待合に掛けられた「滝 直下三千丈」
「御幣を付けた榊」を蹲の筧に・・・
(朝、雨模様で心配だったので席入りまで傘をさしておきました)
のち
令和3年6月27日(日)、暁庵にて「転勤族 水無月の茶事」(正午の茶事)が行われました。
ご亭主は社中のM氏です。
お客さまは5名様、お正客Nさま、次客Yさま、三客Iさま、四客Aさま、詰N氏がお出ましくださいました。
半東はKさん、懐石は小梶由香さん、暁庵は懐石と水屋のお手伝いです。
ご亭主M氏は転勤が多く、今まで愛知県、東京都、埼玉県寄居町、仙台市などを経て現在は川崎市が勤務地になっています。その間、転勤した先々で新たに先生を探しながら茶道を続けてこられたそうです。
そんなM氏が暁庵の茶道教室の門を叩いてくださったのは約2年前のことです。いつ転勤になるかわからないので入門して半年くらい経った頃から「お茶事をやってみては・・・」と勧めていました。
最初のお茶事の予定は令和2年5月6日の「初風炉の茶事」でしたが、4月7日に7都府県に緊急事態宣言(第1回)が発令され、あえなく中止になりました。
次は令和3年1月25日に「転勤族 睦月の茶事」を予定していましたが、1月8日に緊急事態宣言(第2回)が発令され、またも中止になってしまいました。
今回が3度目の挑戦でした。無事に茶事が出来ますようにお茶の神さまにお願いしていましたが、三度目の頑張りにお茶の神さまもしっかり応援してくださったようです。
その間、季節も移り変わり、今回は「転勤族 水無月の茶事」になりました。
今まで転勤先の各地で出会った水指、茶入、茶碗などの茶道具が散りばめられ、M氏のお茶の履歴、人や道具との縁が茶事進行に従って分かるように工夫されていて、素晴らしい!と思いました。
そして、水無月なので水か雨にちなむ趣向を・・・と考え、名水点で濃茶を差し上げることになりました。
M氏が選んだ名水は、転勤先の一つだった埼玉県寄居町に湧出する「日本水(やまとみず)」です。
湧き出る「日本水(やまとみず)」
「日本水(やまとみず)」には次のような謂れがあることを暁庵も初めて知りました。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折、戦勝を祈願し御剣を岩壁に刺したところ、たちまち水が湧きだし、この伝説から「日本水」と呼ばれています。また、この冷たさに一杯しか飲めなかったとの伝説から「一杯水」の別名があるそうです。
日本水が流下し、他の川と合流し「風布川(ふっぷがわ)」となります。昭和60年に環境庁(現在の環境省)から「風布川」とともに名水百選に認定されました。干ばつ時の雨乞いのもらい水として、また、日本武尊の伝説にちなんで、縁結びや子授け、安産、不老長寿のご利益があるといわれています。
「仕事が忙しいのに名水を汲みに行く時間が取れるのかしら?」と心配していたら、メールが届きました。
「先生、昨夜になりましたが、無事水汲みをしました」
短いメールでしたが、後で調べたら川崎市から遠い山奥にある「日本水」の水飲場(埼玉県大里郡寄居町風布地内)への往復は深夜になったのでは・・・と推察され、ご亭主のおもてなしの琴線に触れたように思いました。
「日本水」水飲場 (埼玉県大里郡寄居町風布地内)
(雨が上がり、蹲を使って席入りできました・・・)
今回の茶事では濃茶と薄茶で違う水指を使用したいとのことで、濃茶の水指は萩焼でした。
名水点に使われる注連縄飾りの釣瓶ではないので、名水点であることをお客さまへ知らせるサインを2つ用意しました。(名水点とそのサインはいろいろの仕方があって奥が深いことがわかりました。いつか調べて書いておきたいです)
1つは待合の色紙「滝 直下三千丈」(橋本紹尚和尚筆)です(滝の絵または滝の掛物がサインの一つです)。
もう1つは、蹲の筧に「御幣を付けた榊」を飾りました(「御幣を付けた榊」を何処かにかざっておくのもサインの一つです)。
さらに、お客さまがサインに気が付かないといけないので、「名水点にて濃茶一服・・・」と案内状に書いてもらいました。
「名水をご用意いただいたようですが、ご都合により名水を頂戴したく思います」とお正客Nさまからお声が掛かりました。
主茶碗に水指の名水を汲み、お正客に飲んでいただきました。次客様からの4名様には水屋から冷たい名水を数茶碗に入れて各服でお出ししました。
(水屋でご亭主と心を一つにしながら、お客さまが名水を味わい、心を込めて練られた濃茶を味わっている様子を想像していました・・・)
「転勤族 水無月の茶事」を終えて・・・(2)へ続く (3)へ続く