ。
病院は高台の上にある。町がよく見渡せる。津山の桜はもうすぐ咲きそうだ。仙台では見られない、入学式に桜が咲く。
昔、何両も連なって走っていた電車が、まるでトロッコのように、たった一両どでトコトコと走って行くのが見える。
病床の父が「何の音だ」と聞く。鉄道員だった父に、一両列車が走っていることを話す。
過疎ってはないのかな…。イオンだけはあるけどさ。
4月2日、月曜日
新しい生活が満ち溢れている。
わたしの生活も大きく変わった。
三男が大学に入学。一人暮らしを始めた。つまり、私も一人暮らしになった。
と、思いきや♪,実家の父の容態が急変。息子を送り出した翌日には実家の岡山に帰宅、今は病院で父に付き添っている。
介護生活に突入したのかな~~~~~~と、今だに現実を受け入れられていない。この先どうなるのだろうか、不安が募る。