どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

風がビュンビュン吹いている

2010-03-29 09:45:28 | ぼっとん

最近落ち込み話題の多い私だが・・・

要因のひとつに仙台の風事情がある。まあ、毎日毎日、ビュンビュンと音をたてて吹いている。そして、ビュンビュンと花粉が舞っている。

花粉症の私は、その風を窓越しに見ただけで、外にでること、ましてや走ることを、止めてしまおうと決心する。レースを前に焦るけど・・・・・

昨年はすさまじい花粉症だった。涙がとまらず、その涙の塩分で顔の肌は、紙のように乾燥してバリバリと音をたてるのではないかと思うくらい、荒れにあれた。人前にでれる顔ではなかった。眼科の先生から、最後はステロイド剤を処方された。

ステロイドはやはり怖い。飲み終わったあとの副作用はすさまじかった。特に全身の倦怠感には苦しんだ。そういう状態で10マイル(16キロ)マラソンに出たから、終わったあとにすさまじい吐き気に襲われて、帰りはずっと車の中で眠っていた。あれほど具合が悪かったことは・・・最近はない。

今年はそのマラソン大会でフルマラソンを走ることにしているから、絶対に薬だけは飲みたくない。昨年9月から始めたプロテェインを使った免疫アップ療法で、なんとか薬を飲まないで花粉症がのりきれることろにまではなっているようだ。今のところ、点鼻薬 と目薬の対処療法のみで乗り切っている。でも、花粉の中に果敢に飛び込む気にはどうしてもならない。

あちらをとれば、こちらがおろそかになる・・・が仕方ない。私の持っているだろう潜在能力を信じて、フルマラソンをはしることになりそうだ。

信じれば救われるだろうか・・・。なんとか頑張りたい。フルマラソン有終の美 としたい。

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訃報を聞く

2010-03-28 08:51:07 | ぼっとん

おとといは、大学時代の友人と飲み会だった。

そのときに、大学の同級生の訃報を聞いた。ちょっと驚いた。彼は、大学時代は、あろうことか、私の物まねをしていた。自分でこれが私?と思ったけれど、似ていたらしく、回りでは受けていた。その彼が亡くなっていた。

そして、昨日は出掛けに、USでお知り合いになった女性が亡くなられたとメールが入った。闘病されていたのも知らなかったから、とても驚いた。郷里が同じで、それも近くの方だった。本来ならそういうことで仲良くなりそうだが・・・会社同士、女性同士の人間関係の真ん中にいらした方で、私が属していたところと関係がよくなかったので、私はあえて、近づかないようにしていた。今考えれば、そんなこと・・・・と思うようなことが、当時、その場所では大事だった。それも含めて懐かしく思い出すことではある。

死を考えることなく日々を過ごしている。そして、知人の訃報に際したときのみ、はっと生命が有限だったことに気付かされる。いつかは誰にでも訪れる。明日目が覚めないかもしれない恐怖はいつか自分にも訪れる。

いつか なのか すぐ なのかは誰にも分からない。それを意識しているようで、意識しないように避けている、自分がいる。

『明日』がないかもしれない生き方は、できるようで難しい。私にできるだろうか?

 

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カフスボタン

2010-03-26 09:25:09 | がっちんこん

父はいつもワイシャツにカフスボタンをしていた。

私は、おしゃれな父が大好きだった。もともとハンサムな人でもあるし、結構背も高いし、まあ鶴田浩二みたいなかんじ・・・・とは、ちょっといかないかな・・・。

ブログでも何度か書いたが、私が持っているアクセサリーの大部分は父が買ってくれたもので・・・たぶん母が買ってくれたものより多いはず。そして、娘の私は自分で買ったアクセサリーはない。ははは・・・・・・。

そうそう、カフスボタン。ずっと忘れていたのに、最近、カフスボタンをしている人がいて、それでまた、素敵だなと再認識。実家に帰った際に、父のカフスボタンをもらってきた。父が使っていたカフスボタンを私も使いたかった。

でも、残っていたのはひとつだけ。兄にあげたらしい。兄に電話して、半分頂戴ねとねだる。兄と半分ずつ使いたい。それが一番いいと思うでしょう?兄にも是非、カフスボタンをするお兄さんになって欲しい。私もカフスボタンをする妹になります。たぶん、簡単なはずです。

昨日は出かける用事があった。時間調整で入った駅ビルに、なんとシャツ専門店。私は思わず、女性用のカフスボタンの穴のあるシャツってどんなのだろう?と入ってみた。すごい、まさにシャツ専門店にはシャツがいっぱい。店員さんはとても感じのいい人で、カフスボタンを使えるシャツを見せてくれた。当たり前だが、しっかり襟のついた、Yシャツ。お値段も専門店とは思えない手頃な金額。

これにあわせるスカート、スーツ・・・・うーん体重をもとに戻さないと入らないだろうなあ・・・・。細めのタイトスカートと合わせてみたいなあ・・・・。時間調整ではなく、本気でシャツを眺めていると・・・・グレーのラメの入った黒のシャツが目に留まった。

それを見逃さなかった、感じのいい店員さん。それは本当にお値打ち価格ですよ。ふむふむ・・・・確かにそれはお値打ち価格に変わっていた。お値打ち価格 でスイッチがオンになった。じゃ、それをください。

買ってから思った。そのシャツにはカフスボタンをつける穴はなかった。つまりカフスボタンが似合う妹になるには適さないシャツだということだ。

そっか、簡単そうで、結構むずかしいのかもしれない。とにかく、似合う人になるには、カフスボタンとそれが使えるシャツが必要なんだ。

まあ、気長に今年の目標にしようかな。それまで、兄にもカフスボタンを探してもらう必要もあるしね・・・・この場をかりて、探しておいてね と重ねてお願いしようっと。

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宝石が散りばめられている・・・時間

2010-03-25 00:07:19 | うるるん

魔法にかかったような時間だった。

いきなり、わけの分からない言語が行き交う。教室に行こうと促される。机に座って、資料が配られる。見たこともない言葉が書いてある。

??????

機関銃のように、知らない言語が私に向かって突き刺さる。何? 何?なんなの?

何を取っ掛かりに理解していけばいいのだろうかと・・・分かりやすそうな言葉を捜す。でも、ない。英語でもドイツ語でもない、・・・・聞いたことのない言語だった。

なにかをうながされる。。きっと こんにちは だ。そうかな? もうひとりの先生と会話をするように促される。次に 名前の紹介をしている? 定かではない。でも、先生はにこにこしている。きっと当たっている。そうです そうだね よくできました という言葉もわからないから、先生の表情で私のリアクションが適当かどうかを判断するしかない。教科書をみている暇さえない。どこかに情報はないかと、あたまの中はものすごい勢いで回転していると感じる。の、割りには、さっき、ついさっき発音したことばの発音をすぐに忘れてしまう。一回、二回では覚えられるものではない。

先生は怒らない。こっちも一生懸命だもの、ここで怒られたらへこんでしまうだろうなあ・・・。緊張の連続が続く。

どうでしたか? と、日本語で、にこやかに先生が聞いてくださる。

つまり、これは、私だけのために用意された、母国語以外の言語で授業を受ける という体験だった。いつも、私は逆の立場でいる。

身近にない言語、それも文字すら見たことがない言語で授業を受けるときに、いったい人がどういう心境になるのか・・・・。先生が使われた言語は、東南アジアの言語で、私には全く馴染みのないものだった。

たとえ答えられない学生でも、一生懸命考えている。思ったほど、すぐに言葉は覚えられない。緊張感があると尚更だ。

ふっとわれに返って、学生たちのことを思った。私は彼らのことをわかってあげてはいない。もっと、もっと、私が思っている以上、大変なことだ。目からうろこが落ちる 自分がとても、浅はかな先生であったことに初めて気付かされた。

同じ学校の先生が、私のために考えてくださった模擬授業。今頃になって、感動に浸っている。どんな時間だったと表現したらいいのか・・・・・

宝石が散りばめられていて・・・きらきら輝いているような時間だった。私って本当に幸せ者だ。

できる、できないにしろ、耳に十数年馴染んできた英語圏とまったく聞いたことのない言葉の間には、とても大きな差があるのを気付くことは、同じ体験をする以外理解できなかっただろう。感謝しても仕切れない。

でっかい宝石が散りばめられた先生にならなくちゃ。

 

 

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故郷へ そして 帰仙台

2010-03-24 06:01:32 | おっとこどっこい

誕生日に帰って欲しい

生まれて始めての父からのリクエストで故郷へ帰っていた。父はおめでたい人で 3月21日が誕生日。3月は年度が変わることもあって、なにかとせわしなく(本当にせわしいかというと?だが・・・・)この時期に帰郷したことはなかった。

春の津山 は暖かく、仙台から着こんで行ったダウンジャケットが恥ずかしくてしょうがなかった。桃と梅の花が咲いていた。桜にはまだ早い時期だった。

私の子供のころの思い出の中で一番美しい花は桃の花だった。庭には何本も桃の花があった。梅が咲いて、桃が咲いて、桜が咲いて、つつじが咲く。これが私の子供の頃の思い出に重なる。仙台ではこれらがほぼ同時に咲く? とは言わないが、私が抱いていた順番とは大いに違っている(ような気がする)

父が老齢になって、車を廃車にした。あてにしていた路線バスは廃止になり、老いるた父と叔母(94歳)は、行動範囲が制約されていた。帰省した私も同じで、日頃お世話になっている(父が)方へのお土産配りも、徒歩になった。

何でも売っていた万屋は姿を消し、何でも売っているコンビ二が一軒あるだけの町。生活のすべてが車で成り立っているように、過疎の町に不似合いな大きな道路を車がスピードを上げて走っている。ここはUSかと見間違う。

私は徒歩で昔小学校へ通った旧道を歩いた。子供の足であれほど遠かった道のりは、懐かしさもあってそれほど長くは感じなかった。大きな道路に面した町が、けたたましく変わっていたったのとは対照的に、旧道沿いの街並みは私が小学校に通った当時とさほど変わってなかった。懐かしむ分には何もいうことはないが、実際に生活している人たちにとってはどうなのだろう・・・と、同時に考えてみる。

古い公民館の看板が、新しくコミュニティーハウスと書き換えられていた。コミュニティーと書かれて、叔母はそこがなんだか分かるだろうか・・・。何でも、かんでも、地域に住んでいる人の立場からではなく、大きな投網をかけられる様に、地域が『再編』されていく。これはたいへんだ。

父の部屋に座って、父の話を聞いていた。昔むかしの話。暴露話から、しんみり話。ずっと聞き役だった。つい居眠りをしてしまう・・・と、父に怒られ、起こされ、また話を聞く。それだけ元気になったんだね と思いながらも・・・・つい、逃げ出したくもなる。

最終日になると、あーあ、もっと・・・・もっと・・・・という、後悔が残る。ごめんね。また、行くからね。

そうだ、父は誕生日に何がしたかったのだろうか・・・・・。買い物もままならず、父と囲んだ食卓は冷蔵庫にあったものを使ってのささかな手料理だった。それも含めて、また今度ね。

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一線を飛び越えた

2010-03-17 10:03:31 | シュワッチ

一線を引いた。

テニスで試合にでるためには、ペアを組まなくてはならない。テニスも生涯スポーツとして楽しむならば、ダブルスということになる。これはシングルとは違ったスポーツだ。・・・と、私は思う。同じようなスタイルの上手な人が二人ペアである場合と、違ったプレースタイルの二人が、それこそお互いの欠点をカバーしあう存在であったなら、どちらが強いだろうか・・・。実はわからない。考えただけでは、理想的に強そうなのは、後者でありそうだが・・・。

現実の問題としては、同じチーム内でペアを組んで試合に出る場合、いやな思いもする。正確には、嫌な思いをしているだろうことが顔に態度にでている人を間近に見たことがある かな。

試合でうまく結果が出せなかったり、傷つくプレーや言葉があったのだろう、自然に次の試合ではペアを組みたくないと思うのだろうなあ。それが、双方の合意ではあるのだろうが(片方だけが嫌な思いをするなんて実はないのじゃないかなあ?双方が思っているはずだ・・・)、簡単に次の相手を見つけられる人と、そうではない人がいることはあるだろう。誰だって結果を出したいから、強い相手と組みたい。下手な相手の欠点をカバーする実力と、ポイントをとれる実力と、相手のミスを責めない(ことばだけではなく目が責めない)やさしい人がいるなら、それはあっちからもこっちからも引っ張りだこになる。

それが第三者として見てしまった私は、試合にでることよりも、ペアを組むことが怖くなって、試合にでる気持ちになっていなかった。一線を引いた。こんな思いをしてペアを組むなら、試合に出ないほうがまだいい。

ところが、今のコーチには、試合に出てこその面白さがあるのがテニスであって、試合にでなさいと、何度も言われる。確かに目的をどこにおくかで、テニススタイルも大きく変わってくる。

私がその『ひっぱりだこ』であれば、問題はない。考えることもない。勝手に回りが動いてくれるはずだ。ところが、たこどころか、いかにもなれない、つまり煮ても焼いてもたべられない、山菜のようなプレイしかできない私には、目的を変えるしか方法がなかった。『ゆでで食べよう』と、していた。

昨日は、じゃんけんでパートナーを決めた。私は身長があるのに、攻撃的なボレーやスマッシュより、ストロークが得意だ。そこで、足を使って後ろからプレイを組み立てる、フォアハンドサイドを選んだ。フォアとバックを選んだ人が半々だったから、すんなりじゃんけんでペアが決まった。

コーチが入ったチームにやられまくり。いいところが全くないままに、ずるずる負けていく。このままではだめだ。しかし、気温が高く帽子を持っていなかった昨日は、帽子を放り投げて入れる 『シャラポアスイッチ 』が入らない。なにかを変えなくてはならない。ゴムない? ときいてみる。そこは女性の集団なので、あるよ と、ピンクのゴムをゲット。長い髪を、初めてきりりと結び 『シャラポアスイッチ オン』。さて、いいところ見せてあげましょう!!と、強気発言でコートに入る。丁寧なストロークを大きく決めて、相手のミスを誘い、粘りのポイント勝ち。次は、高くあがった球をスマッシュで打ち返して、これまたきれいに決まり・・・で、勝ち。その次くらいで負けたけど、とりあえず、いいところを見せられた とペアと喜ぶ。

練習後、他のチームの人から、テニスの練習に誘われたり、なんと即席のペアから電話がかかり、次の公式試合に出ませんか?と誘われる。

いろいろ考えずに、運命に従って、自ら引いた線を飛び越えた。 今度は試合で いいとこ見せたろう と思っている。シャラポアスイッチのゴムは私の手元にある。

必ずやらなくてはならないこと。サーブの精度をあげること・・・・いえ、ライン内に入るサーブを打つことの、言葉間違いでした。 はは・・・・・・・。

誰か私に私的にコーチをしてくれないかなあ・・・。

 

 

 

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家庭菜園を再開する

2010-03-15 08:28:47 | るんるん

落ち込み方というのは、輪をかけて、どんどん落ちていく。

あっちこっち、そっちこっち、いたるところが具合悪くなる。こんなに緊張して、仕事をしていたのかと、自分で自分がかわいそうになる。なんてね・・・。喪失感かな・・・

ともあれ、朝から具合が悪い。毎日悪い。今、喧嘩、口論、等 ふっかけられたら、間違いなく買いです。

昨日は、天気がよかったから、朝一番で、今日からまた気持ち新たに走ろうと決心して、走る装束に身支度をととのえて・・・・それからが・・・・具合が悪く・・・携帯にたまたま着いたメールにはことごとく噛み付いた。ピラニアみたいだった。どうぞ、被害にあった皆様、お許しください。決して悪気はないのですが・・・脳が、心が勝手に噛み付きました。

そんななか、それでもやったことが、家庭菜園に目を向けること。枯れ木がまだ落ちていたし・・・雪の中に埋もれていたセロリはどうなった?抜かなくちゃと・・・見ると。

まあ、セロリって多年草だったんだ。新芽がかわいらしく、枯れ茎の間から出てきている。となりのみつばに同じ。とてもかわいい新芽が、こんにちは と出てきている。

これには、がぜん感動した。ふっと目を見上げてみると、紅梅がとてもたくさんのつぼみをつけている。寒さに強いパンジーも、枯葉の中に埋没しながらも、かろうじて色彩を保ちながら、こっちよ~と、手を振っているようだ。

そうだ、家庭菜園をしよう。私の自慢のハーブ畑も、このままいけばミント畑になってしまう。バジルも植えたいし・・何より、パセリ、ローズマリーはまだそこに体を為しているではないの・・・・ね。

すくっと起き上がるのはちょっと無理そうだけど、なんとか出来ることから、進まなきゃと思っている。

次回のカリキュラムが決まるのが月末。その前に、岡山に帰省。しかっりしなくちゃ。

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卒業式

2010-03-12 19:35:49 | うるるん

今日は晴天。

卒業式だった。私のことだから、またぞろおお泣き・・・と、思うでしょう?

ところが・・・担任となると、雑務がたくさん、てんこ盛り。ビザの変更申請に必要な成績証書だのがある。そこには、日本特有の印章、つまりはんこ文化が静かに鎮座しておられ、はんこ様のご機嫌にあわせて、何度も書類を作りなおすことになったりする。昔は会計事務所でその手の実務をしっかり見につけたはずだったのだが・・・。

対外的ナ申請資料だけではなく、対外的ナ申請資料を作るための社内申請書類なるものがあり、それがあちこちを回って自分のところにくる。来たものは、またあちこち回ってきたところにお戻りいただくことになる。コピーをとり、ふぁリングもする。そんなこんなで、今日が卒業式だという実感が湧くどころではなかった。

加えて、昨日楽しくて飲みすぎ、若干の二日酔い気味。そこにあろうことか、カメラ係りを仰せつかった。そうでなくても写真を撮らない私にカメラ? 二日酔いで狭いファインダーを覗き続ける・・・・具合がもっと悪くなった。

それでも、式が始まると、厳かな気持ちにもなった。それに担任だから、生徒たちの名前を呼ぶ係りも始めて体験した。

泣かなかったといえば、うそになる。泣きました。やっと名前を覚え、やっとなんのてらいもためらいもなく、ひとりひとりに声をかけられるようになり、やっと生徒たちの目が、私に向かって『先生~』と、甘えてくるのがわかるようになったのに・・・・それが全部、私の手元からするりと消えて無くなってしまう。涙もでるよ・・・寂しくてしょうがない。

進級する生徒の一部が、先生のクラスに残りたいと、進級を拒否している。でもね、行きなさい しっかりしなさい と強く背中を押す。私もいっしょに進級させてください と校長先生に直訴したいくらいだ・・・。本当はね。

半年前も同じだった。半期ごとがタームになる日本語学校のこと。半年前も、かわいい生徒達と離されて・・・・。半年したら、出会った生徒達と別れられなくなる。

今日は疲れて走る元気もなかった。腑抜けになった。明日からどうやって立て直すんだ、この生活を。

とりあえず、明日は渡米前に家庭教師をしてくれた、カナダ人が家族で遊びに来る。久々の英語・・・それも、どうなることか・・・。

 

 

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雪のいたずら

2010-03-10 23:31:39 | うるるん

今朝おきて、驚いた。一晩でこれほど・・と想うほど、雪が積もっていた。

今日は生徒たちのスピーチコンテスト。

午後1時からの開始、11時前のバスで家をでるつもりだった。バスの停留所にたって待っても、バスは来ない。電話で問い合わせてみると、バスが帰ってこないから、出発できないとの返事。家は仙台市の北側に位置し、バスの終点(始発)から二つ目の停留所だ。そういえば、バスが走っていない。大雪で、車を走らせることもできなかった。

仕方ない。私は出勤することをあきらめた。事故でもしたら・・・と思うと、あきらめることも必要だと思った。そして、スピーチコンテストは成功すると、信じていた。

開始30分前に、チャイナの生徒から電話があった。『先生どこにいる?』先生はバスが来なくて行かれない。僕はこれから歩いていくから、少し遅れます と力強い言葉が返ってきた。すぐに学校に電話をして、彼の状態を話しておく。

今日は、スピーチコンテストの他に、生徒の公立高校受験の結果発表もある。ベトナムの生徒に連絡して、韓国人の彼が受かったかどうか、私に連絡をするように頼んだ。携帯もすぐに繋がる生徒とそうでない生徒がいる。

そこにいないいられない私。ひとりひとりの生徒たちのことが気にかかる。

試験も終わって、評価も終わっているから、出席しなくても卒業はできる。でも、私は全員が出ることにこだわった。原稿は直しすぎず、彼らの主張をそのまま聞いた。アドバイス?・・・ほとんどない。ただ、ただ褒めただけだ。

全員来るだろうか・・・それが心配だった。

スピーチが終わった頃、コンテストに出席していた先生から電話があった。私のクラスは全員参加。そして、スピーチも全員がよかったと・・。おまけに、高校受験した生徒も、見事に合格していた。

まったく、すごい生徒たち・・・と、感動した。姿は見られなかったが、残念だったが・・・本当にうれしかった。

明日は、クラスで打ち上げパーティをする。準備を心配して生徒の何人かに電話をしてみたが、どうやら気持ちはひとつになっているようだ。

いよいよ、残すところあと二日になった。

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ええい!くそったれ!あまのじゃく

2010-03-09 07:53:10 | がっちんこん

感情が脳から生まれるということに気付いてから、私は脳に興味がある。ハートは心臓にあるのではなく、前頭葉にあることだけは間違いない。

脳のセミナーで、講師の先生が、神様がいたずらに人間にだけ、必要以上におおきな脳を作ってしまった と、表現されていた。

そうかもしれない。今起きている様々な現象は、人間の脳が自分の体を痛めつけていると言って、言えないことはない。

こと、私の場合も一種自分の脳との戦い。これこそが真実の脳トレかもしれない。いやいや脳ファイトか・・・・。

体重が増えて困っている。出産後の体重をも上回り、入らない洋服が続出。体が重いからそれに比例して、走りたくない 気持ちが毎回溢れるように体のうちから湧き起こる。毎回毎回、それに打ち勝って走ることは容易ではない。おまけに、風とか寒さとか東北の気象が、私の足を思いっきり引っ張る。

カロリー計算もできる、理屈もわかる、グッズもある(万歩計だの DVDだの・・・)ダイエットまっしぐらにできるはずなのに・・・・・私の脳が私の足を引っ張る。脳が『たべたい』と、指令を出している。いいのよ、また明日からダイエットすれば。今はたべちゃおうと、甘言連続攻撃をしかけてくる。私の手は素直にそれに従い・・・今度は同じ自分の脳の違ったところが?敗北感と後悔の念をおこさせ、自分で自分を責める。自分の脳と自分の脳が戦ったり、勝ったり負けたりしている。

脳のいたずらについて違うエピソードがある。

三男は昔からぽっちゃり系。細身のお兄さんたちに比べて、明らかに私に似ている。ダイエットで苦労もしていた。ラグビーの体型こそ、彼にとってうってつけのはずだ。ところが、彼に変化が現れた。『太らねばならない。もっと食べなければならない』というミッション!!よかったじゃない。ところが・・・なんと、彼は食べることが苦しみになってきた。ええ?もう、要らないの? というくらい、食べなくなった。うっそー!!。なんで?

『ねばならない』の、あまのじゃくの法則があるのではないか。脳が、反対の方に人間の行動を誘導している。たべてはならない わたしが もりもり食べたくなり、たべなくてはならない 息子が たべられなくなっている。

なんで。こんなことになるんだ。もっとシンプルに物事は動かないのか。

じゃあ、私も たべなくてはならない と思えばいいような気がするでしょう?ところがどっこい。深層心理のところで、自分を誤魔化していると、あらそう?いいのね と、もっともっと食欲が増すような気がする。

あーあ。なんだかすごく、くだらないことで悩んでいるような気がする。テニスで発散してこよう。

今週にある卒業式に着ていく服は・・・・去年のものはアウトだし・・・。

なんか自分の脳と仲良くする方法はないものかなあ・・・と、考える。

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