ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

静岡県掛川市の掛川城では、カワヅザクラの花が咲き始めています

2013年03月04日 | 旅行
 静岡県掛川市の街中にそびえ立つ掛川城は、平成6年(1994年)に天守閣などが再建されたお城です。日本で初めて木造で復元された3層4階構造の天守閣です。

 掛川城の入り口に当たる大手門付近から、掛川城の天守閣などが目の前に見えます。実は平城なのですが、少し山城の印象を受けます。大手門からは、一部が城の堀の役目を果たしている逆川(さかがわ)沿いに進みます。逆川の北岸にある龍頭山の上に、掛川城の天守閣などがそびえています。



 この逆川沿いにサクラの木が並んでいます。木の大きさ・高さからみて、まだ若いサクラの木です。その中の数本が濃い桃色の蕾を膨らませ、少し花を咲かせています。濃い桃色の花は、カワヅザクラ(河津桜)です。



 掛川城の天守閣の入り口付近にもサクラの木などが植えられています。少し離れた所に植えられたサクラの木が花をよく咲かせています。この木もカワヅザクラです。





 掛川城の天守閣に向かうための入り口である四足門をくぐると、目の前に天守閣がそびえています。

 天守閣の東側にある掛川城御殿の建屋付近に、冬鳥のジョウビタキのメスがいます。尾羽根のくすんだオレンジ色が目立ちます。



 そっと近づいたのですが、人の気配に気付いて飛び去りました。



 東海道の要所の一つである掛川城の天守閣などを本格的に整備したのは、豊臣秀吉の直臣だった山内一豊(やまのうちかずとよ)だそうです。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に、徳川家康から山内一豊は功績によって土佐国を与えられ、掛川から移籍し高知城を築いたようです。

 この掛川城は徳川時代末期の安政元年(1854)に起こった安政東海地震によって崩れ、そのままになっていたそうです。その後、1994年に天守閣などが再建され、現在の掛川城になったそうです。

 3月上旬に暖かい日が続けば、カワヅザクラの木が次々と開花し、華やかな桃色の花が掛川城を飾ります。

 今年は冬の厳しい寒さによって、カワヅザクラ“本家”の静岡県河津町のカワヅザクラの開花もいくらか遅れたようです。でも、ウメに続いて、サクラの開花のニュースも次々と続きそうです。