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満開の萩 萩の霊場・迎称寺にて (9月17日撮影)
9月15日に「萩の月」の茶事をしました。
茶事の名前(テーマ?)を考えるのは楽しいことですが、
なかなか決まらない時、すぐに頭に浮かぶ時などいろいろです。
「萩の月」は、S先生のお稽古で薄茶を頂いた茶碗がきっかけでした。
虫明焼の茶碗で、土色の胴に鉄絵で「萩と月」が描かれ、
虫の音が聞こえてきそうな佳い風情です・・・これに決めました。
三十六歌仙の一人、伊勢の和歌を添えて、ご案内しました。
萩の月ひとへに飽かぬものなれば
涙をこめてやどしてぞみる (伊勢)
(萩の花に照る月影は、ひたすらに見ても飽きないものなので、
目に涙を籠めて、その中に宿していつまでも眺めるのだ・・・・千人万首より)
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黒谷・金戒光明寺にて
お客さまは2名様、8月末に茶事へお招きくださったYさまと、
真MLコミュニティでお世話になっているSさま、初めて灑雪庵へお出まし頂きました。
在釜と書かれた掛札(古箪笥の再生品)や、祖母の古箪笥が目に留まったようで、
あまりの古家にびっくりされたかしら?
板木が2つ打たれ、温かい白湯と冷たいおしぼりをお出ししました。
まだ暑いような、涼しいような・・・水屋で迷いながら。
待合の掛物は、富岡鉄斎画の草花と菊の画が表装されたものです。
長年、太田垣蓮月尼にあこがれていたのですが、蓮月尼の作品には縁がなく、
京都へ来る前に東京美術倶楽部で入手した掛物です。
富岡鉄斎(1837-1924)は、明治・大正期の儒学者であり、文人画家、
少年期の鉄斎は侍童として蓮月尼と暮らし、薫陶を受けたと言われています。
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床のお軸は「雲 月去来閑」
正法山(妙心寺)瑞松老師の御筆、
雲が大きく書かれ、月の字が満月ではなく三日月なのが気に入っています。
村田珠光の
「月も雲間のなきは嫌にて候 これ面白く候」
が頭を横切り、
雲(陰の部分)と月(陽の部分)が去来する人の生き様を思い浮かべます。
不安定な割れ壷に花を入れたため、初座から諸飾りとしました。
花は矢筈ススキに白とピンクの芙蓉です。
割れ壷は灑雪庵の縁の下に転がっていたもので、
「もしや埋蔵金が入っていたのでは?」と勝手に妄想し、
埋蔵金が埋められているという伝説にちなみ、銘を「仙石原」としました。
ご挨拶ののち、香盆を運び出し、所望しました。
正客のYさんが香を焚き、三人で回しますと、甘く上品な香りが漂いました。
菱灰のせいでしょうか、香炉の火加減も丁度よく、安堵しました。
香銘は、ご案内の和歌より「萩の露」(伽羅)です。
「萩の月」の茶事ー2へつづく
9月15日に「萩の月」の茶事をしました。
茶事の名前(テーマ?)を考えるのは楽しいことですが、
なかなか決まらない時、すぐに頭に浮かぶ時などいろいろです。
「萩の月」は、S先生のお稽古で薄茶を頂いた茶碗がきっかけでした。
虫明焼の茶碗で、土色の胴に鉄絵で「萩と月」が描かれ、
虫の音が聞こえてきそうな佳い風情です・・・これに決めました。
三十六歌仙の一人、伊勢の和歌を添えて、ご案内しました。
萩の月ひとへに飽かぬものなれば
涙をこめてやどしてぞみる (伊勢)
(萩の花に照る月影は、ひたすらに見ても飽きないものなので、
目に涙を籠めて、その中に宿していつまでも眺めるのだ・・・・千人万首より)
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黒谷・金戒光明寺にて
お客さまは2名様、8月末に茶事へお招きくださったYさまと、
真MLコミュニティでお世話になっているSさま、初めて灑雪庵へお出まし頂きました。
在釜と書かれた掛札(古箪笥の再生品)や、祖母の古箪笥が目に留まったようで、
あまりの古家にびっくりされたかしら?
板木が2つ打たれ、温かい白湯と冷たいおしぼりをお出ししました。
まだ暑いような、涼しいような・・・水屋で迷いながら。
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待合の掛物は、富岡鉄斎画の草花と菊の画が表装されたものです。
長年、太田垣蓮月尼にあこがれていたのですが、蓮月尼の作品には縁がなく、
京都へ来る前に東京美術倶楽部で入手した掛物です。
富岡鉄斎(1837-1924)は、明治・大正期の儒学者であり、文人画家、
少年期の鉄斎は侍童として蓮月尼と暮らし、薫陶を受けたと言われています。
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床のお軸は「雲 月去来閑」
正法山(妙心寺)瑞松老師の御筆、
雲が大きく書かれ、月の字が満月ではなく三日月なのが気に入っています。
村田珠光の
「月も雲間のなきは嫌にて候 これ面白く候」
が頭を横切り、
雲(陰の部分)と月(陽の部分)が去来する人の生き様を思い浮かべます。
不安定な割れ壷に花を入れたため、初座から諸飾りとしました。
花は矢筈ススキに白とピンクの芙蓉です。
割れ壷は灑雪庵の縁の下に転がっていたもので、
「もしや埋蔵金が入っていたのでは?」と勝手に妄想し、
埋蔵金が埋められているという伝説にちなみ、銘を「仙石原」としました。
ご挨拶ののち、香盆を運び出し、所望しました。
正客のYさんが香を焚き、三人で回しますと、甘く上品な香りが漂いました。
菱灰のせいでしょうか、香炉の火加減も丁度よく、安堵しました。
香銘は、ご案内の和歌より「萩の露」(伽羅)です。
「萩の月」の茶事ー2へつづく