どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

ボランティア通訳をした

2011-04-22 06:52:18 | シュワッチ

生まれて初めて通訳をした。

津波の被災地に出向くのも初めてだった。通行可能になった高速道路を使って車で出向いた。道路はあちこちに亀裂が入り、加えて波のりをするようなでこぼこ。これは、被災後、仙台市内の道路のあちこちにみられる現象でもある。危ないので、80キロくらいの時速で走った。

避難所で入浴サービスをしてくれている米軍の人たちと、利用者との通訳をしてほしい という要請だった。

米軍のでっかいテントが建てられていて、その奥にトラックのコンテナそのままがシャワー施設になっているものがくっついていた。男女それぞれに施設があるのだが・・昨日はひとつが壊れてしまい、仕方ないから残ったひとつを時間を区切って男女に使用してもらうという。結果から言うと、私がした主な仕事は、「施設がひとつ壊れてしまったことと、時間を区切って使用してもらうこと」を、利用者に伝えることだけだったような気がしている。もちろん、日本語でね。

それさえも、実はあまり必要なかったような・・・・・。

米軍の若い軍人さん三人と入浴施設の間に置かれた、入浴管理者テント?に私はいた。自己紹介をしたあとは・・・・やることがない。昼間の2時からシャワーを利用に来る人は皆無で、若い軍人さんたちは、携帯電話やゲームで時間をつぶしている。風もふいて寒い。

一時間しても誰もこない。そのころになるとちょっと打ち解けてきて、いろいろな話をした。が・・・私の英語のスキルは恐ろしく後退しており、なんとも申し訳ない、情けないことになってしまった。

彼らは、沖縄の基地からやってきて、仙台空港の復旧作業から始まり、学校の清掃(テレビのニュースで見た)、などを行ってくれていたらしい。仙台空港は特にひどく、車の中で亡くなられていた方もあったという。5週間の間、一日の休みもなく、食事は携行している非常食だけだという。役場の人から差し入れてもらった、おにぎりや日本の山崎パンなどを、おいしそうに食べていた。

日本人はシャイだね というのは、三人の中の唯一の女性。英語の勉強をしたいと話しかけてくる人もいるが・・Facebookのアドレスを教えてあげても、何のアクションも起こさない。

彼女はというと、日本語の単語を使い 「大丈夫よ!!」などと声をかけている。そうだよね・・・私も含めて日本人は確かにシャイです。でも、どうして?と聞かれても、答えられないなあ・・。

シャワーを入りに来る人、終わって帰る人(同じ人だけど・・)確かに、うつむき加減に、さささ・・・と、テントの前を通っていく。小さな声で「どうも・・・・」とか「ありがとう・・・」が聞こえる。

私は、今の女性は ありがとう って言ったよ と英語で言う。それくらいかな・・できたことは。

次回は・・・あるのかないのかわからないが・・・英語をなんとかしなくては・・と、思った。

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答辞

2011-04-17 23:10:59 | Weblog

ニュースで被災地の卒業式の様子が放送されていました。

何気なく見ていた私は、その中学生の答辞が心の残りました。が、どこの中学校だかは分かりませんでした。

昨日、何気なくラジオを聞いてきたら、その時の答辞がまた、流れてきました。さだまさしが、そのことを取り上げたからです。

今日、それをもう一度聞きました。

http://www.youtube.com/watch?v=b7hNLmzcIHk

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通訳ボランティアをします

2011-04-14 20:12:19 | シュワッチ

私は、恥ずかしいことに、自分が「災害時通訳ボランティア(英語)」に登録していることを思い出したのは、震災後二週間くらいたってからだった。

テレビのニュースを見ていた。海外の医療チームが宮城県に来てくれた という内容だった。英語でのやりとりがうまくいってないような・・・通訳がいればいいのに!!・・・そういえば、私は通訳に登録していた!と初めて思いだしたのだった。

震災後、自分たちの生活をどう確保するかに一生懸命で、ボランティアのことは吹っ飛んでいた。恥ずかしい・・今から何かできるだろうか・・と、考えてもみたが、ナス術をみつける努力をしなかった。

今日、生活に潤いを!と、お花を庭に植えていたら、携帯電話が鳴った。思いがけず通訳の要請だった。

英語はそんなに得意ではない。が、サバイバルイングリッシュでいいのであれば、なんとかなるだろう。(そう、信じたい)

米軍が提供してくれる入浴サービスに通訳がいなくて困っているらしい。私は二つ返事で了承した。場所は東松島町。片道、車で1時間以上かかるだろう。公共交通機関はなにもなく、自家用車で向かうことになるらしい。

学校も始まる。来週月曜から、授業が始まる。

さあ、始動だ。いつまでも、震災を理由にぼーっとしている訳にもいかない。

 

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山形空港から飛び立った

2011-04-06 09:47:33 | がっちんこん

3月21日が父の誕生日だった。

18日から大阪経由で実家に帰る予定だった。11日の地震ですべてはキャンセル。

4月になって思い切って実家に帰ってきた。仙台空港も新幹線も使えないので、仙台からバスで山形に向かい、空路伊丹空港に入った。

大阪に滞在して、日曜に京都でお寺廻りをした。三十三間堂、清水寺、南禅寺 知恩院 ・・・。

千体の観音様に手を合わせてきた。ただ、ただ手を合わせてきた。

修学旅行コースかもしれない。建物に、たたずまいに、静かな感動があった。

月曜に新幹線で実家に来た。大阪と岡山って本当に近い。いつも何時間もかけて仙台から移動していたので新鮮な驚きだった。思えば遠くに行っていたのだなあ・・・と実感した。

岡山は桜がぼちぼちと咲き始めている。そらは青く、気温も高い。震災のテレビが毎日報道されている。

コンビニに入るとどこのコンビニにも、空いた棚がない。それ自体がものすごいことに感じてしまう。原発の事故についてもどこか傍観者であるような・・そんな空気もある。

息子は仙台で新しい生活を始めている。気持ちが焦ってくる。早く帰って私のやるこあとがあるような気がする。

ただ、父もとても弱っているような感じがする。今は、ここにいて、父のお世話をすることを大切にしようと思う。今日は、お風呂に入りたいとのリクエストがあったので。。。なんとか頑張ってみる。

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