今日は母の命日。実家に戻らずに、仙台にいる。あれから12年経った。
長い間お休みすると、ブログを更新する とか 走る とかが、自分の生活のサイクルから抜け落ちてしまった。日々追われる雑事は誰しもたくさん抱えているし、それがここ最近頓に増えたということでもなく、なんとなく気が付いたら抜け落ちてしまっていた。
書きたいことはたくさんあったし、現在もたくさんあるのに、文章にする作業が非常に億劫になってしまった。
書きたい内容が公にするようなことではなく、自分の中で消化しなくてはならないことだった ということかもしれない。なんせ、秋が進行中ですからね。
昨日の午後、風邪気味でぼーっとしているところに、北朝鮮が韓国に砲撃したという臨時ニュースを聞いた。徴兵制で、軍隊を経験している韓国人の生徒の言葉がよみがえった。
北朝鮮が嫌いなわけじゃない。ただ、自分の家族は守りたい。もし、北朝鮮が韓国に危害を加えるのならば、僕は戦います。
複雑な思いがある。平和ボケといわれる、私たちの年代をも含めた温和な日本人たち。韓国の生徒たちは、若いながら国を守ろうという強い意志を持っている。また、そんな男性を支持する女性たち。平和は守らなくてはならない という意識が欠落してしまったのではないだろうか・・・日本人は。
母は戦争の話をよくした。自分が意識しないで、その流れのなかにあったということをよく話してくれた。戦後自分がもっていた、価値観が根本的に崩れたとき・・新しい胎動が始まったような新鮮な感動を覚えていたとも話してくれた。
自分の頭で考えなさい が 母が娘に託したメッセージだった。それは、母が新しい胎動と表現した、戦後母が得た新しい価値観だったのだろう。
女性として、自分で考える人になってほしいと母は願っていた。母の頃、それが許されなかったのだろう・・・。
さて、私は今の自分の前に立ちはだかっている、巨大な壁にどうやって挑もうかと思案している。一壁去ってまた別壁 という感じがする。・・・・・いつまで続くのか・・・・。
自分の頭で考えるしかない。そっか、考えてみれば逆かもしれない。自分で考えられるのだから・・・・こんなに素敵なことはないんじゃない
母の声が聞こえる。