どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

いかした応援

2006-10-31 04:59:25 | うるるん

デトロイトマラソン 沿道の応援編

沿道の応援は日本でもよくテレビでみた。こちらもたくさんの人たちが応援に来てくれていた。個人的に誰かの家族という応援もあっただろうし、マラソンに参加するすべての人たちにという応援もあり、とにかく暖かい何かに包まれていた気はした。

一番面白かったのは、いかした生バンドの演奏。ドラム、ギター、など楽器を路上に並べ、マイクを持って熱唱していた。全部で5箇所くらいで演奏を聴いたが、なぜかみんなちょっとおっちゃんのオールディーズたちだった。革ジャンに、皮パンツ(ちょっとキツメかな)ミックジャガーのように、西條秀樹のように、スタンドマイクを持って、いえ振り回して唄っていた。日本で吉田拓郎のコンサートが盛り上がっていたようだが、同じ年代のような気がした。ランナーたちは大喜びで、奇声を揚げてその応援に応えていた。

五箇所・・・・移動したの?かと思ったが、違うバンドだった。でも、似た感じだったから、それも面白かった。

YOU CAN DO IT これが、応援の決まり文句。プラカードにはほとんど、そう書いてあった。日本では DIYの店の標語のようだが、まあ同じ意味かもしれない。君ならできる・・・・小出監督と高橋尚子さんの物語のようだ。

ちらほら沿道にカナダの国旗が見えた。私は、だれか日の丸を持っていたら、もらってゴールしようと、本気で考え、探したが残念ながらだれも持っていなかった。しかし、タイムも遅く、(2時間16分 フルマラソン 一位 2時間18分 へへ 勝った!!)いろんな人となだれ込むようなゴールだったから、要らなかったには違いないのだが・・・。

寒い中、応援に来てくれた人たちに感謝したい。

 

 

 

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か・ん・ど・う・の13769

2006-10-30 04:23:34 | 舞いあがる

デトロイトハーフマラソンを無事完走できた。

ミシガンはここ10日くらい、天候が荒れ気味で、雹が降ったり、雨が降ったり、雪が降ったりだった。私はといえば、練習をしなければ走れないような気がして、出来ないことに焦り、さらに授業で提出するエッセイの遅れ等、様々な要因が重なり、食事後の胃痛に悩まされていた。食べると痛くなる。出発の朝も、胃痛に襲われ動けない。結局午後の出発になり、受付も遅い時間になってしまった。正直不安で一杯だった。

でも、それを一掃してくれたのが、前日の受付の模様。様々な人たちがたくさん集まり、まるでお祭りのようだ。不安よりも、その中に居られる自分がとっても嬉しくなってきた。夕食には、軽くワインを飲み、イタリア料理店でパスタとシーフードを堪能する。連日の胃痛が嘘のようだった。

当日朝は7時15分スタート。ミシガンは、土曜の夜中に時間が一時間ずれる。夏時間から通常時間への変更。ガイドブックにも一時間遅れるよ!と太字で書いてあった。私も、一時間遅らせて!と思っていながら、一時間早く行ってしまった。結構、寂しいもんだなあと思っていたら、なんのことはない、とんでもないほどの人たちが集まってきた。スタートも同列に並ぶのではなく、ゼッケンに指定された場所でと、他のランナーに教えてもらった。13769 の S が私の番号。ゼッケンは国境超えのパスポート代わりだから、万が一のために覚えておくようにとの指示。語呂を考える。いさんでならんでろくなことなし。などど、つい悪い方に考えてしまう。いざなろう9ちゃんに!と、とんでもなく素晴らしい語呂を思いつく。ちょっとレベルが違うけど・・・。そしてポイントはS。後方出発。

いざ始まってみると、本当にたくさんの人たちの中に自分がいる。みんなで奇声を揚げ、拍手と、笑いの渦ができる。明るく楽しいアメリカ人たちに、こちらもにこにこと、力を抜いた走りが出来そうな予感がする。

カナダを目指す最初の関門は国境にかかる橋。デトロイトリバーは快晴で本当に美しい。しかし、風はきつく、高低差が激しい。でもこの地点くらいだと、みんな楽しそうに走っている。カナダに着くと、黄色いヘルメットのカナダのポリスがいた。カナダ側、デトロイトリバーの川縁を走る。川岸は公園になっている。対岸のデトロイトの近代的なビル街は朝陽を受けている。黄葉している並木。すべてが美しく、輝いているようだ。

バシ!と音がした。私は驚いて振り返ると、なんと黄葉した葉が一枚私の左の背中に当たって落ちた。え?音がしたよ。葉っぱが音を立てて背中に当たるなんて・・・。私は、母とシャロンが天国から私の背中を押してくれたのだと確信した。8マイルを過ぎた地点だった。

川岸に別れを告げ、国境のトンネルに入る。トンネルは交通が遮断され、ランナーだけ。反響の面白さに、皆で大声をあげている。私もこの際だからと、大声でなんだか叫んでみた。結構気持ちよかった。

米国側に帰りすこし走った地点が9マイル。残り4マイルはデトロイトの市街地を走る。廃墟のビル街も走った。デトロイトの暗さを感じた。と、途中で、一人の男性がいきなり倒れた。その頃から、歩く人、道路端で柔軟体操をする人と・・・様々なランナーの姿を見るようになる。応援に来てくれた人に歩みよって挨拶をしている律儀な男性、パートナー同士励ましあっている人たち。

私は快調に同じペースで走っている。結局、結構余力を残していたので、最後速度を速めスパートした。フィニッシュはフォードスタジアムの中、屋内だった。感動で、というよりは、着いたという、淡々とした気持ちだったかもしれない。涙もでなかった。ハーフだからあったりまえだけど。

走ってよかった。走ってきてよかったと感じている。マラソンは屈強な若者が強いわけでもないし、女性が弱いわけでもない。また、勝ち負けに勝るものがあるような気がしている。

今年のレースはこれで終わり。三回だったけど色々あった。来年は4月のハーフを最初のレースにしようと決めた。今日はいい走りだったし、いい経験だった。

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ツケを払う

2006-10-26 21:43:33 | かたまった

エッセイを返され、書き直しを要求された。書き直せば、グレード、評価を上げてくれる。今回の女性の先生は非常に真摯で、厳しい。外国人だからそれでもよくやっている・・・・・なんて、評価はありえない。当たり前だ。彼女の方が当然だし、私を一人前の学生として扱ってくれている。

英語の問題が多すぎると指摘された。読み方が足りないはずだ。 あたり。まったくその通り。このくらいでと、手を抜いてきた。自分の気持ち、心を騙ましていた。いいはずが無いことは、実は私が一番知っている。

こんなことになるんだね、ツケを溜め込むと。次回のエッセイ、プロジェクト、書き直しのエッセイと、三つ巴で締め切りが同じとは・・・。気が遠くなりそうだが、一つずつ丁寧にこなしていくしかない。

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コーラス体験

2006-10-25 21:03:46 | おろおろおろろ

コーラスグループに無事参加することにした。

なんのことはない。誰でもWellcomeだった。何のために練習したの?国歌。まあ、いつでも唄えるからね。きっといつか報われる時も来るだろう。

そのグループはhttp://www.musiccenterscmi.com./comchorus/comchorus.htm

地域の市民グループなので、老若男女が集まってきた。その幅に広さに驚いた。と、練習が始まると、そのレベルの高さにまた驚いた。

中学時代、体育会系の私が、病気のため、合唱部に入らなくてはならなくなった。部活は必修だったから・・・。ピアノを習っていたから、音楽に対しては抵抗はなかったが、自分だけが違和感を持っている感じはしていた。あれ以来の合唱ということになる。

パートに(こちらではセクション)に分れての練習は無い。いきなり、楽譜を読みながら唄う。四部合唱。練習時間が限られる市民グループだとそうなるのかな。初見で、レベルの高い曲の、主旋律ではない、アルトを唄わなければならない。ほとんど聞いているだけになってしまった。

グループが作り上げるハーモニーは素晴らしく美しかった。それぞれが本当に美しい声を持っている。アメリカ人は皆コンナに上手なの。確かに歌手で下手な人はいない。どこかの国の芸能人とか言われる歌手のレベルとは違う。

加えて。なんともディレクター氏がかっこいい。サッカー選手のベッカムを音楽家にした感じのナイスガイ。指導も面白い。体全体がパーカッションのようにリズムを刻む。声楽、指揮を音大で勉強されたようだから、どのセクションもさらりとこなす。昨日は、第九の練習をしていたが、表情豊かでドイツ語もばっちり。そうそう、第九の楽譜も始めてみたが、本当に難しい。耳が聞こえなくてあの楽譜を書く、ベートーヴェンてどういう脳をしていたのかとも考えた。

興奮冷めやらぬ経験をした。そして、それは続く。一年後にはどうなっているだろう?

 

 

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アメリカ国歌を唄う

2006-10-23 22:36:33 | 発っする(ハッスル)

返事が来た。なんの返事かというと、こちらのブログの内容の返事。

http://blog.goo.ne.jp/marima2naru/e/be49e4a9d9ff90e1a4643bdd7a9218bb

火曜日夜7時から練習なので、ちょっと前に来てパフォーマンスを見せてくれとある。こちらのいいところは、たぶん課題曲も何もなく、私自身が考えた、私を見せるパフォーマンスをすればいいところ。

私は迷わず、アメリカ国歌を歌うことにした。

http://www.h6.dion.ne.jp/~sa3270/uta.amerika.htm

こちらに来た当初、子供達が現地の学校で苦労しているのに何の手助けも出来なかった。罪滅ぼしのようなつもりで、毎日この歌の練習をした。いつか、アメリカ人の前で唄う、それができるような暮らし方をしようとする、気持ちだった。

ちょっと、コメリカパークのガイガースを応援してとはいかないが、一歩近づいた気がしている。肩の力を抜いて、ゆったりと愛情を込めて唄おうと思う。今はもう、気負いはない。子供達のがんばりが、私の気負いを取り除いてくれた。

 

 

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どんぐりのなかって?

2006-10-22 23:48:48 | おろおろおろろ

アジア系の食材店で買い物をしていて、偶然会った知り合いから、うちの子がねえ・・・・。と、話があった。何をしたかというと、週一回土曜日に通う日本人補習校の教室の床の上で、どんぐりを足で踏み潰したらしい。教室が汚れるからと怒られたらしい。小学校二年生、のびのび、はつらつとしている女の子だ。

もともとは私と彼女との出会いが先だった。赴任してまもない子供たちは、現地のアメリカ人の先生との英語のやり取りにも大変苦労をする。そして、先生も大変な思いをしている。そのことは以前ブログでも触れた。http://blog.goo.ne.jp/marima2naru/e/bdaeeb6272aaf9153d8842cbd10d6eba

そこで、私はボランティで少しだけお手伝いをしていた。幼稚園だった彼女に英語を教えに行っていた。担任の先生と時間を示し合わせて、その時間帯だけは私と英語の勉強を日本語でしていた。しかし、実際には、英語の学習を中学校で文法から入っていった私は、実生活の中、それも幼稚園の子供がどうやって英語を学んでいくのかはなかなか理解できなかった。でもストレスを抱えているだろう・・・彼女が少しでも、日本語での会話で楽になればと思い、毎週図書館で英語の絵本を借りて持参し、彼女と一緒に読んだ。話の中で何か悩みはないかな?と、聞き耳を立ててもいたが、彼女は旺盛な好奇心と、明るさで、なんとも軽快に幼稚園生活を楽しんでいるように見えた。新しい年度を迎えたところで、彼女との学習は打ち切った。

その後お母さんとも知り合いになり、昨日の会話になる。

どんぐりの中に何が入っているのか気になったの。と、彼女の弁。そっか。教室で踏むと教室が汚れることがわからないの?。母親の弁。汚れたから掃除したんでしょう? 汚れることがわかったし、どんぐりのなかも見れたしよかったじゃない。私も子供のころはどこでやったか忘れたけど、どんぐりは食べられないのはどうして?栗と何が違うのかと、やはり自分で確認した覚えがあるよ。

それで、ことは一件落着。なんにも問題はないはずだ。彼女の旺盛な子供らしい好奇心が私は大好きだ。でも、確かに母親が後で・・・・・あ~あ。。。と、ため息をつきたくなるような云われ方をする学校生活があることも確かだ。

失敗できることが、子供のもつ特権と理解するのは、私だけだろうか・・・。

 

 

 

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サッカー観戦記

2006-10-20 22:03:20 | しらんぷりしよう

所かわれば面白いよ。

サッカーといっても、地元高校の試合の観戦。当地ではサッカーは人気がないので、なんとも気の毒になる。アメフトの試合とは大違い。チアーリーダーもバンドも来てくれない。なによりも観客も来てくれない。静かなもんだ。聞こえてくるのは、元気のいい、おとうさん、お母さんの、チームの子供達の名前を連呼する声かな。

そんなで、つい親も必死になるからだろう、どうも、サポーター同士の衝突事件があったらしい。要は、我が子可愛さの親同士の喧嘩であって、決してサッカーをめぐるサポーター同士の喧嘩ではないような・・・・。昨日も審判のジャッジに怒った親が大声を張り上げていた。これが、もっと小さいガールズの試合になると、子供が蹴られたり、倒されたりした場合、誰よりも早くその子の父親がフィールドの中にかけつけ、審判に相手にカードを出せと詰め寄るらしい。その次にコーチが出てきて、親をなだめる役に回るらしい。そんなエキサイトした親をなだめるのが審判の仕事でもあるらしいから、審判でアルバイトをしている、息子の英語力には脱帽してしまう。(ここで暮らした日数は同じなのに・・・・)

そうそう、審判の制度も面白くて、審判団体が組織されている。ボランティアではあるが、有償でもある。昨日の試合は、主審が50代後半の方、副審は30代の人と50代くらいの人だった。高校の試合で、主審が50代後半だとやはり無理がある。実は私も少しは、審判の経験があるから生意気にもそんなことも思ったりする。

やたら反則を取るし、カードも結構安易に出す。ジャッジは簡単に変える。あれ?さっきと手が反対でしょう。コーナーもゴールキックも簡単に変更される。

かと思えば、やたら副審に相談にいったり、選手と話し合ったりしている。へえ?私は、審判は試合中には声をだすなと指導された。ホイッスルひとつ、ジャスチャーで相手を納得させるような審判でなくてはならないとね。だから、妙な感じがする。

芝生がぬれていて滑りやすかったために、副審の方も転んでいた。なんとも気の毒だった。

試合は勝った。次の試合も楽しみだ。

写真は活躍する息子  地元新聞より  へへん!しかし、ゴールシーンはないの?

 決してマイピクチャーではありません。私ならもっといい写真撮るよ!!
 

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石橋を渡る

2006-10-18 23:12:29 | 発っする(ハッスル)

石橋を叩いても渡らない慎重な性格。

と、自分のことを思っていた。ところが、案外、石橋は叩かなければ、渡りたくなってくる。試験のある、パフォーマンスを要求される、コーラスグループに簡単に応募してしまった。これが手紙を書いたり、出向いて行って申し込み書を提出する必要があったなら、応募はしなかっただろう。なんともEメールは物事を、Easyにしてくれる。 それで Eメールなのかな?

クラスのプロジョクトで、民主党の環境政策を調べる担当になったから、ウェブサイトから、質問メールを送ったら、返事は来ないが、大会やら集会へのお誘いがたくさん来るようになった。メーリングリストに登録されているのだろう。選挙権ないのにね。

インターネットの威力は恐ろしい。すばらしい。人の行動を変えることができる。きっと意識も変えられるのだろう。ここにその証人がいる。

実は、ここに住んで4年にもなるのに、本当に英語が話せない。というか、英語を怖いと思っている。全く情けなくなる。石橋を叩いている場合ではない。自分の中にだけ世界を作っていては、なんにも始まらない。

さて、私はコーラスに入れるのか?返事はあるのか?乞うご期待!(漢字はこれでいいのかなあ・・・)

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天気予報

2006-10-17 04:17:16 | 徒然に

ある物事を考える時に、どうしてこうなったのだろう・・・・と、考える。

最近思うことは、自分が走りながらキョロキョロと樹を見上げているからではないが・・・あまり、自然を感じようとする人がいない様な気がするということ。

いつから思い始めたかというと、友人が村上春樹氏の本を貸してくれてからということになる。村上さんは、風の歌を聴け で群像の新人賞を取っている。その頃に読んだ記憶があるが、正直内容は印象に残っていない。でも、題名は鮮明に覚えている。

風の歌を聴いている?と自分に問う。風の歌を聴きながら、湿り気の臭いを感じたことが遠い昔にあったような気がした。雨が降りそう・・・・とか。

それだけではなく、自然の音、臭い、色、・・・・人は五感で自然を感じ、生活に生かしていた時期があったと思う。そんなに昔のことではない。私は、祖母や母とそんな話をしていた記憶があるから。

蛙が鳴くと、雨。月に雲の笠がかかっていると雨。

夕立が綺麗だから、次の日は晴れ。 

残念だけど貧困な私の辞書にはこれだけしか入っていない。

風の歌を聴かなくなった・・・・・

どうしてだろう・・・・天気予報があるからかな。天気は天気予報が知らせてくれるから、自分で考えたり感じたりする必要がなくなったのだと思う。

プロジェクトXで、富士山にレーダーを取り付けた気象庁の若き技術者達の偉業が紹介された。私は感動でバスタオルを握っていた(すぐ泣くモンで・・・・)。台風でたくさんの犠牲者を出さないために、天気予報は日本にとって必要だった。

技術革新ということはそういうことかもしれない。もう、必要のないことだって出てくる。しかし。歳時記もろくに知らないし、自然の生活の中から天気の予報すら、立てられない自分が情けなくなる。そして。なんだか大事なものをひとつひとつ落としているような寂しさを感じる。

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ガレージセール

2006-10-15 09:53:40 | うるるん

二日間にわたるガレージセールが終わった。スキー場でやってるような気温だと友人がいうので、私は迷わずスキーウェエアーを着た。寒かったし、売り上げは無いし・・・・・でも、面白いのは、友人との久しぶりのおしゃべりだったり、現地の人たちとの会話だったり、そして、何よりも自分で買ったものを安く売りさばくことの意味を考えたりすることかな。

日本人はとっても綺麗なハンカチを持っている。友人が出したハンカチはとっても美しかった。でも、米人は買おうとしない。何故?使わないからだ。紙、使い捨て文化なので、トイレでも、手拭き用の紙を使う。ティッシュを持っている人を見るのも稀だと私は感じている。

次男の中学の卒業セレモニーでの出来事だった。何につけてもよく涙の出る私は、きっと彼が入場してくるだけで、涙ぼろぼろだろうと予測したので、一番お気に入りのハンカチを持って出かけた。それは、私の一年間の働きを見て、ありがとう と、当時日本で住んでいた地域の会長さんが、奥さんに選ばせましたと、メッセージを添えて、我が家のポストに入れておいてくれた、とっても美しいハンカチだった。

案の定うるうるの私はしっかりハンカチを握り締めていた。と、式の途中で私の前に座っている家族の動きがおかしい。よく見ていると、小さな女の子が鼻血を出している。式の最中で、丁度真ん中くらいの席、混雑している中で、外に出るのはなかなか大変そうだった。両親がその子の鼻血を手のひらで受け止めている。手はだんだん赤くなっていく。え????ティッシュもハンカチも持ってないの? 私はなんと助けてあげたいと、バックの中を探したが、私もあいにくティッシュも持っていなかった。でも、美しい大切なハンカチだけはしっかり握っていた。

どうしよう?天使と悪魔が錯綜し去来する。見たこともない人たち。ハンカチは返ってこないだろう。どうしよう。・・・・・

次の瞬間、ハンカチを後ろからその子の両親に渡した。彼らはとっても驚いて、そして感謝していた。そして、ハンカチはその子の鼻血で赤く染まった。

それから以後、その人たちには会わない。ハンカチは返ってこない。

綺麗に並んでいるハンカチを見ながら、みなさんハンカチを買ってください。そして。バックに入れて持ち歩いて下さい。いつ、鼻血が出るかもしれないでしょう・・・・と。結構真剣に思った。

 

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