どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

本を選ぶ

2007-06-28 04:29:23 | 徒然に

図書ボランティアの仕事の最大の楽しみかもしれない。

新しく購入する本を選ぶことになった。ボランティアに参加してくれる人たちは、さすがに本のことを良く知っている。日本で子供たちに人気の本のシリーズがあるらしい。

ハリーポッターに象徴されるような、冒険、ファンタジー、魔法・・・・これらの、キーワードが子供たちの心をひきつけるらしい。

それは、古い本の整理をしているときにも、実は感じていた。たくさんのシリーズ物があるとして、妖怪、運命、幽霊・・・・そういったキーワードが入った本は、ぼろぼろになり具合が他のものと違っていた。子供たち自身がそんなに変わっているのではないのかもしれない。

さて、広い大きな図書館なら、読み物系、辞典、図鑑、事典と色々な種類の本を同時において置ける。しかし、スペースも決められている、予算も決まっている、その枠の中で、どんな本を揃えていくのかと、話し合う。

私は、漫画が実は好きではない。それは、活字から生みだされる創造力を、漫画という画像の具体化が、摘み取ってしまうと感じるから・・・・たとえば、はだしのゲン を私は読みたかったが、あの絵がどうしても、嫌いで、ついには読まないでしまった。

漫画でもいいから読んで欲しい・・・・という、論議は実は、正面から、子供たちは本を読まないと決め付けているようなきがしていた。

では、子供たちが大好きなファンタジーをたくさん用意して、活字を読んでくれればいいのか・・・・。・・・・・・・・でも、せっかくの本が無駄になってもいけないしと、子供たちが読んでくれそうな本を揃えることに決まった。

本のことを考えていて、思ったことがある。

戦争を知らない世代の私たちが親になった。それも、息子たちは、高校生だ。

しかし一方で、私たちは、自分の経験としては、戦争を知らないかもしれないが、毎日のメディアで世界中の戦争を知っている。

この先、子供たちはどんな社会を自分たちで選択していくのだろうと考えてみる。まず、必要なことは、平和でだれもが生命の危機を覚えることなく、人権を保護されて生きていかれる世の中であること。

三男が、その作文の中で、平和とは・・・人が無駄に死なないこと・・・と定義をしていた。ふむ・・と。考えさせられた。

そして、子供たちに、読んでもらい、本を選ぶことも大事ではないかと、今更ながらに思っている。

 

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食べ合わせ

2007-06-27 19:51:56 | うるるん

食べあわせということがあるのだろうか。

実は、ひどい腹痛で、昼食後翌日まで体調を崩してしまった。食べすぎでもあるのだろうが。・・・特徴は、胃が痛んで、胃が膨張していく感じがすること。

実はこれで二回目の経験だった。前回・・・・と、なんと食べたものが同じだとすると、食べ合わせとしか、考えられない。

メニュはーは、チラシ寿司、チャプチェ、甘茶。。。。この組み合わせが前回とまったく同じもの。チャプチェは、韓国料理で、麺料理だが、その麺の原料はサツマイモ?英語では、sweet potato となっていた。私は、刺身が食べられないので、ちらし寿司には、生ものは使わない。郷土岡山の料理。

甘茶は、あまちゃづる茶。冷やして飲んだのだが・・・・。

やっと回復したものの、胃はいまだに重い感じがする。昨日は、一日寝ていたので、走ってもいない・・・・。健康って本当に大切と・・・痛みを持って再認識させられる。

 

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夢を乗せて・・・

2007-06-25 10:54:51 | うるるん
なんともロマンティックな題目で・・・お恥ずかしい

お母さん、お金を貯めて欲しい。。。。と、次男が私に、話したのが一年前。

高額な医療のキャンプに参加したいという。医大で、医者とは・・・・という、様々な経験をする、セミナーらしい。こちらでは、長い夏休みを利用し、子供たちは、様々なキャンプに参加する。学習系、スポーツ系、・・・・非日常の体験をする。しかし、それには、お金がかかる。地元の学校主催の安価なもなから、今回次男が参加した、大学主催の高額のキャンプまで、種類は様々にある。

キャンプというと野外で。。。。というイメージが強いが、ここでいうキャンプとは、フォーカスされた、対象を絞り込んだ、セミナーというほうが、わかりやすい感じがする。

次男と私は、一年前のその日から、せっせとたんす貯金をした。母の遺影の後ろに、毎月次男が貯めて欲しいと懇願した金額を封筒に入れておいた。一年間の思いがやっとかなった。

加えて彼は、地域の行政に奨学金を申請し、いくらかの援助も受けることに成功した。

医者になりたい。。。。それは、私の夢だった。否、私の父、母が、私に託した夢だった。しかし、ふがいない娘は、その期待に応えられなかった。実は今でも、期待に応えられなかった思いは、私を苦しめている。

誰もが勤勉に働き、血税を納め。そして、社会構成員の一人として、暮らしている、それ自体が立派な社会的な仕事だと理解しながらも、私は、どこかで、自分が社会の誰かの役に立っているという、仕事をしたかった。

次男は、勉強を一生懸命する。自分は、能力がないから、努力する以外に、方法がないという。
マス・サイエンスの選抜学校で、上級化学を教えている名物先生は、カンファレンスという、アメリカ式個人面談で、彼を僕にシェアーしてくれてありがとう、と私に言った。
これほどの賛辞があるだろうかと、私は目の奥が熱くなるのを感じた。

シカゴのイリノイ大学まで、医療キャンプに参加する彼を、今日送りにいってきた。
ボランティアの学生が、心配そうに見送る私を振り返りながら、彼に、寂しい?と。聞いていた。彼は、力強く。うんにゃ。・・と、いい(英語でね)、後ろを振り返らずに、歩いていった。

親の夢を引き継ぐ必要はまったくない。自分の夢を追いかけて欲しいと願うだけだ。子は自分とは違う人格であり、もし、期待するものがあるなら、その期待は最後まで自分に向けるべきだと私は思っている。

最近の、図書活動を通じながら(最近話題です)手にした絵本から、彼らの小さい頃を思い出していた。

さて、夢を持って飛びたてよ・・・・わが息子たち。と、エールを送りながら、長男に次いで、次男までが居ない家で、彼らが居ない寂しさを味わっている。

まだ、大丈夫、私には三男が居る。産んでてよかった、三番目。ははは。
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後天的性格形成・・・・兄弟姉妹

2007-06-22 03:29:50 | 徒然に

高校のときだった。女の子の友人と二人で、新聞部の中の人間関係について話していた。そのときの会話はその後の私に大きな影響を与えた。

人間関係といっても、女の子同士の関係。その友人曰く、長女同士だから合わないのかなあ・・・・。私と、その友人Mは兄がいた。つまり、第二子で長女、その他は全員が第一子の長女だった。つまり、、姉とういう立場。M曰く、姉同士は合わないという。長女は上に立つことが多く、自立している。頼られることが多く、頼ることは少ない。私たち二人が結構みんなとうまくやっているのは、妹だからだという。妹は甘え上手で、頼りたがるらしい。

その時は、始めて聞いた話に、へえ~そんなことあるのかなあ・・・・と、思った。

しかし、その後私は、人間関係をはかる場合、その人の兄弟の中での位置を意識するようになった。これは、結構面白い性格分析になる。

昨年だったか・・・・そういう本を見せてもらったことがある。なあんだ、私が高校からずっと考えていたことは、本になるんだと思った。

私は、5歳離れた兄がいる。両親が晩婚であったせいもあって、(母は断固として自分で結婚相手を探すと宣言。妹を先に嫁がせて、結婚相手を探した。なので晩婚)

第一子長男である兄は相当の重圧の中、親の期待を一身に受けていた。兄の部屋には、根性 という文字がやたらと、飾ってあった。旅行に行くたびに、父は、根性という文字が入った壁飾りを兄にお土産として買ってきた。根性だらけの部屋という印象が、私には有る。

歳が離れて生まれた私は、兄の遊び相手にはならなかった。一度、幼い頃の記憶で、お願いだから僕についてこないで・・・・と、懇願された思い出がある。それからというもの、私は、兄という存在から、付いてこようとする妹を離してあげることが、親切で、正しい行為なのだと思っていた。だから、子供たちのお友達で、お兄ちゃんの立場のお子さんの、妹さんは極力遊びに来てもらいたくなかった。でも、そうではない兄もいるということも、わかってきた。

つまり、私は、一人遊びをしている時間が長かったことになる。だから、長時間誰かと一緒に同じ事をして遊ぶのは苦手だった。その代わりに、たくましい創造力で自分の世界をつくりあげていくようなところがある。一人遊びというのは、一人芝居のようなもので、自分で役をいくつもこなしていたような覚えがある。そしてそれは、今の自分の性格形成にも大きくかかわってきたと思う。

大学時代は、経済学部で、まわりは男の子だらけだったが、違和感もなかった。どちらかというと、高校時代、女の子同士で連れ立って行動することに、ストレスを感じていたし、神経をすり減らしていたので、かえって開放感でいっぱいだった。

家庭人となった今、実は高校時代に味わったような、神経の使い方を、再びしている。

女同士、上手に一緒に居られる人たちは、どうも姉妹をもっている人が多いように思う。それも、二人。二人の姉妹の姉と妹が、割符のようにぴったり一致するとこれは、なんとも強い友人関係をつくりあげるような感じがする。

姉妹も三人だとまた、ちょっと面白い。長女にあまり特徴はなく、繊細そうで実は大胆不敵な次女、賢く明るいが、結構気の小さい三女  なあんてね。勝手に決め付けていますが・・・・。こんなこと、書いたら怒られるかなあ。

人間関係に悩みは多いが、結局割符の片割れを探すのか、合わない割符を距離をとって、合わしてみようと敢えてしないのか・・・・自分で、選ぶしかないような気がする。ただ、どこか、我慢をしたり、さびしいと感じることもあるかもしれない。でも、無理して、神経をすり減らすよりは、私は、ちょっと離れて、敢えて割れた割符の形を削ったりしないような生き方をしたいと思う。

 

 

 

 

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逃げ口上

2007-06-21 07:30:03 | 徒然に

逃げ口上という、言葉がある。

日本語って面白い。確かに、事が思い通りに進まない時、同時に逃げ口上を考えている。こちらは、面白いように出てくる。

自分でも思いも寄らなかった、漢字検定二級にチャレンジしたのは、実は逃げからだった。どうにも、こちらの生活に、英語に四苦八苦の状態のなか、日本人としての自信も誇りも失い、大学で英語を勉強をしてきた人だけが、すばらしいと自分が思ってしまう時期があった。

そんな時、漢字のすばらしさを感じたくて、漢検を受けた。漢字は、それ自身が意味を持ち、実は中国人の人とでも、漢字だけで少し会話をすることができる。しかし、この場合は筆談に限る。音は違っていることが有る。

シカゴの中国料理店で、筆談で食べたい料理を探し当てたこともある。

漢字も持つ民族としての誇りは有る。漢字はすばらしい。

ところが、話はそれでは終わらない。実は、漢検一級にチャレンジすることになっている。これは、話の成り行き・・・・実の姪に、奮起を促すつもりで、やるからね!と、公言してしまった。今は、公言してしまった・・・と、はっきり思う。

姪が送ってくれた問題集は、最初からなんと知った字はほとんど無い。私は、漢検二級を合格したのに、知っている漢字がほとんど無いとは・・・・・・。漢字って本当に、奥が深いのだと、今更に思い知らされる。

ただいま積読状態の一級問題集を前にして、逃げ口上ばかりが頭の中を駆け巡っている。いい加減に観念して、初心に帰って、初頁から、やるしかないのに・・・。

漢字は難しい。

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言えそうで言えない性格

2007-06-20 09:19:49 | がっちんこん

私は、言えない性格・・・・と、言う人程、結構自己主張ができる人だ という、概念を理解しながら、あえて、私も肝心なことが言えない性格であると・・・・言う。

たとえば、人が来ていたとしよう。その後、二時間後に他に用事を抱えていたとしても、だいたい一時間で、この場は収まるだろうと判断する。

ところが、途中で収まりそうでない気配を感じる。あれ・・;・・どうしよう。と、おろおろする。内心はまったく穏やかではない。

相手も何かの気配を感じるに違いない。用事があれば失礼しますが・・・・・いいえ、ありません。と、つい答えてしまう。だいたい、相手がそわそわしてると思えば、これで私は用事があるから、失礼しますと言ってくれればいいのに・・・・・。

こちらから、帰って!となるような、言葉は使えないでしょう。

実は、そんなこんなで、先週は、二つの予定を、ドタキャンしてしまった。電話もできなかった。・・・・・。ここまでくると、自分でも情けなくなるし。よくない!!と、はっきり思う。

そんな体たらくの自分を見るように同じ性格の三男。

友達が遊びに来ている。三男は今、自分が置かれている状況はよくわかっている。学習時間が大幅に予定より遅れている。それでも、私よりも結構しっかりしているから、来ている友達に勉強するね・・・と、机に向い始めた。

その友達は、何時間居ても、帰りたそうにしない。ゲームをしたり、家のなかをうろうろしている。きっと、彼にもここに居る目的はあまりないのだろう。理由は、家に帰りたくない何かの事情としか考えられない。夕飯時になっても、彼はゲームをし続ける。そして、息子に泊まりたいと告げたらしい。

その後、その友達を迎えに来た兄までが、遊び始めた。夕食もメニューを変更して、多人数に備える。

結果、彼らが帰ったのは、11時過ぎ。なんとも、同じ性格の親子だなあと。。。。面白いやら情けないやら・・・・。ただ、もう少し私もきちんとしないと・・・と反省する。

きつい言葉でなく、優しい言葉で、用事があることは告げられるし、また次のことを考えるならば・・・・・・はっきりしないと、人を呼お招きすることが億劫になるに違いない。結局、私はそういう性格なので、気儘にひとりがすきなのかもしれない。

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日本に帰らない人たち

2007-06-19 19:35:43 | 徒然に

こちらで生活を始めて、もうすぐで五年になる。

家族で仕事の都合で渡米したのであって、期間は決められている。来年にも帰国することになりそうでもある。

ここで暮らしていると、私たちとは違い、こちらでずっと暮らすことにしている、つまり日本へ帰ることのない、人たちともお付き合いするようになった。アメリカ人の夫を持ち、子供をもっている、日本人の女性たち。

実は、駐在員で赴任期間の決まっている人たちと、現地で生活をしている、日本へ帰らない人たちとの交流はあまりない。お互いにけん制し合っているとは言わないが、結局帰ってしまう人たちとばかり付き合っていると、お別ればかりすることになってしまう。また、興味関心も微妙にずれている。

子供の教育に関しては、私たち期間限定組は前半は、語学の問題も含めて、どうやって現地に馴染むかになやみ、馴染んだら馴染んだで、今度は日本へ帰ってから、どうやって復帰させるか、その間の学習の遅れ具合にも頭を痛める。実際、日本の教育水準は高く、教科も多いので、子供たちは相当に遅れをとる。これに関しては、我が家も人事ではない。子供に聞かれるまま、私も因数分解、二次関数などの問題を毎日解くはめになった。

現地で暮らす人たちの子供たちは。日本語を話せるほうが稀で、もうアメリカ人として暮らしている。最初から。お母さんが働いている場合、子供たちに日本語を教えるのは相当大変らしい。また、夫婦が違った言語の国籍を持っていると、共通に話せる言葉が英語で・・・・と、もっと複雑になる。そういったばあい、子供たちが三ヶ国語、つまり、母方言語、父方言語、英語とはなす場合もある。たいていの場合、お母さんは働いていないような気がする・・・・例外もあるでしょうね。その、努力はまったくにすばらしい。

どんどん話がずれていったが。先日、お誕生会にとお誘いを受け、バースディケーキを作りお邪魔した。みなさん。口をそろえて、もう帰らない、もう日本では暮らせないと話していた。人間関係が面倒くさい。街が騒々しい(地域差有)、家族がこちらにいる・・・・と。人間関係とは?親戚、近所付き合い、冠婚葬祭、盆暮れの贈り物、等。

ふーん。私は日本が大好きだから、日本に帰れることはうれしい。この地で永住なんて考えたこともない。

色々な人がいて、色々な話が聞けて面白いし、考えさせられることも多い。もうちょっと、そんな生活が楽しめそうだ。

 

 

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天茶

2007-06-19 04:51:46 | 発っする(ハッスル)

天茶と書いて、あまちゃと読むとか・・・・。

本当は、甘茶で、商品名が、天茶???

花祭りのときにお釈迦様に差し上げるお茶とも、聞いたが・・・。

この甘茶を始めて飲んだ。お友達のお宅で出されたものだが、あまりに美味しくて、それについて、色々と聞いてきた。味は、甘味がある。でも、砂糖は入っていない。しかし、何か甘味料が入っていると感じるほどに甘みがある。そして、自然のものだけに、ほんのりと甘みを感じる程度。冷たくして出してくれたので、それも、また季節にあい、美味しい。色も薄緑色で美しい。

あまりに褒めたので。。。。帰りに友人が、葉をお土産に分けてくれた。

帰宅してからは、インターネットを駆使して、天茶に関して調べてみた。なんとか、ここUSで買う方法はないかと探してみたが・・・・・どうも、英語では HOLY TEA というらしい。聖なるお茶。残念ながら購入方法までには、いたらなかった。ちっと、違う種類のお茶が出てきたような・・・・。

話がちょっとずれてしまうが、先日来の図書の整理の際に、百科事典や図鑑が足らない・・・と話していた。と、ある人が、今の子供たちには、インターネットがあるから、あまり必要を感じないのかも・・・と、発言。。。確かに、インターネットで本当にたくさんの知識を得ることができる。ちょっとこの恩恵からはずれては、いまや生活が成り立たなくなるほどかも・・・・。

甘茶、天茶に関しても、短時間である程度の知識を得ることができた。

ついでに、実は、蓬茶もつくってみた。これも、ネットで効能、作り方等を調べてトライした。出来上がりは、ちょっと風味がきつかったが、どうも、体の内部から、血液を綺麗にすることができるのだそうで・・・・こちらにも、相当期待している。

便利で、美味しい世の中でなりました。

 

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褒めるの効能

2007-06-10 22:40:04 | うるるん

ちょっと、標題からはずれる内容になるかもしれない。

言葉の威力、言霊・・・・一撃に、相手を倒すことができると感じる。

好天の下で、古本市を開催した。朝、九時前に集合し、何冊あっただろう・・・・たくさんの本を、女性だけで運んだ。お昼時間も交代しながら、3時過ぎまで、6時間強の時間を要して、古本市は終了した。売上金は、100ドル強。冊数にして400冊強を買ってもらったことになる。目標を100ドルとしていたから、メンバーは揃って万歳をした。

すべてが終了し、片付けも済み、報告した際に返ってきた言葉が、ソレダケデスカ・・・

正直、声がでなかった。すいません。ショウガナイデスネ

怒りの感情とかではなく、正直私は打ちのめされた。一撃をくらった。

どれだけの準備をしてきたのだろうか・・・どれだけの時間を使ったのか。どれだけ本は重かったか。。。。いろいろなことが、頭を駆け巡る。返ってきた言葉を、仲間の人たちに言うことはできない。私、ひとりの胸の中で、その言葉を何度も考える。正直にいうと、その言葉が、消えてくれない。

冷静に考えようとする。

誰にも頼まれた訳ではない。自分たちで考えて、少しでも・・・役に立てるようにと思っただけだ。つまり、そうか。私は褒められたかったのかもしれない。褒められて当然だと感じていたに違いない。

古本市の最中にこんな光景を見た。パン喰い競争で一等賞をとった、幼稚園の子供さんが、お母さんところへ、一生懸命駆け寄ってきた。

僕一等賞だったよ!

あんた、手を使ったでしょう。だから、一等賞が取れたのよ。

・・・・・。

その子は、何にも言葉にできなかった。気まずい沈黙が、青空の下で、その場だけに広がった。

今の私は、あのときのあの子と同じなのかもしれない。褒められると思っていたはずが、そうではない、言葉が返ってきた。それは、褒めるとは真反対の言葉であり、そんな言葉が返ってこようとは、まったく予想していなかった。

つまりそういうことだ。

歳を比べると、情けないくらい違う、あの子と私。人間の本質は、どこまでも変わらないのかなあ・・・・・。

では、自分はどうだろう・・・・と、考えてみる。同じように、一撃で相手を倒すような言葉を使っては居ないだろうか。決して激しくののしるような言葉ではない。ただ、褒めてあげない、それだけ。

もっともっと褒めてあげればよかったと、今心から、そう思っている。

 

 

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ちょっとしたことだけど。・・・・

2007-06-09 00:26:20 | かたまった

私は、アジアの食材を求めて行く店がある。日本食材を主に扱う店と、広くアジアの食材を扱う店がある。私は、迷わず後者に行っている。同じ食材が、名前を変えて存在したり、ちょっとちがうけど非常に似ている食材を見つけたりすると、なんだかわくわくうれしくなる。大陸は道で繋がっていたとか、日本は島国だけど、大陸からの文化の影響を受けていると思うと、アジアは兄弟だと感じる。

それは間違いないのだが・・・・。

先日。後者の店のビルマ人オーナー( ミャンマー人ではなくバルマ人と呼ばれるほうがいいらしい・・・)から、着物はない?と尋ねられた。

アジアの文化、生活を紹介する、アジアフェスティバルを市から頼まれていて、子供たちに、各国の民族衣装を着せて、ファッションショーをするのだという。

私は持っていないが(女の子も居ないし・・・・)、友人を紹介できるかもしれないと答えた。電話した友人は、ゆかたを持っているからと、こころよく貸してくれることを承諾してくれた。また、英語の上手な友人だったので、あとのことは、直接交渉してねと、任せておいた。時期的に、私は前期のファイナルの試験や、プロジェクトを抱えていて、それ以上かかわれなかったこともあった。また、ビルマ人が、今回のフェスティバルの担当だとも聞いていたから・・・・・。

その後、地方紙で、ファッションショーが開かれたとの、記事をみた。写真も載っていたが、白黒ではっきりは写っていなかった。ただ、その企画が成功したような印象を、写真の人たちの様子で感じた。心からよかったと思った。

後日、買い物の機会があり、新聞を見たことをはなし、成功してよかったねと、声をかけた。オーナーも喜び、そのときの写真をカラーで見せてくれた。

そのとき実は、私は声を失った。これが日本のよ・・・・と、教えられた衣装は、ゆかたでも、着物でもなかった。借りてきたゆかたが、色も薄く、地味に見えたのか・・・彼女たちは。ゆかたを参考に、新しい衣装を作っていた。色はピンクで、チャイナドレスのような、サテンの光る、ピカピカ生地。丈は膝まで。おまけに両脇には、チャイナドレスのようなスリットが入っている。帯は、ウエストより下の位置に占められ、幅も細い。男性が締める帯に感じは似ている。

これが着物?これが日本だと紹介したの?  と、私は声を失った。

そりゃあ。チャイナドレスや、ビルマのドレスに比べればゆかたは、地味に見えたかもしれない。色だって淡色系で見劣りもしたのだろう。だからといって、これは日本ではない。勝手に作り変えないで~と、思った。

二百人以上の人が見に来ていたらしい。

別に気にしなくてもいいのかもしれない。でも、私は、悲しくなった。

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