経済産業省などが主催した「イノベーション実用化ベンチャー支援セミナー」を拝聴しました。
経産省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が、平成24年度(2012年度)の補正予算として「イノベション実用化ベンチャー支援事業」という助成事業を実施することを、広く公知させるためのセミナーです。
興味深かったのは、パネルディスカッションに登場されたベンチャー企業の経営者お二人とベンチャーキャピタルの経営者(パートナー)お一人のそれぞれのお話でした。
今回のパネルディスカッションでは、おそらく一番注目を集めたのは、2012年12月20日に東京証券取引所マザーズに上場を果たした東京大学発ベンチャー企業のユーグレナ(東京都文京区)の代表取締役の出雲充さんだと感じました。
2005年5月に創業し、その年の12月に、微細藻類のユーグレナ(日本名はミドリムシ)を野外で大量培養することに成功し、ユーグレナの事業を始めました。その後に、食品(サプリメントなど)や化粧品に応用し、製品販売を始めています。
その出雲さん以上に興味を持ったのは、ディジタルメディアプロフェッショナル(DMP、東京都中野区)の代表取締役社長・COEを務める山本達夫さんです。
ディジタルメディアプロフェッショナルは、2002年7月に法政大学教授の山本恒雄さんが、自分の研究成果であるグラフィックス(画像処理)技術の特許や半導体回路、ソフトウエアなどの知的財産(IP)を基に創業したベンチャー企業です。
ディジタルメディアプロフェッショナルが注目を集めたのは、任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」の3次元画像処理のGPU(グラフィックプロセッサーユニット)に、同社の画像処理用の半導体回路技術が採用されたからです。この採用発表は、2010年6月のことです。
山本さんは、ディジタルメディアプロフェッショナルの創業時には参画していません。同社を発掘したベンチャーキャピタルのジャフコ出身のベンチャーキャピタリストが経営者探しの中から、当時、米国のルネサス・テクノロジ-米国法人(現在のルネサス・エレクトロニクス)の副社長を務めていた山本さんを口説いて、社長に迎えたという経緯です。山本さんは2004年3月に社長に就任します。
山本さんは当時のことを「社長に就任してみたら、優れた画像処理技術はあったが、事業プランは無かった」と振り返ります。その後、同社の画像処理技術を日本企業に売り込みに行くと「高性能は分かるが、実績が無いと採用できない」という日本企業の保守的な体質によって苦戦が続きます。
この時に、山本さんはパチンコなどのアミューズメント業界・ゲーム業界は実績の有無を問わないことを知り、このゲーム分野に事業を特化させ、採用を勝ち取ります。
山本さんは、1981年に日本IBMに入社され、藤沢研究所でPC開発部長としてDOS/V PCなどの企画・開発に従事し、米国アップル社とのCPU(中央演算処理装置)開発にも関わった後に、日立製作所の半導体事業部(米国)に転職し、技術者・経営者としての実力で自分の人生を切り開く実力本位の世界に入ります。
山本さんはパネルディスカッションの際に、「日本の大手企業は優秀な人材を終身雇用によって抱え込んでいる。日本で転職による人材流動が起こらないと、ベンチャー企業が成功する基盤ができない」と苦言を呈しました。その通りと思いました。
経産省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が、平成24年度(2012年度)の補正予算として「イノベション実用化ベンチャー支援事業」という助成事業を実施することを、広く公知させるためのセミナーです。
興味深かったのは、パネルディスカッションに登場されたベンチャー企業の経営者お二人とベンチャーキャピタルの経営者(パートナー)お一人のそれぞれのお話でした。
今回のパネルディスカッションでは、おそらく一番注目を集めたのは、2012年12月20日に東京証券取引所マザーズに上場を果たした東京大学発ベンチャー企業のユーグレナ(東京都文京区)の代表取締役の出雲充さんだと感じました。
2005年5月に創業し、その年の12月に、微細藻類のユーグレナ(日本名はミドリムシ)を野外で大量培養することに成功し、ユーグレナの事業を始めました。その後に、食品(サプリメントなど)や化粧品に応用し、製品販売を始めています。
その出雲さん以上に興味を持ったのは、ディジタルメディアプロフェッショナル(DMP、東京都中野区)の代表取締役社長・COEを務める山本達夫さんです。
ディジタルメディアプロフェッショナルは、2002年7月に法政大学教授の山本恒雄さんが、自分の研究成果であるグラフィックス(画像処理)技術の特許や半導体回路、ソフトウエアなどの知的財産(IP)を基に創業したベンチャー企業です。
ディジタルメディアプロフェッショナルが注目を集めたのは、任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」の3次元画像処理のGPU(グラフィックプロセッサーユニット)に、同社の画像処理用の半導体回路技術が採用されたからです。この採用発表は、2010年6月のことです。
山本さんは、ディジタルメディアプロフェッショナルの創業時には参画していません。同社を発掘したベンチャーキャピタルのジャフコ出身のベンチャーキャピタリストが経営者探しの中から、当時、米国のルネサス・テクノロジ-米国法人(現在のルネサス・エレクトロニクス)の副社長を務めていた山本さんを口説いて、社長に迎えたという経緯です。山本さんは2004年3月に社長に就任します。
山本さんは当時のことを「社長に就任してみたら、優れた画像処理技術はあったが、事業プランは無かった」と振り返ります。その後、同社の画像処理技術を日本企業に売り込みに行くと「高性能は分かるが、実績が無いと採用できない」という日本企業の保守的な体質によって苦戦が続きます。
この時に、山本さんはパチンコなどのアミューズメント業界・ゲーム業界は実績の有無を問わないことを知り、このゲーム分野に事業を特化させ、採用を勝ち取ります。
山本さんは、1981年に日本IBMに入社され、藤沢研究所でPC開発部長としてDOS/V PCなどの企画・開発に従事し、米国アップル社とのCPU(中央演算処理装置)開発にも関わった後に、日立製作所の半導体事業部(米国)に転職し、技術者・経営者としての実力で自分の人生を切り開く実力本位の世界に入ります。
山本さんはパネルディスカッションの際に、「日本の大手企業は優秀な人材を終身雇用によって抱え込んでいる。日本で転職による人材流動が起こらないと、ベンチャー企業が成功する基盤ができない」と苦言を呈しました。その通りと思いました。