生まれて初めて通訳をした。
津波の被災地に出向くのも初めてだった。通行可能になった高速道路を使って車で出向いた。道路はあちこちに亀裂が入り、加えて波のりをするようなでこぼこ。これは、被災後、仙台市内の道路のあちこちにみられる現象でもある。危ないので、80キロくらいの時速で走った。
避難所で入浴サービスをしてくれている米軍の人たちと、利用者との通訳をしてほしい という要請だった。
米軍のでっかいテントが建てられていて、その奥にトラックのコンテナそのままがシャワー施設になっているものがくっついていた。男女それぞれに施設があるのだが・・昨日はひとつが壊れてしまい、仕方ないから残ったひとつを時間を区切って男女に使用してもらうという。結果から言うと、私がした主な仕事は、「施設がひとつ壊れてしまったことと、時間を区切って使用してもらうこと」を、利用者に伝えることだけだったような気がしている。もちろん、日本語でね。
それさえも、実はあまり必要なかったような・・・・・。
米軍の若い軍人さん三人と入浴施設の間に置かれた、入浴管理者テント?に私はいた。自己紹介をしたあとは・・・・やることがない。昼間の2時からシャワーを利用に来る人は皆無で、若い軍人さんたちは、携帯電話やゲームで時間をつぶしている。風もふいて寒い。
一時間しても誰もこない。そのころになるとちょっと打ち解けてきて、いろいろな話をした。が・・・私の英語のスキルは恐ろしく後退しており、なんとも申し訳ない、情けないことになってしまった。
彼らは、沖縄の基地からやってきて、仙台空港の復旧作業から始まり、学校の清掃(テレビのニュースで見た)、などを行ってくれていたらしい。仙台空港は特にひどく、車の中で亡くなられていた方もあったという。5週間の間、一日の休みもなく、食事は携行している非常食だけだという。役場の人から差し入れてもらった、おにぎりや日本の山崎パンなどを、おいしそうに食べていた。
日本人はシャイだね というのは、三人の中の唯一の女性。英語の勉強をしたいと話しかけてくる人もいるが・・Facebookのアドレスを教えてあげても、何のアクションも起こさない。
彼女はというと、日本語の単語を使い 「大丈夫よ!!」などと声をかけている。そうだよね・・・私も含めて日本人は確かにシャイです。でも、どうして?と聞かれても、答えられないなあ・・。
シャワーを入りに来る人、終わって帰る人(同じ人だけど・・)確かに、うつむき加減に、さささ・・・と、テントの前を通っていく。小さな声で「どうも・・・・」とか「ありがとう・・・」が聞こえる。
私は、今の女性は ありがとう って言ったよ と英語で言う。それくらいかな・・できたことは。
次回は・・・あるのかないのかわからないが・・・英語をなんとかしなくては・・と、思った。