今年も最後の日に・・・ふさわしいだろうか・・・
食を制する人は、なんでも制することができる。
自分を一番コントロールできないのが、『食欲』。私に限り、そうに違いない。一年間まったく、減量は達することができなかった。毎月の、そして節目節目のあの『目標』は何だったのだろう・・・と、むなしくなる。それよりも、食べられる幸せに感謝するほうが先であるには違いないのだけど・・・。今年もゲテモノケイ、刺身系 以外のものは、たくさん作ったし、たくさん食べた。
三男は30日に硬式野球部の友達と、我が家で忘年会を企画する。なんで我が家なのか?それは、きっと彼が『言いだしっぺ』だからだろう。言い出しておいて、お前のところで とはならず、家に来いよ となるのだろう。彼の面子も考え、そして、何より練習練習に明け暮れている、いやいや『文武一道』(セコンドは文武一道 で ファースト は文武両道なのだそうだ・・・部外者はようわからん)をめざす、高校生たちにエールを送る意味もあって、私は協力してきた。
さて、大食漢の運動部4人となると、あれこれとメニューを用意しなくてはならない。私は夕食を忙しく準備していた。ランニングも休まなかった。完全に時間の照準を息子たちの忘年会に合わせていた。
ところが、昨日は30日。家族たちにとって、それぞれが思い入れのある日だった。仕事納めの人、大きな試験を受けてほっとした人。まあ、それだけなんだけど・・・・
みんなが自分が主役で、今日の夕食は作ってある と確信していたのだろう・・あきらかに食が自分以外の主役のために用意されていると分かった時点で、とんでもなく不機嫌になり、仙台弁でいう『むつけている』状態になっている。食に関しては、感情もコントロールが不能になるようだ。
我が家の家族は、食で 自分に対する愛情を計っているのではないかと感じている。たとえば、自分の誕生日に焼いてもらったケーキと、他の家族のケーキを比べる。お弁当に、から揚げがどっちにたくさん入っていた?とか、そんなささいなことが、愛情を計るバロメーターになる。ありえないだろう・・と思うけど、いやあ そんなもんだね とも思う。でしょう?
まったく と思いながらも、気持ちも理解できる。確かに、それぞれが主役の日ではあるよね。出来上がっていく、ディッシュを小分けにとり、こちらに配り、大皿をあちらに配る。・・・そんな、作業を何度も繰り返す。そして、それが終わったとき、私は疲れ果ててしまった。
今は、おせち料理を作っている。三男の好きな『栗きんとん』が、できあがり、定番のお煮しめが煮あがっていく。黒豆は鍋のなかで、美味しさを含めるために静かにしている。家族が大好きな、『おどしし』も作らなきゃ。のし鳥のことを、子供たちがそう呼んでいたので、そのまま我が家のネーミングとなった。そして、私の得意な『伊達巻』。実家の分も合わせて、二本焼くつもり。実家に届けるケーキも焼く。
つくり続けて夕方になり、お重につめてから、ランニングに行こうかな。
こんな風に一年が終わっていくのが、私らしいのかもしれない。
いい出会いがあった、いい一年だったと思う。私に出会ってくださった方々、ずっと私の傍にいてくれた家族、ずっと前から私にかかわってくださっている方々に感謝して
今年も一年お世話になりました。来年もまたよろしくお願いします。