~be proud of ○○ だと、~は○○を自慢に思う。誇らしく思う という意味になると、中学校で習った。
日本で英語を使うこともなかったけど、正直この言葉を日常生活でつかったことはなかた。
こちらにきて、ちょっと驚いて、ぐぐっとこみ上げる、吐き気ではなく感動があるのが、
I am proud of you という表現。
直訳すると、私はあなたを誇りに思う。悲しいかな、ボキャ貧で他の訳が浮かばないからもあるのだが。。。。。面と向かって、自分を自分以外の人から誇りに思うなんて言われると、照れる以前に、神聖でおごそかで、ありがとうという、ちょっとした感動に包まれる。
デトロイトハーフマラソンを走った翌日、テニスグループのコーチから、どうだったと聞かれて、全部走ったよ、感動した・・・と話したら、彼女から I am proud of you と、言われた。
実は、もっと、軽い意味合いで、アメリカ人同士ではよく遣われる表現なのだろうと思う。実際のところは・・・。
ただ、日本人同士で相手をたたえる時に、そういう表現を使うだろうか。ただ、使う単語の問題であって、内容的には、よくやったね、がんばったね と、いうことなのかもしれない。
息子が小学生の時、私は彼を 私の自慢の息子です と言ったことがある。
相手を選んだつもりだったが、その時の相手は、そうですか優秀なお子さんなんですね・・・・と。即座に、私はそういう意味に取られてもしかたない表現なんだと思った。
その時の私の気持ちは、世の中が決めた、偏差値的な価値判断ではなく、親が子供の存在をまるごと自慢に思えるというようなものであって、どれがどういう風にすぐれていてとかいうものではなかったから、説明も難しいとも思ったし、誤解されたままにしておいた。
その後、息子の6年生の担任の先生と話すことがあった。彼は若く、子供たちからも、親からも信頼されていた。
彼は私の自慢の息子です。と、話した後、誤解されるかも知れないけど、優秀とかじゃなくて・・・・・
わかります。お母さんの言ってること。
彼は僕にとっては、自慢の生徒です。
心がびたっと通じる時の嬉しさは、ちょっと経験しないとわからないかも。この人とは子供をみる価値観を共有できるとはっきり思った。先生と価値観を共有することは、今の時代決して容易ではない。
今年息子はその先生と、同窓会をするらしい。ネットの便利さもあって、米国と日本でうまく企画を立てているという。先生も、二児の父親になられたとか。
米国のきらきら絵本を、お子さんたちのお土産にしようと思っている。