ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

ゲーム開発会社の創業に参画した鈴木尚さんのお話を拝聴しました

2013年03月09日 | 汗をかく実務者
 第21回ベンチャー・プライベート・コンファレンス「白熱!ベンチャー教室2013」を拝聴しました。

 このコンファレンスは、独立系ベンチャーキャピタルの日本テクノロジーベンチャーパートナーズ(NTVP、東京都世田谷区)と慶応義塾大学大学院ビジネススクールの共催です。



 このベンチャー・プライベート・コンファレンスは毎回、日本を代表するベンチャー企業の創業者や経営者などがそれぞれ強烈な体験談を語ります。今回の第21回では、ベンチャー企業のPTP(東京都新宿区)取締役会長の鈴木尚さんの話が印象に残りました。

 鈴木尚さんは、かなりの有名人です。





(会場では奥に座ったために、演台と距離があり、荒れた画像になっています)

 有名人なのは、任天堂のゲーム機「ファミリーコンピュータ」向けにゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズを大ヒットさせたスクエア(現在は、エニックス・スクエア)の経営陣を務めた人物だからです。

 鈴木尚さんは慶応大学の日吉キャンパスに通う学生時代に、当時、ゲーム開発会社として成功していた光栄(後にコーエー)で、ゲーム開発のアルバイトを始めます。その影響で、1983年にゲーム開発会社のスクエアが慶応大学の日吉キャンパス近くで創業する時に、その創業メンバーの一人として参加します。鈴木さんは「1978年当時に起こったインベーダーゲームというコンピューターゲームから、コンピューターゲームに魅力を感じたのが動機」だそうです。そして、1983年に任天堂がゲーム機「ファミリーコンピュータ」を販売し始めたことによって、ゲーム産業が成長すると読んで、スクエアが創業されたそうです。

 鈴木さんは「任天堂はコンピューターゲーム機事業に参入する際に、米国の先行企業をよく分析し、事業計画を十分に練って参入した」と解説します。そのゲーム機「ファミリーコンピュータ」向けに、ゲーム開発会社のエニックスが1986年に「ドラゴンクエスト」を、1987年にスクエアが「ファイナルファンタジー」をそれぞれ発売し、ファミリーコンピュータは大ヒットします。

 1996年にスクエアは、任天堂とゲーム収益を管理する販売モデルを巡って喧嘩(けんか)し、ソニー系のソニー・コンピュータエンタテインメントのゲーム機「プレイステーション」に乗り換える決断を下します。「任天堂の半導体メモリーのゲーム機から、ソニー・コンピュータエンタテインメントが実用化したばかりのCD-ROMベースのゲーム機への乗り換えに可能性を感じたことと、ゲーム販売の収益モデルの改善に活路を見いだすため」だったそうです。

 2000年5月に鈴木さんは当時の副社長から4代目の社長に昇格します。その直後の2000年8月に、東京証券取引所一部に上場し、事業資金を集めます。鈴木さんは2001年に映画「ファイナルファンタジー」の制作を指揮しますが、興行成績が振るわず、特別損失160億円を計上します。このため、鈴木さんは責任を取って社長を辞任します。

 その後、エイベックス代表取締役社長の松浦勝人さんに声をかけられ、2003年9月に設立されたLDHというエンターテイメント会社の会長に就任します。そして、音楽グループのEXILEなどを育てたそうです。その後、2007年10月に楽天の常務に就任し、電子書籍事業を担います。しかし、楽天の代表取締役会長兼社長の三木谷浩史さんと、事業方針を巡る意見の違いから2012年8月に楽天を去ります。

 その後、現在のテレビ番組を録画するハードディスク・レコーダーとその利用技術(高速検索)などを基盤技術とするPTP会長に就任します。

 コンピューターゲームの成長期に、ベンチャー企業のゲーム会社の創業に参画し、その後もコンピューターのコンテンツ系事業に携わりながら、波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生を楽しんでいるようです。

 鈴木さんの話を伺っていると、現在のソフトバンクの孫正義さんや楽天の三木谷さんなどのベンチャー企業創業者と同時代を生き、交流し、お互いに影響し合っているようです。

  ベンチャー企業を創業した起業家の一人である鈴木さんのお話は、日本にもベンチャー企業の起業家はある程度の人数が育っていて、日本でもそれぞれ活躍していることを教えてくれます。