緑に囲まれた瑞暉亭の腰掛待合
茶会が行われた瑞暉亭
2017年6月27日は今回の旅の主目的である瑞暉亭(ずいきてい)の茶会の日です。
Oさんからのメールで瑞暉亭のことを知って以来、いつか瑞暉亭で御茶をいただきたい・・・と憧れていたのです。
その日のスケジュールは次のようでしたが、既に細かいところは朧です・・・。
9:00頃 Oさんがホテルへ来訪。着物に着替える。
27日はOさんのサマーハウス泊なので、着替えをバッグに詰めトランクはホテルへ預ける(明日もう1泊する予定)
10:30 タクシーで瑞暉亭へ出発
11:00 瑞暉亭へ集合、準備、見学など
11:30 茶会
17:00 後片付けをすませ、タクシーでセントラル駅へ
18:00 電車に乗り、Oさん宅とサマーハウスへ
(実際は駅でハプニングがあり、大変なことなことに・・・)
先ずは瑞暉亭へご案内いたしましょう!
ストックホルム市内にある民族博物館の庭に茶室・瑞暉亭があります。
ストックホルムの民族博物館
夏休みなので子供たちがたくさん訪れています
茶室・瑞暉亭の入口に三カ国語で書かれた案内板があり、日本語で次のように書かれていました。(詳しくはブログをご一読ください)
茶室「瑞暉亭」
この茶室は、日本の王子製紙、十條製紙、本州製紙、神崎製紙の四製紙会社とスウェーデンのガデリウスAB社によって建築され、1990年5月28日、スウェーデンに寄贈されたものです。
1935年、日本の製紙王・藤原銀次郎翁は、日本文化の理解が深まることを願い、茶室「瑞暉亭」をスウェーデンに贈りました。1969年、残念ながら同茶室は焼失しました。
新「瑞暉亭」の建築、寄贈は、藤原翁の精神を継ぎ、日本とスウェーデンの友好ならびに両国の文化交流の更なる発展の一助になって欲しい、という希望をこめて行われました。
茶室は、吉兆及びスウェーデンの二つを意味ずる「瑞」と、輝き及び日出づる国、日本の二つを意味する「暉」から「瑞暉亭」と名付けられました。
名前の通り、日本とスウェーデン両国の友好親善を象徴しています。
茶室の建物自体、芸術作品ですが、茶道文化の真髄は、茶室で催される茶会を通じてこそ心から味わい、正しく理解することができます。
「そろそろ枝折戸を開けて中へ入りましょうか?}
蹲踞 (エミーユ氏が浄める前にパチリ・・・)
瑞暉亭の躙り口です
刀掛け 塵穴(クリックして)
瑞暉亭の広間です
1969年に火事によって焼失した初代瑞暉亭が建てられていた場所がそのまま残されています。
「・・・ここがイーダ・トロツィグが熱望し、スウェーデンに茶道の真髄を伝えたいと願った瑞暉亭跡なのね・・・」
初代瑞暉亭がスウェーデンに建設されることになった発端は、イーダ・トロツィグ(Ida Trotzig,1864-1943)というスウェーデン人女性の嘆願によるものでした。
イーダは約30年間日本の神戸に滞在し、茶道や華道を熱心に学んだそうです。
「夏草や 熱きイーダの 瑞暉亭」 ・・・初代瑞暉亭跡にて涙の暁庵
初代瑞暉亭の腰掛待合・・・唯一現存している建物
藤原銀次郎翁が吟味し、日本から送ったという蹲踞などの石
スウェーデンお茶の旅・・・瑞暉亭の茶会へつづく 前へ戻る 旅のトップへ戻る