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(つづき)
点前座は結界を置いて台目畳とし、風炉釜と木地釣瓶の水指、
水指前に茶入を置きました。
茶碗を運び出し、いつものように茶入と茶杓を浄め、茶筅通し、
茶碗を清め、濃茶をたっぷり点てました。
裏千家流の濃茶点前は久しぶりとのこと、真剣に拝見してくださって有難いです。
お流儀の仕方で召し上がって頂きました。
「たっぷりと美味しく頂いています」
その言葉に安堵しました・・・。
茶銘は、坐忘斎家元お好みの「長松の昔」、柳桜園詰です。
茶碗は、高麗御本三島。
小振りでいびつな形、薄づくりの容姿に仄かな色気が感じられ、
今一番お気に入りです。
古帛紗は紺地鶴亀吉祥文金襴、小林芙佐子先生の仕立てです。
茶入、茶杓、仕覆を拝見に出しましたが、返し方が違い、興味津々。
もちろん、お流儀の仕方でお返し頂きました。
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京都・貴船神社の七夕かざり
ガラス茶器の茶入は岩田久利作、
茶杓は銘「あふせ」、仕覆は撫子文の着物裂地で自製です。
後炭手前をこの機会に見て頂きたくて、炭を直し、
風炉中の拝見をして頂きました。
煙草盆は省略し、すぐ干菓子を運び出し、薄茶になりました。
茶碗に水を入れ、洗い茶巾です。
このお点前の原型は利休七哲のひとり、瀬田掃部が
畳目十四半(約18センチ)の高麗平茶碗「水海(湖)(みずうみ)」を入手し、
それを生かすために考案したと伝えられています。
現行の洗い茶巾は、裏千家十三代圓能斎の創案で、夏期の薄茶点前です。
お尋ねすると、南坊流にも「水点前」という夏の点前があるそうです。
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今回使った平茶碗(清朝)は外側に瑠璃釉、内側に青磁釉がかかり、
直径18センチ、瀬田掃部の「みずうみ」を連想するような大茶碗です。
銘を「あふみ(青海、淡海)」と名付けました。
それを渡ることができる長さ22センチの白竹の茶杓を特注し、使っています。
大茶碗を天海(九天)に見立て、茶杓銘を「月の渡し船」としました。
(注)「南方録」に、
瀬田掃部あいようの高麗平茶碗の大振りなのを、
利休が「水海(湖)(みずうみ)」と銘し、瀬田と湖にちなんで
瀬田唐橋の意味を含め、自ら大茶杓を削って茶碗に渡したが、
掃部はこの因縁により自分の茶杓をこの型に拠ったため、
大振りの茶杓を掃部型と唱えるようになったと記されている。
(新版 茶道大辞典(淡交社)より転載)
この大茶碗で薄茶を点てたのですが・・上手に点ちませんでごめんなさい。
このあと交代し、茶碗も替えて、南坊流のお点前で美味しく頂戴しました。
同じ流派でも多少点前や所作が違うところがあり、
(・・詳しくはわかりませんが、ひと手間多く、丁寧な扱いでした)
点前の違いや特徴を解説してくださり、夢のような時間を過ごしました。
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亭主を再び交代して、棗を拝見に出すときに「あらっ!」
裏千家流は向う側から、南坊流は手前から茶を掬うので
真ん中に天橋立みたいな緑の細道が見事に出来ていました。
棗が鵬雲斎大宗匠好みの「三景棗」だったので、
立上りの天橋立と内側と、2つの天橋立の景色を鑑賞し、
七夕らしい風情にニッコリ・・・。
南坊流のお客さまと過ごした茶事は心愉しく、貴重なひと時でした。
いろいろお忙しいようですが、お仕事の合間に
茶事にどっぷりつかってお過ごしくださると嬉しいです。
不思議なご縁に感謝申し上げます。
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点前座は結界を置いて台目畳とし、風炉釜と木地釣瓶の水指、
水指前に茶入を置きました。
茶碗を運び出し、いつものように茶入と茶杓を浄め、茶筅通し、
茶碗を清め、濃茶をたっぷり点てました。
裏千家流の濃茶点前は久しぶりとのこと、真剣に拝見してくださって有難いです。
お流儀の仕方で召し上がって頂きました。
「たっぷりと美味しく頂いています」
その言葉に安堵しました・・・。
茶銘は、坐忘斎家元お好みの「長松の昔」、柳桜園詰です。
茶碗は、高麗御本三島。
小振りでいびつな形、薄づくりの容姿に仄かな色気が感じられ、
今一番お気に入りです。
古帛紗は紺地鶴亀吉祥文金襴、小林芙佐子先生の仕立てです。
茶入、茶杓、仕覆を拝見に出しましたが、返し方が違い、興味津々。
もちろん、お流儀の仕方でお返し頂きました。
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京都・貴船神社の七夕かざり
ガラス茶器の茶入は岩田久利作、
茶杓は銘「あふせ」、仕覆は撫子文の着物裂地で自製です。
後炭手前をこの機会に見て頂きたくて、炭を直し、
風炉中の拝見をして頂きました。
煙草盆は省略し、すぐ干菓子を運び出し、薄茶になりました。
茶碗に水を入れ、洗い茶巾です。
このお点前の原型は利休七哲のひとり、瀬田掃部が
畳目十四半(約18センチ)の高麗平茶碗「水海(湖)(みずうみ)」を入手し、
それを生かすために考案したと伝えられています。
現行の洗い茶巾は、裏千家十三代圓能斎の創案で、夏期の薄茶点前です。
お尋ねすると、南坊流にも「水点前」という夏の点前があるそうです。
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今回使った平茶碗(清朝)は外側に瑠璃釉、内側に青磁釉がかかり、
直径18センチ、瀬田掃部の「みずうみ」を連想するような大茶碗です。
銘を「あふみ(青海、淡海)」と名付けました。
それを渡ることができる長さ22センチの白竹の茶杓を特注し、使っています。
大茶碗を天海(九天)に見立て、茶杓銘を「月の渡し船」としました。
(注)「南方録」に、
瀬田掃部あいようの高麗平茶碗の大振りなのを、
利休が「水海(湖)(みずうみ)」と銘し、瀬田と湖にちなんで
瀬田唐橋の意味を含め、自ら大茶杓を削って茶碗に渡したが、
掃部はこの因縁により自分の茶杓をこの型に拠ったため、
大振りの茶杓を掃部型と唱えるようになったと記されている。
(新版 茶道大辞典(淡交社)より転載)
この大茶碗で薄茶を点てたのですが・・上手に点ちませんでごめんなさい。
このあと交代し、茶碗も替えて、南坊流のお点前で美味しく頂戴しました。
同じ流派でも多少点前や所作が違うところがあり、
(・・詳しくはわかりませんが、ひと手間多く、丁寧な扱いでした)
点前の違いや特徴を解説してくださり、夢のような時間を過ごしました。
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亭主を再び交代して、棗を拝見に出すときに「あらっ!」
裏千家流は向う側から、南坊流は手前から茶を掬うので
真ん中に天橋立みたいな緑の細道が見事に出来ていました。
棗が鵬雲斎大宗匠好みの「三景棗」だったので、
立上りの天橋立と内側と、2つの天橋立の景色を鑑賞し、
七夕らしい風情にニッコリ・・・。
南坊流のお客さまと過ごした茶事は心愉しく、貴重なひと時でした。
いろいろお忙しいようですが、お仕事の合間に
茶事にどっぷりつかってお過ごしくださると嬉しいです。
不思議なご縁に感謝申し上げます。
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