どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

クリスマスケーキ

2009-11-30 06:00:25 | おろおろおろろ

今朝は、冷蔵庫で熟成してしまった?・・・柿を使って新作のケーキを焼いている。

朝から・・・忙しいのだが・・。

ケーキを自分で焼きたいと思ったのは小学生の時。友達のおばあちゃんがクリスマスのケーキを焼く と聞いたときからだった。ケーキは買うものだと思っていた私にとって、ケーキは作れるもの と聞いたときの驚きは大きかった。そして、それはそのまま大きな憧れとなって私の心の中に ストンと落ちた。

オーブンを買ってもらったのは高校生と時。本を読んでケーキを焼いたり、クッキィーを焼いたりした。

子育て中に、ケーキ作りを三年間習った。先生のお宅に伺いおしゃべりをしながら、ケーキを作る。生徒は4人。それ以上では多すぎて教えないし、それ以下では採算が取れないから教えないというスタンスだった。ケーキの作り方は見ていてもわからない が先生の方針で、実際に先生の目の前で一人一人が、作り方を教わった。多すぎる人数では手が回らない。実際、ケーキ作りの基本はがっちり教えてもらえたような気がする。これは、今考えても相当な力になった。

長い間の我流のやり方で積もり積もった疑問にも先生は100%答えを出してくれた。目からうろこが落ちるようだった。

クリスマスには白い生クリームのケーキを焼くこともあるし、チョコレートのケーキを焼くこともある。子供たちには、チョコクリームのケーキが人気がある。

スポンジは必ず前の日に焼いて、冷蔵庫で一晩休ませること。焼きあがったスポンジを冷ます方法も先生の工夫を教えていただいた。洋酒は高くてもグランマニエを用意すること。チョコレートはクーベルチユール。やわらかいスポンジは泡がすべてだが、バターの代わりにサラダオイルを使うともっとやわらかくなる。加えて、焼くときにプリン型に熱湯を入れておいておくと、蒸気でさらにしっとりとなる。

さて、今年のクリスマスケーキは・・・・。

先日の定例会で、追っかけママたちが我が家にケーキを作りに来るという。早い時期に話にでていたが・・・みんな覚えてるのかなあ・・・。

ワインもって行くからね チョコレートケーキを作りたい などど聞いたような・・・。

まっ それもいいかもね。わいわい楽しいケーキ作りができそうだ。

 

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報告会

2009-11-29 09:25:06 | シュワッチ

セコンドラグビー 追っかけママの会 定例会 が昨日あった。

フルマラソンの報告会やるからね~と言われていた・・・これは、私が完走できた それを支えた モチベーションをキープした という意味ではかなり重要な要素を持っていた。だって 『何を報告するの?なんて言うの? 』 シンプルかつシビアー 。

皆から拍手喝さいを受け、本当によかった~と実感したのは言うまでもない。

加えて実は、私はこの中で強力な助っ人を得ていた。彼女は県でも有名な元陸上選手であり、今は優秀な教育者であるらしい。とにかく私自信、自分が走るまで陸上には全く興味がなかったから、陸上界のことはよく知らない。 らしい としかいいようがない。

彼女Kさんの顔を見るたびに、私はマラソンの話をしている。大半は私が質問をする。今回フルマラソンを走る私に 彼女は 楽しいと思いながら走ること とだけアドバイスをくれた。私は走りながら、その言葉を何度も思い出していた。

昨日は少し具体的ナ話をした。ハーフ手前でふくらはぎが疲れていたこと。自分でも分かっていたが、フォームが悪いはずだ。足で蹴っている。前傾姿勢ではないのかもしれない。分かっていることと、できることは違うし、ましてや自分の走っている姿はみたこともないし・・・。

加えて思いがけず腰痛が加わったこと。それらを彼女と話した。言われたことは、毎日腹筋、背筋運動をすること。腹筋で鍛えた筋肉が足の上に載っている感じで走る!!ふむ。 そうか・・・・。イメージが・・・。

とにかく、毎日続けることが大切なので、腹筋、背筋運動をやってみようと思う。イメージは後から付いてくるだろう。次は2月14日 バレンタインフルマラソンだからね~。もう少し、楽に走れるような努力をしておきたい。

昨日は、友達のお見舞いにも出かけた。入院しました というメールを筑波で受け取っていた。気になっていたが、やっと帰仙して出かけられた。

顔を見て安心する。入院したからもう大丈夫だねと笑いあう。彼女から、いい顔してるよ って言われた。完走したからだね。

健康は大切だ。そして友達は大切だ。

もう日も暮れて暗くなったケヤキ並木を一人で歩きながらそう思った。

 

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平均台を歩く感覚

2009-11-28 05:07:01 | がっちんこん

フルマラソンを走ることは、私にとって平均台の上を走っているような感覚だった。

右に落ちる道もある、左に落ちる道もある。どっちになっても不思議ではなく、それでも、平衡感覚を維持しながら進む・・・・かな。

足はハーフの時点で痛かった。新しい靴のおかげで、つま先とか足の裏が痛かった訳ではない。ひざが痛いなあと感じ、それからふくらはぎが痛くなった。痛いといってもどこか怪我をしたようなひりひりした痛みではなく、足に疲れがきてるなあという張りのある痛み。ああ・・・体重が重いと当然思った。

この間の調整不足は否めない。どこか自分に甘いのよ。一年かかっても体重が落とせなかったのだから・・・。

それにしても、痛くなってしまったことを自覚してどうするか・・・だった。ハーフの時点で痛かったのだから、残りの道のりは限りなく長く感じて・・・正直無理なのではないかと思った。それでも、最後まで走りきれたのは、だめだあ・・・という気持ちをはぐらかしながら・・・やれるんだと信じきったこと。とにかく気持ちの問題につきる。でも、それは、あやういあやうい道だった。

どっちに転ぶこともあり得る・・そんな道だった。容易に右にでも、左にでも傾きそうだった。自分でもよく歩かなかったと思う。とにかく30K過ぎた時点では、腰痛までもが加わったから・・・・

できる・・・必ずできる・・・と自分に言い聞かせながら走った。だからゴールしたとき、あまりの感動に涙がぼろぼろ出て・・・ということがなかったのかもしれない。私にしては、非常に淡々としていた。できることができた ということとと、できないかもしれないことが出来た ということの違いだ。苫米地英人氏のおっしゃる、『エフィカシーを高く維持する』こと。これを自分で体感したことは大きかった。

夢の続きがある。父は、私の夢を応援すると言ってくれた。いつまで追いかけるんだ・・・もう、いいだろう と言いながら、入り口に立つことができたら、連絡をしなさい と、応援宣言をしてくれた。

まだ、私は平均台の上を歩いている。どっちに転ぶのか・・自分次第だ。

 

 

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父と娘

2009-11-27 05:29:49 | 徒然に

父が一時期ひどく衰弱していたことを知らされた。

義姉が献身的に看護してくれたこと、医者を変えたこと・・・周りの人に支えられて助けられた。本当にありがたい。遠く離れた娘はほとんど何もしてあげられないね。

『男親はね、娘を待っているんだよ』と、知人に諭され、滞在を二日ほど延ばした。そんな私の気持ちが通じたのか・・ゆっくり二人で話した。

兄の家族がいるときにはにぎやかに父を真ん中におしゃべりをしたり、食事をしたりした。兄を見送った後は、とたんに空気が静かになったように感じた。残ってよかった・・と心から思った。

父は若い頃から、つまり私が幼い頃から、家族に演説をしていた。私たち家族はいつも父の話の聞き役だった。もちろん幼い頃は、聞き役だと思っていたわけではない。ありがたい訓示を聞くといった感じだったろうか。幸いなことに??毎日ではなかったから、よかった。そう、父は家に毎日帰っては来なかった。

母が長く入院していたときもたまに帰ってきたが、毎日ではなかった。罪滅ぼしのように・・・?・・・ありえないような大きなチョコレートがお土産だった。だから、私はいつもクラスで一番虫歯が多かった。

遠足で靴を買ってきて欲しいと頼むと・・・運動靴でといわれているのに・・・見事な黒いビロードの靴を買ってきた。真っ赤なリボンがついていた。私はそれを見たとたん、がっくりきた。どうしよう・・。泣きそうだった。それを見ていた父が、がっかりしていたのを思い出す。

ピアノを買ってあげてください と、私のピアノを聞いていた小学校の先生から、父に直談判があったらしい。(兄から聞いた。本人には言わないと家族で決めたらしい。理由は・・本人がいい気になっては困るから・・)いきなりグランドピアノを注文してきた。母がアップライトに変更したらしい。私は何も知らなかった。ある日突然ピアノがあった。あの嬉しさは忘れられない。

一時が万事こんな父。ずーっと話を聞きながら、体脂肪と筋肉の関係を思い出していた。バランスが大事。筋肉が多いと脂肪が減り、脂肪が増えると筋肉が減るらしい。合いの手を入れる娘に、お前はどう?と聞くこともない。

ただただ、一方的に自分の事を話す。限界に達して、席をはずす。外にでて、星を見る。ワインを持って、星を見ていた。

二回目に限界が来たときには、兄が電話をくれた。ちょうど今、耐えれなくなって、席を外したというと・・・父もその親から演説を聞いて大きくなったのだろう・・と、いう。そうかもしれないと思った。祖父も間違いなくそういう人だったのだろう。

何度目かの演説で、私の話が初めて出た。お前が生まれてから自分は変わったという父。父親が放蕩者でも、極道でも、息子は生きていく。でも、おなごの子はそうはいかん。○○が生まれてから、自分は変わった と。

ふーん。そうなんだ。娘ってそういうものなんだ。

色々な複雑な思いも感じないではなかったが、それでも、父といてほのぼのと温かい気持ちになれたのも、事実だ。私にとって、父の存在に変われる人はいない。

いつまでも私のために、元気でいて欲しいと願っている。

また、演説を聴くからね。一人きりの聴衆だもんね。でも、ワインくらいは必要かな・・・。

娘が一番自分に似ていることにまだ気付かないの?

 

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夢のように・・・

2009-11-27 00:04:25 | 舞いあがる

振り返ると、夢のように過ぎた一週間だった。

土曜に出かけ、木曜に帰ってきた。

仙台から筑波経由 名古屋 そして岡山。今日はアクシデントがあり京都で途中下車することになったけれど、仙台まで無事に帰ってきた。

今回は考えることが多かった。これを実り多いというのだろうか・・・頭を整理する必要がありそうだ。とりあえず、今は明日のことの集中する。

生徒たちの問題もでてきた。看過できない問題になりそうだし・・・。愛情をもって、心から接する、心の声を聞くように努めること・・・今はそれしか考えていない。

タイムトンネルをくぐって、現実の世界に返ってきた。今夜からフル回転。寝る時間はなさそうだな。・・・美容に悪いなあ・・・。

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つくばマラソン 雑感

2009-11-23 00:01:28 | うるるん

晩秋のつくば 初フルマラソン完走

土曜につくば入り。快晴。Aさんと合流。

ランチタイムに・・・地元のものをと思ったのだけど、何がいいかと迷って結局我家で用意をしたの、と。お宅で心のこもったランチをご馳走になる。洋風の建築のお宅、、手入れのされた庭。ビーフシチュー、サラダ、パン、そしてデザートのケーキ。会話も弾む。とっても美味しかった。ご馳走さまでした。

その後、ご夫妻で私が次の日に走るコースを車で案内してくださる。黄色の銀杏が太陽に反射して、それはそれは美しい景色だった。

そして、つくば山へ向う。夕日のなかの麓の景色。広大な関東平野を一望する。

本当に至れり尽くせりの歓待をしていただく。なんて私は幸せ者なのだろうと思った。

マラソンを走ったのは確かに走った。途中で足が痛くもなって、ピンチもあった。

でも、最後まで走れたのは、何日も前からもらっていた応援メールの数々のおかげだった。本当にたくさんの応援をしてもらった。走っているとき私はそのメールを思い出していた。

天気も雨を覚悟していたが結果的には降らなかった。走りながら空を何度も仰いだ。母が私が走り終わるまで、雨を降らさないように天国から守ってくれているような気がしていた。

つくばで集合したラン仲間の中にも入れていただいた。スタート前の緊張は皆といることで、最小限で済んだ。走り終わって、連絡すると待ってくれていた。東京まで一緒に帰ってきたから、車中も会話が楽しかった。

マラソンをゴールした時、人生が変わるほどの感動・・・・を、実はあまり感じなかった。それより、もう走らなくてもいい…走るのをやめてもいいんだ・・というほうが正直嬉しかった。

私が今回のマラソンで感じた感動は、人のあたたかさ・・・というか、人から大切にしてもらう幸せを感じたということかな。本当にありがとうございました。

人を大切にしなさい そして、人から大切にされることに感謝しなさい・・・というのが、神様がマラソンを通じて私に用意してくれていた教えだった。それしか考えられない。

つくばのスタートに立ってよかった。マラソンを完走して本当によかった。

そうそう。今は名古屋の兄の家でブログを更新しているのだが・・・駅まで迎えに来てくれた兄 そして、美味しい夕食を用意してくれていた姉にも本当に感謝している。

いい一日でした。

余談 28日にマラソン報告を盛り込んだ、飲み会あり。これはかなり完走するにあたっての、モチベーションを上げてくれた。だって、完走しなかったら・・・話すことがないからなあ。もうひとつ。成功回路を作りたかった。シカゴのことがあった。途中で棄権する(あの時はポリスに走ることを止められたのだが・・)、その後のむなしさ、悔しさもあった。今回もハーフまで、そこまで行き着くまでが長かった。完走できないのではないか・・という不安もあった。でも、ここでまた完走しなかったら、そういう自分の回路ができてしまうような気がしていた。だからどうしても成功回路を作りたかった。

がんばってくれた足が今は悲鳴をあげている。私の素敵な足にも本当に感謝している。

 

 

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彩雲に・・・願いを

2009-11-20 06:56:56 | シュワッチ

彩雲 ?

テニスのプレイ中突然、《サイウンダ・・・スゴイ・・・》と、テニスメイトの一人がはしゃぎだした。訳がわからない?何イッテルノ?

サイウン サイウン ほら! といわれて、一同彼女と同じ方向を見る。真上の空。太陽がまぶしくて・・・なに?

サイウンってなに? 彩りの雲と書くの。 そこで、初めてイメージが湧く。やはり漢字の持つ力だ。

雲が虹のようになるの・・・願いが叶うんだよ。一同、コーチも含めてプレイを止めて空を見上げる。薄い雲にかかるように、虹色の雲の破片が見える。

彩雲か・・・いい名前だなあ・・・。

と、すぐ現実路線に戻る。《願いが叶う》

どうかつくばマラソン完走できますように。三度くらい祈った。

それにしても、ほんとに知らないことが多いねえ~。生涯学習なんていうけど、全くほんまに大切なことですよ。

昨日は忙しい時間をカイクグルように、義父のところにご機嫌伺いに行ってきた。私はナニゲニ、この義父が大好きなのだ。

義父に私の仕事の話をする。そうかよかったね。勉強しなさい。仕事が勉強になるなんていいことだね。と、励まされる。そうだよね。いいよね。

そうそう、全く、とてもいいのだけど・・・仕事、当面あれも、これも引き受けすぎて、ちょっとギブアップ。週末から出かけるから・・・前倒しで行わなくてはならない。

でも、それがいいのかもしれない。私は頭の中がごちゃこちゃになると、そこで初めて整理する術を駆使する。つまり、優先順位を考えて、後はとりあえず後で考えることとして放っておく。後は野となれ山となれ的に開き直る。それでときどきひっくり返る。まあ、ひっくり返ったらそのときにまた、考えることにしよう  と、考える。

シンプルで考えすぎなくていい。どだい物事は考えすぎないほうがいいのだ。考える時間が長いほど、いい結論が導き出せる訳ではない。堂々巡りを繰り返し、挙句の果てには期限切れになったりする。シンプルに物事を整理して、シンプルに実行する。いいじゃない。

あーすっきりした。彩雲効果だな。

 

 

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ボランティアの心

2009-11-19 04:41:07 | 発っする(ハッスル)

未明に起きた。しし座流星群・・・3分であきらめた。

街灯が明るくて、空がぼんやりしてる感じがある。真夜中の空ではないなあ・・。星に願いを・・と、思ったのだが・・・。

さて、ボランティアについて。

私は講師をしているが、もちろんお金を頂いている。と、同時に無給のボランティアもしている。いまや世の中の趨勢ではボランティアは必ず無給というわけではない。私も本来は、無給でないほうがいいのではないかとは思っているが・・・・・今は、授業のほかに生徒のサポートをしているが、それらはすべてボランティアである。

私の1週間の時間のうちの1時間をあなたのために使うことに、なんの問題もないのよ と、私に英語を教えてくれた、シャロンのその言葉が、私のボランティアの原点になっている。シャロンは大学で英語を教えているプロであったし、同時に司祭の奥様で、教会でも先頭にたって、様々な活動をしていた。

彼女はそのほかに私に、本当にいい仕事がしたいならボランティアをしなさいと言った。最初は大変でも、いい出会いが作れるはずだと。

素直な私は、シャロンの言葉に忠実に従う。あまりに突然に訪れたシャロンとの別れだったので、彼女と彼女の言葉が私の中に鮮明に残っているのかもしれない。(シャロンは夏にがんを発症して、一年の闘病生活の後亡くなった。彼女の写真が机の上で毎日私を見守っていてくれる)

今の職場は仙台で一番ハンサムでかっこいい、ダンディな校長先生(78歳でいらっしゃって、それはそれは素敵な方です)、それに尊敬できる女性の先生たちがいらして、やたら居心地がいい。別にぬくぬくとしている訳ではない。求められるものは、高度で厳しい。先生方のレベルも非常に高い。

昨日も私が作っている副教材に対して、主任の先生からのアドバイスがあった。彼女のスタンスは徹底していて、使う方の立場にたつ。何が生徒たちに必要か、何が生徒たちの成長を促すか・・・。漢字圏から来た以外の生徒たちのために、英語の訳をポイントの重要なところに入れるように指示があった。まったくうかつだった。

資料を見直して、作りかえる作業を始める。また、新しく来日した生徒の遅れを取り戻すサポートも入ったので、少人数の授業を始める。これは全くのボランティア。しかし、実際に生徒を前にすると、なんでもやってあげたくなる。彼らの目が私に訴えかけるものがある。彼らには今、私が必要だと感じる。新しい生活で感じるカルチャーショックにも、いっしょに向き合っていこうと思っている。

そんな昨日、就業形態を変えて、参加して欲しいとの申し出を受けた。やりがいを感じているので、はい わかりました と、即答した。

新しい世界が広がっていく。シャロンが言った通りだった。

 

 

 

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マラソン出発点

2009-11-18 05:50:30 | うるるん

昨日は、若い友人が訪ねてきてくれた。

トレンチコートを持ってきてくれたのだが・・・残念ながら、私にはちょっと横幅が大きくて(Lサイズだった・・・エヘン)、もっとピタリサイズの人を探すことになった。

彼女とは10年前、母が亡くなる前に少しお世話になっていた職場で知り合った。以来、彼女はずっと私の心の中にある。しっかりしたお姉さんタイプの明るくて美人の彼女。歳は私の方が10歳くらい上だから、当然私の方がお姉さんの感じ・・でも、実は彼女の方がしっかりしているなあ・・どう考えても。

ただ違うタイプだから、そして私の方が年上でもあるから、彼女のことを彼女が自分をみつめる視線とは違った視線で見ることができるかな。たとえば、がんばりすぎているとか・・・・。だいたいにしてがんばりすぎだよ。

私がUSにいるとき一時期体調を崩していたようだったので、顔も見られないから随分と心配した。でも、すっかり元気を取り戻してくれていた。心からよかった。

彼女とは、昔の話をしたり、今の話をしたり、あっと言う間に4時間が経っていた。昔の話で思い出したのが、私のマラソンの原点。同じ会社にいた、若い男性がきっかけだったことを思い出す。

マラソンは苦しくないですよ。ゆっくり走ると、どこまでも、何時間でも走れてしまいます。 彼のこの言葉が私の背中を押した。

ニコニコとはいかないが、景色を楽しみながら走るマラソン。考え事をすると、ものすごい勢いで、頭が回転し積極的な結論を導き出す。USでどうしようもなくて頭を抱え込むような問題が起こると、マラソンをしながら考えた。一時間くらい走っていると、解決策が見つかった。不思議だけど事実だ。どうも、脳内ホルモンの関係であるらしいが、消極思想が吹き飛んでいく。

タイムを気にしないから・・・一生懸命走っていない? と、思われる節もある。確かにレースに出たりすると、さすがにタイムが気にならないわけではない。でも、タイムを気にするのは、レースの時だけでいい。レース前の今は、だからちょっと苦しいかな・・。

もっともっと長い時間走れるようになるといいなあ・・・。

出発点から10年。本当に遅いスタートだったけど、でもあのときの会話がなければ今の私はない と思うと、出会いって本当に大切だと思う。

さて、ゼッケンが届いた。17011 いいな~いい 語呂合わせもバッチリ。^^

 

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週末から移動します

2009-11-17 09:49:57 | シュワッチ

泣いても笑っても、ついにフルマラソンを走る日が近づいてきました。

でも、大丈夫、泣いても、笑ってもいません。

泣きそうにたいへんなのは、私のクラスのことかな。だんだん人数が増えてきて・・・生徒が増えることはたいへんではないのかもしれないけど、ひとりひとりの生徒と距離ができてしまうようで・・・・・。まあ、私の姿勢というか能力の問題もあるのですが・・。

ちょっと昨日は、へこんでしまった。

他方、以前の生徒たちが、しっかりとしてきた様子も見えるので、それが自分の気持ちを支える、モチベーションになっている。

先生、大丈夫です。自分からぶつかってみます なんて、日本語を聞けるようになるなんて・・・・日本語の表現と内面の心 どちらもすばらしい。本当にたくましく成長していて・・I am proud of you です。

さて、そんな訳で、21日 土曜に仙台を出発し つくばでAさんとデート。夜はホテル。

22日 日曜は筑波マラソンを完走して( yes, I can )、名古屋へ移動。兄のところに泊まり・・・きっと宴会。ええんかい? なんて寒いギャグを飛ばして、23日 月曜の午後 岡山へ向かうらしい 24日 母の命日 25日 父のところでおしゃべりして 26日 仙台市民マラソンのとき、私たちのためにお弁当を作ってくれた○○さんにお土産を買って、仙台に帰ってくる。

翌日が授業なので、準備を今週中にしておかないと・・・・ならないよ。

さて、沿線のお友達のみなさん。どこかでお会いできるタイミングがおありでしたら、是非お元気なご様子をお見せください。

メール、もしくは携帯でご連絡をください。 23日祝日 名古屋はたぶん午後出発になるので、午前中からランチにかけては時間があると思います。

では、そのようで・・・では、では。

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